萩原健一の出演映画 | お宝映画・番組私的見聞録

萩原健一の出演映画

今回からは萩原健一である。テンプターズとしては取り上げたことがあるが、個人としてはやっていなかった。
50年埼玉の与野生まれ。ショーケンというあだ名はデビュー前からのもので、本名は萩原敬三なのだが、何故かケンちゃんと呼ばれていたという。ショーは「小」の意味で、清水次郎長で言う大政小政のようなもの。萩原は田端の中学に通ったが、北区の辺りを仕切っていた番長OBがダイケンで、別の学校の番長がチューケンだったという。二人とも本名が「ケン」だったからで、萩原はダイケンの弟分みたいな存在であり前述の様に「ケンちゃん」と呼ばれていたのでショーケンになったという。
中三の時にザ・テンプターズに加入するが、ショーケンと呼ばれていたので、わかりやすく健一を芸名とした。
67年にプロデビューするが、デビュー曲の「忘れ得ぬ君」続く「おかあさん」とがメインヴォーカルは松崎由治が務めている。萩原によると「歌いたくなかったから」だそうで、ヒラヒラの衣装とかもイヤでたまらなかったという。
テンプターズ時代には、雑誌の対談をきっかけに知り合った8歳年上の女優の江波杏子と交際していたという。テンプターズは71年に解散し、タイガース(沢田研二、岸部一徳)、スパイダース(大野克夫、井上堯之)、テンプターズ(萩原健一、大口広司)という三大人気GSが二人ずつ集まったPYGが結成された。売りはもちろんショーケン、ジュリーのツインヴォーカルだが、ファン同志の仲が悪く会場でケンカが起こったりもした。そのうちどちらのファンにも敬遠されるようになり、人が集まらなくなっていたようだ。歌に関しても、沢田とは張り合えないと萩原は感じるようになり、渡辺プロも次第に沢田をメインにするようになって行ったという。そして萩原は「沢田が居ればいいだろう」とPYGから抜けている。とまあ、この辺は本人の著書「ショーケン」を基に書いているので、ウィキペディア情報とはズレが生じているかもしれない。
話は前後するが、GS時代に萩原が個人で出演した最初の映画が森次康嗣の時にも紹介した「めまい」(71年)である。時期的にはテンプターズの解散直後となる。主演は歌手の辺見マリで、「経験」「私生活」といったヒット曲を飛ばしていた頃だ。辺見マリは人気歌手の役で、萩原、森次、ドンキーカルテットのジャイアント吉田がその高校時代の同級生という設定。ちなみに実年齢では萩原と吉田は14歳差である。辺見は萩原と同じ50年生まれだ。劇中では萩原は辺見にフれて交通事故を起こして重傷を負うが、彼を慕う范文雀の看護で命を取り留め結ばれることになる。実は萩原はその范文雀とも実際に交際していた時期があったという。本作がきっかけかどうかは不明であるが。
「喜劇・命のお値段」(71年)は、フランキー堺と財津一郎が主演の風刺喜劇。刑務所帰りの二人はニセ医者として、廃業寸前の病院に入り込む。その病院の息子が萩原で、医学部に在籍しながら医者にはなりたくないという若者である。何故か医療の心得が多少あるフランキーが手術を成功させたり、謎のカユイカユイ病の発生や、岡田茉莉子が営業上うその啞だったりと、今ならヤバイと思われるネタの多い作品である。