中村敦夫の出演映画 その2 | お宝映画・番組私的見聞録

中村敦夫の出演映画 その2

続けて中村敦夫である。
65年に中村は二年の準劇団員期間を経て、俳優座の正劇団員に昇格した。正劇団員になるやいなや最初の選挙で幹事に選ばれてしまう。当時25歳で、劇団史上最年少幹部の誕生である。他の幹部は若くても40代後半で、50~60代がほとんどだったので異例中の異例であった。古い体質だった劇団に対する一般劇団員の「反抗」の現れだったようだ。
その65年、留学生募集の知らせが劇団にもあり、先輩の付き添いのつもりで、受験した中村が合格してしまったのである。劇団側があっさりと許可したため。ハワイ大学への留学が決った。幹事会も異端児である中村がいない方が都合がよかったようである。留学の終盤はハワイから本土へ渡り、約三カ月アメリカを横断している。
日本にいなかったので、66年は映画やテレビの出演はなかったが、67年、連続ドラマ「氷壁」の主役に抜擢されている。「氷壁」は井上靖のヒット小説で、共演は有馬稲子、芥川比呂志、江原真二郎、姿美千子など。特に「映画スター」有馬稲子のドラマ出演は話題になった。芥川比呂志は芥川龍之介の長男だが、舞台中心だった為、テレビドラマ出演は多くない。当時の中村は舞台芝居が染みついており、他の共演者の自然な芝居とはかみ合わなかったという。前半の監督だった弓削太郎はそれを直すようなことはせず、プロデューサーと対立し解任されてしまう。数年後、弓削は自殺してしまうのだが、中村はそれを自分のせいであるかのように感じているという。
この「失敗」で、映画やテレビからは当分声がかからないと思っていたところに、68年東宝「斬る」への出演が決まった。「斬る」は岸田森のところでも紹介したが、監督は岡本喜八、主演は仲代達矢、高橋悦史。中村の役どころは七人の青年武士のリーダー格・笈川哲太郎。同志の侍が久保明、中丸忠雄、地井武男などで、笈川の恋人役が本作での紅一点である星由里子だ。中村と星は67年にドラマ「さくらんぼ」で兄妹役をやっていた。ちなみに、星のドラマ初出演作である。
この68年に中村が出演したもう一本が松竹「復讐の歌が聞える」である。主演は俳優座の後輩である原田芳雄で、これが映画デビュー作でもある。原作は石原慎太郎「青い殺人者」だが、石原が自ら脚本も担当している。俳優座と提携して製作されているので、原田、中村以外にも東野英治郎、浜田寅彦、滝田裕介、福田豊土、菅貫太郎といった俳優座所属の役者が多く出演している。内容は原田扮する主人公が復讐のため、人を殺しまくるというもの。本編は未見なのだが、予告編によれば「二十四の華麗な殺しのテクニック」などと謳っているので、24人殺すということだろうか。それも爆弾とかで一度にではなく一人一人違った方法で。ラスボスは内田良平で、その妻で兄の元恋人が岩本多代。岩本は内田の悪事を知らなかったという設定で殺されはしないようだが、原田も岩本も当時20代には見えない。原田の元恋人役は鵬アリサという人だが、映画はこの一作のみ。少ない情報では、日劇ミュージックホールのダンサーだった人らしい。
中村の役も殺される中の一人で、ポスターに名前は載っていないようだ。予告編でビルの工事現場で逆さに吊るされているのが中村のようだ。
69年は戦争映画「トラ・トラ・トラ」のオーディションが行われた。米国側をリチャード・フライシャー、日本側は黒澤明が監督するということで始まり、中村も直接黒澤監督に会いスパイだったハワイ滞在の日系米人役に合格した。実際にハワイに留学していたことが大きかったのではと語っている。しかし、黒澤は米国側と対立し結局降板し、中村の役もマコ岩松に知らぬ間に変更され米国側で撮影されていたという、しかし本編ではカットされてしまっている。