13歳の浜友
先日、さいたま公演が終わった後の授業で、
ある生徒の保護者から、こんな手紙をもらいました。
その生徒は、少し心に病を抱えています。
でも、普通です。
何千人も子供を見てきましたが、
本当に普通なんです。
そんな普通の生徒のお話です。
ご報告
本日、6月8日、生徒名、
浜田省吾のファンクラブへ入会いたしました。
ここ数週間、毎日、浜田省吾の曲を流し、
娘(生徒名)といろいろ話をしてきました。
ファンクラブの会報誌には良いことがいっぱい
書いてありそうで・・・。その内容を、母子の
会話にするといいかナ~、と思い。
娘(生徒名)に、
「娘(生徒名)の名前でファンクラブに
入っていい?」と聞いたら、
「コンサートに行きたい!」と
返ってきました。
同じく、本日、J.S FOUNDATIONへ、
娘(生徒名)の名で募金いたしました。
日頃から、娘(生徒名)には、
「今。日本に。生まれてよかったよネ。」と
いろいろ話をしていたので、
J.Sの活動もすぐ理解できたようです。
〈ある会話〉
母、「J.SのSはSHOGOの S なんだけど、
自分の出来ることをやろうと思った人たちは
なんでJなんだろうね~? 」
娘、「JAPANの J じゃない?」
〈さらに〉
「なんで、戦争(テロ)をするんだろうね」
と娘。
先生と出逢って、
娘(生徒名)の心を、
とても善い事と
繋ぐことができた、と思います。
感謝します。
2012年初夏
母親の名
教室に、ポスターやら新聞広告やら、
いろいろ貼っていて、
生徒たちにも、宮城、さいたまに行ってくると、
宣言して、お休みをもらって、参加しています(笑)
さいたまに行く前に、
このお母さんから、一万円を預かりました。
「これでバスタオルを一つ買ってきて下さい。
そして、残りは募金してきて下さい。」
と頼まれました。
僕はいつも、そこまでは募金箱に入れてないので、
「もう少し、何か買ったらいいじゃないですか?」
ということ言ったのですが、
「これでお願いします。」
と渡されました。
この手紙がさいたまの前だったら、
なんとかして、参加出来たのかも知れないと思いました。
そして、当日チケットが1枚余った時、
ふと、連絡しようかとも、思ったのですが、
1枚では、母子で見ることは出来ないと思い、
連絡をしなかったことを少し悔やんでいます。
この手紙を貰って、こみ上げてきました。
嬉しくて、嬉しくて。
昔、僕がまだ若かった頃、今でも若いですが(汗)
生徒に省吾のカセットを作ってあげて、
2人のファンを育てました(笑)
その子達は2000年頃のFFFにも参加していたようです。
まさか、この年になって、こんな素敵な浜友が出来るなんて・・・
次回のツアーでは、一緒に行けたらいいなと思っていますが、
皆さんにお会いしたら、僕は先生と呼ばれなくなるかも・・・(笑)
今日、学力テスト受けに来ていました。
帰りに、
「ようこそ、ファンクラブへ」
「先生も、省吾を聴き始めたのは、中2なんだよ。」
「今度、好きな曲教えてね。」
と言って、見送りました。
省吾、来年もツアーをやりましょう!
ある生徒の保護者から、こんな手紙をもらいました。
その生徒は、少し心に病を抱えています。
でも、普通です。
何千人も子供を見てきましたが、
本当に普通なんです。
そんな普通の生徒のお話です。
ご報告
本日、6月8日、生徒名、
浜田省吾のファンクラブへ入会いたしました。
ここ数週間、毎日、浜田省吾の曲を流し、
娘(生徒名)といろいろ話をしてきました。
ファンクラブの会報誌には良いことがいっぱい
書いてありそうで・・・。その内容を、母子の
会話にするといいかナ~、と思い。
娘(生徒名)に、
「娘(生徒名)の名前でファンクラブに
入っていい?」と聞いたら、
「コンサートに行きたい!」と
返ってきました。
同じく、本日、J.S FOUNDATIONへ、
娘(生徒名)の名で募金いたしました。
日頃から、娘(生徒名)には、
「今。日本に。生まれてよかったよネ。」と
いろいろ話をしていたので、
J.Sの活動もすぐ理解できたようです。
〈ある会話〉
母、「J.SのSはSHOGOの S なんだけど、
自分の出来ることをやろうと思った人たちは
なんでJなんだろうね~? 」
娘、「JAPANの J じゃない?」
〈さらに〉
「なんで、戦争(テロ)をするんだろうね」
と娘。
先生と出逢って、
娘(生徒名)の心を、
とても善い事と
繋ぐことができた、と思います。
感謝します。
2012年初夏
母親の名
教室に、ポスターやら新聞広告やら、
いろいろ貼っていて、
生徒たちにも、宮城、さいたまに行ってくると、
宣言して、お休みをもらって、参加しています(笑)
さいたまに行く前に、
このお母さんから、一万円を預かりました。
「これでバスタオルを一つ買ってきて下さい。
そして、残りは募金してきて下さい。」
と頼まれました。
僕はいつも、そこまでは募金箱に入れてないので、
「もう少し、何か買ったらいいじゃないですか?」
ということ言ったのですが、
「これでお願いします。」
と渡されました。
この手紙がさいたまの前だったら、
なんとかして、参加出来たのかも知れないと思いました。
そして、当日チケットが1枚余った時、
ふと、連絡しようかとも、思ったのですが、
1枚では、母子で見ることは出来ないと思い、
連絡をしなかったことを少し悔やんでいます。
この手紙を貰って、こみ上げてきました。
嬉しくて、嬉しくて。
昔、僕がまだ若かった頃、今でも若いですが(汗)
生徒に省吾のカセットを作ってあげて、
2人のファンを育てました(笑)
その子達は2000年頃のFFFにも参加していたようです。
まさか、この年になって、こんな素敵な浜友が出来るなんて・・・
次回のツアーでは、一緒に行けたらいいなと思っていますが、
皆さんにお会いしたら、僕は先生と呼ばれなくなるかも・・・(笑)
今日、学力テスト受けに来ていました。
帰りに、
「ようこそ、ファンクラブへ」
「先生も、省吾を聴き始めたのは、中2なんだよ。」
「今度、好きな曲教えてね。」
と言って、見送りました。
省吾、来年もツアーをやりましょう!
被災地に思いを馳せて・・・
東日本大震災を風化させない活動推進センターさんが、
ペタをしてくれました。
今回のライブは人の繋がりを強く感じました。
音楽は一人ででも出来るものですが、
それぞれの楽器の音が違うから、
奏でるハーモニーが美しいと感じるのでしょう。
そして、そのハーモニーは、音だけではなく、
そこにいる人の数だけ想いがあって、
その想いの数だけ、素敵なモノになるのだと、
そう思いました。
省吾さんが一人で歌うだけでは生まれなくて、
多くのミュージシャンが素晴らしい演奏をするだけでも生まれなくて、
そこに僕たちオーディエンスがいることで、
生み出される素敵なハーモニーがあると実感しました。
こんな体験が出来て、本当に幸せな一日でした。
再会の日を楽しみに待っています。
省吾さん、そして全ての関わった人に感謝です。
ありがとうございます。
などと書いておきながら、
被災地のことに触れなかった自分が、
恥ずかしいです。
今日、もう一日分のアンケートを書きました。
以下の文を加えて。
そして、一日も早い東北地方、被災地の復興と、
被災された方々の生活が普通になること、
この日集まったすべての人たちと共に、
心より願っております。
と。
僕は本当に大切なことをすぐに忘れてしまいます。
J.S.FOUNDATIONの募金箱に何回も行ったのに・・・
あれから、1年3ヶ月が経って、
復興も、何も進んでいない地域の方々のことを忘れずに、
日々を過ごしていきます。
『虹の足』
雨があがって
雲間から
乾麵みたいな真直な
陽射しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる田圃の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽり抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
― おーい、君の家が虹の中にあるぞォ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが ―。
吉野弘さんの詩です。
ご存知のように、省吾の好きな詩人です。
被災地の方々が大きな虹の足に包まれることを、
心より願って。
ペタをしてくれました。
今回のライブは人の繋がりを強く感じました。
音楽は一人ででも出来るものですが、
それぞれの楽器の音が違うから、
奏でるハーモニーが美しいと感じるのでしょう。
そして、そのハーモニーは、音だけではなく、
そこにいる人の数だけ想いがあって、
その想いの数だけ、素敵なモノになるのだと、
そう思いました。
省吾さんが一人で歌うだけでは生まれなくて、
多くのミュージシャンが素晴らしい演奏をするだけでも生まれなくて、
そこに僕たちオーディエンスがいることで、
生み出される素敵なハーモニーがあると実感しました。
こんな体験が出来て、本当に幸せな一日でした。
再会の日を楽しみに待っています。
省吾さん、そして全ての関わった人に感謝です。
ありがとうございます。
などと書いておきながら、
被災地のことに触れなかった自分が、
恥ずかしいです。
今日、もう一日分のアンケートを書きました。
以下の文を加えて。
そして、一日も早い東北地方、被災地の復興と、
被災された方々の生活が普通になること、
この日集まったすべての人たちと共に、
心より願っております。
と。
僕は本当に大切なことをすぐに忘れてしまいます。
J.S.FOUNDATIONの募金箱に何回も行ったのに・・・
あれから、1年3ヶ月が経って、
復興も、何も進んでいない地域の方々のことを忘れずに、
日々を過ごしていきます。
『虹の足』
雨があがって
雲間から
乾麵みたいな真直な
陽射しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる田圃の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽり抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
― おーい、君の家が虹の中にあるぞォ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが ―。
吉野弘さんの詩です。
ご存知のように、省吾の好きな詩人です。
被災地の方々が大きな虹の足に包まれることを、
心より願って。
東日本大震災 被災地復興支援コンサート
2012年6月2日(土)
SHOGO HAMADA ON THE ROAD SPECIAL
‘The Last Weekend’
東日本大震災 被災地復興支援コンサート 1日目
OPENING SE~J.BOY REMIX
01.ON THE ROAD
02.この夜に乾杯
03.HELLO ROCK & ROLL CITY
04.恋は魔法さ
05.勝利への道
06.悲しみは雪のように
07.風を感じて
08.MY OLD 50'S GUITAR
09.MONEY
10.君に会うまでは
11.あれから二人
12.PAIN
13.BLOOD LINE(インスト)
14.我が心のマリア(インスト)
15.A NEW STYLE WAR
16.裸の王達
17.詩人の鐘
18.Theme of Father's Son
19.RISING SUN
20.J BOY
21.僕と彼女と週末に
22.愛の世代の前に
23.光と影の季節
24.終わりなき疾走
25.君がいるところがMY SWEET HOME
26.I am a Father
27.ラストショー
28.家路
29.日はまた昇る
30.君が人生の時…
2012年6月3日(日)
SHOGO HAMADA ON THE ROAD SPECIAL
‘The Last Weekend’
東日本大震災 被災地復興支援コンサート 2日目
OPENING SE~J.BOY REMIX
01.ON THE ROAD
02.この夜に乾杯
03.HELLO ROCK & ROLL CITY
04.独立記念日
05.反抗期
06.悲しみは雪のように
07.風を感じて
08.Thank you
09.MONEY
10.片思い
11.もうひとつの土曜日
12.PAIN
13.BLOOD LINE(インスト)
14.我が心のマリア(インスト)
15.A NEW STYLE WAR
16.裸の王達
17.詩人の鐘
18.Theme of Father's Son
19.RISING SUN
20.J BOY
21.僕と彼女と週末に
22.愛の世代の前に
23.光と影の季節
24.モノクロームの虹
25.君がいるところがMY SWEET HOME
26.I am a Father
27.路地裏の少年
28.家路
29.日はまた昇る
30.君が人生の時…
さよならの前に(アカペラ)
31.ラストダンス
最高のライブでした。
ライブ前の情報によると、
省吾の調子が悪いと、聞いていましたが、
そんなことを感じさせないパフォーマンスでした。
前日の‘J.BOY’では、歌詞が飛んでいましたが、
それでも、本当に素晴らしかったのに、
この日はそれよりもでした。
何がと、言葉では表せないくらいでした。
‘路地裏の少年’でハーモニカを投げたのも、
気付かないくらい自分の世界に入って、
ステージ全体を見ていました。
それくらい音楽の力、会場全体の人の力を
全身で感じるライブでした。
‘家路’・・・、宮城であんなに感動したのに、
それ以上の想いが溢れてきました。
そこには、悲しく歌う省吾はいませんでした。
それが嬉しくて、嬉しくて・・・
感動のラストが‘君が人生の時’で、
それで何もかもが、
色んな想いが浄化されたような気がしました。
本当に聴きたかった曲、
‘ラストダンス’は僕に、
希望を与えてくれたように思えました。
そして、清々しい気持ちで、本当に嬉しい気持ちで、
ライブを終えることが出来ました。
ツアーも終わりました。
でも、寂しさはあまり感じてないのです。
今回のライブ、こんな風に思い、
ロースカのアンケートに書いてみました。
今回のライブは人の繋がりを強く感じました。
音楽は一人ででも出来るものですが、
それぞれの楽器の音が違うから、
奏でるハーモニーが美しいと感じるのでしょう。
そして、そのハーモニーは、音だけではなく、
そこにいる人の数だけ想いがあって、
その想いの数だけ、素敵なモノになるのだと、
そう思いました。
省吾さんが一人で歌うだけでは生まれなくて、
多くのミュージシャンが素晴らしい演奏をするだけでも生まれなくて、
そこに僕たちオーディエンスがいることで、
生み出される素敵なハーモニーがあると実感しました。
こんな体験が出来て、本当に幸せな一日でした。
再会の日を楽しみに待っています。
省吾さん、そして全ての関わった人に感謝です。
ありがとうございます。
この日記を読んでくださった方にも感謝です。
SHOGO HAMADA ON THE ROAD SPECIAL
‘The Last Weekend’
東日本大震災 被災地復興支援コンサート 1日目
OPENING SE~J.BOY REMIX
01.ON THE ROAD
02.この夜に乾杯
03.HELLO ROCK & ROLL CITY
04.恋は魔法さ
05.勝利への道
06.悲しみは雪のように
07.風を感じて
08.MY OLD 50'S GUITAR
09.MONEY
10.君に会うまでは
11.あれから二人
12.PAIN
13.BLOOD LINE(インスト)
14.我が心のマリア(インスト)
15.A NEW STYLE WAR
16.裸の王達
17.詩人の鐘
18.Theme of Father's Son
19.RISING SUN
20.J BOY
21.僕と彼女と週末に
22.愛の世代の前に
23.光と影の季節
24.終わりなき疾走
25.君がいるところがMY SWEET HOME
26.I am a Father
27.ラストショー
28.家路
29.日はまた昇る
30.君が人生の時…
2012年6月3日(日)
SHOGO HAMADA ON THE ROAD SPECIAL
‘The Last Weekend’
東日本大震災 被災地復興支援コンサート 2日目
OPENING SE~J.BOY REMIX
01.ON THE ROAD
02.この夜に乾杯
03.HELLO ROCK & ROLL CITY
04.独立記念日
05.反抗期
06.悲しみは雪のように
07.風を感じて
08.Thank you
09.MONEY
10.片思い
11.もうひとつの土曜日
12.PAIN
13.BLOOD LINE(インスト)
14.我が心のマリア(インスト)
15.A NEW STYLE WAR
16.裸の王達
17.詩人の鐘
18.Theme of Father's Son
19.RISING SUN
20.J BOY
21.僕と彼女と週末に
22.愛の世代の前に
23.光と影の季節
24.モノクロームの虹
25.君がいるところがMY SWEET HOME
26.I am a Father
27.路地裏の少年
28.家路
29.日はまた昇る
30.君が人生の時…
さよならの前に(アカペラ)
31.ラストダンス
最高のライブでした。
ライブ前の情報によると、
省吾の調子が悪いと、聞いていましたが、
そんなことを感じさせないパフォーマンスでした。
前日の‘J.BOY’では、歌詞が飛んでいましたが、
それでも、本当に素晴らしかったのに、
この日はそれよりもでした。
何がと、言葉では表せないくらいでした。
‘路地裏の少年’でハーモニカを投げたのも、
気付かないくらい自分の世界に入って、
ステージ全体を見ていました。
それくらい音楽の力、会場全体の人の力を
全身で感じるライブでした。
‘家路’・・・、宮城であんなに感動したのに、
それ以上の想いが溢れてきました。
そこには、悲しく歌う省吾はいませんでした。
それが嬉しくて、嬉しくて・・・
感動のラストが‘君が人生の時’で、
それで何もかもが、
色んな想いが浄化されたような気がしました。
本当に聴きたかった曲、
‘ラストダンス’は僕に、
希望を与えてくれたように思えました。
そして、清々しい気持ちで、本当に嬉しい気持ちで、
ライブを終えることが出来ました。
ツアーも終わりました。
でも、寂しさはあまり感じてないのです。
今回のライブ、こんな風に思い、
ロースカのアンケートに書いてみました。
今回のライブは人の繋がりを強く感じました。
音楽は一人ででも出来るものですが、
それぞれの楽器の音が違うから、
奏でるハーモニーが美しいと感じるのでしょう。
そして、そのハーモニーは、音だけではなく、
そこにいる人の数だけ想いがあって、
その想いの数だけ、素敵なモノになるのだと、
そう思いました。
省吾さんが一人で歌うだけでは生まれなくて、
多くのミュージシャンが素晴らしい演奏をするだけでも生まれなくて、
そこに僕たちオーディエンスがいることで、
生み出される素敵なハーモニーがあると実感しました。
こんな体験が出来て、本当に幸せな一日でした。
再会の日を楽しみに待っています。
省吾さん、そして全ての関わった人に感謝です。
ありがとうございます。
この日記を読んでくださった方にも感謝です。
SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend"
「3号車の2号車寄りに乗ります。」
東京駅のホームで東北新幹線を待っている時に、
大宮から合流するJO様にメールを送りました。
8時12分東京駅発の“はやぶさ”を見送って、
乗車のための列に並んでいました。
ほどなく乗車して、隣の席に荷物を置いて、
「無事に座れました。一番後ろです。」
と、再びメール送信しました。
土曜日の朝ということで、
東京駅で自由席はほぼ満席、
「隣、空いてますか?」
と東京駅でも、上野駅でも、
何故か何人もの可愛い女性が僕のところに、
~それは、その席が空いていたからだと、
~後で人に言われて分かったのですが(笑)
~あんなに声を掛けられたのは始めてで、
~理由はどうあれ、嬉しかったのでした(笑)
「大宮から乗ってくるんです。」
と、断腸の思いでした(涙)
新幹線が大宮駅のホームに入り、
停車する直前、ホームに並ぶJO様の姿が。
ちょっと後ろ過ぎないかな?と思いましたが、
でも、同じ新幹線に乗れたとホッとしてました。
「隣空いてますか?」
大宮駅から乗ってきた人からも聞かれ、
「いるんです。」
と(汗)
ところが、なかなか現れないJO様。
と、メールが
「いない!どこ?」
と、迎えに行きたいけれども、
立っている人を横目に席を離れるのは、
ちょっと出来ない雰囲気。
あの位置だと、乗ったのは1号車かな?と思い、
2号車を歩いている頃だと思い、
「3号車だよ。もうひとつ前。」
と返信すると、
しばらくして、涙目のJO様が横に立っていました。
どうやら、僕が一番後ろとメールを送ったので、
一番後ろの1号車に乗ったと思ったらしく、
1号車からずっと探していたとのこと・・・。
僕の
SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2011
"The Last Weekend"
宮城公演はこうして始まりました。
初日昼食
仙台駅に着いて、JO様のコロコロを引きずり、
ホテルまで荷物を置きに行き、
その後、自分の泊まるホテルの場所を確認し、
先に到着してたMRさんと合流。
念願の牛タンを食べに、
牛たん炭焼 利久 東口本店に
http://r.gnavi.co.jp/t121603/外部リンク
一度行ったことのあるMRさんの案内で、
お店に向かいましたが、さすがMRさん、
お店の場所が分からず、住所を頼りに探し、
ようやく見つけました。
老眼の僕も住所の榴岡(木へんに留)を
福岡と見間違えていました。(汗)
楽しみにしていた牛タンは美味しかったです。
普通の牛タン定食に小さなタンシチューを頼み、
お腹がいっぱいになりました。
これなら、ライブ終了まで大丈夫なくらいでした。
お店を出て、JO様とMRさんチェックインのためホテルに、
僕は福岡のNちゃんをお迎えするため仙台駅に戻りました。
Nちゃんから、空港アクセス線に乗ったとメールをもらい、
しばらく改札口で待っていると、
大きなコロコロを引きずるNちゃんが現れ、
とりあえず、大きなコロコロを引きずり、
ホテルまで行き、荷物を預け、
昼食をとってないNちゃんと
この日二度目のランチへ(笑)
さすがにお腹がいっぱいだったので、
その旨を伝え、デザートも食べられるイタリアンに。
そこでいちごパフェのようなものを頂きました。
無事に二度目のランチを済ませ、ホテルにチェックインし、
会場に向かうために駅に戻りました。
駅でMRさん、JO様、O阪組のNMさん、RNちゃん、SEKさん、
C国K知からのTKちゃんと合流し、
会場近くの岩切駅に向かいました。
JRで岩切まで10分、
そこからはタクシーで10分、1500円ほどで着きました。
会場に着いてびっくりしたのは、人の多さです。
グッズ売り場もたくさんの人が並んでいて、
Nちゃんのお友達のM様が先に並んでいらっしゃったので、
新しいグッズのマグカップとTシャツをお願いしました。
ファンクラブブースでは例のステッカーをゲットし、
JS FOUNDATIONに心ばかりの寄付をし、
グッズ売り場前を通り過ぎる音楽Pの星さんを見かけ、
ロースカの高橋社長の前頭部を凝視し、
Nちゃんのお友達何人かにご挨拶をして、
会場に入りました。
昨年の4月に静岡から始まったツアーも、
この2日間の宮城公演でラスト、
僕も、静岡、横浜、代々木、広島、さいたま、さいたま、
そして宮城と、7回目の座席の抽選をしました。
結果はアリーナ30列目10番、
メインステージが右手に見える、
センターステージの横でした。
それほど遠くはなかったのですが、
見やすいというところでもなかったです。
ライブが始まる前、
一年前、この場所がどんな場所であったのか、
頭をよぎりました。
震災に遭われた方にとって、つらかった場所に
自分がいるということを感じていました。
ツアー最終公演1日目
OPENING SE~J.BOY REMIX
ON THE ROAD
この夜に乾杯
HELLO ROCK & ROLL CITY
恋は魔法さ
勝利への道
悲しみは雪のように
風を感じて
My Old 50's Guitar
MONEY
君の名を呼ぶ
星の指輪
PAIN
BLOOD LINE(インスト)
我が心のマリア(インスト)
A New Style War
裸の王達
詩人の鐘
Theme of Father's Son
RISING SUN
J BOY
僕と彼女と週末に
愛の世代の前に
~センターステージ~
光と影の季節
終りなき疾走
君がいるところがMY SWEET HOME
I am a Father
ラストショー
家路
~メインステージ~
日はまた昇る
君が人生の時…
省吾の優しさに満ちた最高のライブでした。
特に最近、生き方について考えることが多く、
自分の力ではどうにもならないこともあるのですが、
それでも、自分はどうしたらいいのかと考えています。
‘RISING SUN’の背景に流れる映像を見て、
これほど便利な時代ではなかった幼少期、
家族が肩を寄せ合って暮らしていた時代が、
幸せだったんじゃないかと、そんな風にも思うのです。
今も決して自分の生活は豊かではありませんが、
それなりに便利さの恩恵を受けている生活を送っています。
けれども、便利さが幸せには繋がってないんじゃないかと、
そう思うのです。
‘J.BOY’を歌う前に、省吾が話す言葉一つ一つが心に沁みました。
そして、‘僕と彼女と週末に’に福島のことを、子供たちのことを、
重ねて考えた時、自分の無力さを知り、どうしたらいいのか、
何をすべきなのか、何も分からなくなるのです。
人は流れに委ねて生きるしかないのかも知れませんが、
意思は持っていたいと、そう思うのです。
省吾の音楽に出会わなければ、
これほどまでに考えることは、
きっとなかったと思います。
‘家路’のイントロのピアノが流れ、
省吾が、本当に丁寧に、一言一言、
言葉を噛み砕くように歌っているのを
聴いたときにはこみ上げてきました。
昨年のさいたまの最終日、
この曲を悲しそうに歌う省吾を思い出し、
今日までどんな想いでいたのか、
そして改めて自分の生き方を見つめ、
しっかり生きていかなきゃと強く思いました。
新しいピアニスト、河内肇さん、
頑張って弾いていたと思います。
あれだけのミュージシャンに囲まれ、
喜びと重圧を感じての初日、
本当に良かったと思います。
特に1曲目がピアノで始まる曲、
きっと相当なプレッシャーだったと思います。
僕も緊張したくらいですから・・・(笑)
ライブが終了したのは開始から約4時間後!
帰りは会場から仙台駅までシャトルバスでした。
この会場は8000人とそれほど多いわけではありませんが、
駐車場とバス乗り場が同じ方向だったので、
人波に押され、歩いてバス乗り場まで歩きました。
幸い直ぐにバスに乗ることが出来、
仙台まで順調に行くことが出来ました。
仙台駅について、夕食のお店をどこにしようかと、
Nちゃんと相談しながら歩き、
ホテルの近くの、次の日の夕食を予約してあるお店が入ってるビルの
違うフロアーのお店に入ることにしました。
しばらくして、MRさんも到着して、3人でのんびりの夕食でした。
このお店、なんと言っても早い!
ピンポンを押して、オーダーをすると、
ドリンクが5秒くらいで運ばれてきたんです(笑)
この早さには全員驚かされました。
3人でライブのこと、色んなことを話していたら、
あっという間に日付を超えていました。
それから、少しして解散し、それぞれの宿、
それぞれの部屋に戻りました。
この日の夜は、いつもの格闘(以前の日記を参照して下さい)もなく、
泥のように眠りました。
何故なら、なぜかテレビが付かない状態になっていたから・・・
次の日、空腹で早く目覚めてしまい、
(テレビも付かないので、暇でした)
9時に朝食と約束していたので、
8時ごろ、Nちゃんに、
「お腹が空いたので、もう少し早く食べたい」とメールを送り、
「用意できたら、メールします」と返事を頂き、
部屋でゴロゴロしていました。
が、結局、食べ始めたのは9時でした(笑)
泊まったホテルの朝食は普通のバイキング形式でしたが、
笹かまなど、地元の料理も少し並んでいたので、
ゆっくり1時間くらいかけて、お腹がいっぱいになるまで食べました!
それから、部屋に戻って、またゴロゴロしていると、
11時頃に、MRさんから、KYNKYN、UMNさん、と一緒にランチしましょうと、
連絡を頂き、KYNKYNからもホテルに着いたと連絡を頂き、
Nちゃんにランチのお誘いの件を連絡し、
ロビーに下りて、合流しました。
2日目は早くライブが始まるので、
朝食をいっぱい食べておけば、
あとで軽いランチで大丈夫だと思っていたのでしたが、
まさかの二日連続の利久となりました(笑)
前日に行ったお店の手前の
牛たん炭焼 利久 東口分店に
http://r.gnavi.co.jp/t121607/
行くことになりました。
これが大変なことに・・・
お腹いっぱいの状態で臨んだランチ。
この日はシチュー定食にしました。
これなら、いけるかなと・・・。
ところが誤算が!
MRさんが、
「takaさん、ご飯半分あげる!」
Nちゃんも、
「私もご飯あげる!お肉もあげる!」
う~ん(汗)、せっかくおっしゃって頂いているんだし、
ご飯は残してはいけないと、
そういう食事習慣を守ってきた僕に、
神様が試練をお与えになってるんだと、
有り難く頂くと、お茶碗に盛られたご飯が、
高校生の食べる量くらいに山盛りに(笑)
食べる前から、お腹はいっぱいなのに・・・(汗)
お腹がはちきれそうな状態(まさにチームD状態)でお店を出ると、
N大のOtくん(ディズニーシー仲間)がいましたが、
挨拶もそこそこに、駅に。
KYNKYN、UMNさんは、駅からシャトルバスで、
僕たち3人は昨日と同じコースで会場に向かいました。
会場に着いて、
この日は神奈川からいらっしゃるDYMNDさん、HRPRさんに
この日のライブのチケットを渡さなければならず、
本当は仙台駅でお渡しする予定だったのですが、
予定通りに渡せず、会場で渡すことになったので、
お二人が到着するまで、周辺をうろうろしていました。
トイレの列ではチームDのAPNさん、
そしてファンクラブブースの前ではHMちゃん、
小松空港から戦闘機で来たMRNさんにお会いし、
ファンクラブブースの横ではNGYのBさんが、
路上ライブをしているのを見たりしていると、
MRさんから、NKさんを紹介すると連絡を頂き、
長身のすらっとしたNKさんにご挨拶をし、
その後も、さいとうさんを紹介すると連絡を頂きました。
さいとうさん、イメージ通りの素敵なさいとうさんでした。
長袖だったので、浜田まくりはしてませんでしたが(笑)、
長袖の袖もまくってました。
こうして、実際に多くの方々とお会い出来るなんて、
本当に時代が変わったとつくづく思います。
以前も、ここやあそこのSNSなどで知り合った友人と、
「ほんの数年前までは、一人でライブに行って、一人で帰ってくるだけ。
そんなライブの参加でしたよね。」
なんて話していました。でも、今は違いますね。
そんな方々とのご縁を大切にしたいと思う反面、
やはり人と人、人間関係がありますから、
煩わしいこともあったりしますね。
幸い僕は恵まれていますので、
皆さんの愛情を身体で感じて、
北にコロコロを引きずる友人がいれば、代わりに引きずり、
南にコロコロを引きずる友人がいれば、代わりに引きずり、
そういう人になりたいとそんな風にも思っています。
まあ、そうこうしていると、会場時間になり、
Nちゃんたちは先に入場してもらい、
仙台で迷子になっている(笑)DYMNDさん、HRPRさんに、
メールを送り、電話し、そしてようやくバスが到着し、
チケットを渡すことが出来ました。
が、この時、少し風が冷たく感じられ、
異変の兆候が・・・
何とかなる、そう思いながら、8回目の抽選、
この日は、東スタンドWブロック2列8番でした。
メインステージが左手の、1日目とは反対のサイドで、
センターステージはほぼ正面の見やすい席でした。
しかし、何とかなると思っていた身体が・・・
ツアーの最終公演2日目
OPENING SE~J.BOY REMIX
ON THE ROAD
この夜に乾杯!
HELLO ROCK & ROLL CITY
独立記念日
反抗期
悲しみは雪のように
Thank you
MONEY
風を感じて
片想い
もうひとつの土曜日
PAIN
BLOOD LINE(インスト)
我が心のマリア(インスト)
マイホームタウン
裸の王達
詩人の鐘
Theme of Father's Son
RISING SUN
J.BOY
僕と彼女と週末に
愛の世代の前に
~センターステージ~
光と影の季節
モノクロームの虹
君がいるところがMY SWEET HOME
I am a Father
路地裏の少年
家路
~メインステージ~
日はまた昇る
君が人生の時
そんな状態で臨んだライブ・・・(涙)
普段から、粗食の少食なのに・・・
入場して、すぐにトイレに並ぶと、
もちろん長蛇の列、
友人のMKさんは、
「takaさん、私漏らしてもいい!」
と叫びながら、列を離れ(笑)
笑いながらも、僕は列に並び、
係員が間もなく開演ですと叫ぶ中、
列は進み、とりあえず済ませ、
席に戻ると、ちょうど、始まるところでした。
2日目はMアーヤさん、JO様、Nちゃん、僕の並びでした。
この日ほど、長く感じたライブはありませんでした(笑)
いつもなら、うたた寝をするバラードもしっかり聴き、
待望のインストの時間に!
いつもは座って聴いていますが、
もちろんトイレに、でも、すでに長蛇の列(涙)
残念な気持ちで、席に戻りました。
なんとか、タイムマシーンまで頑張れ!
そんな気持ちで迎えた前半のクライマックス、
‘詩人の鐘’で僕もクライマックス(笑)
トイレで、「ナインティーン、ナインティナイーン」
を聴いていました。
省吾がコートを振り回してる頃トイレを出て、
しばらく通路でお絵かきをしている子供を眺め、
‘Theme of Father's Son’が始まって会場に入り、
終わるまで通路で聴き、終わってから席に。
Mアーヤさん、JO様、Nちゃんに迷惑を掛けまいと
思う限りの最善の努力をしたのでしたが、
気持ちが緩んだせいか、
‘日はまた昇る’を思ったより大きく口ずさんでいたようで、
お叱りを受け、また、
「ライブ中にトイレに行けるなんて、
簡単にチケットを手に出来ると思ってるからだよ!」
「やっとの思いで手にした人は、漏らしてでも見るよ!」
と言われ・・・(笑)
でも、もしもあそこで、そんなことになったら、
これだけ、ネットが発達した時代だから、
日本中にばれていたはずです(汗)
しかも、すぐ後ろは日本の中部地方のコアな方々でしたし・・・
食べ過ぎないように本当に注意します!
この日のライブは、12曲のミニライブみたいでしたから・・・(汗)
この日の‘家路’も優しい省吾でした。
きっと省吾が河内くんにあげたであろうサングラス、
ピアノの上に置かれたそのサングラスを、
‘人はそれを夢と名付け’
と昨日のように丁寧に歌いながら、
少しだけそっと持ち上げる省吾、
その仕草に、やられました。
河内くんのピアノも1日目より、
断然良くなっていたと感じました。
硬さが少し抜けて、でも新鮮な気持ちの
そんなピアノの音色に思いました。
さいたまでは、もっといい音になっていることでしょう。
ライブが終わり、またバス乗り場に急ぎ、
仙台駅へ。
この日の夕食は、MRのMRさんが予約してくれたお店、
前日に行ったお店と同じビルにあるお店、
22時の予約でしたが、道路も混んでなかったので、
予約の時間前に着くことが出来て、
先に集まったNちゃん、KYNKYN、UMNさんは
お店に入ってもらい、
後から来たDYMNDさん、HRPRさんと
MRのMRさんを待っていました。
昨日来たから大丈夫かなと思っていましたが、
ちょっとだけ迷っちゃったみたいでした。
コース料理の予約ではなかったので、
各自食べたいものを注文して、
みんなで取り分けましたが、
僕はあまり食べないようにしました・・・(笑)
DYMNDさん、HRPRさんは始めての顔合わせでしたが、
楽しんで頂けたようで、良かったです。
気付けば、料理のラストオーダー、
ドリンクのラストオーダー、
そして会計でした。
会計の時、このお店のシステムで、
2個のサイコロを振って、合計の目の数×100円の割引があり、
皆さんから、ここは男の人が、と言われ、
びくびくしながら、サイコロを振りました。
1+1=2にならないように願って・・・
出た目は、2と4、ホッとしました(笑)
会計を済ませ、それぞれのホテルに帰りました。
部屋に入り、テレビのスイッチを入れると、
見ることが出来ましたが、
この日もあの格闘はなく、眠りにつくことになりました・・・(汗)
次の日、金環日食(仙台はリングにはなりませんでしたが)を
見るために、7時に朝食。6時30分に起床でした。
僕の泊まった部屋は、西向きだったので、
見えないはずでしたが、
なんと、向かいのビルのマジックミラーの窓ガラスに、
太陽が反射して光っているではありませんか!
思わずカーテンを前回で窓ガラスをそのまま見たら、
太陽を直視したみたいに、残像が見え、
日食観測用のフィルムを通しても、
太陽が3つくらい見えるという失敗をしてしまい、
一人で笑い転げてました・・・(笑)
朝食を食べに下りて、Nちゃん、KYNKYNと
軽めの朝食を食べました。
7時30分過ぎに、2階のコンコースみたいなところに出ると、
何人か観測していました。
僕の持っていった観測用のカード型メガネでは、
太陽がオレンジ色に見えて、
KYNKYNのそれでは、緑色っぽく見えて、
こういうものでも違いがあるんだと思いました。
金環日食観測を終えて、エレベーターホールに行くと、
AYKさんにばったり、メガネがないということだったので、
僕のを渡したら、見に行ったようでした。
ライブ会場でお会いしなくても、
いろんなところに友人がいて、
不思議な感じでした。
朝食も無事に済ませ、
日食観測も無事に終わり、
荷物をまとめてチェックアウトし、
仙台駅に向かいました。
仙台駅周辺やアリーナ周辺しか見ていないので、
昨年あんなことが起きたとは思えませんでした。
確かに、被害の大きかった地域に比べ、
内陸であったからなのでしょうが・・・
沿岸部はどうなっているのか、
この旅では、時間的に石巻までは行けそうになく、
せめてもう少し海に近いところに行ってみたいと、
そんな気持ちもあって、
塩竈→松島のフェリーに乗ることにしました。
本塩釜の駅に着くまで、外を眺めていました。
ほんの数件の家の一階の窓がブルーシートで覆われていたり、
庭先に畳が何枚も重ねて積んであったり、
そんな光景を見ました。
駅に着いて、フェリー乗り場まで歩く途中、
仮設のプレハブの店舗があり、
まだまだ、厳しい状態のところもあるんだと、
そして、フェリー乗り場の建物の窓ガラスに、
ここまで津波が来ましたと書かれた張り紙を見て、
想像しましたが、きっとあの日はこんなに穏やかな、
暖かい日ではなかったし、もちろん大きな地震の後で、
混乱していたに違いない人たちのことを、
簡単な言葉では表せないと思いました。
フェリーの着く松島は、
その島々が犠牲となって、
松島自体の被害が少なかったと、
そんなニュースを見ていましたが、
それでも観光地として、大きな打撃を受けたことは、
人々の暮らしを大きく変えたことでしょう。
フェリーでは、鳥恐怖症のJO様以外、
KYNKYN、MRさん、Mアーヤさん、Nちゃん、
デッキに出たり、カモメの写真を撮ったり、
松島湾の風景を楽しんだりして、
過ごしていました。
僕も少し、デッキに出てみましたが、
暖かく晴れた日で、景色もよく、
気持ち良かったです。
沖に出て、乗船した人たちが、
カモメに餌をやらなくなったので、
カモメも少なくなり、
怖がるJO様を、デッキで煙草が吸えるよと言って、
連れ出しましたが、少しでもカモメが近づくと、
怖そうにしていました。
どうしてそうなったのか、その訳を聞くと、
昔、カラスに連れ去られそうになったと・・・(汗)
にわかには信じられない話をしてくれました。
そうこうしていると、松島に到着し、
会報に載っていた省吾の乗った松島湾周航のフェリーに乗る
ファンの方々とすれ違い、僕たちは瑞巌寺に向かいました。
瑞巌寺
http://www.zuiganji.or.jp/
この参道で撮ってもらった写真です。

見学を終え、昼食は同じ敷地内の円通院にある
http://www.sensinan.co.jp/index.html
ここで頂きました。
穴子丼を頼むと、お椀から穴子がはみ出ていて、
すごいねとみんなが言っていたら、
MRさんが、
「それは伊達政宗の兜の形にしているんだよ」
と教えてくれ、一同、納得させられ、
みんなもう一度お椀を被せて、写真を撮っていました(笑)
Mアーヤさんが飛行機の時間の関係で先に帰るので、
JO様が駅まで送り、残った4人は近くの笹かまや、
ずんだシェイクのあるお店に入り、
みんなシェイクを飲んでいました。
僕は以前仙台に来たとき、ずんだ餅を食べて、
ちょっと・・・だったので、やめておきましたが、
少し頂いて飲んだら、すっきりしていて、
美味しかったです。
JO様が戻ってきて、もう少し時間があったので、
参道近くのお土産屋に入ったり、
五大堂に行ったりしました。
http://www.matsushima-kanko.com/miru/detail.php?id=141
五大堂に渡る透かし橋、
僕とJO様はサンダルだったので、
落とさないように慎重に渡りました。
落としたら相当ブルーな気持ちになることでしょう(笑)
短い時間の観光を終えて、
松島海岸駅に向かい、仙台駅に戻りました。
仙台駅で、各自おみやげを買い、
僕はMRさんが勧めてくれたかまぼこを母親に買って、
(これがとても美味しかったらしく喜んでいました)
生徒たちには、いつもあげている「うまい棒」の
牛タン味、政宗のキャラクタークッキーと、
新幹線のホームで「じゃがりこ・ずんだ味」と、
かさ張る物ばかり買って帰りました。
空港アクセス線に乗るNちゃんを見送り、
MRさんとしばしのお別れをし、
改札近くでNYTさんにも偶然お会いしてほんの少しお話をし、
それから、KYNKYNとJO様と一緒に新幹線のホームに向かいました。
乗る予定の新幹線の20分後が、
仙台発だったので、そちらに乗ることにして、
再び行きの新幹線の話になり、
結局、帰りも3号車の2号車寄りの一番後ろの、
二人がけの1Eに僕は座らされました。
これで、終わりですが、
あと10日でさいたま・・・
嬉しいような、悲しいような、
そんな10日間になりそうです(笑)
その後のことは考えないようにします!
長い長い旅行記にお付き合い頂き、
ありがとうございます。
では、また、さいたまで・・・
東京駅のホームで東北新幹線を待っている時に、
大宮から合流するJO様にメールを送りました。
8時12分東京駅発の“はやぶさ”を見送って、
乗車のための列に並んでいました。
ほどなく乗車して、隣の席に荷物を置いて、
「無事に座れました。一番後ろです。」
と、再びメール送信しました。
土曜日の朝ということで、
東京駅で自由席はほぼ満席、
「隣、空いてますか?」
と東京駅でも、上野駅でも、
何故か何人もの可愛い女性が僕のところに、
~それは、その席が空いていたからだと、
~後で人に言われて分かったのですが(笑)
~あんなに声を掛けられたのは始めてで、
~理由はどうあれ、嬉しかったのでした(笑)
「大宮から乗ってくるんです。」
と、断腸の思いでした(涙)
新幹線が大宮駅のホームに入り、
停車する直前、ホームに並ぶJO様の姿が。
ちょっと後ろ過ぎないかな?と思いましたが、
でも、同じ新幹線に乗れたとホッとしてました。
「隣空いてますか?」
大宮駅から乗ってきた人からも聞かれ、
「いるんです。」
と(汗)
ところが、なかなか現れないJO様。
と、メールが
「いない!どこ?」
と、迎えに行きたいけれども、
立っている人を横目に席を離れるのは、
ちょっと出来ない雰囲気。
あの位置だと、乗ったのは1号車かな?と思い、
2号車を歩いている頃だと思い、
「3号車だよ。もうひとつ前。」
と返信すると、
しばらくして、涙目のJO様が横に立っていました。
どうやら、僕が一番後ろとメールを送ったので、
一番後ろの1号車に乗ったと思ったらしく、
1号車からずっと探していたとのこと・・・。
僕の
SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2011
"The Last Weekend"
宮城公演はこうして始まりました。
初日昼食
仙台駅に着いて、JO様のコロコロを引きずり、
ホテルまで荷物を置きに行き、
その後、自分の泊まるホテルの場所を確認し、
先に到着してたMRさんと合流。
念願の牛タンを食べに、
牛たん炭焼 利久 東口本店に
http://r.gnavi.co.jp/t121603/外部リンク
一度行ったことのあるMRさんの案内で、
お店に向かいましたが、さすがMRさん、
お店の場所が分からず、住所を頼りに探し、
ようやく見つけました。
老眼の僕も住所の榴岡(木へんに留)を
福岡と見間違えていました。(汗)
楽しみにしていた牛タンは美味しかったです。
普通の牛タン定食に小さなタンシチューを頼み、
お腹がいっぱいになりました。
これなら、ライブ終了まで大丈夫なくらいでした。
お店を出て、JO様とMRさんチェックインのためホテルに、
僕は福岡のNちゃんをお迎えするため仙台駅に戻りました。
Nちゃんから、空港アクセス線に乗ったとメールをもらい、
しばらく改札口で待っていると、
大きなコロコロを引きずるNちゃんが現れ、
とりあえず、大きなコロコロを引きずり、
ホテルまで行き、荷物を預け、
昼食をとってないNちゃんと
この日二度目のランチへ(笑)
さすがにお腹がいっぱいだったので、
その旨を伝え、デザートも食べられるイタリアンに。
そこでいちごパフェのようなものを頂きました。
無事に二度目のランチを済ませ、ホテルにチェックインし、
会場に向かうために駅に戻りました。
駅でMRさん、JO様、O阪組のNMさん、RNちゃん、SEKさん、
C国K知からのTKちゃんと合流し、
会場近くの岩切駅に向かいました。
JRで岩切まで10分、
そこからはタクシーで10分、1500円ほどで着きました。
会場に着いてびっくりしたのは、人の多さです。
グッズ売り場もたくさんの人が並んでいて、
Nちゃんのお友達のM様が先に並んでいらっしゃったので、
新しいグッズのマグカップとTシャツをお願いしました。
ファンクラブブースでは例のステッカーをゲットし、
JS FOUNDATIONに心ばかりの寄付をし、
グッズ売り場前を通り過ぎる音楽Pの星さんを見かけ、
ロースカの高橋社長の前頭部を凝視し、
Nちゃんのお友達何人かにご挨拶をして、
会場に入りました。
昨年の4月に静岡から始まったツアーも、
この2日間の宮城公演でラスト、
僕も、静岡、横浜、代々木、広島、さいたま、さいたま、
そして宮城と、7回目の座席の抽選をしました。
結果はアリーナ30列目10番、
メインステージが右手に見える、
センターステージの横でした。
それほど遠くはなかったのですが、
見やすいというところでもなかったです。
ライブが始まる前、
一年前、この場所がどんな場所であったのか、
頭をよぎりました。
震災に遭われた方にとって、つらかった場所に
自分がいるということを感じていました。
ツアー最終公演1日目
OPENING SE~J.BOY REMIX
ON THE ROAD
この夜に乾杯
HELLO ROCK & ROLL CITY
恋は魔法さ
勝利への道
悲しみは雪のように
風を感じて
My Old 50's Guitar
MONEY
君の名を呼ぶ
星の指輪
PAIN
BLOOD LINE(インスト)
我が心のマリア(インスト)
A New Style War
裸の王達
詩人の鐘
Theme of Father's Son
RISING SUN
J BOY
僕と彼女と週末に
愛の世代の前に
~センターステージ~
光と影の季節
終りなき疾走
君がいるところがMY SWEET HOME
I am a Father
ラストショー
家路
~メインステージ~
日はまた昇る
君が人生の時…
省吾の優しさに満ちた最高のライブでした。
特に最近、生き方について考えることが多く、
自分の力ではどうにもならないこともあるのですが、
それでも、自分はどうしたらいいのかと考えています。
‘RISING SUN’の背景に流れる映像を見て、
これほど便利な時代ではなかった幼少期、
家族が肩を寄せ合って暮らしていた時代が、
幸せだったんじゃないかと、そんな風にも思うのです。
今も決して自分の生活は豊かではありませんが、
それなりに便利さの恩恵を受けている生活を送っています。
けれども、便利さが幸せには繋がってないんじゃないかと、
そう思うのです。
‘J.BOY’を歌う前に、省吾が話す言葉一つ一つが心に沁みました。
そして、‘僕と彼女と週末に’に福島のことを、子供たちのことを、
重ねて考えた時、自分の無力さを知り、どうしたらいいのか、
何をすべきなのか、何も分からなくなるのです。
人は流れに委ねて生きるしかないのかも知れませんが、
意思は持っていたいと、そう思うのです。
省吾の音楽に出会わなければ、
これほどまでに考えることは、
きっとなかったと思います。
‘家路’のイントロのピアノが流れ、
省吾が、本当に丁寧に、一言一言、
言葉を噛み砕くように歌っているのを
聴いたときにはこみ上げてきました。
昨年のさいたまの最終日、
この曲を悲しそうに歌う省吾を思い出し、
今日までどんな想いでいたのか、
そして改めて自分の生き方を見つめ、
しっかり生きていかなきゃと強く思いました。
新しいピアニスト、河内肇さん、
頑張って弾いていたと思います。
あれだけのミュージシャンに囲まれ、
喜びと重圧を感じての初日、
本当に良かったと思います。
特に1曲目がピアノで始まる曲、
きっと相当なプレッシャーだったと思います。
僕も緊張したくらいですから・・・(笑)
ライブが終了したのは開始から約4時間後!
帰りは会場から仙台駅までシャトルバスでした。
この会場は8000人とそれほど多いわけではありませんが、
駐車場とバス乗り場が同じ方向だったので、
人波に押され、歩いてバス乗り場まで歩きました。
幸い直ぐにバスに乗ることが出来、
仙台まで順調に行くことが出来ました。
仙台駅について、夕食のお店をどこにしようかと、
Nちゃんと相談しながら歩き、
ホテルの近くの、次の日の夕食を予約してあるお店が入ってるビルの
違うフロアーのお店に入ることにしました。
しばらくして、MRさんも到着して、3人でのんびりの夕食でした。
このお店、なんと言っても早い!
ピンポンを押して、オーダーをすると、
ドリンクが5秒くらいで運ばれてきたんです(笑)
この早さには全員驚かされました。
3人でライブのこと、色んなことを話していたら、
あっという間に日付を超えていました。
それから、少しして解散し、それぞれの宿、
それぞれの部屋に戻りました。
この日の夜は、いつもの格闘(以前の日記を参照して下さい)もなく、
泥のように眠りました。
何故なら、なぜかテレビが付かない状態になっていたから・・・
次の日、空腹で早く目覚めてしまい、
(テレビも付かないので、暇でした)
9時に朝食と約束していたので、
8時ごろ、Nちゃんに、
「お腹が空いたので、もう少し早く食べたい」とメールを送り、
「用意できたら、メールします」と返事を頂き、
部屋でゴロゴロしていました。
が、結局、食べ始めたのは9時でした(笑)
泊まったホテルの朝食は普通のバイキング形式でしたが、
笹かまなど、地元の料理も少し並んでいたので、
ゆっくり1時間くらいかけて、お腹がいっぱいになるまで食べました!
それから、部屋に戻って、またゴロゴロしていると、
11時頃に、MRさんから、KYNKYN、UMNさん、と一緒にランチしましょうと、
連絡を頂き、KYNKYNからもホテルに着いたと連絡を頂き、
Nちゃんにランチのお誘いの件を連絡し、
ロビーに下りて、合流しました。
2日目は早くライブが始まるので、
朝食をいっぱい食べておけば、
あとで軽いランチで大丈夫だと思っていたのでしたが、
まさかの二日連続の利久となりました(笑)
前日に行ったお店の手前の
牛たん炭焼 利久 東口分店に
http://r.gnavi.co.jp/t121607/
行くことになりました。
これが大変なことに・・・
お腹いっぱいの状態で臨んだランチ。
この日はシチュー定食にしました。
これなら、いけるかなと・・・。
ところが誤算が!
MRさんが、
「takaさん、ご飯半分あげる!」
Nちゃんも、
「私もご飯あげる!お肉もあげる!」
う~ん(汗)、せっかくおっしゃって頂いているんだし、
ご飯は残してはいけないと、
そういう食事習慣を守ってきた僕に、
神様が試練をお与えになってるんだと、
有り難く頂くと、お茶碗に盛られたご飯が、
高校生の食べる量くらいに山盛りに(笑)
食べる前から、お腹はいっぱいなのに・・・(汗)
お腹がはちきれそうな状態(まさにチームD状態)でお店を出ると、
N大のOtくん(ディズニーシー仲間)がいましたが、
挨拶もそこそこに、駅に。
KYNKYN、UMNさんは、駅からシャトルバスで、
僕たち3人は昨日と同じコースで会場に向かいました。
会場に着いて、
この日は神奈川からいらっしゃるDYMNDさん、HRPRさんに
この日のライブのチケットを渡さなければならず、
本当は仙台駅でお渡しする予定だったのですが、
予定通りに渡せず、会場で渡すことになったので、
お二人が到着するまで、周辺をうろうろしていました。
トイレの列ではチームDのAPNさん、
そしてファンクラブブースの前ではHMちゃん、
小松空港から戦闘機で来たMRNさんにお会いし、
ファンクラブブースの横ではNGYのBさんが、
路上ライブをしているのを見たりしていると、
MRさんから、NKさんを紹介すると連絡を頂き、
長身のすらっとしたNKさんにご挨拶をし、
その後も、さいとうさんを紹介すると連絡を頂きました。
さいとうさん、イメージ通りの素敵なさいとうさんでした。
長袖だったので、浜田まくりはしてませんでしたが(笑)、
長袖の袖もまくってました。
こうして、実際に多くの方々とお会い出来るなんて、
本当に時代が変わったとつくづく思います。
以前も、ここやあそこのSNSなどで知り合った友人と、
「ほんの数年前までは、一人でライブに行って、一人で帰ってくるだけ。
そんなライブの参加でしたよね。」
なんて話していました。でも、今は違いますね。
そんな方々とのご縁を大切にしたいと思う反面、
やはり人と人、人間関係がありますから、
煩わしいこともあったりしますね。
幸い僕は恵まれていますので、
皆さんの愛情を身体で感じて、
北にコロコロを引きずる友人がいれば、代わりに引きずり、
南にコロコロを引きずる友人がいれば、代わりに引きずり、
そういう人になりたいとそんな風にも思っています。
まあ、そうこうしていると、会場時間になり、
Nちゃんたちは先に入場してもらい、
仙台で迷子になっている(笑)DYMNDさん、HRPRさんに、
メールを送り、電話し、そしてようやくバスが到着し、
チケットを渡すことが出来ました。
が、この時、少し風が冷たく感じられ、
異変の兆候が・・・
何とかなる、そう思いながら、8回目の抽選、
この日は、東スタンドWブロック2列8番でした。
メインステージが左手の、1日目とは反対のサイドで、
センターステージはほぼ正面の見やすい席でした。
しかし、何とかなると思っていた身体が・・・
ツアーの最終公演2日目
OPENING SE~J.BOY REMIX
ON THE ROAD
この夜に乾杯!
HELLO ROCK & ROLL CITY
独立記念日
反抗期
悲しみは雪のように
Thank you
MONEY
風を感じて
片想い
もうひとつの土曜日
PAIN
BLOOD LINE(インスト)
我が心のマリア(インスト)
マイホームタウン
裸の王達
詩人の鐘
Theme of Father's Son
RISING SUN
J.BOY
僕と彼女と週末に
愛の世代の前に
~センターステージ~
光と影の季節
モノクロームの虹
君がいるところがMY SWEET HOME
I am a Father
路地裏の少年
家路
~メインステージ~
日はまた昇る
君が人生の時
そんな状態で臨んだライブ・・・(涙)
普段から、粗食の少食なのに・・・
入場して、すぐにトイレに並ぶと、
もちろん長蛇の列、
友人のMKさんは、
「takaさん、私漏らしてもいい!」
と叫びながら、列を離れ(笑)
笑いながらも、僕は列に並び、
係員が間もなく開演ですと叫ぶ中、
列は進み、とりあえず済ませ、
席に戻ると、ちょうど、始まるところでした。
2日目はMアーヤさん、JO様、Nちゃん、僕の並びでした。
この日ほど、長く感じたライブはありませんでした(笑)
いつもなら、うたた寝をするバラードもしっかり聴き、
待望のインストの時間に!
いつもは座って聴いていますが、
もちろんトイレに、でも、すでに長蛇の列(涙)
残念な気持ちで、席に戻りました。
なんとか、タイムマシーンまで頑張れ!
そんな気持ちで迎えた前半のクライマックス、
‘詩人の鐘’で僕もクライマックス(笑)
トイレで、「ナインティーン、ナインティナイーン」
を聴いていました。
省吾がコートを振り回してる頃トイレを出て、
しばらく通路でお絵かきをしている子供を眺め、
‘Theme of Father's Son’が始まって会場に入り、
終わるまで通路で聴き、終わってから席に。
Mアーヤさん、JO様、Nちゃんに迷惑を掛けまいと
思う限りの最善の努力をしたのでしたが、
気持ちが緩んだせいか、
‘日はまた昇る’を思ったより大きく口ずさんでいたようで、
お叱りを受け、また、
「ライブ中にトイレに行けるなんて、
簡単にチケットを手に出来ると思ってるからだよ!」
「やっとの思いで手にした人は、漏らしてでも見るよ!」
と言われ・・・(笑)
でも、もしもあそこで、そんなことになったら、
これだけ、ネットが発達した時代だから、
日本中にばれていたはずです(汗)
しかも、すぐ後ろは日本の中部地方のコアな方々でしたし・・・
食べ過ぎないように本当に注意します!
この日のライブは、12曲のミニライブみたいでしたから・・・(汗)
この日の‘家路’も優しい省吾でした。
きっと省吾が河内くんにあげたであろうサングラス、
ピアノの上に置かれたそのサングラスを、
‘人はそれを夢と名付け’
と昨日のように丁寧に歌いながら、
少しだけそっと持ち上げる省吾、
その仕草に、やられました。
河内くんのピアノも1日目より、
断然良くなっていたと感じました。
硬さが少し抜けて、でも新鮮な気持ちの
そんなピアノの音色に思いました。
さいたまでは、もっといい音になっていることでしょう。
ライブが終わり、またバス乗り場に急ぎ、
仙台駅へ。
この日の夕食は、MRのMRさんが予約してくれたお店、
前日に行ったお店と同じビルにあるお店、
22時の予約でしたが、道路も混んでなかったので、
予約の時間前に着くことが出来て、
先に集まったNちゃん、KYNKYN、UMNさんは
お店に入ってもらい、
後から来たDYMNDさん、HRPRさんと
MRのMRさんを待っていました。
昨日来たから大丈夫かなと思っていましたが、
ちょっとだけ迷っちゃったみたいでした。
コース料理の予約ではなかったので、
各自食べたいものを注文して、
みんなで取り分けましたが、
僕はあまり食べないようにしました・・・(笑)
DYMNDさん、HRPRさんは始めての顔合わせでしたが、
楽しんで頂けたようで、良かったです。
気付けば、料理のラストオーダー、
ドリンクのラストオーダー、
そして会計でした。
会計の時、このお店のシステムで、
2個のサイコロを振って、合計の目の数×100円の割引があり、
皆さんから、ここは男の人が、と言われ、
びくびくしながら、サイコロを振りました。
1+1=2にならないように願って・・・
出た目は、2と4、ホッとしました(笑)
会計を済ませ、それぞれのホテルに帰りました。
部屋に入り、テレビのスイッチを入れると、
見ることが出来ましたが、
この日もあの格闘はなく、眠りにつくことになりました・・・(汗)
次の日、金環日食(仙台はリングにはなりませんでしたが)を
見るために、7時に朝食。6時30分に起床でした。
僕の泊まった部屋は、西向きだったので、
見えないはずでしたが、
なんと、向かいのビルのマジックミラーの窓ガラスに、
太陽が反射して光っているではありませんか!
思わずカーテンを前回で窓ガラスをそのまま見たら、
太陽を直視したみたいに、残像が見え、
日食観測用のフィルムを通しても、
太陽が3つくらい見えるという失敗をしてしまい、
一人で笑い転げてました・・・(笑)
朝食を食べに下りて、Nちゃん、KYNKYNと
軽めの朝食を食べました。
7時30分過ぎに、2階のコンコースみたいなところに出ると、
何人か観測していました。
僕の持っていった観測用のカード型メガネでは、
太陽がオレンジ色に見えて、
KYNKYNのそれでは、緑色っぽく見えて、
こういうものでも違いがあるんだと思いました。
金環日食観測を終えて、エレベーターホールに行くと、
AYKさんにばったり、メガネがないということだったので、
僕のを渡したら、見に行ったようでした。
ライブ会場でお会いしなくても、
いろんなところに友人がいて、
不思議な感じでした。
朝食も無事に済ませ、
日食観測も無事に終わり、
荷物をまとめてチェックアウトし、
仙台駅に向かいました。
仙台駅周辺やアリーナ周辺しか見ていないので、
昨年あんなことが起きたとは思えませんでした。
確かに、被害の大きかった地域に比べ、
内陸であったからなのでしょうが・・・
沿岸部はどうなっているのか、
この旅では、時間的に石巻までは行けそうになく、
せめてもう少し海に近いところに行ってみたいと、
そんな気持ちもあって、
塩竈→松島のフェリーに乗ることにしました。
本塩釜の駅に着くまで、外を眺めていました。
ほんの数件の家の一階の窓がブルーシートで覆われていたり、
庭先に畳が何枚も重ねて積んであったり、
そんな光景を見ました。
駅に着いて、フェリー乗り場まで歩く途中、
仮設のプレハブの店舗があり、
まだまだ、厳しい状態のところもあるんだと、
そして、フェリー乗り場の建物の窓ガラスに、
ここまで津波が来ましたと書かれた張り紙を見て、
想像しましたが、きっとあの日はこんなに穏やかな、
暖かい日ではなかったし、もちろん大きな地震の後で、
混乱していたに違いない人たちのことを、
簡単な言葉では表せないと思いました。
フェリーの着く松島は、
その島々が犠牲となって、
松島自体の被害が少なかったと、
そんなニュースを見ていましたが、
それでも観光地として、大きな打撃を受けたことは、
人々の暮らしを大きく変えたことでしょう。
フェリーでは、鳥恐怖症のJO様以外、
KYNKYN、MRさん、Mアーヤさん、Nちゃん、
デッキに出たり、カモメの写真を撮ったり、
松島湾の風景を楽しんだりして、
過ごしていました。
僕も少し、デッキに出てみましたが、
暖かく晴れた日で、景色もよく、
気持ち良かったです。
沖に出て、乗船した人たちが、
カモメに餌をやらなくなったので、
カモメも少なくなり、
怖がるJO様を、デッキで煙草が吸えるよと言って、
連れ出しましたが、少しでもカモメが近づくと、
怖そうにしていました。
どうしてそうなったのか、その訳を聞くと、
昔、カラスに連れ去られそうになったと・・・(汗)
にわかには信じられない話をしてくれました。
そうこうしていると、松島に到着し、
会報に載っていた省吾の乗った松島湾周航のフェリーに乗る
ファンの方々とすれ違い、僕たちは瑞巌寺に向かいました。
瑞巌寺
http://www.zuiganji.or.jp/
この参道で撮ってもらった写真です。

見学を終え、昼食は同じ敷地内の円通院にある
http://www.sensinan.co.jp/index.html
ここで頂きました。
穴子丼を頼むと、お椀から穴子がはみ出ていて、
すごいねとみんなが言っていたら、
MRさんが、
「それは伊達政宗の兜の形にしているんだよ」
と教えてくれ、一同、納得させられ、
みんなもう一度お椀を被せて、写真を撮っていました(笑)
Mアーヤさんが飛行機の時間の関係で先に帰るので、
JO様が駅まで送り、残った4人は近くの笹かまや、
ずんだシェイクのあるお店に入り、
みんなシェイクを飲んでいました。
僕は以前仙台に来たとき、ずんだ餅を食べて、
ちょっと・・・だったので、やめておきましたが、
少し頂いて飲んだら、すっきりしていて、
美味しかったです。
JO様が戻ってきて、もう少し時間があったので、
参道近くのお土産屋に入ったり、
五大堂に行ったりしました。
http://www.matsushima-kanko.com/miru/detail.php?id=141
五大堂に渡る透かし橋、
僕とJO様はサンダルだったので、
落とさないように慎重に渡りました。
落としたら相当ブルーな気持ちになることでしょう(笑)
短い時間の観光を終えて、
松島海岸駅に向かい、仙台駅に戻りました。
仙台駅で、各自おみやげを買い、
僕はMRさんが勧めてくれたかまぼこを母親に買って、
(これがとても美味しかったらしく喜んでいました)
生徒たちには、いつもあげている「うまい棒」の
牛タン味、政宗のキャラクタークッキーと、
新幹線のホームで「じゃがりこ・ずんだ味」と、
かさ張る物ばかり買って帰りました。
空港アクセス線に乗るNちゃんを見送り、
MRさんとしばしのお別れをし、
改札近くでNYTさんにも偶然お会いしてほんの少しお話をし、
それから、KYNKYNとJO様と一緒に新幹線のホームに向かいました。
乗る予定の新幹線の20分後が、
仙台発だったので、そちらに乗ることにして、
再び行きの新幹線の話になり、
結局、帰りも3号車の2号車寄りの一番後ろの、
二人がけの1Eに僕は座らされました。
これで、終わりですが、
あと10日でさいたま・・・
嬉しいような、悲しいような、
そんな10日間になりそうです(笑)
その後のことは考えないようにします!
長い長い旅行記にお付き合い頂き、
ありがとうございます。
では、また、さいたまで・・・
とらわれの貧しい心で
疲れ果てて 帰る夜道では
お前のやさしい 眼差しを想う
そうこれからも きっと守り続けて行くさ
お前と 二人の 静かな夜
守る者もいないけど、
先週は疲れ果てた・・・
色んなことがあって、
色んな人がいて、
でも、
こんな自分を心配してくれる人もいて、
本当に嬉しくて、有り難くて・・・
今週から、また頑張って生きていきます。
ありがとうございます。
“とらわれの貧しい心で”by SHOGO HAMADA
お前のやさしい 眼差しを想う
そうこれからも きっと守り続けて行くさ
お前と 二人の 静かな夜
守る者もいないけど、
先週は疲れ果てた・・・
色んなことがあって、
色んな人がいて、
でも、
こんな自分を心配してくれる人もいて、
本当に嬉しくて、有り難くて・・・
今週から、また頑張って生きていきます。
ありがとうございます。
“とらわれの貧しい心で”by SHOGO HAMADA
春嵐
今日は東京も大荒れです。

タイトルは僕の好きな作家の邦題です。
原題は“Sixkill”、ロバート・B・パーカーの遺作です。
2010年1月18日に彼がこの世を去ってから、
日本で出版された小説が二冊あって、
そのうちの一冊です。
ボストン在住の私立探偵“スペンサー”を主人公に描かれたシリーズの
最終章となってしまった作品ですが、
初期の名作“初秋”に描かれていた“スペンサー”の父性を感じ、
「生きること」を問いかけられ、人はどう生きるべきかを考えさせられました。
問いかけに対する答えなどないのですが、
人が生きていく中で努力する過程や、
人が行動の規範になる考え方を持つことが、
どれだけ大切か再認識しました。
残る一冊“盗まれた貴婦人”も、
いつでも読めるように、置いてあります。
新作がもう出てこないことに寂しさを覚えますが、
読み返していこうと思います。
追伸
いつも桜の頃になるとこうやって、天気が崩れますが、
桜は雨や風では散りません。
なのに、いつもテレビの天気コーナーで、
「この雨で散らないといいですね。」
と誰かが言ってます。
桜の花びらは寿命が来るまで、嵐が来てもしっかり生きるんです。
人間だって同じです。
雨の日も風の日も負けないで生きていかないと・・・
僕はいつも、ちょっと負けてますけどね・・・(笑)
・・・ちょっとじゃないかも・・・(汗)

タイトルは僕の好きな作家の邦題です。
原題は“Sixkill”、ロバート・B・パーカーの遺作です。
2010年1月18日に彼がこの世を去ってから、
日本で出版された小説が二冊あって、
そのうちの一冊です。
ボストン在住の私立探偵“スペンサー”を主人公に描かれたシリーズの
最終章となってしまった作品ですが、
初期の名作“初秋”に描かれていた“スペンサー”の父性を感じ、
「生きること」を問いかけられ、人はどう生きるべきかを考えさせられました。
問いかけに対する答えなどないのですが、
人が生きていく中で努力する過程や、
人が行動の規範になる考え方を持つことが、
どれだけ大切か再認識しました。
残る一冊“盗まれた貴婦人”も、
いつでも読めるように、置いてあります。
新作がもう出てこないことに寂しさを覚えますが、
読み返していこうと思います。
追伸
いつも桜の頃になるとこうやって、天気が崩れますが、
桜は雨や風では散りません。
なのに、いつもテレビの天気コーナーで、
「この雨で散らないといいですね。」
と誰かが言ってます。
桜の花びらは寿命が来るまで、嵐が来てもしっかり生きるんです。
人間だって同じです。
雨の日も風の日も負けないで生きていかないと・・・
僕はいつも、ちょっと負けてますけどね・・・(笑)
・・・ちょっとじゃないかも・・・(汗)
うれしい知らせ、ふたつ
小6から通ってくれた生徒から、
「合格しました!」
と電話をもらいました。
2月29日が都立高校の一般入試の合格発表でした。
その生徒は、小6の夏に父親を事故で亡くし、
それでも、休むことなくずっと通ってくれました。
きっと辛いことや淋しいことも沢山あったと思います。
僕も心のどこかで、いつもそのことを考えていましたが、
父親の代わりにはなれませんし、大したことも出来ませんでした。
他の生徒と同じように、いろんなことを話して、教えただけでした。
先日、入試の後、母親と塾に来て、
「思ったより点数が取れなかった・・・」
と、その学校は今年人気が出て、
昨年より受験生が増えていたのでした。
採点した点数を聞くと、昨年までならば、
合格ではないかと思うくらいの点数は取っていましたが、
かなり不安になったようで、
2次募集の高校の相談を受けました。
本人の希望で滑り止めを受けていなかったのです。
僕は、
「この経験があなたを成長させてくれるし、
今まで頑張ってきたことは必ず自分の力になる。
だから、前を向いて進もう。
万が一結果が悪かったら、その時一緒に考えよう。」
そう言って、結果を待つことにしました。
そしてこの電話。
僕はうれしくて電話口で叫んでしまいました。
人のことでこんなに喜ぶことが出来る仕事に就けて、
本当に良かったと思います。
子供の数も減り、経営は楽ではありませんが、
頑張ろうという気持ちがまた強くなりました。
そして、もう一つのうれしい知らせ。
2012年6月2日(土)、3日(日)
さいたまスーパーアリーナで、
復興支援ライブが決定したと、
今日、3月1日、ロースカから発表がありました。
これも楽しみになりました。
「合格しました!」
と電話をもらいました。
2月29日が都立高校の一般入試の合格発表でした。
その生徒は、小6の夏に父親を事故で亡くし、
それでも、休むことなくずっと通ってくれました。
きっと辛いことや淋しいことも沢山あったと思います。
僕も心のどこかで、いつもそのことを考えていましたが、
父親の代わりにはなれませんし、大したことも出来ませんでした。
他の生徒と同じように、いろんなことを話して、教えただけでした。
先日、入試の後、母親と塾に来て、
「思ったより点数が取れなかった・・・」
と、その学校は今年人気が出て、
昨年より受験生が増えていたのでした。
採点した点数を聞くと、昨年までならば、
合格ではないかと思うくらいの点数は取っていましたが、
かなり不安になったようで、
2次募集の高校の相談を受けました。
本人の希望で滑り止めを受けていなかったのです。
僕は、
「この経験があなたを成長させてくれるし、
今まで頑張ってきたことは必ず自分の力になる。
だから、前を向いて進もう。
万が一結果が悪かったら、その時一緒に考えよう。」
そう言って、結果を待つことにしました。
そしてこの電話。
僕はうれしくて電話口で叫んでしまいました。
人のことでこんなに喜ぶことが出来る仕事に就けて、
本当に良かったと思います。
子供の数も減り、経営は楽ではありませんが、
頑張ろうという気持ちがまた強くなりました。
そして、もう一つのうれしい知らせ。
2012年6月2日(土)、3日(日)
さいたまスーパーアリーナで、
復興支援ライブが決定したと、
今日、3月1日、ロースカから発表がありました。
これも楽しみになりました。
伝説のライブツアーに
The Last Weekend
SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2011
さいたまスーパーアリーナでのファイナル二日間に参加してきました。
色んなことがありました。本当に。
でもそれもこれも生きているからなんですよね。
そして、何より、今回は
等身大の浜田省吾をしっかり見られたような気がしました。
10月29日土曜日
いつもより早く目が覚めたのに、何だかぐずぐずしてしまい、
約束のランチに間に合わない時間に家を出てしまいました。
マイミクKさんには衣装合わせに時間が掛かってしまったなどと、
言い訳をしたのですが・・・
北与野駅に着いて皆がいる所に向かうと、
いつもの顔に混じって、久しぶりにお会いする方々、
初めてお会いする方々もいらっしゃって、
少し緊張してしまいました。
でも、食事をしながら、省吾の話をして、個人的な話をして、
マイミクYさんと一緒に機関車トーマスになった頃には、
何年もの付き合いがあるような感じになれました。
食事を終えて、ホテルにチェックインするために大宮に向かいました。
同じく、お友達との待ち合わせに
大宮駅にいらっしゃるMさんと一緒に。
埼京線で一駅、何事もなく大宮駅に着く直前、
某カメラの車内広告の某SMAPの
K君の笑顔が素敵だなぁと思い、
「Mさん、K君に見つめられてますよ。」
と言うと、Mさん、ポスターを見て、
顔を赤らめてました。
何だか、写真の中のK君に見つめられて、
照れているようでした(笑)
チェックインを済ませ、アリーナまで歩いて戻りました。
その日の夜の打ち上げがアリーナ近くで、
きっと遅くなって電車では帰れないと思ったので、
下見も兼ねて20分くらい歩きました。
会場に着いて、まずこの日のチケットをマイミクYさんに渡すために、
携帯片手にアリーナ周辺をウロウロしていました。
その間に、HMちゃん号周辺で、HMちゃん、AYPNさん、
マイミクARNちゃん、その娘ちゃん、MRNさんにお会いし、
その後もあちこち彷徨い、ようやくマイミクYさんに辿り着き、
無事にチケット渡すことが出来ました。
広島でのあの怪我から復帰されて、元気そうな姿に安心しました。
この日のライブは遅い時間だったので、
皆さんとのんびり過ごすことが出来、
沈んでいく美しい夕日を見ることも出来ましたが、
夕日以上に美しい女性が周りにはたくさんいらっしゃいました。
やや視力の衰えも感じていますが、
美しさは間違いなかったと思います。
いよいよ開場、あの運命の瞬間、
今回は自分名義のファンクラブのチケットでしたが、
結果は200レベル8列目、
メインステージよりセンターステージの方が近い席でした。
これまで、センターステージすぐ近くが2回、
スタンド中段、スタンド最後列、という感じだったので、
その間くらいの席でした。
いい席だったらいいなあと言ってたマイミクのNさんは
アリーナの10列目くらいでとても喜んでいました。
結局チケットのアルファベットはあまり関係ないみたいですね。
しかし、なんと、この日、僕はとんでもない勘違いをしていて、
18時開演を、18時30分だと思い込んでいて、
18時くらいに電源の入ってない友人に電話を掛けてました(汗)
着信のあった方、ごめんなさい。
そんな気持ちのまま、“In My Life”が流れてきて、
ファイナルの1日目のライブが始まりました。
あのオープニング、
ダーン、ダーン、って始まる音を聴く度に、
これを考えた人は天才だとつくづく思いました。
DVDもあれで始まって欲しいですね!
~中略~
そして、いつものようにバラードでまどろんでいると(笑)
何やら、いつもと違うギターの音(汗)
そう、ライブ中盤のあのハプニングでした(爆)
とても嬉しかったです。
もちろんすっかり目覚めました。
一緒に行ったのは、20年来の友人で、
二人で今日来られて良かったねと、
そんな感じでした。
広島グリーンアリーナで感じたエコーは少なくて、
大きいアリーナにしては、いい音に感じました。
ただ、残念に思う演奏曲もありました。
でも、それは聴く側の曲の好みだったり、
アレンジだったり、色々な要素があります。
特に何度も足を運んでいると、欲が出ちゃいますね(汗)
ライブ終了後、会場を出ると、
ぞくぞく集まってくる友人たちの姿。
ネットが普及してない頃、
こんなに沢山の方々と知り合うことなど、
想像すら出来なかった頃、
ライブ後の気持ちを抱えて、
家路に着いていた頃を懐かしく思いました。
そんな風に一人思いを馳せる時間も
大切なのかも知れないのに、
限られた時間の中で生きているから、
色んなことをしたいと思い、
あれもこれもとつい欲張ってしまう自分が、
いつもここにいます。
最近学んだ
“大欲得清浄(たいよくとくせいせい)”
という言葉があります。
簡単にいうと、個人的な欲望を持つと苦しみ、
他人のための欲を持つと苦しみから解放される、
というような考えらしいのですが、
いつも個人的な欲望ばかり先走ってしまうのです。
言葉を知るだけでなく、実践しなければ・・・(汗)
そうこうしていると、
すっかり打ち上げの始まる時間が過ぎていて(汗)
この日参加の方を引き連れてお店に向かいました。
北与野駅近くのお店で、アリーナからすぐのところでした。
で、お店に入り、席に着くと、
「TKちゃんは?」
とマイミクKさん。
そういえば、さっきアリーナの前で、
関西美女軍団と同化してたのを見ていたので、
「向こうに行ったんじゃ?」
と僕。
「こっちに来るはずだよ」
とマイミクKさん。
「関西組に同化してたから、向こうに移籍かと」
と僕。
で、TKちゃんに電話して、アリーナまで迎えに。
この子もまだまだ要注意です(笑)
で、ようやく落ち着いて、飲み始めました。
この日はマイミクYさん、SNPPさんのご友人と、
マイミクTKちゃんと一緒の席で、
色んな話をしました。
もう中身は覚えていませんが(笑)
沖縄の話や、TPPの話や、SNPPさんの奥様のことを
話したように思います。
全員とお話は出来ませんでしたが、
とっても楽しかったです。
ライブ後の余韻を一人でなんて、考えられません(笑)
お店を出たのは日付が変わってからで、
昼に歩いた道を戻っていきました。
途中でセブンイレブンで買い物をして、
大宮駅東口のホテルまで友人を案内し、
西口のホテルに戻り、シャワーを浴びると、
いつの間にか、いつもの有料テレビとの攻防もなく、
寝ていました。
朝、最近よく見る嫌な夢で目が覚めました。
走りたいのに、足が重くて動けない、
そんな夢を何度も何度も見ます。
次の日も見ました。
10月30日日曜日
目覚めも悪く、乾燥しきった部屋には飲み物もなく、
ランチバイキングまでこの状態は厳しいと思い、
コンビニに飲み物と軽食を買いに、
帰りにフロント近くのPCコーナーで、
土曜日のライブのことをアップしてるかなと思って、
色んなサイトを回って見て、それから部屋に戻りました。
11時過ぎまで、自宅にいるときと同じように
TBSを見ていて、そろそろ出ようかなと思ったら、
マイミクKさんから、
「もうみんな集まってますよ。」
とお電話を頂き、急いで部屋を出ましたが、
ランチの場所を地図で確認していたにもかかわらず、
大宮駅周辺を彷徨い、Kさんに迎えに来てもらう破目に(汗)
ランチは美味しく、お腹いっぱいになりました。
いきなりカレーを食べて、怒られてたマイミクYちゃんの旦那ちゃん、
可笑しかったです。その後も
「茶色いものばっかり食べて~。」
と、子供のように注意され、
なんだかいいなあ~って思いました。
ランチが終わって、再びアリーナへ。
20分の道のりを進みました。
アリーナまで、マイミクKさんとマイミク最年少になったkssちゃんと
色々話しながら歩きました。
27歳も離れていると、親子でもおかしくないんだな~と、
改めて自分の年齢を実感しました。
アリーナに着く頃、ポツリポツリ、もしやと思って見回すと、
やはりマイミクのMKYさん(笑)、雨男が来ちゃってました。
僕のこれまでの頑張りも、体重差で打ち消されました。
ライブまでのほとんどの時間、
ファンクラブブース、グッズ販売、ツアートラックが置かれてた
アリーナの中に入っていました。
ここで結構たくさんの方にお会いできました。
マイミクYさんはと言えば、
「カレンダー売り切れちゃってさ~」
「昨日、買っておけば良かった!」
って、大騒ぎしていて、
グッズ売り場から流れてくる人がみんなカレンダーを持ってるのを見て、
「もう一回見てくる!」
って、笑顔でカレンダーを抱えて戻ってきました。
どうやら売り切れは卓上の方で、勘違いしてたらしく・・・
そうこうしていると開場時間も過ぎ、
運命の時間でした。
座席は土曜日とは反対側の200レベル8列目、古村さん側の
メインステージとセンターステージの間でした。
この日はもちろん16時30分スタートを何度も確認していたので、
きちんとライブに向き合える、はずでした。
オープニングのあの曲が流れ出し、
これで見納めになるんだという個人的な深い感情と
省吾に対する感謝の気持ちが溢れてきました。
きっとあの場にいた多くの人と同じように・・・
あれっと思ったのは、やはりバラードの時、
何だか歌い難そうなピアノの伴奏だな~って、
でも省吾の歌の上手さがあったせいで、
こんな伴奏でも歌っちゃうんだくらいに思っていましたが、
その後のストリングスの紹介の時には、
やりすぎ?って思うほどでした。
でも、普段からニコニコ演奏している楽しそうな人なので、
今日はいつも以上にハイテンションなんだろうくらいに思っていました。
実際、インストの2曲が終わって、
前半の最高に盛り上がるところでは、
省吾、町支さん、ミック、長田さんの4人がステージ上で横一に並んで、
すごいな~、かっこいいな~、って感動していました。
でもその次の曲でやっぱりピアノの音が気になりました。
どのタイミングか忘れましたが、Tシャツ捲くってお腹出してたし・・・
う~ん、大丈夫かな?DVDも心配になりましたが、
でも、まあDVDはどうせ編集するからいいか、くらいに思っていました。
それよりも、ちょうど僕の席からステージを結んだ線上、
アリーナの10列目くらいの端っこに、
背番号8のすごい奴がいました!
一緒に見ていた黒木メイサ(本人談)似のマイミクさんが
発見したのですが、
後ろから見ても、もう入り込んでいるのが分かるんです!
肩が震えるほどの歌いっぷり(笑)、
そして五木ひろし並の腕の動き、
もう完全に自分の世界でしたね。彼一人だけは(汗)
きっとステージ上の異変など、
これっぽっちも気付かなかったはずです(笑)
そして彼の周辺の人たちも(笑)
そしてライブはセンターステージへ・・・
センターステージセッティング中
違和感を少し感じながらも、
ここまで十分楽しんでました。
そして省吾に合わせて、
僕も長袖のツアーTシャツに着替えてみました(笑)
もちろん黒木メイサ似(本人談)のマイミクさんにも
すっかり呆れらていたのは言うまでもありません(汗)
思ったよりトイレが混んでいて、席に戻った時、
ちょうど省吾の映像が始まりました。
そして、センターステージ。
やっぱりおかしい?
省吾がしゃべっているのに、という態度で、
ちょっと悲しくなりました。
それでも、センターステージ最後の曲の前の
メンバー紹介、そしてあの曲。
ピアノのイントロが流れ、
そして、何故か省吾がギターをかき鳴らす。
省吾の歌が良かった。
でも省吾の歌が悲しかった。
それしか記憶にないくらいに。
今回、このことで色んなところで、
いっぱい盛り上がってますね。
特に2ちゃんねると福田さんのツイッターの絡みは、
すごいと思いました。
それだけ、みんな省吾が好きなんですよね。
僕も何人かこのことで話しました。
プロとしてしっかりやらなきゃ、
お金を払って観てるのだから、
小島さんのライブじゃないんだから、
ちゃんとやらないとね、という意見も。
僕は、それこそロックのライブだから、
と言っても、何でもありとは思いませんが、
今回はギリギリセーフかなと思ってます。
比べるものではありませんが、
外国人アーティストのライブも行きますが、
1時間30分くらいであっさり終わる人もいます。
それに比べると、
省吾のライブは質も良く、量もたっぷりなのに、
それを、それ以上を求めている自分がいます。
今、あのライブをどう思っているのかな?
今、何を求めているのかな?
これは個人的なことで、一人ひとり違うでしょう。
僕は大満足でした。
そして追加公演を求めています。
見せてはいけない部分だったかも知れませんが、
こういう時に省吾があんな風に対応してくれた、
それが嬉しくて。
作り上げられた、完成されたライブ、
ハマダショウゴさんのショーではなく、
生きている省吾を見て、感じることが出来たから。
J.BOYを歌っている省吾が泣いているように見えました。
それより、なにより、着替えて良かった!
理由は、二日目のライブ終了後、
大宮の居酒屋で打ち上げをしてると、
見知らぬ方が僕の方を見て、
「ライブお疲れ様でした!」
「いいライブでしたね、」
と。
ツアーTシャツ(長袖)を着ている僕が省吾に見えたのね。
(笑)
笑顔になった自分がそこにいたそうです。
(爆)
ライブ終了後、アリーナの外、待ち合わせの場所で
続々と出てくる人たちを見ていると、
いつものライブの後と同じように見えました。
しかし、集まった友人たちが、
「省吾、どうしちゃったの?」
って、口々に。
やっぱりおかしいと思ってたようです。
ここで別れる友人たちと挨拶をして、
この日の打ち上げのお店のある大宮に向かいました。
何を話していたのか、すっかり忘れていますが、
あのエピソードだけは覚えています(笑)
そしてお店を出てからも、
違うグループの人たちからも声を掛けられ、
何だか結構盛り上がった気持ちのまま解散しました。
月曜日の朝から今まで、
終わったライブのことを考えていますが、
飲み過ぎちゃったんだと思います。
理由が理由なので、
事務所も本人も省吾も恥ずかしくって言えないんだと、
そう思うことにします。
みんな省吾が大好きだから、盛り上がってるけど、
誰かに原因があるとしても、
その責任を取る方法がない以上、
どうしようもないし、
きっと次のステージで、
省吾の生き様を見せてくれるはずだから。
29日、30日の二日間も含めて、
まさに伝説のライブツアーになったと思います。
だから、
I'll show you my way.
頑張って生きていきます!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
おまけ
2ちゃんねるに行ったら、
お花畑爺って言われるんだろうな~
ライブもない日にツアーTシャツ着てるし(笑)
ペンダントも毎日してるし(汗)
でも、2ちゃんねるに聞いてみたいことがあります。
それは、
あの背番号8番を探してくれ!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
長い日記にお付き合い頂き、ありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。
SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2011
さいたまスーパーアリーナでのファイナル二日間に参加してきました。
色んなことがありました。本当に。
でもそれもこれも生きているからなんですよね。
そして、何より、今回は
等身大の浜田省吾をしっかり見られたような気がしました。
10月29日土曜日
いつもより早く目が覚めたのに、何だかぐずぐずしてしまい、
約束のランチに間に合わない時間に家を出てしまいました。
マイミクKさんには衣装合わせに時間が掛かってしまったなどと、
言い訳をしたのですが・・・
北与野駅に着いて皆がいる所に向かうと、
いつもの顔に混じって、久しぶりにお会いする方々、
初めてお会いする方々もいらっしゃって、
少し緊張してしまいました。
でも、食事をしながら、省吾の話をして、個人的な話をして、
マイミクYさんと一緒に機関車トーマスになった頃には、
何年もの付き合いがあるような感じになれました。
食事を終えて、ホテルにチェックインするために大宮に向かいました。
同じく、お友達との待ち合わせに
大宮駅にいらっしゃるMさんと一緒に。
埼京線で一駅、何事もなく大宮駅に着く直前、
某カメラの車内広告の某SMAPの
K君の笑顔が素敵だなぁと思い、
「Mさん、K君に見つめられてますよ。」
と言うと、Mさん、ポスターを見て、
顔を赤らめてました。
何だか、写真の中のK君に見つめられて、
照れているようでした(笑)
チェックインを済ませ、アリーナまで歩いて戻りました。
その日の夜の打ち上げがアリーナ近くで、
きっと遅くなって電車では帰れないと思ったので、
下見も兼ねて20分くらい歩きました。
会場に着いて、まずこの日のチケットをマイミクYさんに渡すために、
携帯片手にアリーナ周辺をウロウロしていました。
その間に、HMちゃん号周辺で、HMちゃん、AYPNさん、
マイミクARNちゃん、その娘ちゃん、MRNさんにお会いし、
その後もあちこち彷徨い、ようやくマイミクYさんに辿り着き、
無事にチケット渡すことが出来ました。
広島でのあの怪我から復帰されて、元気そうな姿に安心しました。
この日のライブは遅い時間だったので、
皆さんとのんびり過ごすことが出来、
沈んでいく美しい夕日を見ることも出来ましたが、
夕日以上に美しい女性が周りにはたくさんいらっしゃいました。
やや視力の衰えも感じていますが、
美しさは間違いなかったと思います。
いよいよ開場、あの運命の瞬間、
今回は自分名義のファンクラブのチケットでしたが、
結果は200レベル8列目、
メインステージよりセンターステージの方が近い席でした。
これまで、センターステージすぐ近くが2回、
スタンド中段、スタンド最後列、という感じだったので、
その間くらいの席でした。
いい席だったらいいなあと言ってたマイミクのNさんは
アリーナの10列目くらいでとても喜んでいました。
結局チケットのアルファベットはあまり関係ないみたいですね。
しかし、なんと、この日、僕はとんでもない勘違いをしていて、
18時開演を、18時30分だと思い込んでいて、
18時くらいに電源の入ってない友人に電話を掛けてました(汗)
着信のあった方、ごめんなさい。
そんな気持ちのまま、“In My Life”が流れてきて、
ファイナルの1日目のライブが始まりました。
あのオープニング、
ダーン、ダーン、って始まる音を聴く度に、
これを考えた人は天才だとつくづく思いました。
DVDもあれで始まって欲しいですね!
~中略~
そして、いつものようにバラードでまどろんでいると(笑)
何やら、いつもと違うギターの音(汗)
そう、ライブ中盤のあのハプニングでした(爆)
とても嬉しかったです。
もちろんすっかり目覚めました。
一緒に行ったのは、20年来の友人で、
二人で今日来られて良かったねと、
そんな感じでした。
広島グリーンアリーナで感じたエコーは少なくて、
大きいアリーナにしては、いい音に感じました。
ただ、残念に思う演奏曲もありました。
でも、それは聴く側の曲の好みだったり、
アレンジだったり、色々な要素があります。
特に何度も足を運んでいると、欲が出ちゃいますね(汗)
ライブ終了後、会場を出ると、
ぞくぞく集まってくる友人たちの姿。
ネットが普及してない頃、
こんなに沢山の方々と知り合うことなど、
想像すら出来なかった頃、
ライブ後の気持ちを抱えて、
家路に着いていた頃を懐かしく思いました。
そんな風に一人思いを馳せる時間も
大切なのかも知れないのに、
限られた時間の中で生きているから、
色んなことをしたいと思い、
あれもこれもとつい欲張ってしまう自分が、
いつもここにいます。
最近学んだ
“大欲得清浄(たいよくとくせいせい)”
という言葉があります。
簡単にいうと、個人的な欲望を持つと苦しみ、
他人のための欲を持つと苦しみから解放される、
というような考えらしいのですが、
いつも個人的な欲望ばかり先走ってしまうのです。
言葉を知るだけでなく、実践しなければ・・・(汗)
そうこうしていると、
すっかり打ち上げの始まる時間が過ぎていて(汗)
この日参加の方を引き連れてお店に向かいました。
北与野駅近くのお店で、アリーナからすぐのところでした。
で、お店に入り、席に着くと、
「TKちゃんは?」
とマイミクKさん。
そういえば、さっきアリーナの前で、
関西美女軍団と同化してたのを見ていたので、
「向こうに行ったんじゃ?」
と僕。
「こっちに来るはずだよ」
とマイミクKさん。
「関西組に同化してたから、向こうに移籍かと」
と僕。
で、TKちゃんに電話して、アリーナまで迎えに。
この子もまだまだ要注意です(笑)
で、ようやく落ち着いて、飲み始めました。
この日はマイミクYさん、SNPPさんのご友人と、
マイミクTKちゃんと一緒の席で、
色んな話をしました。
もう中身は覚えていませんが(笑)
沖縄の話や、TPPの話や、SNPPさんの奥様のことを
話したように思います。
全員とお話は出来ませんでしたが、
とっても楽しかったです。
ライブ後の余韻を一人でなんて、考えられません(笑)
お店を出たのは日付が変わってからで、
昼に歩いた道を戻っていきました。
途中でセブンイレブンで買い物をして、
大宮駅東口のホテルまで友人を案内し、
西口のホテルに戻り、シャワーを浴びると、
いつの間にか、いつもの有料テレビとの攻防もなく、
寝ていました。
朝、最近よく見る嫌な夢で目が覚めました。
走りたいのに、足が重くて動けない、
そんな夢を何度も何度も見ます。
次の日も見ました。
10月30日日曜日
目覚めも悪く、乾燥しきった部屋には飲み物もなく、
ランチバイキングまでこの状態は厳しいと思い、
コンビニに飲み物と軽食を買いに、
帰りにフロント近くのPCコーナーで、
土曜日のライブのことをアップしてるかなと思って、
色んなサイトを回って見て、それから部屋に戻りました。
11時過ぎまで、自宅にいるときと同じように
TBSを見ていて、そろそろ出ようかなと思ったら、
マイミクKさんから、
「もうみんな集まってますよ。」
とお電話を頂き、急いで部屋を出ましたが、
ランチの場所を地図で確認していたにもかかわらず、
大宮駅周辺を彷徨い、Kさんに迎えに来てもらう破目に(汗)
ランチは美味しく、お腹いっぱいになりました。
いきなりカレーを食べて、怒られてたマイミクYちゃんの旦那ちゃん、
可笑しかったです。その後も
「茶色いものばっかり食べて~。」
と、子供のように注意され、
なんだかいいなあ~って思いました。
ランチが終わって、再びアリーナへ。
20分の道のりを進みました。
アリーナまで、マイミクKさんとマイミク最年少になったkssちゃんと
色々話しながら歩きました。
27歳も離れていると、親子でもおかしくないんだな~と、
改めて自分の年齢を実感しました。
アリーナに着く頃、ポツリポツリ、もしやと思って見回すと、
やはりマイミクのMKYさん(笑)、雨男が来ちゃってました。
僕のこれまでの頑張りも、体重差で打ち消されました。
ライブまでのほとんどの時間、
ファンクラブブース、グッズ販売、ツアートラックが置かれてた
アリーナの中に入っていました。
ここで結構たくさんの方にお会いできました。
マイミクYさんはと言えば、
「カレンダー売り切れちゃってさ~」
「昨日、買っておけば良かった!」
って、大騒ぎしていて、
グッズ売り場から流れてくる人がみんなカレンダーを持ってるのを見て、
「もう一回見てくる!」
って、笑顔でカレンダーを抱えて戻ってきました。
どうやら売り切れは卓上の方で、勘違いしてたらしく・・・
そうこうしていると開場時間も過ぎ、
運命の時間でした。
座席は土曜日とは反対側の200レベル8列目、古村さん側の
メインステージとセンターステージの間でした。
この日はもちろん16時30分スタートを何度も確認していたので、
きちんとライブに向き合える、はずでした。
オープニングのあの曲が流れ出し、
これで見納めになるんだという個人的な深い感情と
省吾に対する感謝の気持ちが溢れてきました。
きっとあの場にいた多くの人と同じように・・・
あれっと思ったのは、やはりバラードの時、
何だか歌い難そうなピアノの伴奏だな~って、
でも省吾の歌の上手さがあったせいで、
こんな伴奏でも歌っちゃうんだくらいに思っていましたが、
その後のストリングスの紹介の時には、
やりすぎ?って思うほどでした。
でも、普段からニコニコ演奏している楽しそうな人なので、
今日はいつも以上にハイテンションなんだろうくらいに思っていました。
実際、インストの2曲が終わって、
前半の最高に盛り上がるところでは、
省吾、町支さん、ミック、長田さんの4人がステージ上で横一に並んで、
すごいな~、かっこいいな~、って感動していました。
でもその次の曲でやっぱりピアノの音が気になりました。
どのタイミングか忘れましたが、Tシャツ捲くってお腹出してたし・・・
う~ん、大丈夫かな?DVDも心配になりましたが、
でも、まあDVDはどうせ編集するからいいか、くらいに思っていました。
それよりも、ちょうど僕の席からステージを結んだ線上、
アリーナの10列目くらいの端っこに、
背番号8のすごい奴がいました!
一緒に見ていた黒木メイサ(本人談)似のマイミクさんが
発見したのですが、
後ろから見ても、もう入り込んでいるのが分かるんです!
肩が震えるほどの歌いっぷり(笑)、
そして五木ひろし並の腕の動き、
もう完全に自分の世界でしたね。彼一人だけは(汗)
きっとステージ上の異変など、
これっぽっちも気付かなかったはずです(笑)
そして彼の周辺の人たちも(笑)
そしてライブはセンターステージへ・・・
センターステージセッティング中
違和感を少し感じながらも、
ここまで十分楽しんでました。
そして省吾に合わせて、
僕も長袖のツアーTシャツに着替えてみました(笑)
もちろん黒木メイサ似(本人談)のマイミクさんにも
すっかり呆れらていたのは言うまでもありません(汗)
思ったよりトイレが混んでいて、席に戻った時、
ちょうど省吾の映像が始まりました。
そして、センターステージ。
やっぱりおかしい?
省吾がしゃべっているのに、という態度で、
ちょっと悲しくなりました。
それでも、センターステージ最後の曲の前の
メンバー紹介、そしてあの曲。
ピアノのイントロが流れ、
そして、何故か省吾がギターをかき鳴らす。
省吾の歌が良かった。
でも省吾の歌が悲しかった。
それしか記憶にないくらいに。
今回、このことで色んなところで、
いっぱい盛り上がってますね。
特に2ちゃんねると福田さんのツイッターの絡みは、
すごいと思いました。
それだけ、みんな省吾が好きなんですよね。
僕も何人かこのことで話しました。
プロとしてしっかりやらなきゃ、
お金を払って観てるのだから、
小島さんのライブじゃないんだから、
ちゃんとやらないとね、という意見も。
僕は、それこそロックのライブだから、
と言っても、何でもありとは思いませんが、
今回はギリギリセーフかなと思ってます。
比べるものではありませんが、
外国人アーティストのライブも行きますが、
1時間30分くらいであっさり終わる人もいます。
それに比べると、
省吾のライブは質も良く、量もたっぷりなのに、
それを、それ以上を求めている自分がいます。
今、あのライブをどう思っているのかな?
今、何を求めているのかな?
これは個人的なことで、一人ひとり違うでしょう。
僕は大満足でした。
そして追加公演を求めています。
見せてはいけない部分だったかも知れませんが、
こういう時に省吾があんな風に対応してくれた、
それが嬉しくて。
作り上げられた、完成されたライブ、
ハマダショウゴさんのショーではなく、
生きている省吾を見て、感じることが出来たから。
J.BOYを歌っている省吾が泣いているように見えました。
それより、なにより、着替えて良かった!
理由は、二日目のライブ終了後、
大宮の居酒屋で打ち上げをしてると、
見知らぬ方が僕の方を見て、
「ライブお疲れ様でした!」
「いいライブでしたね、」
と。
ツアーTシャツ(長袖)を着ている僕が省吾に見えたのね。
(笑)
笑顔になった自分がそこにいたそうです。
(爆)
ライブ終了後、アリーナの外、待ち合わせの場所で
続々と出てくる人たちを見ていると、
いつものライブの後と同じように見えました。
しかし、集まった友人たちが、
「省吾、どうしちゃったの?」
って、口々に。
やっぱりおかしいと思ってたようです。
ここで別れる友人たちと挨拶をして、
この日の打ち上げのお店のある大宮に向かいました。
何を話していたのか、すっかり忘れていますが、
あのエピソードだけは覚えています(笑)
そしてお店を出てからも、
違うグループの人たちからも声を掛けられ、
何だか結構盛り上がった気持ちのまま解散しました。
月曜日の朝から今まで、
終わったライブのことを考えていますが、
飲み過ぎちゃったんだと思います。
理由が理由なので、
事務所も本人も省吾も恥ずかしくって言えないんだと、
そう思うことにします。
みんな省吾が大好きだから、盛り上がってるけど、
誰かに原因があるとしても、
その責任を取る方法がない以上、
どうしようもないし、
きっと次のステージで、
省吾の生き様を見せてくれるはずだから。
29日、30日の二日間も含めて、
まさに伝説のライブツアーになったと思います。
だから、
I'll show you my way.
頑張って生きていきます!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
おまけ
2ちゃんねるに行ったら、
お花畑爺って言われるんだろうな~
ライブもない日にツアーTシャツ着てるし(笑)
ペンダントも毎日してるし(汗)
でも、2ちゃんねるに聞いてみたいことがあります。
それは、
あの背番号8番を探してくれ!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
長い日記にお付き合い頂き、ありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。
広島旅行
9月18日~19日
長崎の資料館は高校の修学旅行で行きましたが、
広島は初めてでした。
初めて知る歴史、実際の写真、遺品を見て、
思いが溢れました。
そして、この国では何故、
中学の修学旅行でここ広島に来ないのか、
本当に疑問に思いました。
それがこの国の政策だとしたら、と考えると、
怒りさえ覚える気持ちになりました。
資料館で今年の平和宣言の英文をもらい、
スタンプを押してきました。
今、じっくり読んでいます。
資料館を出て、慰霊碑に手を合わせました。
あの言葉に背くことは許されないと改めて、
心に深く刻みました。
佐々木貞子さんがモデルになった原爆の子の像と
全国の学校から送られてきた千羽鶴に、
平和への願いを感じ、
次の世代なら核の脅威を無くすことが出来ると思いました。
学徒慰霊碑に手を合わせ、そして原爆ドームに。
言葉にならない思いが。
きっとここを訪れた人は、皆、
こういう気持ちになるのでしょう。
今まで来なかったことを後悔したのは、
ここが初めてだったかもしれません。
また行きたいと思います。
今度は時間をかけて巡ります。
その後、
"ON THE ROAD 2011 The Last Weekend"
参加してきました。
原爆資料館を見てきたからですが、
ここで生まれ育った少年だから、
こういう作品が作れるんだと、
そんな風に感じながら、改めて聴き入っていました。
広島に行く直前に、
赤ちゃんの頃から可愛がってくれたおばさんのお見舞いに行きました。
ご病気であるのは知っていたのですが、
あまり人に会いたくないとお聞きし、遠慮していましたが、
余命わずかとお聞きして、今までのお礼を言おうと思って・・・
また、会いに来ますと約束したのですが、
広島から帰ってきて、お土産を持っていったところ、
入院中で会えず、そのまま亡くなられてしまいました。
いつも気にかけてくださってくれたのに、
何の恩返しも出来ませんでした。
僕も誰かの為になりたいと思います。
今は目の前の生徒のために。
長崎の資料館は高校の修学旅行で行きましたが、
広島は初めてでした。
初めて知る歴史、実際の写真、遺品を見て、
思いが溢れました。
そして、この国では何故、
中学の修学旅行でここ広島に来ないのか、
本当に疑問に思いました。
それがこの国の政策だとしたら、と考えると、
怒りさえ覚える気持ちになりました。
資料館で今年の平和宣言の英文をもらい、
スタンプを押してきました。
今、じっくり読んでいます。
資料館を出て、慰霊碑に手を合わせました。
あの言葉に背くことは許されないと改めて、
心に深く刻みました。
佐々木貞子さんがモデルになった原爆の子の像と
全国の学校から送られてきた千羽鶴に、
平和への願いを感じ、
次の世代なら核の脅威を無くすことが出来ると思いました。
学徒慰霊碑に手を合わせ、そして原爆ドームに。
言葉にならない思いが。
きっとここを訪れた人は、皆、
こういう気持ちになるのでしょう。
今まで来なかったことを後悔したのは、
ここが初めてだったかもしれません。
また行きたいと思います。
今度は時間をかけて巡ります。
その後、
"ON THE ROAD 2011 The Last Weekend"
参加してきました。
原爆資料館を見てきたからですが、
ここで生まれ育った少年だから、
こういう作品が作れるんだと、
そんな風に感じながら、改めて聴き入っていました。
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また、会いに来ますと約束したのですが、
広島から帰ってきて、お土産を持っていったところ、
入院中で会えず、そのまま亡くなられてしまいました。
いつも気にかけてくださってくれたのに、
何の恩返しも出来ませんでした。
僕も誰かの為になりたいと思います。
今は目の前の生徒のために。