中村敦夫の出演映画 その5 | お宝映画・番組私的見聞録

中村敦夫の出演映画 その5

もう1度、中村敦夫である。
72年の出演映画には、もう1作品あり初の東映映画出演となる「売春麻薬Gメン」である。これは宮内洋の項で紹介したと思うが、主演は千葉真一で麻薬潜入捜査官である。中村の役は麻薬組織の殺し屋で、他に宮内洋、武原英子、佐野浅夫、渡辺文雄など。中村は初の東映と書いたが、テレビの方では売れる前ではあるが「キイハンター」や「プレイガール」等にゲスト出演している。
「木枯し紋次郎」は中村のケガなどの影響もあり、18本を撮り終えたところで一旦休止となった。その間に73年の正月映画として撮影されたのが岸田森の項でも紹介した「夕映えに明日は消えた」なのである。中村にとっては初の主演映画となるはずだったのだが、お蔵入りとなってしまったのである。監督の西村潔に聞いても、はっきりとした理由は教えてくれなかったという。中村が人づてに聞いたのはプロデューサーの藤本真澄に気に入られなかったから、ということなのだが、他にも事情はあったらしい。西村監督はこの後、「燃える捜査網」「大非常線」といった千葉真一主演のアクションドラマや「ハングマンシリーズ」などで活躍したが時代劇を撮ることはほとんどなかった。93年に自死してしまうが、20年経過しているので、このお蔵入りの影響というわけではないだろう。
「木枯し紋次郎」が再開し、73年3月いっぱいで終了。入れ替わるように始まったのが原田芳雄主演の「真夜中の警視」であった。原田は中村と一緒に俳優座を辞め、番衆プロを結成。前述の「夕映えに明日は消えた」での中村の敵役も原田だった。「真夜中の警視」と言っても刑事ドラマではない(刑事も登場するようだが)。原田扮する西条が「事件屋」として難事件に挑んでいく、といったお話らしい。その原田が撮影中に交通事故を起こしたのだが、実は無免許だったことが発覚する。それを受けて13話の予定だったものが7話で打ち切りとなってしまったのである。そういった経緯なので、おそらく再放送されることもなく完全に封印されてしまったと思われる。無論、自分も一度も見たことはない。
この事件で原田が会見を開くことはなかったようだが、中村によれは原田はイメージとは逆に極度に内気で神経が細かったという。カメラマンにけがをさせ、動揺の極致にあり、会見を開くような状態ではなかったので、隔離するしかなかったのだという。
急遽代わりの番組を用意する必要があったが、中村の出番となったのである。企画は既に進んでおり、再び市川崑とのコンビによる「追跡」というドラマであった。つまり、一月半放送開始が早まった形になったのである。時代劇・現代劇の違いはあれど、「木枯し紋次郎」のコンビによるドラマということで注目を浴びたのだが、第1回の視聴率は6%しかなかったという。その後数回放送しても上昇する気配はなかった。そこで、プロデューサー会議の結果、監督経験のない舞台系の演出家たちを起用してみようというものだった。その中の一人が唐十郎だったのである。唐が監督したのは16話として放送予定だった「汚れた天使」であった。しかし16話として放送されたのは「天使の罠」というエピソードであった。これは関西テレビが独断で行ったものであった。

試写を見た関西テレビの重役が内容に問題ありと判断し、他の話に差し替えようと決断。それを知った唐は激怒し「汚れた天使」を放送しなければ関西テレビと絶縁すると宣言し、中村や他の俳優たちもそれに呼応したのだった。しかし、関西テレビは差し替えを強行。これにより出演者、スタッフが以降の出演制作をボイコットしたため、16話をもって終了となったのである。本作も中村がベスパに乗って走っている姿は記憶にあるのだが、まともには見ていなかったと思う。本作もその経緯から再放送やソフト化などは難しそうである。
今回は「映画」からは、ほぼ離れた話題になってしまったが、ちょうどいい機会だったので。