お宝映画・番組私的見聞録 -3ページ目

萩原健一の出演映画

今回からは萩原健一である。テンプターズとしては取り上げたことがあるが、個人としてはやっていなかった。
50年埼玉の与野生まれ。ショーケンというあだ名はデビュー前からのもので、本名は萩原敬三なのだが、何故かケンちゃんと呼ばれていたという。ショーは「小」の意味で、清水次郎長で言う大政小政のようなもの。萩原は田端の中学に通ったが、北区の辺りを仕切っていた番長OBがダイケンで、別の学校の番長がチューケンだったという。二人とも本名が「ケン」だったからで、萩原はダイケンの弟分みたいな存在であり前述の様に「ケンちゃん」と呼ばれていたのでショーケンになったという。
中三の時にザ・テンプターズに加入するが、ショーケンと呼ばれていたので、わかりやすく健一を芸名とした。
67年にプロデビューするが、デビュー曲の「忘れ得ぬ君」続く「おかあさん」とがメインヴォーカルは松崎由治が務めている。萩原によると「歌いたくなかったから」だそうで、ヒラヒラの衣装とかもイヤでたまらなかったという。
テンプターズ時代には、雑誌の対談をきっかけに知り合った8歳年上の女優の江波杏子と交際していたという。テンプターズは71年に解散し、タイガース(沢田研二、岸部一徳)、スパイダース(大野克夫、井上堯之)、テンプターズ(萩原健一、大口広司)という三大人気GSが二人ずつ集まったPYGが結成された。売りはもちろんショーケン、ジュリーのツインヴォーカルだが、ファン同志の仲が悪く会場でケンカが起こったりもした。そのうちどちらのファンにも敬遠されるようになり、人が集まらなくなっていたようだ。歌に関しても、沢田とは張り合えないと萩原は感じるようになり、渡辺プロも次第に沢田をメインにするようになって行ったという。そして萩原は「沢田が居ればいいだろう」とPYGから抜けている。とまあ、この辺は本人の著書「ショーケン」を基に書いているので、ウィキペディア情報とはズレが生じているかもしれない。
話は前後するが、GS時代に萩原が個人で出演した最初の映画が森次康嗣の時にも紹介した「めまい」(71年)である。時期的にはテンプターズの解散直後となる。主演は歌手の辺見マリで、「経験」「私生活」といったヒット曲を飛ばしていた頃だ。辺見マリは人気歌手の役で、萩原、森次、ドンキーカルテットのジャイアント吉田がその高校時代の同級生という設定。ちなみに実年齢では萩原と吉田は14歳差である。辺見は萩原と同じ50年生まれだ。劇中では萩原は辺見にフれて交通事故を起こして重傷を負うが、彼を慕う范文雀の看護で命を取り留め結ばれることになる。実は萩原はその范文雀とも実際に交際していた時期があったという。本作がきっかけかどうかは不明であるが。
「喜劇・命のお値段」(71年)は、フランキー堺と財津一郎が主演の風刺喜劇。刑務所帰りの二人はニセ医者として、廃業寸前の病院に入り込む。その病院の息子が萩原で、医学部に在籍しながら医者にはなりたくないという若者である。何故か医療の心得が多少あるフランキーが手術を成功させたり、謎のカユイカユイ病の発生や、岡田茉莉子が営業上うその啞だったりと、今ならヤバイと思われるネタの多い作品である。

中村敦夫の出演映画 その6

中村敦夫編の最終回である。
73年後半はは日テレの開局20周年記念番組であった「水滸伝」に主役の林冲を演じている。続けて74年は「おしどり右京捕物車」で主役の神谷右京を演じた。個人的には、どちらもリアルタイムで視聴していた。
ドラマで忙しかったせいか、この時期の映画出演はない。
75年になって、中村が代表だった番衆プロに李學仁という在日韓国人青年がシナリオを持参して現れたという。タイトルは「異邦人の河」。シナリオ自体は幼稚なものだったというが、そのテーマには感じるものがあった。現在もそうかもしれないが、当時は朝鮮半島や在日外国人の問題に触れることはタブーという風潮があったのである。
しかし、中村は本作のプロデュースを引き受けることにしたのである。不可能と思える難題を目の前にすると、やって見たくなってしまう気質のためだと本人は語っている。制作費の問題があるので、まず中村はノーギャラで出演してくれる俳優を探した。その結果、米倉斉加年、河原崎長一郎、菅貫太郎、常田富士男、柳生博、小松方正、馬渕晴子、宇都宮雅代などが承諾してくれたという。中村自身もジャーナリスト役で、藤田敏八も殺し屋役で出演した。主役は朴雲煥と言ってもわからないと思うがジョニー大倉が韓国名で出演したものである。当時は「キャロル」が解散した直後であった。ヒロイン役は新人の大関優子で、ミス「水滸伝」コンテストで二位入選し、審査員をしていた中村が番衆プロに引き入れていたのである。彼女は後に佳那晃子と名を変えて活躍することになる。スタッフは日本人、在日韓国人、朝鮮人が入り乱れかなり険悪な雰囲気だったというが、何とか完成にこぎ着けという。中村は製作者としても名を連ねている。
テレビに目を向けると75年は「剣と風と子守唄」にレギュラー出演し、三船敏郎と初共演。また、「紋次郎」時代のライバル番組だった必殺シリーズ6作目「必殺仕置屋稼業」に紋次郎を思わせる渡世人姿の殺し屋としてゲスト出演。ちなみにこの回の脚本を担当した中村勝行は中村敦夫の実弟である。76年はその流れからか、続く7作目「必殺仕業人」にはレギュラー出演となった。掛け持ちで「青春の門 筑豊編」にも出演していた。
これらが終了した頃、社長を務めていた番衆プロを抜け、独立している。原田芳雄は相変わらず気に入ったものしか出演せず、桃井かおりは遅刻の常習犯で撮影をすっぽかしたりする。担当マネージャーがノイローゼ気味になったので、桃井には辞めてもらったという。松田優作が入りたいと言ってきたこともあったが、自分の子分も連れてくるという。若いのに兄貴分を気取っているのが気に食わず断ったという。俳優を引き連れて独立を画策するマネージャーも現れ、中村は次第に馬鹿らしくなってきて先手を打って辞めたのだという。その後、番衆プロは消滅している。
77年の映画出演に「姿三四郎」がある。5度目くらいの映画化なのだが、監督は岡本喜八で、三四郎役は三浦友和であった。中村の役は檜垣源之助で、弟の鉄心は矢吹二朗(千葉治郎)、源三郎は宮内洋という特撮でお馴染みの二人がキャスティングされている。他に若山富三郎、秋吉久美子、岸田今日子、岸田森、芦田伸介、丹波哲郎、森繫久彌、仲代達矢という豪華メンバーではあったが興行的には振るわなかった。中村の感想も欠点はないが、大して面白くもないというものであった。この後、野口五郎主演の「季節風」や桜田淳子主演の「愛の嵐の中で」といったアイドル映画への出演がこの時期は続いている。

中村敦夫の出演映画 その5

もう1度、中村敦夫である。
72年の出演映画には、もう1作品あり初の東映映画出演となる「売春麻薬Gメン」である。これは宮内洋の項で紹介したと思うが、主演は千葉真一で麻薬潜入捜査官である。中村の役は麻薬組織の殺し屋で、他に宮内洋、武原英子、佐野浅夫、渡辺文雄など。中村は初の東映と書いたが、テレビの方では売れる前ではあるが「キイハンター」や「プレイガール」等にゲスト出演している。
「木枯し紋次郎」は中村のケガなどの影響もあり、18本を撮り終えたところで一旦休止となった。その間に73年の正月映画として撮影されたのが岸田森の項でも紹介した「夕映えに明日は消えた」なのである。中村にとっては初の主演映画となるはずだったのだが、お蔵入りとなってしまったのである。監督の西村潔に聞いても、はっきりとした理由は教えてくれなかったという。中村が人づてに聞いたのはプロデューサーの藤本真澄に気に入られなかったから、ということなのだが、他にも事情はあったらしい。西村監督はこの後、「燃える捜査網」「大非常線」といった千葉真一主演のアクションドラマや「ハングマンシリーズ」などで活躍したが時代劇を撮ることはほとんどなかった。93年に自死してしまうが、20年経過しているので、このお蔵入りの影響というわけではないだろう。
「木枯し紋次郎」が再開し、73年3月いっぱいで終了。入れ替わるように始まったのが原田芳雄主演の「真夜中の警視」であった。原田は中村と一緒に俳優座を辞め、番衆プロを結成。前述の「夕映えに明日は消えた」での中村の敵役も原田だった。「真夜中の警視」と言っても刑事ドラマではない(刑事も登場するようだが)。原田扮する西条が「事件屋」として難事件に挑んでいく、といったお話らしい。その原田が撮影中に交通事故を起こしたのだが、実は無免許だったことが発覚する。それを受けて13話の予定だったものが7話で打ち切りとなってしまったのである。そういった経緯なので、おそらく再放送されることもなく完全に封印されてしまったと思われる。無論、自分も一度も見たことはない。
この事件で原田が会見を開くことはなかったようだが、中村によれは原田はイメージとは逆に極度に内気で神経が細かったという。カメラマンにけがをさせ、動揺の極致にあり、会見を開くような状態ではなかったので、隔離するしかなかったのだという。
急遽代わりの番組を用意する必要があったが、中村の出番となったのである。企画は既に進んでおり、再び市川崑とのコンビによる「追跡」というドラマであった。つまり、一月半放送開始が早まった形になったのである。時代劇・現代劇の違いはあれど、「木枯し紋次郎」のコンビによるドラマということで注目を浴びたのだが、第1回の視聴率は6%しかなかったという。その後数回放送しても上昇する気配はなかった。そこで、プロデューサー会議の結果、監督経験のない舞台系の演出家たちを起用してみようというものだった。その中の一人が唐十郎だったのである。唐が監督したのは16話として放送予定だった「汚れた天使」であった。しかし16話として放送されたのは「天使の罠」というエピソードであった。これは関西テレビが独断で行ったものであった。

試写を見た関西テレビの重役が内容に問題ありと判断し、他の話に差し替えようと決断。それを知った唐は激怒し「汚れた天使」を放送しなければ関西テレビと絶縁すると宣言し、中村や他の俳優たちもそれに呼応したのだった。しかし、関西テレビは差し替えを強行。これにより出演者、スタッフが以降の出演制作をボイコットしたため、16話をもって終了となったのである。本作も中村がベスパに乗って走っている姿は記憶にあるのだが、まともには見ていなかったと思う。本作もその経緯から再放送やソフト化などは難しそうである。
今回は「映画」からは、ほぼ離れた話題になってしまったが、ちょうどいい機会だったので。

中村敦夫の出演映画 その4

引き続き中村敦夫である。
彼が「木枯し紋次郎」に選ばれた経緯は割合有名だと思うので、ここでは詳しく書かないが、中村にとって魅力的だったのは普通のカツラではなく、自毛を利用してやるという話だったという。要するに髷の部分だけをくっつけるというものだ。それならあっという間にできるし、圧迫感もないからである。
市川崑監督から見ると長身で面長、しかもギャラも安い必要があったのである。市川は当時金策に苦労しており、小谷正一プロデューサーの提案で、TVシリーズをやって監修料を蓄えて映画製作資金に充てようと考えたのである。この企画が挙がったとき、田宮二郎など多くのスターが名乗りをあげたというが、ギャラの高いスターを使うわけにはいかなかったのである。とにかく、両者の思惑が一致し「木枯し紋次郎」が決定した。
その直後になるが、中村は市原悦子、原田芳雄、菅貫太郎ら10人の劇団員と共に首脳との関係が悪化していた俳優座を退団している。いざとなると二の足を踏んだ者も多く、その人数になったという。生活のため新たな拠点をつくる必要があったが、新劇団を作るのではなく、役者のマネージメントを行う番衆プロというプロダクションを作ったのである。社長は市原悦子の夫である舞台監督だった塩見哲が就任。つまり市原悦子の本名は塩見悦子で、あの志穂美悦子と同じ読みになるのである。番衆プロという名前は事務所が新宿の番衆町にあったからという単純な理由だ。ここには後に、常田富士男や桃井かおりが加わっている。中村は資金稼ぎの為に、あまり仕事を選ばなかったというが、原田は自分の気に入った作品しか出ようとしなかったという。そんなこともあり事務所の稼ぎのほとんどは中村によるものだった。
72年の元旦に「木枯し紋次郎」がスタート。これにより中村は一躍人気スターとなった。第2話には原田もゲスト出演している(中村以外みんなゲストだが)。
72年の出演映画としては「無宿人御子神の丈吉シリーズ」がある。紋次郎の大ヒットもあり、同じ笹沢佐俣の原作による渡世人ものの映画化である。主役の丈吉は原田芳雄で気に入った役ということなのだろうか。第1作「牙は引き裂いた」で丈吉は妻子を殺されてしまうのだが、犯人は国定忠治(峰岸徹、当時は隆之介)とその舎弟の長五郎(内田良平)と九兵衛(南原宏治)だと様子を探っていた九兵衛の子分から聞かされる。丈吉は三人への復讐を決意するというストーリーだが、あの有名な国定忠治が女子供を惨殺したのか?というのがポイントであろう。丈吉も現場を見たわけではないので。中村敦夫はというと、やっぱち渡世人である疾風の伊三郎として登場。紋次郎との差別化のためか右眼に眼帯をしており、もちろん楊枝を加えたりはしていない。当時のポスターでも原田の全身ショットの背後にでかでかとその顔が。最初は丈吉の邪魔をするのだが、最終的には助っ人になったりする。九兵衛は倒され、仲間の巳之吉(菅貫太郎)は片目を潰される。他の出演者は松尾嘉代、北林早苗、花沢徳衛、阿藤海など。
第2作「川風に過去は流れた」も72年の公開。原田以外では中村、峰岸、菅は引き続き登場。ただし中村と峰岸の出番は少ない。今回のターゲットである長五郎役は内田良平から井上昭文へと変更になっている。ヒロイン役で中野良子と市原悦子が登場。つまり中村、原田、菅、市原と俳優座脱退組(つまり番衆プロ)が揃って出演しているのだ。他の出演者は内田朝雄、安部徹、長谷川明男、加藤嘉など。

中村敦夫の出演映画 その3

引き続き中村敦夫である。
70年の出演作品には「幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形」がある。岸田森の項で紹介した「血を吸う」シリーズの第1作である。2、3作目の吸血鬼を岸田森が演じていたが、1作目は誰かというと中村敦夫ではない。東宝の若手女優だった小林夕岐子である。東宝ニュータレント6期生で、同期に菱見百合子、牧れい、九条亜希子、小西まち子など特撮ヒロインになったメンツが多い。父は水島道太郎、母はタカラジェンヌだった山鳩くるみ。「ウルトラセブン」へのゲスト出演(アンドロイド少女)や「怪獣総進撃」「南海の大決闘」といいた東宝特撮への多かったことからの抜擢であろうか。
「血を吸う人形」では小林の婚約者だったのが中村である。彼女に会いにその屋敷を訪れたまま行方知れずになる。その消息を追って、妹である松尾嘉代と恋人である中尾彬が屋敷を訪ねる。といったストーリーで、結局中村は死んでいたので、松尾、中尾コンビが主役という感じになる。他の出演者は宇佐美淳也、南風洋子、高品格、浜村純など。
71年は大島渚監督の「儀式」に出演。製作は大島が率いる創造社で配給はATGである。大島がどこからか俳優座の異端児であった中村に目を付けたらしい。主演は河原崎建三と賀来敦子で、他に大島の妻である小山明子、創造社のメンバーでもある小松方正、戸浦六宏、渡辺文雄、大島作品常連の佐藤慶、殿山泰司、乙羽信子、小沢栄太郎など。建三の実母である河原崎しづ江も出演しているが、本作が最後の出演作品となっている。賀来敦子は詳細不明だが、62~63年にかけて数本のドラマ、映画への出演記録があるが、64年以降はなく本作で復活した形となっている。
物語は「テルミチシス テルミチ」という奇妙な電報で始まるが、そのテルミチ(立花輝道)を演じるのが中村である。
また、この71年にはNHK大河ドラマ「春の坂道」に石田三成の役で出演。しかし、初任給1万5千円程度の時代にギャラが1本4千円という安さで、しかも週に5日拘束されてしまうということで、「一刻も早く処刑されて消してほしい」という異例の申し出をしたという。ギャラは安くても、天下のNHKで目立つ役をやるのは光栄だというのが常識だったので、当然関係者は激怒し、お望み通り降板させようと思っていたところに、中村へのファンレターが多くNHKに届き始めたのである。マスコミからの取材も殺到し、NHKもその人気を無視できなくなり、5~6話だった出演予定が16話に伸ることになったのである。普通なら役者として嬉しい誤算という出来事だが、中村にとっては薄給で4カ月働かされることになったので、非常に迷惑だったと語っている。
また俳優座においては、中村ら中堅・若手が上演を希望した「はんらん狂騒曲」が幹部が反対したことで俳優座首脳との対立が決定的なものとなった。中村は劇団の許可を得ず「はんらん狂騒曲」の上演に踏みきったのである。公演が終了すると経済的に追い詰められ、すぐにでも収入を得なければならない状態となっていた。
幸いにも「春の坂道」で名が売れ、ドラマへの出演依頼が殺到していた。中村の答えは「ギャラの高そうなもので」。内容はなんでも良かったのである。劇団の映画放送部としてはそうもいかず、二本の連続時代劇ドラマに絞り込んだきたが「そちらで決めてください」と他人任せであったという。後日、それとは別に市川崑監督が時代劇の主役を探しているから会いに行けという。候補作があるのに、必要ないではないかと思ったが、巨匠の希望だからと渋々向かった。相手が自分を選んでくれる保障はこの時点ではなかったのである。
お分かりだと思うが、その時代劇こそが「木枯し紋次郎」である。市川監督は待ち合わせの喫茶店に中村が入って来たのを見た瞬間に彼を紋次郎役に決めたと言う。

中村敦夫の出演映画 その2

続けて中村敦夫である。
65年に中村は二年の準劇団員期間を経て、俳優座の正劇団員に昇格した。正劇団員になるやいなや最初の選挙で幹事に選ばれてしまう。当時25歳で、劇団史上最年少幹部の誕生である。他の幹部は若くても40代後半で、50~60代がほとんどだったので異例中の異例であった。古い体質だった劇団に対する一般劇団員の「反抗」の現れだったようだ。
その65年、留学生募集の知らせが劇団にもあり、先輩の付き添いのつもりで、受験した中村が合格してしまったのである。劇団側があっさりと許可したため。ハワイ大学への留学が決った。幹事会も異端児である中村がいない方が都合がよかったようである。留学の終盤はハワイから本土へ渡り、約三カ月アメリカを横断している。
日本にいなかったので、66年は映画やテレビの出演はなかったが、67年、連続ドラマ「氷壁」の主役に抜擢されている。「氷壁」は井上靖のヒット小説で、共演は有馬稲子、芥川比呂志、江原真二郎、姿美千子など。特に「映画スター」有馬稲子のドラマ出演は話題になった。芥川比呂志は芥川龍之介の長男だが、舞台中心だった為、テレビドラマ出演は多くない。当時の中村は舞台芝居が染みついており、他の共演者の自然な芝居とはかみ合わなかったという。前半の監督だった弓削太郎はそれを直すようなことはせず、プロデューサーと対立し解任されてしまう。数年後、弓削は自殺してしまうのだが、中村はそれを自分のせいであるかのように感じているという。
この「失敗」で、映画やテレビからは当分声がかからないと思っていたところに、68年東宝「斬る」への出演が決まった。「斬る」は岸田森のところでも紹介したが、監督は岡本喜八、主演は仲代達矢、高橋悦史。中村の役どころは七人の青年武士のリーダー格・笈川哲太郎。同志の侍が久保明、中丸忠雄、地井武男などで、笈川の恋人役が本作での紅一点である星由里子だ。中村と星は67年にドラマ「さくらんぼ」で兄妹役をやっていた。ちなみに、星のドラマ初出演作である。
この68年に中村が出演したもう一本が松竹「復讐の歌が聞える」である。主演は俳優座の後輩である原田芳雄で、これが映画デビュー作でもある。原作は石原慎太郎「青い殺人者」だが、石原が自ら脚本も担当している。俳優座と提携して製作されているので、原田、中村以外にも東野英治郎、浜田寅彦、滝田裕介、福田豊土、菅貫太郎といった俳優座所属の役者が多く出演している。内容は原田扮する主人公が復讐のため、人を殺しまくるというもの。本編は未見なのだが、予告編によれば「二十四の華麗な殺しのテクニック」などと謳っているので、24人殺すということだろうか。それも爆弾とかで一度にではなく一人一人違った方法で。ラスボスは内田良平で、その妻で兄の元恋人が岩本多代。岩本は内田の悪事を知らなかったという設定で殺されはしないようだが、原田も岩本も当時20代には見えない。原田の元恋人役は鵬アリサという人だが、映画はこの一作のみ。少ない情報では、日劇ミュージックホールのダンサーだった人らしい。
中村の役も殺される中の一人で、ポスターに名前は載っていないようだ。予告編でビルの工事現場で逆さに吊るされているのが中村のようだ。
69年は戦争映画「トラ・トラ・トラ」のオーディションが行われた。米国側をリチャード・フライシャー、日本側は黒澤明が監督するということで始まり、中村も直接黒澤監督に会いスパイだったハワイ滞在の日系米人役に合格した。実際にハワイに留学していたことが大きかったのではと語っている。しかし、黒澤は米国側と対立し結局降板し、中村の役もマコ岩松に知らぬ間に変更され米国側で撮影されていたという、しかし本編ではカットされてしまっている。
 

中村敦夫の出演映画

今回からは、岸田森のところでも話題に出た中村敦夫である。自分の中では「木枯し紋次郎」はもちろん、「水滸伝」「必殺仕業人」「おしどり右京捕物車」といった少年時代に見た時代劇ヒーロー役者である。別に中村目当てで見ていたわけではなく、たまたまどれも彼が主役だったということである。
中村敦夫は40年生まれで、本名は敦雄。高校時代まで遠藤姓であったが、離婚により母方の中村姓を名乗るようになった。60年に東京外大を中退し、俳優座養成所に12期生として入所した。同期には山本圭、松山英太郎、東野英心(孝彦)、樫山文枝、長山藍子、芳村真理、応蘭芳などがいた。また1年後には出席日数不足などで留年した加藤剛、伊藤孝雄、成田三樹夫らが加わったという。
三年の養成期間を終え、63年に俳優座の準劇団員となる。そのまま俳優座に合格したのは中村、山本、東野ら男六人だけだったという。しかし、舞台ではチョイ役ばかりだったという。
64年に初の映画出演が決まった。小泉八雲原作の「怪談」である。制作は文芸プロダクションにんじんくらぶで、配給は東宝であった(一般公開は65年)。にんじんくらぶは54年に岸恵子、久我美子、有馬稲子の三女優によって設立。当時、岸は松竹、久我と有馬は東宝の専属だったが、五社協定による専属しばりから他社出演を実現させるための設立である。
「怪談」は「黒髪」「雪女」「耳無芳一の話」「茶碗の中」の4つの怪談話によるオムニバス作品。中村は「耳無芳一の話」のパートへの出演である。他の3パートに比べ出演者も多い。主演の芳一役は中村嘉葎雄で、他に丹波哲郎、志村喬、林与一、村松英子、田中邦衛、北村和夫、近藤洋介など。長山藍子もチョイ役で出ている。中村は戦死した幽霊の一人・平教経の役で、セリフは一行もなかったという。ただ監督の小林正樹を初めとする制作陣は中村を売り出す気でいたようで、新聞のインタビューが殺到していたという。
しかし、180分を超える上映時間も災いしてか海外では高評価だったが、日本では当たらなかった。これが原因でにんじんくらぶは倒産した。小林監督の次回作には「敦煌」が予定されていたが、これも無期限延期となった。実はこの作品で中村は大役を約束されていたというが、それも流れてしまったのである。
そんな中、大映から「新鞍馬天狗」出演のオファーが来た。主演は市川雷蔵で、共演は中村玉緒、藤巻潤。新選組は中村竹弥(近藤勇)、五味龍太郎(土方歳三)、浜田雄史(沖田総司)などで、中村敦夫も新選組の隊士・村尾真弓役でクレジットでは七番手。他に杉作役は「マグマ大使」のガム役で知られる二宮秀樹、新選組隊士にデビューまもない平泉成(当時は平泉征七郎)なども出演していた。浜田雄史は脇役専門で、ヤクザ一家の兄貴分・代貸といった役が多く、こういった二枚目役は珍しい。雷蔵や勝新とはデビュー作が一緒(花の白虎隊)なのだが、雷蔵の吹き替えを担当することも多かったという。本名を奥村俊雄というが、勝新の本名も奥村利夫と言い、読みが全く同じである。
中村は雷蔵との初対面時、作法を知らなかったので、土下座に近い挨拶をしたというが、雷蔵は「そんなに硬くならんでええよ」と気さくな感じだったそうだ。普段の見た目はあまり特徴のないサラリーマン風だったという。

岸田森の出演映画 その6

もう1回だけ、岸田森である。
73年、テレビでは円谷プロの特撮ドラマ「ファイヤーマン」にSAFの水島副隊長としてレギュラー出演。劇中で副隊長とは呼ばれていなかった気もするが、ポジション的に二番手なことは間違いない。ここでは隊長役の睦五朗と公私ともに親しくなったようである。
74年の主な映画出演としてはまず「ゴジラ対メカゴジラ」。岸田はゴジラシリーズ初出演である。よりコミカルで子供向けになっていたゴジラシリーズだが、本作では若干の軌道修正が入り、子役俳優が登場しない。
主演は大門正明で、その弟役に青山一也で、ヒロイン役は田島令子だ。大門は「ファイヤーマン」の主役候補に挙がっていたという(実際は誠直也)。青山は東宝製作の特撮「流星人間ゾーン」(73年)の主役である。ちなみに、76年には引退し、家業である海苔専門店を継いだという。田島は71年に松竹から映画デビュー。普通に顔出しも多いのだが、「地上最強の美女バイオニック・ジェミー」の主演声優としても知られ、声優イメージも強い。
本作は沖縄が舞台で田島の役名は金城冴子という。「キンジョウ」でも「カネシロ」でもなく「カナグスク」と読む。また国頭那美(クニガミナミ)という沖縄民謡の歌い手をベルベラ・リーンという人が演じている。ベルベラは本作のみ使用した名前でその正体は台湾人歌手・鄭秀英。当時はプロフィールが公開されておらず、長らく謎の人物として扱われていたようだ。
こうした若手に加え、平田昭彦、小泉博、佐原健二といった東宝特撮映画の常連俳優も出演している。「ファイヤーマン」からも岸田と睦が出演。共に謎めいた人物の役だが、岸田の正体はインターポールの捜査官に対し、睦はブラックホール第三惑星人という宇宙人の地球征服司令官を、その部下を岸田とは文学座の同期で親友である草野大悟が演じている。ちなみに、草野の妻は田島和子で令子ではない。
「血を吸う薔薇」は、血を吸うシリーズの3作目。前作「血を吸う眼」から3年が経過していたが、東宝側の都合などにより一度立ち消えになった企画が再始動した形である。舞台は長野の奥地にある女子短大。
主演は黒沢年男だが、見た目の男臭さとは裏腹にホラーが大の苦手だという。その為、出演を渋っていたのだが、完成品をみないこと等を条件に引き受けたという。他の出演者は望月真理子、太田美緒、麻里ともえ(阿川泰子)、佐々木勝彦、田中邦衛、伊藤雄之助などで吸血鬼は前作に引き続き岸田が担当した。短大の学長夫妻こそが、吸血鬼なのだが学長夫人役は桂木美加。「帰ってきたウルトラマン」でMATの紅一点、丘隊員を演じていた人である。学長夫人などというと年配の人を想像してしまうが、桂木は当時25歳であった。ちなみに桂木は本作の後「ウルトラマンレオ」にゲスト出演をしたのを最後に芸能界から姿を消している。共演していた団次郎も「恐らく結婚されて、引退したのでは」とはっきりとは知らないようだった。
この74年、岸田はテレビではあの「傷だらけの天使」にレギュラー出演。説明不要かと思うが、主演は萩原健一、共演は水谷豊、岸田今日子。従姉妹である岸田今日子との共演はあまりない。ほぼ同時に時代劇「斬り抜ける」がスタートしているが、こちらにも岸田はレギュラー出演。主演は近藤正臣、和泉雅子で他に佐藤慶、火野正平など。「傷だらけ」の亨役は当初、火野正平が予定されていたというのは有名な話だが、この「斬り抜ける」等の出演でスケジュールがとれなくなった為である。岸田森は両方にレギュラー出演していたぞ、というのは考えてはいけない。

岸田森の出演映画 その5

今回も岸田森である。
72年の続きだが、「子連れ狼」シリーズの2本にどちらも敵役で出演。「子連れ狼」と言えば、テレビシリーズの萬屋錦之介のイメージが強いと思うが、映画版の拝一刀は若山富三郎である。大五郎役は富川晶宏。
「子連れ狼 三途の川の乳母車」は、映画版の第2作。一刀は小角(小林昭二)率いる黒鍬者や柳生鞘香(松尾嘉代)が送り込む別式女たち(鮎川いずみ、三島ゆり子、東三千、水原麻紀、笠原玲子、若山ゆかり等)を倒しところ、阿波藩より刺客の依頼を受ける。江戸へ護送される男を斬ってほしいという依頼だったが、そこには公儀護送人である左三兄弟が付いていた。その三兄弟が大木実、岸田森、新田昌玄である。
「子連れ狼 親の心子の心」は、映画版の第4作。一刀は尾張藩より雪(東三千、後に原田英子)という女を斬ることを依頼される。雪は「乞胸」という身分出身の別式女だが、妖術を操る狐塚円記(岸田森)との立ち合いに負け強姦されていた。その雪辱を晴らすために脱藩していたのである。雪が円記に勝ったのを見届けて一刀は彼女を斬る。もちろん、それだけではなく裏柳生軍団と一刀との死闘もあったりする。他の出演者は林与一、山村聰、小池朝雄、遠藤辰雄(太津朗)など。怪しい妖術使いというのは岸田に似合った役に感じる。
ところで、テレビシリーズ(73年)の第2話として放送されたのが「乞胸お雪」というサブタイなのだが、現在欠番扱いとなっており、再放送も74年を最後に一切なく、もちろんソフト化もない。CSなどで行われる放送でも全27話を全26話として、話数なども繰り上げられなかったことにされている。「乞胸」が現在では差別用語にあたるからというのが大きな理由のようだ。
73年に入るが、岸田が出演している映画でお蔵入りになってしまったのが「夕映えに明日は消えた」である。原作は笹沢佐俣で、主演は中村敦夫という「木枯し紋次郎」のコンビ。紋次郎が放送中の中、制作され勿論内容も紋次郎を意識したものとなっている。タイトルも紋次郎のサブタイにありそうな感じになっている。ストーリーは大雑把に言えば、中村演じる佐吉と原田芳雄率いる四兄弟との戦いということになるようだ。中村と原田は俳優座を一緒に退団した仲間。で、原田の弟役が岸田森や阿藤海である(もう一人は不明)。顔のつくりから言えば、原田よりも中村と兄弟というほうがしっくりくるけれども。他の出演者はテレサ野田、小野ひずる、内田朝雄、草野大悟、富川澈夫など。小野は「仮面ライダーV3」にヒロイン役で出演していた。余談だが、中村が主役の「おしどり右京捕物車」(74年)に岸田が敵役で登場した時に、その仲間を阿藤や富川が演じていた。富川は岸田と同じ「六月劇場」の出身ということもあり共演も多い。
本作が未公開となった原因については、主演の中村も「わからない」と言っている。プロデューサーだった藤本真澄が気に入らなかったから、という説は事実の一つではあろうが、他にも諸事情があったようだ。「映画論叢」という雑誌で、本作の打ち切り事情について追究した記事があるが、正確な結論は得られていない。ちなみに、後の77年に高知と尼崎でそれぞれ一週間だけ公開されているらしい。

岸田森の出演映画 その4

引き続き、岸田森である。71年からの出演映画だが、東宝とATGがほとんどである。
71年は何と言っても「呪いの館 血を吸う眼」であろう。これは「血を吸うシリーズ」の第二弾にあたり、1作目は「幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形」(70年)であり、出演は中村敦夫、小林夕岐子、松尾嘉代、中尾彬、宇佐美淳也などで、岸田は出演していない。ちなみに吸血鬼は中村敦夫ではなく小林夕岐子である。つまり美女吸血鬼というわけだ。
今回の「血を吸う眼」も当初は岡田真澄を予定していたというが、スケジュールが合わず、そこで監督の山本迪夫が推薦したのが岸田だったのである。ドラキュラ俳優と言えば、クリストファー・リーが有名だが、本作は1作目とは違い、和製ドラキュラ映画を目指して製作された。他の出演者だが江美早苗、藤田みどり、高橋長英、大滝秀治、高品格など。藤田は67年頃からテレビドラマには出演していたが、映画は本作が初出演だったようだ。当時は劇団欅に所属していたが、同じ劇団だった岡田真澄と後に結婚するのである。つまり、当初のままだったら(後の)夫婦共演ということになっていたのだ。
「いのちぼうにふろう」は山本周五郎「深川安楽亭」を原作とした時代劇である。「島」にある安楽亭は中村翫右衛門演じる幾造とその娘・栗原小巻演じるおみつが営む一見居酒屋だが、実は密輸の本拠地。そこを巣にしているのが主演の仲代達矢ほか、佐藤慶、近藤洋介、山谷初男、植田峻、草野大悟、そして岸田森である。他に酒井和歌子、山本圭、神山繁、中谷一郎、滝田裕介、そして勝新太郎もチラっと姿を見せる。ちなみに脚本は隆巴つまり仲代の嫁さん(宮崎恭子)である。
「曼荼羅」は、ATG制作のR18指定映画。監督は実相寺昭雄で、「怪奇大作戦」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」といった円谷プロ特撮の監督としても知られる。岸田とも「怪奇大作戦」で一緒であり「京都買います」「呪いの壺」といった岸田が演じる牧が主役となるエピソードを演出している。それにちなんでか本作での役名は「真木」である。他にも桜井浩子、小林昭二、原保美といった前述の作品でレギュラーを務めた役者も起用されている。ストーリーの中心となるのは田村亮、清水綋治、森秋子、そして桜井浩子で、岸田はユートピア集団の実現を計ろうとする人物。他に富川澈夫、草野大悟、花柳幻舟など。
72年に入るが、「哥(うた)」は篠田三郎の項でも紹介したが、これもATG制作で、実相寺昭雄の監督作品だ。ここでは岸田、東野孝彦(英心)、篠田三郎が三兄弟で、その父親がアラカンこと嵐寛寿郎だ。他に「曼荼羅」と同じく田村亮、桜井浩子、原保美、加えて八並映子、内田良平など。
「高校生無頼控」は「漫画アクション」に連載の劇画の映画化で、原作は小池一夫、芳谷圭児。主人公のムラマサが過激派で指名手配の兄を探して、鹿児島から東京を旅するのだが、行く先々で女性と知り合い、性的関係を結んでいくという物語。主役のムラマサが沖雅也で、兄が岸田である。他に夏純子、八並映子、進千賀子、川村真樹、木村由貴子、南利明、岡崎二朗、宍戸錠など。