SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend"
「3号車の2号車寄りに乗ります。」
東京駅のホームで東北新幹線を待っている時に、
大宮から合流するJO様にメールを送りました。
8時12分東京駅発の“はやぶさ”を見送って、
乗車のための列に並んでいました。
ほどなく乗車して、隣の席に荷物を置いて、
「無事に座れました。一番後ろです。」
と、再びメール送信しました。
土曜日の朝ということで、
東京駅で自由席はほぼ満席、
「隣、空いてますか?」
と東京駅でも、上野駅でも、
何故か何人もの可愛い女性が僕のところに、
~それは、その席が空いていたからだと、
~後で人に言われて分かったのですが(笑)
~あんなに声を掛けられたのは始めてで、
~理由はどうあれ、嬉しかったのでした(笑)
「大宮から乗ってくるんです。」
と、断腸の思いでした(涙)
新幹線が大宮駅のホームに入り、
停車する直前、ホームに並ぶJO様の姿が。
ちょっと後ろ過ぎないかな?と思いましたが、
でも、同じ新幹線に乗れたとホッとしてました。
「隣空いてますか?」
大宮駅から乗ってきた人からも聞かれ、
「いるんです。」
と(汗)
ところが、なかなか現れないJO様。
と、メールが
「いない!どこ?」
と、迎えに行きたいけれども、
立っている人を横目に席を離れるのは、
ちょっと出来ない雰囲気。
あの位置だと、乗ったのは1号車かな?と思い、
2号車を歩いている頃だと思い、
「3号車だよ。もうひとつ前。」
と返信すると、
しばらくして、涙目のJO様が横に立っていました。
どうやら、僕が一番後ろとメールを送ったので、
一番後ろの1号車に乗ったと思ったらしく、
1号車からずっと探していたとのこと・・・。
僕の
SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2011
"The Last Weekend"
宮城公演はこうして始まりました。
初日昼食
仙台駅に着いて、JO様のコロコロを引きずり、
ホテルまで荷物を置きに行き、
その後、自分の泊まるホテルの場所を確認し、
先に到着してたMRさんと合流。
念願の牛タンを食べに、
牛たん炭焼 利久 東口本店に
http://r.gnavi.co.jp/t121603/外部リンク
一度行ったことのあるMRさんの案内で、
お店に向かいましたが、さすがMRさん、
お店の場所が分からず、住所を頼りに探し、
ようやく見つけました。
老眼の僕も住所の榴岡(木へんに留)を
福岡と見間違えていました。(汗)
楽しみにしていた牛タンは美味しかったです。
普通の牛タン定食に小さなタンシチューを頼み、
お腹がいっぱいになりました。
これなら、ライブ終了まで大丈夫なくらいでした。
お店を出て、JO様とMRさんチェックインのためホテルに、
僕は福岡のNちゃんをお迎えするため仙台駅に戻りました。
Nちゃんから、空港アクセス線に乗ったとメールをもらい、
しばらく改札口で待っていると、
大きなコロコロを引きずるNちゃんが現れ、
とりあえず、大きなコロコロを引きずり、
ホテルまで行き、荷物を預け、
昼食をとってないNちゃんと
この日二度目のランチへ(笑)
さすがにお腹がいっぱいだったので、
その旨を伝え、デザートも食べられるイタリアンに。
そこでいちごパフェのようなものを頂きました。
無事に二度目のランチを済ませ、ホテルにチェックインし、
会場に向かうために駅に戻りました。
駅でMRさん、JO様、O阪組のNMさん、RNちゃん、SEKさん、
C国K知からのTKちゃんと合流し、
会場近くの岩切駅に向かいました。
JRで岩切まで10分、
そこからはタクシーで10分、1500円ほどで着きました。
会場に着いてびっくりしたのは、人の多さです。
グッズ売り場もたくさんの人が並んでいて、
Nちゃんのお友達のM様が先に並んでいらっしゃったので、
新しいグッズのマグカップとTシャツをお願いしました。
ファンクラブブースでは例のステッカーをゲットし、
JS FOUNDATIONに心ばかりの寄付をし、
グッズ売り場前を通り過ぎる音楽Pの星さんを見かけ、
ロースカの高橋社長の前頭部を凝視し、
Nちゃんのお友達何人かにご挨拶をして、
会場に入りました。
昨年の4月に静岡から始まったツアーも、
この2日間の宮城公演でラスト、
僕も、静岡、横浜、代々木、広島、さいたま、さいたま、
そして宮城と、7回目の座席の抽選をしました。
結果はアリーナ30列目10番、
メインステージが右手に見える、
センターステージの横でした。
それほど遠くはなかったのですが、
見やすいというところでもなかったです。
ライブが始まる前、
一年前、この場所がどんな場所であったのか、
頭をよぎりました。
震災に遭われた方にとって、つらかった場所に
自分がいるということを感じていました。
ツアー最終公演1日目
OPENING SE~J.BOY REMIX
ON THE ROAD
この夜に乾杯
HELLO ROCK & ROLL CITY
恋は魔法さ
勝利への道
悲しみは雪のように
風を感じて
My Old 50's Guitar
MONEY
君の名を呼ぶ
星の指輪
PAIN
BLOOD LINE(インスト)
我が心のマリア(インスト)
A New Style War
裸の王達
詩人の鐘
Theme of Father's Son
RISING SUN
J BOY
僕と彼女と週末に
愛の世代の前に
~センターステージ~
光と影の季節
終りなき疾走
君がいるところがMY SWEET HOME
I am a Father
ラストショー
家路
~メインステージ~
日はまた昇る
君が人生の時…
省吾の優しさに満ちた最高のライブでした。
特に最近、生き方について考えることが多く、
自分の力ではどうにもならないこともあるのですが、
それでも、自分はどうしたらいいのかと考えています。
‘RISING SUN’の背景に流れる映像を見て、
これほど便利な時代ではなかった幼少期、
家族が肩を寄せ合って暮らしていた時代が、
幸せだったんじゃないかと、そんな風にも思うのです。
今も決して自分の生活は豊かではありませんが、
それなりに便利さの恩恵を受けている生活を送っています。
けれども、便利さが幸せには繋がってないんじゃないかと、
そう思うのです。
‘J.BOY’を歌う前に、省吾が話す言葉一つ一つが心に沁みました。
そして、‘僕と彼女と週末に’に福島のことを、子供たちのことを、
重ねて考えた時、自分の無力さを知り、どうしたらいいのか、
何をすべきなのか、何も分からなくなるのです。
人は流れに委ねて生きるしかないのかも知れませんが、
意思は持っていたいと、そう思うのです。
省吾の音楽に出会わなければ、
これほどまでに考えることは、
きっとなかったと思います。
‘家路’のイントロのピアノが流れ、
省吾が、本当に丁寧に、一言一言、
言葉を噛み砕くように歌っているのを
聴いたときにはこみ上げてきました。
昨年のさいたまの最終日、
この曲を悲しそうに歌う省吾を思い出し、
今日までどんな想いでいたのか、
そして改めて自分の生き方を見つめ、
しっかり生きていかなきゃと強く思いました。
新しいピアニスト、河内肇さん、
頑張って弾いていたと思います。
あれだけのミュージシャンに囲まれ、
喜びと重圧を感じての初日、
本当に良かったと思います。
特に1曲目がピアノで始まる曲、
きっと相当なプレッシャーだったと思います。
僕も緊張したくらいですから・・・(笑)
ライブが終了したのは開始から約4時間後!
帰りは会場から仙台駅までシャトルバスでした。
この会場は8000人とそれほど多いわけではありませんが、
駐車場とバス乗り場が同じ方向だったので、
人波に押され、歩いてバス乗り場まで歩きました。
幸い直ぐにバスに乗ることが出来、
仙台まで順調に行くことが出来ました。
仙台駅について、夕食のお店をどこにしようかと、
Nちゃんと相談しながら歩き、
ホテルの近くの、次の日の夕食を予約してあるお店が入ってるビルの
違うフロアーのお店に入ることにしました。
しばらくして、MRさんも到着して、3人でのんびりの夕食でした。
このお店、なんと言っても早い!
ピンポンを押して、オーダーをすると、
ドリンクが5秒くらいで運ばれてきたんです(笑)
この早さには全員驚かされました。
3人でライブのこと、色んなことを話していたら、
あっという間に日付を超えていました。
それから、少しして解散し、それぞれの宿、
それぞれの部屋に戻りました。
この日の夜は、いつもの格闘(以前の日記を参照して下さい)もなく、
泥のように眠りました。
何故なら、なぜかテレビが付かない状態になっていたから・・・
次の日、空腹で早く目覚めてしまい、
(テレビも付かないので、暇でした)
9時に朝食と約束していたので、
8時ごろ、Nちゃんに、
「お腹が空いたので、もう少し早く食べたい」とメールを送り、
「用意できたら、メールします」と返事を頂き、
部屋でゴロゴロしていました。
が、結局、食べ始めたのは9時でした(笑)
泊まったホテルの朝食は普通のバイキング形式でしたが、
笹かまなど、地元の料理も少し並んでいたので、
ゆっくり1時間くらいかけて、お腹がいっぱいになるまで食べました!
それから、部屋に戻って、またゴロゴロしていると、
11時頃に、MRさんから、KYNKYN、UMNさん、と一緒にランチしましょうと、
連絡を頂き、KYNKYNからもホテルに着いたと連絡を頂き、
Nちゃんにランチのお誘いの件を連絡し、
ロビーに下りて、合流しました。
2日目は早くライブが始まるので、
朝食をいっぱい食べておけば、
あとで軽いランチで大丈夫だと思っていたのでしたが、
まさかの二日連続の利久となりました(笑)
前日に行ったお店の手前の
牛たん炭焼 利久 東口分店に
http://r.gnavi.co.jp/t121607/
行くことになりました。
これが大変なことに・・・
お腹いっぱいの状態で臨んだランチ。
この日はシチュー定食にしました。
これなら、いけるかなと・・・。
ところが誤算が!
MRさんが、
「takaさん、ご飯半分あげる!」
Nちゃんも、
「私もご飯あげる!お肉もあげる!」
う~ん(汗)、せっかくおっしゃって頂いているんだし、
ご飯は残してはいけないと、
そういう食事習慣を守ってきた僕に、
神様が試練をお与えになってるんだと、
有り難く頂くと、お茶碗に盛られたご飯が、
高校生の食べる量くらいに山盛りに(笑)
食べる前から、お腹はいっぱいなのに・・・(汗)
お腹がはちきれそうな状態(まさにチームD状態)でお店を出ると、
N大のOtくん(ディズニーシー仲間)がいましたが、
挨拶もそこそこに、駅に。
KYNKYN、UMNさんは、駅からシャトルバスで、
僕たち3人は昨日と同じコースで会場に向かいました。
会場に着いて、
この日は神奈川からいらっしゃるDYMNDさん、HRPRさんに
この日のライブのチケットを渡さなければならず、
本当は仙台駅でお渡しする予定だったのですが、
予定通りに渡せず、会場で渡すことになったので、
お二人が到着するまで、周辺をうろうろしていました。
トイレの列ではチームDのAPNさん、
そしてファンクラブブースの前ではHMちゃん、
小松空港から戦闘機で来たMRNさんにお会いし、
ファンクラブブースの横ではNGYのBさんが、
路上ライブをしているのを見たりしていると、
MRさんから、NKさんを紹介すると連絡を頂き、
長身のすらっとしたNKさんにご挨拶をし、
その後も、さいとうさんを紹介すると連絡を頂きました。
さいとうさん、イメージ通りの素敵なさいとうさんでした。
長袖だったので、浜田まくりはしてませんでしたが(笑)、
長袖の袖もまくってました。
こうして、実際に多くの方々とお会い出来るなんて、
本当に時代が変わったとつくづく思います。
以前も、ここやあそこのSNSなどで知り合った友人と、
「ほんの数年前までは、一人でライブに行って、一人で帰ってくるだけ。
そんなライブの参加でしたよね。」
なんて話していました。でも、今は違いますね。
そんな方々とのご縁を大切にしたいと思う反面、
やはり人と人、人間関係がありますから、
煩わしいこともあったりしますね。
幸い僕は恵まれていますので、
皆さんの愛情を身体で感じて、
北にコロコロを引きずる友人がいれば、代わりに引きずり、
南にコロコロを引きずる友人がいれば、代わりに引きずり、
そういう人になりたいとそんな風にも思っています。
まあ、そうこうしていると、会場時間になり、
Nちゃんたちは先に入場してもらい、
仙台で迷子になっている(笑)DYMNDさん、HRPRさんに、
メールを送り、電話し、そしてようやくバスが到着し、
チケットを渡すことが出来ました。
が、この時、少し風が冷たく感じられ、
異変の兆候が・・・
何とかなる、そう思いながら、8回目の抽選、
この日は、東スタンドWブロック2列8番でした。
メインステージが左手の、1日目とは反対のサイドで、
センターステージはほぼ正面の見やすい席でした。
しかし、何とかなると思っていた身体が・・・
ツアーの最終公演2日目
OPENING SE~J.BOY REMIX
ON THE ROAD
この夜に乾杯!
HELLO ROCK & ROLL CITY
独立記念日
反抗期
悲しみは雪のように
Thank you
MONEY
風を感じて
片想い
もうひとつの土曜日
PAIN
BLOOD LINE(インスト)
我が心のマリア(インスト)
マイホームタウン
裸の王達
詩人の鐘
Theme of Father's Son
RISING SUN
J.BOY
僕と彼女と週末に
愛の世代の前に
~センターステージ~
光と影の季節
モノクロームの虹
君がいるところがMY SWEET HOME
I am a Father
路地裏の少年
家路
~メインステージ~
日はまた昇る
君が人生の時
そんな状態で臨んだライブ・・・(涙)
普段から、粗食の少食なのに・・・
入場して、すぐにトイレに並ぶと、
もちろん長蛇の列、
友人のMKさんは、
「takaさん、私漏らしてもいい!」
と叫びながら、列を離れ(笑)
笑いながらも、僕は列に並び、
係員が間もなく開演ですと叫ぶ中、
列は進み、とりあえず済ませ、
席に戻ると、ちょうど、始まるところでした。
2日目はMアーヤさん、JO様、Nちゃん、僕の並びでした。
この日ほど、長く感じたライブはありませんでした(笑)
いつもなら、うたた寝をするバラードもしっかり聴き、
待望のインストの時間に!
いつもは座って聴いていますが、
もちろんトイレに、でも、すでに長蛇の列(涙)
残念な気持ちで、席に戻りました。
なんとか、タイムマシーンまで頑張れ!
そんな気持ちで迎えた前半のクライマックス、
‘詩人の鐘’で僕もクライマックス(笑)
トイレで、「ナインティーン、ナインティナイーン」
を聴いていました。
省吾がコートを振り回してる頃トイレを出て、
しばらく通路でお絵かきをしている子供を眺め、
‘Theme of Father's Son’が始まって会場に入り、
終わるまで通路で聴き、終わってから席に。
Mアーヤさん、JO様、Nちゃんに迷惑を掛けまいと
思う限りの最善の努力をしたのでしたが、
気持ちが緩んだせいか、
‘日はまた昇る’を思ったより大きく口ずさんでいたようで、
お叱りを受け、また、
「ライブ中にトイレに行けるなんて、
簡単にチケットを手に出来ると思ってるからだよ!」
「やっとの思いで手にした人は、漏らしてでも見るよ!」
と言われ・・・(笑)
でも、もしもあそこで、そんなことになったら、
これだけ、ネットが発達した時代だから、
日本中にばれていたはずです(汗)
しかも、すぐ後ろは日本の中部地方のコアな方々でしたし・・・
食べ過ぎないように本当に注意します!
この日のライブは、12曲のミニライブみたいでしたから・・・(汗)
この日の‘家路’も優しい省吾でした。
きっと省吾が河内くんにあげたであろうサングラス、
ピアノの上に置かれたそのサングラスを、
‘人はそれを夢と名付け’
と昨日のように丁寧に歌いながら、
少しだけそっと持ち上げる省吾、
その仕草に、やられました。
河内くんのピアノも1日目より、
断然良くなっていたと感じました。
硬さが少し抜けて、でも新鮮な気持ちの
そんなピアノの音色に思いました。
さいたまでは、もっといい音になっていることでしょう。
ライブが終わり、またバス乗り場に急ぎ、
仙台駅へ。
この日の夕食は、MRのMRさんが予約してくれたお店、
前日に行ったお店と同じビルにあるお店、
22時の予約でしたが、道路も混んでなかったので、
予約の時間前に着くことが出来て、
先に集まったNちゃん、KYNKYN、UMNさんは
お店に入ってもらい、
後から来たDYMNDさん、HRPRさんと
MRのMRさんを待っていました。
昨日来たから大丈夫かなと思っていましたが、
ちょっとだけ迷っちゃったみたいでした。
コース料理の予約ではなかったので、
各自食べたいものを注文して、
みんなで取り分けましたが、
僕はあまり食べないようにしました・・・(笑)
DYMNDさん、HRPRさんは始めての顔合わせでしたが、
楽しんで頂けたようで、良かったです。
気付けば、料理のラストオーダー、
ドリンクのラストオーダー、
そして会計でした。
会計の時、このお店のシステムで、
2個のサイコロを振って、合計の目の数×100円の割引があり、
皆さんから、ここは男の人が、と言われ、
びくびくしながら、サイコロを振りました。
1+1=2にならないように願って・・・
出た目は、2と4、ホッとしました(笑)
会計を済ませ、それぞれのホテルに帰りました。
部屋に入り、テレビのスイッチを入れると、
見ることが出来ましたが、
この日もあの格闘はなく、眠りにつくことになりました・・・(汗)
次の日、金環日食(仙台はリングにはなりませんでしたが)を
見るために、7時に朝食。6時30分に起床でした。
僕の泊まった部屋は、西向きだったので、
見えないはずでしたが、
なんと、向かいのビルのマジックミラーの窓ガラスに、
太陽が反射して光っているではありませんか!
思わずカーテンを前回で窓ガラスをそのまま見たら、
太陽を直視したみたいに、残像が見え、
日食観測用のフィルムを通しても、
太陽が3つくらい見えるという失敗をしてしまい、
一人で笑い転げてました・・・(笑)
朝食を食べに下りて、Nちゃん、KYNKYNと
軽めの朝食を食べました。
7時30分過ぎに、2階のコンコースみたいなところに出ると、
何人か観測していました。
僕の持っていった観測用のカード型メガネでは、
太陽がオレンジ色に見えて、
KYNKYNのそれでは、緑色っぽく見えて、
こういうものでも違いがあるんだと思いました。
金環日食観測を終えて、エレベーターホールに行くと、
AYKさんにばったり、メガネがないということだったので、
僕のを渡したら、見に行ったようでした。
ライブ会場でお会いしなくても、
いろんなところに友人がいて、
不思議な感じでした。
朝食も無事に済ませ、
日食観測も無事に終わり、
荷物をまとめてチェックアウトし、
仙台駅に向かいました。
仙台駅周辺やアリーナ周辺しか見ていないので、
昨年あんなことが起きたとは思えませんでした。
確かに、被害の大きかった地域に比べ、
内陸であったからなのでしょうが・・・
沿岸部はどうなっているのか、
この旅では、時間的に石巻までは行けそうになく、
せめてもう少し海に近いところに行ってみたいと、
そんな気持ちもあって、
塩竈→松島のフェリーに乗ることにしました。
本塩釜の駅に着くまで、外を眺めていました。
ほんの数件の家の一階の窓がブルーシートで覆われていたり、
庭先に畳が何枚も重ねて積んであったり、
そんな光景を見ました。
駅に着いて、フェリー乗り場まで歩く途中、
仮設のプレハブの店舗があり、
まだまだ、厳しい状態のところもあるんだと、
そして、フェリー乗り場の建物の窓ガラスに、
ここまで津波が来ましたと書かれた張り紙を見て、
想像しましたが、きっとあの日はこんなに穏やかな、
暖かい日ではなかったし、もちろん大きな地震の後で、
混乱していたに違いない人たちのことを、
簡単な言葉では表せないと思いました。
フェリーの着く松島は、
その島々が犠牲となって、
松島自体の被害が少なかったと、
そんなニュースを見ていましたが、
それでも観光地として、大きな打撃を受けたことは、
人々の暮らしを大きく変えたことでしょう。
フェリーでは、鳥恐怖症のJO様以外、
KYNKYN、MRさん、Mアーヤさん、Nちゃん、
デッキに出たり、カモメの写真を撮ったり、
松島湾の風景を楽しんだりして、
過ごしていました。
僕も少し、デッキに出てみましたが、
暖かく晴れた日で、景色もよく、
気持ち良かったです。
沖に出て、乗船した人たちが、
カモメに餌をやらなくなったので、
カモメも少なくなり、
怖がるJO様を、デッキで煙草が吸えるよと言って、
連れ出しましたが、少しでもカモメが近づくと、
怖そうにしていました。
どうしてそうなったのか、その訳を聞くと、
昔、カラスに連れ去られそうになったと・・・(汗)
にわかには信じられない話をしてくれました。
そうこうしていると、松島に到着し、
会報に載っていた省吾の乗った松島湾周航のフェリーに乗る
ファンの方々とすれ違い、僕たちは瑞巌寺に向かいました。
瑞巌寺
http://www.zuiganji.or.jp/
この参道で撮ってもらった写真です。

見学を終え、昼食は同じ敷地内の円通院にある
http://www.sensinan.co.jp/index.html
ここで頂きました。
穴子丼を頼むと、お椀から穴子がはみ出ていて、
すごいねとみんなが言っていたら、
MRさんが、
「それは伊達政宗の兜の形にしているんだよ」
と教えてくれ、一同、納得させられ、
みんなもう一度お椀を被せて、写真を撮っていました(笑)
Mアーヤさんが飛行機の時間の関係で先に帰るので、
JO様が駅まで送り、残った4人は近くの笹かまや、
ずんだシェイクのあるお店に入り、
みんなシェイクを飲んでいました。
僕は以前仙台に来たとき、ずんだ餅を食べて、
ちょっと・・・だったので、やめておきましたが、
少し頂いて飲んだら、すっきりしていて、
美味しかったです。
JO様が戻ってきて、もう少し時間があったので、
参道近くのお土産屋に入ったり、
五大堂に行ったりしました。
http://www.matsushima-kanko.com/miru/detail.php?id=141
五大堂に渡る透かし橋、
僕とJO様はサンダルだったので、
落とさないように慎重に渡りました。
落としたら相当ブルーな気持ちになることでしょう(笑)
短い時間の観光を終えて、
松島海岸駅に向かい、仙台駅に戻りました。
仙台駅で、各自おみやげを買い、
僕はMRさんが勧めてくれたかまぼこを母親に買って、
(これがとても美味しかったらしく喜んでいました)
生徒たちには、いつもあげている「うまい棒」の
牛タン味、政宗のキャラクタークッキーと、
新幹線のホームで「じゃがりこ・ずんだ味」と、
かさ張る物ばかり買って帰りました。
空港アクセス線に乗るNちゃんを見送り、
MRさんとしばしのお別れをし、
改札近くでNYTさんにも偶然お会いしてほんの少しお話をし、
それから、KYNKYNとJO様と一緒に新幹線のホームに向かいました。
乗る予定の新幹線の20分後が、
仙台発だったので、そちらに乗ることにして、
再び行きの新幹線の話になり、
結局、帰りも3号車の2号車寄りの一番後ろの、
二人がけの1Eに僕は座らされました。
これで、終わりですが、
あと10日でさいたま・・・
嬉しいような、悲しいような、
そんな10日間になりそうです(笑)
その後のことは考えないようにします!
長い長い旅行記にお付き合い頂き、
ありがとうございます。
では、また、さいたまで・・・
東京駅のホームで東北新幹線を待っている時に、
大宮から合流するJO様にメールを送りました。
8時12分東京駅発の“はやぶさ”を見送って、
乗車のための列に並んでいました。
ほどなく乗車して、隣の席に荷物を置いて、
「無事に座れました。一番後ろです。」
と、再びメール送信しました。
土曜日の朝ということで、
東京駅で自由席はほぼ満席、
「隣、空いてますか?」
と東京駅でも、上野駅でも、
何故か何人もの可愛い女性が僕のところに、
~それは、その席が空いていたからだと、
~後で人に言われて分かったのですが(笑)
~あんなに声を掛けられたのは始めてで、
~理由はどうあれ、嬉しかったのでした(笑)
「大宮から乗ってくるんです。」
と、断腸の思いでした(涙)
新幹線が大宮駅のホームに入り、
停車する直前、ホームに並ぶJO様の姿が。
ちょっと後ろ過ぎないかな?と思いましたが、
でも、同じ新幹線に乗れたとホッとしてました。
「隣空いてますか?」
大宮駅から乗ってきた人からも聞かれ、
「いるんです。」
と(汗)
ところが、なかなか現れないJO様。
と、メールが
「いない!どこ?」
と、迎えに行きたいけれども、
立っている人を横目に席を離れるのは、
ちょっと出来ない雰囲気。
あの位置だと、乗ったのは1号車かな?と思い、
2号車を歩いている頃だと思い、
「3号車だよ。もうひとつ前。」
と返信すると、
しばらくして、涙目のJO様が横に立っていました。
どうやら、僕が一番後ろとメールを送ったので、
一番後ろの1号車に乗ったと思ったらしく、
1号車からずっと探していたとのこと・・・。
僕の
SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2011
"The Last Weekend"
宮城公演はこうして始まりました。
初日昼食
仙台駅に着いて、JO様のコロコロを引きずり、
ホテルまで荷物を置きに行き、
その後、自分の泊まるホテルの場所を確認し、
先に到着してたMRさんと合流。
念願の牛タンを食べに、
牛たん炭焼 利久 東口本店に
http://r.gnavi.co.jp/t121603/外部リンク
一度行ったことのあるMRさんの案内で、
お店に向かいましたが、さすがMRさん、
お店の場所が分からず、住所を頼りに探し、
ようやく見つけました。
老眼の僕も住所の榴岡(木へんに留)を
福岡と見間違えていました。(汗)
楽しみにしていた牛タンは美味しかったです。
普通の牛タン定食に小さなタンシチューを頼み、
お腹がいっぱいになりました。
これなら、ライブ終了まで大丈夫なくらいでした。
お店を出て、JO様とMRさんチェックインのためホテルに、
僕は福岡のNちゃんをお迎えするため仙台駅に戻りました。
Nちゃんから、空港アクセス線に乗ったとメールをもらい、
しばらく改札口で待っていると、
大きなコロコロを引きずるNちゃんが現れ、
とりあえず、大きなコロコロを引きずり、
ホテルまで行き、荷物を預け、
昼食をとってないNちゃんと
この日二度目のランチへ(笑)
さすがにお腹がいっぱいだったので、
その旨を伝え、デザートも食べられるイタリアンに。
そこでいちごパフェのようなものを頂きました。
無事に二度目のランチを済ませ、ホテルにチェックインし、
会場に向かうために駅に戻りました。
駅でMRさん、JO様、O阪組のNMさん、RNちゃん、SEKさん、
C国K知からのTKちゃんと合流し、
会場近くの岩切駅に向かいました。
JRで岩切まで10分、
そこからはタクシーで10分、1500円ほどで着きました。
会場に着いてびっくりしたのは、人の多さです。
グッズ売り場もたくさんの人が並んでいて、
Nちゃんのお友達のM様が先に並んでいらっしゃったので、
新しいグッズのマグカップとTシャツをお願いしました。
ファンクラブブースでは例のステッカーをゲットし、
JS FOUNDATIONに心ばかりの寄付をし、
グッズ売り場前を通り過ぎる音楽Pの星さんを見かけ、
ロースカの高橋社長の前頭部を凝視し、
Nちゃんのお友達何人かにご挨拶をして、
会場に入りました。
昨年の4月に静岡から始まったツアーも、
この2日間の宮城公演でラスト、
僕も、静岡、横浜、代々木、広島、さいたま、さいたま、
そして宮城と、7回目の座席の抽選をしました。
結果はアリーナ30列目10番、
メインステージが右手に見える、
センターステージの横でした。
それほど遠くはなかったのですが、
見やすいというところでもなかったです。
ライブが始まる前、
一年前、この場所がどんな場所であったのか、
頭をよぎりました。
震災に遭われた方にとって、つらかった場所に
自分がいるということを感じていました。
ツアー最終公演1日目
OPENING SE~J.BOY REMIX
ON THE ROAD
この夜に乾杯
HELLO ROCK & ROLL CITY
恋は魔法さ
勝利への道
悲しみは雪のように
風を感じて
My Old 50's Guitar
MONEY
君の名を呼ぶ
星の指輪
PAIN
BLOOD LINE(インスト)
我が心のマリア(インスト)
A New Style War
裸の王達
詩人の鐘
Theme of Father's Son
RISING SUN
J BOY
僕と彼女と週末に
愛の世代の前に
~センターステージ~
光と影の季節
終りなき疾走
君がいるところがMY SWEET HOME
I am a Father
ラストショー
家路
~メインステージ~
日はまた昇る
君が人生の時…
省吾の優しさに満ちた最高のライブでした。
特に最近、生き方について考えることが多く、
自分の力ではどうにもならないこともあるのですが、
それでも、自分はどうしたらいいのかと考えています。
‘RISING SUN’の背景に流れる映像を見て、
これほど便利な時代ではなかった幼少期、
家族が肩を寄せ合って暮らしていた時代が、
幸せだったんじゃないかと、そんな風にも思うのです。
今も決して自分の生活は豊かではありませんが、
それなりに便利さの恩恵を受けている生活を送っています。
けれども、便利さが幸せには繋がってないんじゃないかと、
そう思うのです。
‘J.BOY’を歌う前に、省吾が話す言葉一つ一つが心に沁みました。
そして、‘僕と彼女と週末に’に福島のことを、子供たちのことを、
重ねて考えた時、自分の無力さを知り、どうしたらいいのか、
何をすべきなのか、何も分からなくなるのです。
人は流れに委ねて生きるしかないのかも知れませんが、
意思は持っていたいと、そう思うのです。
省吾の音楽に出会わなければ、
これほどまでに考えることは、
きっとなかったと思います。
‘家路’のイントロのピアノが流れ、
省吾が、本当に丁寧に、一言一言、
言葉を噛み砕くように歌っているのを
聴いたときにはこみ上げてきました。
昨年のさいたまの最終日、
この曲を悲しそうに歌う省吾を思い出し、
今日までどんな想いでいたのか、
そして改めて自分の生き方を見つめ、
しっかり生きていかなきゃと強く思いました。
新しいピアニスト、河内肇さん、
頑張って弾いていたと思います。
あれだけのミュージシャンに囲まれ、
喜びと重圧を感じての初日、
本当に良かったと思います。
特に1曲目がピアノで始まる曲、
きっと相当なプレッシャーだったと思います。
僕も緊張したくらいですから・・・(笑)
ライブが終了したのは開始から約4時間後!
帰りは会場から仙台駅までシャトルバスでした。
この会場は8000人とそれほど多いわけではありませんが、
駐車場とバス乗り場が同じ方向だったので、
人波に押され、歩いてバス乗り場まで歩きました。
幸い直ぐにバスに乗ることが出来、
仙台まで順調に行くことが出来ました。
仙台駅について、夕食のお店をどこにしようかと、
Nちゃんと相談しながら歩き、
ホテルの近くの、次の日の夕食を予約してあるお店が入ってるビルの
違うフロアーのお店に入ることにしました。
しばらくして、MRさんも到着して、3人でのんびりの夕食でした。
このお店、なんと言っても早い!
ピンポンを押して、オーダーをすると、
ドリンクが5秒くらいで運ばれてきたんです(笑)
この早さには全員驚かされました。
3人でライブのこと、色んなことを話していたら、
あっという間に日付を超えていました。
それから、少しして解散し、それぞれの宿、
それぞれの部屋に戻りました。
この日の夜は、いつもの格闘(以前の日記を参照して下さい)もなく、
泥のように眠りました。
何故なら、なぜかテレビが付かない状態になっていたから・・・
次の日、空腹で早く目覚めてしまい、
(テレビも付かないので、暇でした)
9時に朝食と約束していたので、
8時ごろ、Nちゃんに、
「お腹が空いたので、もう少し早く食べたい」とメールを送り、
「用意できたら、メールします」と返事を頂き、
部屋でゴロゴロしていました。
が、結局、食べ始めたのは9時でした(笑)
泊まったホテルの朝食は普通のバイキング形式でしたが、
笹かまなど、地元の料理も少し並んでいたので、
ゆっくり1時間くらいかけて、お腹がいっぱいになるまで食べました!
それから、部屋に戻って、またゴロゴロしていると、
11時頃に、MRさんから、KYNKYN、UMNさん、と一緒にランチしましょうと、
連絡を頂き、KYNKYNからもホテルに着いたと連絡を頂き、
Nちゃんにランチのお誘いの件を連絡し、
ロビーに下りて、合流しました。
2日目は早くライブが始まるので、
朝食をいっぱい食べておけば、
あとで軽いランチで大丈夫だと思っていたのでしたが、
まさかの二日連続の利久となりました(笑)
前日に行ったお店の手前の
牛たん炭焼 利久 東口分店に
http://r.gnavi.co.jp/t121607/
行くことになりました。
これが大変なことに・・・
お腹いっぱいの状態で臨んだランチ。
この日はシチュー定食にしました。
これなら、いけるかなと・・・。
ところが誤算が!
MRさんが、
「takaさん、ご飯半分あげる!」
Nちゃんも、
「私もご飯あげる!お肉もあげる!」
う~ん(汗)、せっかくおっしゃって頂いているんだし、
ご飯は残してはいけないと、
そういう食事習慣を守ってきた僕に、
神様が試練をお与えになってるんだと、
有り難く頂くと、お茶碗に盛られたご飯が、
高校生の食べる量くらいに山盛りに(笑)
食べる前から、お腹はいっぱいなのに・・・(汗)
お腹がはちきれそうな状態(まさにチームD状態)でお店を出ると、
N大のOtくん(ディズニーシー仲間)がいましたが、
挨拶もそこそこに、駅に。
KYNKYN、UMNさんは、駅からシャトルバスで、
僕たち3人は昨日と同じコースで会場に向かいました。
会場に着いて、
この日は神奈川からいらっしゃるDYMNDさん、HRPRさんに
この日のライブのチケットを渡さなければならず、
本当は仙台駅でお渡しする予定だったのですが、
予定通りに渡せず、会場で渡すことになったので、
お二人が到着するまで、周辺をうろうろしていました。
トイレの列ではチームDのAPNさん、
そしてファンクラブブースの前ではHMちゃん、
小松空港から戦闘機で来たMRNさんにお会いし、
ファンクラブブースの横ではNGYのBさんが、
路上ライブをしているのを見たりしていると、
MRさんから、NKさんを紹介すると連絡を頂き、
長身のすらっとしたNKさんにご挨拶をし、
その後も、さいとうさんを紹介すると連絡を頂きました。
さいとうさん、イメージ通りの素敵なさいとうさんでした。
長袖だったので、浜田まくりはしてませんでしたが(笑)、
長袖の袖もまくってました。
こうして、実際に多くの方々とお会い出来るなんて、
本当に時代が変わったとつくづく思います。
以前も、ここやあそこのSNSなどで知り合った友人と、
「ほんの数年前までは、一人でライブに行って、一人で帰ってくるだけ。
そんなライブの参加でしたよね。」
なんて話していました。でも、今は違いますね。
そんな方々とのご縁を大切にしたいと思う反面、
やはり人と人、人間関係がありますから、
煩わしいこともあったりしますね。
幸い僕は恵まれていますので、
皆さんの愛情を身体で感じて、
北にコロコロを引きずる友人がいれば、代わりに引きずり、
南にコロコロを引きずる友人がいれば、代わりに引きずり、
そういう人になりたいとそんな風にも思っています。
まあ、そうこうしていると、会場時間になり、
Nちゃんたちは先に入場してもらい、
仙台で迷子になっている(笑)DYMNDさん、HRPRさんに、
メールを送り、電話し、そしてようやくバスが到着し、
チケットを渡すことが出来ました。
が、この時、少し風が冷たく感じられ、
異変の兆候が・・・
何とかなる、そう思いながら、8回目の抽選、
この日は、東スタンドWブロック2列8番でした。
メインステージが左手の、1日目とは反対のサイドで、
センターステージはほぼ正面の見やすい席でした。
しかし、何とかなると思っていた身体が・・・
ツアーの最終公演2日目
OPENING SE~J.BOY REMIX
ON THE ROAD
この夜に乾杯!
HELLO ROCK & ROLL CITY
独立記念日
反抗期
悲しみは雪のように
Thank you
MONEY
風を感じて
片想い
もうひとつの土曜日
PAIN
BLOOD LINE(インスト)
我が心のマリア(インスト)
マイホームタウン
裸の王達
詩人の鐘
Theme of Father's Son
RISING SUN
J.BOY
僕と彼女と週末に
愛の世代の前に
~センターステージ~
光と影の季節
モノクロームの虹
君がいるところがMY SWEET HOME
I am a Father
路地裏の少年
家路
~メインステージ~
日はまた昇る
君が人生の時
そんな状態で臨んだライブ・・・(涙)
普段から、粗食の少食なのに・・・
入場して、すぐにトイレに並ぶと、
もちろん長蛇の列、
友人のMKさんは、
「takaさん、私漏らしてもいい!」
と叫びながら、列を離れ(笑)
笑いながらも、僕は列に並び、
係員が間もなく開演ですと叫ぶ中、
列は進み、とりあえず済ませ、
席に戻ると、ちょうど、始まるところでした。
2日目はMアーヤさん、JO様、Nちゃん、僕の並びでした。
この日ほど、長く感じたライブはありませんでした(笑)
いつもなら、うたた寝をするバラードもしっかり聴き、
待望のインストの時間に!
いつもは座って聴いていますが、
もちろんトイレに、でも、すでに長蛇の列(涙)
残念な気持ちで、席に戻りました。
なんとか、タイムマシーンまで頑張れ!
そんな気持ちで迎えた前半のクライマックス、
‘詩人の鐘’で僕もクライマックス(笑)
トイレで、「ナインティーン、ナインティナイーン」
を聴いていました。
省吾がコートを振り回してる頃トイレを出て、
しばらく通路でお絵かきをしている子供を眺め、
‘Theme of Father's Son’が始まって会場に入り、
終わるまで通路で聴き、終わってから席に。
Mアーヤさん、JO様、Nちゃんに迷惑を掛けまいと
思う限りの最善の努力をしたのでしたが、
気持ちが緩んだせいか、
‘日はまた昇る’を思ったより大きく口ずさんでいたようで、
お叱りを受け、また、
「ライブ中にトイレに行けるなんて、
簡単にチケットを手に出来ると思ってるからだよ!」
「やっとの思いで手にした人は、漏らしてでも見るよ!」
と言われ・・・(笑)
でも、もしもあそこで、そんなことになったら、
これだけ、ネットが発達した時代だから、
日本中にばれていたはずです(汗)
しかも、すぐ後ろは日本の中部地方のコアな方々でしたし・・・
食べ過ぎないように本当に注意します!
この日のライブは、12曲のミニライブみたいでしたから・・・(汗)
この日の‘家路’も優しい省吾でした。
きっと省吾が河内くんにあげたであろうサングラス、
ピアノの上に置かれたそのサングラスを、
‘人はそれを夢と名付け’
と昨日のように丁寧に歌いながら、
少しだけそっと持ち上げる省吾、
その仕草に、やられました。
河内くんのピアノも1日目より、
断然良くなっていたと感じました。
硬さが少し抜けて、でも新鮮な気持ちの
そんなピアノの音色に思いました。
さいたまでは、もっといい音になっていることでしょう。
ライブが終わり、またバス乗り場に急ぎ、
仙台駅へ。
この日の夕食は、MRのMRさんが予約してくれたお店、
前日に行ったお店と同じビルにあるお店、
22時の予約でしたが、道路も混んでなかったので、
予約の時間前に着くことが出来て、
先に集まったNちゃん、KYNKYN、UMNさんは
お店に入ってもらい、
後から来たDYMNDさん、HRPRさんと
MRのMRさんを待っていました。
昨日来たから大丈夫かなと思っていましたが、
ちょっとだけ迷っちゃったみたいでした。
コース料理の予約ではなかったので、
各自食べたいものを注文して、
みんなで取り分けましたが、
僕はあまり食べないようにしました・・・(笑)
DYMNDさん、HRPRさんは始めての顔合わせでしたが、
楽しんで頂けたようで、良かったです。
気付けば、料理のラストオーダー、
ドリンクのラストオーダー、
そして会計でした。
会計の時、このお店のシステムで、
2個のサイコロを振って、合計の目の数×100円の割引があり、
皆さんから、ここは男の人が、と言われ、
びくびくしながら、サイコロを振りました。
1+1=2にならないように願って・・・
出た目は、2と4、ホッとしました(笑)
会計を済ませ、それぞれのホテルに帰りました。
部屋に入り、テレビのスイッチを入れると、
見ることが出来ましたが、
この日もあの格闘はなく、眠りにつくことになりました・・・(汗)
次の日、金環日食(仙台はリングにはなりませんでしたが)を
見るために、7時に朝食。6時30分に起床でした。
僕の泊まった部屋は、西向きだったので、
見えないはずでしたが、
なんと、向かいのビルのマジックミラーの窓ガラスに、
太陽が反射して光っているではありませんか!
思わずカーテンを前回で窓ガラスをそのまま見たら、
太陽を直視したみたいに、残像が見え、
日食観測用のフィルムを通しても、
太陽が3つくらい見えるという失敗をしてしまい、
一人で笑い転げてました・・・(笑)
朝食を食べに下りて、Nちゃん、KYNKYNと
軽めの朝食を食べました。
7時30分過ぎに、2階のコンコースみたいなところに出ると、
何人か観測していました。
僕の持っていった観測用のカード型メガネでは、
太陽がオレンジ色に見えて、
KYNKYNのそれでは、緑色っぽく見えて、
こういうものでも違いがあるんだと思いました。
金環日食観測を終えて、エレベーターホールに行くと、
AYKさんにばったり、メガネがないということだったので、
僕のを渡したら、見に行ったようでした。
ライブ会場でお会いしなくても、
いろんなところに友人がいて、
不思議な感じでした。
朝食も無事に済ませ、
日食観測も無事に終わり、
荷物をまとめてチェックアウトし、
仙台駅に向かいました。
仙台駅周辺やアリーナ周辺しか見ていないので、
昨年あんなことが起きたとは思えませんでした。
確かに、被害の大きかった地域に比べ、
内陸であったからなのでしょうが・・・
沿岸部はどうなっているのか、
この旅では、時間的に石巻までは行けそうになく、
せめてもう少し海に近いところに行ってみたいと、
そんな気持ちもあって、
塩竈→松島のフェリーに乗ることにしました。
本塩釜の駅に着くまで、外を眺めていました。
ほんの数件の家の一階の窓がブルーシートで覆われていたり、
庭先に畳が何枚も重ねて積んであったり、
そんな光景を見ました。
駅に着いて、フェリー乗り場まで歩く途中、
仮設のプレハブの店舗があり、
まだまだ、厳しい状態のところもあるんだと、
そして、フェリー乗り場の建物の窓ガラスに、
ここまで津波が来ましたと書かれた張り紙を見て、
想像しましたが、きっとあの日はこんなに穏やかな、
暖かい日ではなかったし、もちろん大きな地震の後で、
混乱していたに違いない人たちのことを、
簡単な言葉では表せないと思いました。
フェリーの着く松島は、
その島々が犠牲となって、
松島自体の被害が少なかったと、
そんなニュースを見ていましたが、
それでも観光地として、大きな打撃を受けたことは、
人々の暮らしを大きく変えたことでしょう。
フェリーでは、鳥恐怖症のJO様以外、
KYNKYN、MRさん、Mアーヤさん、Nちゃん、
デッキに出たり、カモメの写真を撮ったり、
松島湾の風景を楽しんだりして、
過ごしていました。
僕も少し、デッキに出てみましたが、
暖かく晴れた日で、景色もよく、
気持ち良かったです。
沖に出て、乗船した人たちが、
カモメに餌をやらなくなったので、
カモメも少なくなり、
怖がるJO様を、デッキで煙草が吸えるよと言って、
連れ出しましたが、少しでもカモメが近づくと、
怖そうにしていました。
どうしてそうなったのか、その訳を聞くと、
昔、カラスに連れ去られそうになったと・・・(汗)
にわかには信じられない話をしてくれました。
そうこうしていると、松島に到着し、
会報に載っていた省吾の乗った松島湾周航のフェリーに乗る
ファンの方々とすれ違い、僕たちは瑞巌寺に向かいました。
瑞巌寺
http://www.zuiganji.or.jp/
この参道で撮ってもらった写真です。

見学を終え、昼食は同じ敷地内の円通院にある
http://www.sensinan.co.jp/index.html
ここで頂きました。
穴子丼を頼むと、お椀から穴子がはみ出ていて、
すごいねとみんなが言っていたら、
MRさんが、
「それは伊達政宗の兜の形にしているんだよ」
と教えてくれ、一同、納得させられ、
みんなもう一度お椀を被せて、写真を撮っていました(笑)
Mアーヤさんが飛行機の時間の関係で先に帰るので、
JO様が駅まで送り、残った4人は近くの笹かまや、
ずんだシェイクのあるお店に入り、
みんなシェイクを飲んでいました。
僕は以前仙台に来たとき、ずんだ餅を食べて、
ちょっと・・・だったので、やめておきましたが、
少し頂いて飲んだら、すっきりしていて、
美味しかったです。
JO様が戻ってきて、もう少し時間があったので、
参道近くのお土産屋に入ったり、
五大堂に行ったりしました。
http://www.matsushima-kanko.com/miru/detail.php?id=141
五大堂に渡る透かし橋、
僕とJO様はサンダルだったので、
落とさないように慎重に渡りました。
落としたら相当ブルーな気持ちになることでしょう(笑)
短い時間の観光を終えて、
松島海岸駅に向かい、仙台駅に戻りました。
仙台駅で、各自おみやげを買い、
僕はMRさんが勧めてくれたかまぼこを母親に買って、
(これがとても美味しかったらしく喜んでいました)
生徒たちには、いつもあげている「うまい棒」の
牛タン味、政宗のキャラクタークッキーと、
新幹線のホームで「じゃがりこ・ずんだ味」と、
かさ張る物ばかり買って帰りました。
空港アクセス線に乗るNちゃんを見送り、
MRさんとしばしのお別れをし、
改札近くでNYTさんにも偶然お会いしてほんの少しお話をし、
それから、KYNKYNとJO様と一緒に新幹線のホームに向かいました。
乗る予定の新幹線の20分後が、
仙台発だったので、そちらに乗ることにして、
再び行きの新幹線の話になり、
結局、帰りも3号車の2号車寄りの一番後ろの、
二人がけの1Eに僕は座らされました。
これで、終わりですが、
あと10日でさいたま・・・
嬉しいような、悲しいような、
そんな10日間になりそうです(笑)
その後のことは考えないようにします!
長い長い旅行記にお付き合い頂き、
ありがとうございます。
では、また、さいたまで・・・