高橋みほ オフィシャルブログ「みほの突撃日記」Powered by Ameba -25ページ目

偽ソフィーの選択としての原発問題

昨日(2011.5.11)、私が尊敬する山口二郎先生が主催する「第26回 フォーラムin 時計台」が開かれました。ゲストは、大澤真幸氏です。



大澤真幸氏は『「正義」を考える-生きづらさと向き合う社会学』(NHK出版、2011)や『ナショナリズムの由来』(講談社)など、数多くの著作活動を行っている社会学者です。



今回は、「偽ソフィーの選択としての原発問題」と題してフォーラムが行われました。

フォーラムでは、普段私が「どうしてだろう?」と漠然と考えていたことを、学問的に解き明かして下さり、納得することしきりでした。



さて、今回のフォーラムでは紹介したいことがとっても多かったので、回を分けて紹介したいと思いますが、今回は、題名の「偽ソフィー・・」について話したいと思います。



まず、ここでいう「ソフィーの選択」とは、小説や映画を見た方はお分かりと思いますが、「2人の子どものうち、1人はガス室送りにするが、その代わりもう一人は生かしてやるので、どちらをガス室送りにするか選べ。どちらか選べない場合は両方ともガス室送りだ。」と言われたとき、人はどう選択するべきかというものです。



これはとっても難しい問題で、簡単には解けない問題ですね。



しかし、この二者択一が、たとえば、強盗が入ってきて、「子どもを差し出すか、エアコンを差し出すか選べ」と言われた場合はどうでしょう。ここで迷う人はいないかと思います。このような場合を、先生は「偽ソフィーの選択」と呼んでいました。



この「偽ソフィーの選択」=原子力発電所をどうするかについては、結論は明白なのに、原発肯定派(増設+維持)は現在56%(4月15、16日の朝日新聞調査による)であり、どうして、原発否定派が圧倒的な多数派にならないのか、その理由について先生は、考察を加えていました。



すなわち、先ほどの二者択一の問題で、そこでの「子ども」が100年後、1000年後の子どもになると、「偽ソフィーの選択」の問題が、「ソフィーの選択」の問題に転換してしまうからということでした。100年後、1000年後に地震がくるかもしれない、そのときには、原子力発電所が壊れて、沢山の人が死ぬかもしれない。けれどもそれは随分先の不確かなものだ。まあ、自分が生きている間は大丈夫だろう。夏のクーラーだって必要だし、と思いがちなのですね。



将来世代のことを、自分のこととして考えられるかがこれからの問題だとされていました。



もっともっと、おもしろいことがフォーラムでは主張されていましたので、また、明日でも続きを書きます。



北大中央ローンの桜

昨日は北海道神宮の桜の話をしましたが、今日は私の大好きな北海道大学の中央ローンの桜を紹介したいと思います。



一面の桜も素敵ですが、この桜は、周りとの調和具合がとってもよいのです。

満開まであと少しというところでしょうか。



北海道の中心で政策をさけぶ-北大中央ローンの桜



北大は、近くの保育園児・幼稚園児が毎日の散歩コースにもしているような、誰でも気軽に構内に入れる全国でも珍しい大学です。



私は神戸大学の出身ですが、当時(今は変わったかもしれませんが)、関係者以外の出入りは禁止で、小柄で童顔の友達は、守衛さんに「これこれ、子どもは入ってはいけないよ」と注意されてむくれていました(笑)。



北大は、観光客の方も多く、クラーク像前で写真を撮る方も多いのですが、羊ヶ丘にあるクラーク像を想像していらっしゃる方も多く、少しがっかりされるようです。



北海道に観光にいらっしゃる場合は、是非、北大も見に来て下さいね。

北海道神宮の桜

今日は、6月23日に北海道神宮で行われる、裏千家お家元を招いての御献茶式の下見で、北海道神宮に行ってきました。




北海道の中心で政策をさけぶ-北海道神宮



神宮では元気にジンギスカンをしている人たちもいましたが、まだまだ寒く、桜も満開にはもうちょっと時間がかかりそうです。



昔、地元の友達に、ソメイヨシノとは明らかに違う桜を指して(その頃はエゾヤマザクラという名前を知らなかったので)、「あの桜は何?」と聞いたところ、「え??、ソメイヨシノ・・」といわれて、ちょっと仰天したことがあります。



北海道の中心で政策をさけぶ-北海道神宮の桜

エゾヤマザクラ(ですよねえ?ちょっと自信なし)


北海道の人にとってはこのエゾヤマザクラが桜であって、名前なんてなんでもよいのかもしれませんね(そんなことをいうのは、私の友達だけだったらスミマセン)。



このエゾヤマザクラ、本州のソメイヨシノよりもずっときれいな気がします。というのは本州のソメイヨシノ、私の好みからすると、少し色が薄いのですね。それに対してエゾヤマザクラ、ピンクがきれいなので、絶対にこちらの方がきれいです。



本州でのソメイヨシノに満足している方、是非、北海道のエゾヤマザクラ、見に来て下さいね。感動ものです。

母の日によせて

母の日は、母がいくつになっても祝うのものですが、子供の日は、子どもが大きくなってしまうと祝わなくなってしまいますよね。



これって、不平等(笑)と思って、親にその話をしたら、それならば「自分が母親になればよいのだ」といわれて、妙に納得してしまったことがあります(残念ながら今も独身で子どもなし)。



まあ、そんな戯言は置いておくとしまして、現在、母子世帯は75万2千世帯(全世帯の1.6%)といわれています(厚生労働省 平成21年国民生活基礎調査の概況による)。



父親と母親がいても子育ては大変ですが、母親(父親)だけで子育てをするのはとても大変です。



特に、両親がいる家庭と、母子家庭の収入の差は大きく、児童のいる世帯の1世帯当たり平均所得金額は 688万5千円(同調査)にもかかわらず、母子世帯の平成17年の平均年間収入は 213 万円(就労収入は 171 万円)となっています(厚生労働省 平成18年度全国母子世帯等調査結果報告による)。



子どもがいたら(特にシングルマザーは)、長時間労働が求められるような正社員にはなれず、臨時・パートで働らかざるを得ません(母子世帯の母の就業形態が臨時・パート:43.6 %(同調査による))。



近年、親だけではなく、社会で子育てをしていこうという動きあります。この場合、鍵を握るのは、企業が子育てにどれだけ理解があるかでしょう。



大企業でしたら、企業内保育所を作ることも可能でしょうし、そうでなくても、子どもの病気などにどれだけ配慮できるか、これはその会社のトップの人の意識にかかってくることにもなります。



よく、環境に優しい企業に対してマークを付けたりしていますが、子育て世代(シングルマザーを含む)にどれだけ優しい会社であるのか、そのランキングをつけ、認証マークでも贈り、そのような子育て世代に優しい会社・企業から物を買ったりする、社会みんなが応援していく、そんな社会にしていきたいものですね。


生存権

憲法記念日に、憲法について何か書こうと思っていたのですが、なかなか書けず、今日になってしまいました。



憲法というと、9条を真っ先に思い出す人も多いかと思いますが、私が、最近特に興味を持っているのは「生存権」(25条)の規定です。



この生存権、法学部出身の人にはおなじみですが、生存権の社会的側面の法的な性質については争いがあり、大きく分けて、プログラム規定と解する説(要するに、権利ではないといいたい説)と、法的な権利であると解する説(抽象的権利説、具体的権利説)に分かれます。



学説においては、権利性を認める説が通説ですが、裁判ではどうかというと、まあ、プログラム規定説を採っているとされています。



どうして、政府が(それを受けた司法も)プログラム規定説を採りたいかというと、生存権の実現にはお金が必要ということなのですね。つまり、無い袖は振れないから、権利なんていえないよ、ということで押し通したいのですね。



まあ、一応総中流などといわれていた時代もありましたので、まあ、生存権の規定をプログラム規定と解しても、なんとかよろよろとしながらも、生存権の保障がなされてきました。



しかし、これからは、少子高齢化時代で低成長時代、国や地方にお金が無くなってきますので、必ずやプログラム規定としていてよかったという、政府の動きがでてくるはずです。



本日の新聞(北海道新聞2011.5.7)にも、厚生労働省が生活保護給付減額を検討という記事が掲載されていました。



生活保護の給付水準を下げる理由としては、だいたい、①生活扶助基準額が、基礎年金額を上回るケースが多いこと、②単身者の生活保護給付水準が最低賃金よりも高いということが挙げられます。



しかしながら、基礎年金額は満額で月6万5741円ですので、そもそもこれだけで生活できるものではありません。基礎年金額を上げる方向でいかなければいけないのに、不十分なものを引き合いに出して引き下げる。これを許してしまえば、生存権の保障は絵に描いた餅となってしまいます。



また、②の最低賃金も、低すぎる方が問題です。



ただ、この厚生労働省の理屈、国民に受け入れられやすいという点があります。
すなわち、「自分は安い給料で頑張って働いている。生活保護などを受けずに、働け。」とか、「本来、高齢になったら年金で暮らすべきであり、年金保険料を払わず、現在困っているとしたら、それは自業自得だ」という理屈ですね。



現在、生活保護の受給者は高齢者が最も多くなっています。就労支援をしても、なかなか就業に結びつけることは難しいでしょう。それに、年金保険料を払えなかった人も、その人だけに責任があるという訳ではありません。



一番困るのは、生活保護支給期間を限定することでしょう。この期間が制限されると、期間を過ぎた人は飢え死ににしてもよいことになってしまいます。



生存権の意義を再度、考え直していかなければなりません。


オランダ産アジの干物

北海道は海産物の宝庫です。
本州では見たこともないような魚が売られています。



「キュウリ」という名前の魚をみたときは、びっくりでした(正確には「キュウリウオ」)。
キュウリに似た匂いがするからキュウリウオというのですね。



「タコの口」にも驚きました。
ゲテモノかと思ったのですが、友達によるとタコの中でも一番おいしいらしく、今度見かけたら一度購入してみようと思っています。



前置きが長くなったのですが、今日は、キュウリでもタコの口でもなく、アジの干物の話をしたいと思います。



私は静岡出身なので(アジといえば沼津)、朝ご飯にはいつもアジの干物が付いていました(ホントは「鯛を毎日食べていたわ」といってみたい。)。ですから、アジは大好物です。



そんなわけで、たまにアジの干物が食べたくなります。ただ、最近のアジ、オランダ産が多いのですね。



北海道の中心で政策をさけぶ-オランダ産アジ



アジといえば、近海にも沢山いるはずですから(サビキ釣りで、よく釣りました)、なにもオランダからアジを持ってこなくてもと思うのです。また、そこまで遠くから持ってくる魚っておいしいの、とも思ってしまうのです。



どうしてオランダ産のアジが北海道で幅をきかせているのかですが、まず、①オランダでは沢山アジが獲れる→したがって、輸送コストを考えても安く販売できる。②冷凍技術が発達しているので、オランダからアジを持ってきても品質に問題がないというところでしょうか。



現在では、世界中で作られるものが、どこでも食べられる時代です。
しかし、逆に、近郊で作ったり、獲れた物を食べるということは、近くの農家さんや漁師さんを応援することになります。それに、遠くから運んでくるということは、それだけエネルギーを使っているということですから、環境に優しくないのですね。



ただ消費者としては、近郊で作ったり、獲れた物を食べた方がよいと思っても、近郊で作ったり獲れたものの方がおいしいと実感できなければ、なかなかコンスタントに購入するということはできないと思うのです。



神戸に住んでいたとき、昼過ぎになると、明石の昼網で獲れたぴちぴちの魚がスーパーに並んでいました。



いかに冷凍技術などが発達しても、獲れたての魚の味にかなうはずはありません。直売場では、「今、とってきました」というものがよく並びます。スーパーでももっと近郊のとれたてを導入したらどうでしょうか(ただ、二酸化炭素の排出という観点からいうと、獲れたての魚などを好む文化が、無駄なエネルギーを使っているともいえるのですが)。



スーパーとしては、品揃えなどが優先されますので、難しいところなのですが、「消費者を教育するスーパー」と銘打って(?)、旬のカレンダーを掲示したり、「今の時期はこれが旬で一番おいしい」、「とれたては○○時から販売」などを大書きし、旬でおいしいものを地元から提供するという姿勢をもっと見せたりしたらおもしろいと思うのですが(これはもともと八百屋さんなどで行われていたことですが、現在はコミュニケーションが苦手な人が多いので、書いてみたらどうでしょう)。



ただ、よくよく考えると、北海道でアジを食べたいと思うのがちょっと間違いで(北海道でもアジは獲れるけれど、郷に入っては郷に従えかも)、サケを食べるべきかもしれませんね(カニやウニには手が出ないし・・)。



安全神話??

私が小学生3,4年生位のとき、浜岡原子力発電所に課外活動の一環として見学にいきました。



一回り見学した後、ホールに集められて映像を見せられ、クイズに参加させられました。



そこでの問題が、今でも忘れられませんが「原子力発電は安全ですか」というものでした。



そして皆が安全か否かの意思表示をし、集計が発表されたあと、答えが出ました。もちろん「安全です」が答えです。



私はそのとき小学生でしたが、クイズとは、1+1=2というように、答えが客観的に決まっている問題を出すべきであって、世の中に絶対に安全なんてものはない以上、「安全か」という質問に「安全です」という自分たちの希望を答えにする中部電力の神経を疑いました。



最近、新聞では「安全神話が崩れた今・・・」とよく書かれています。だいたい、誰が原子力発電が安全だと思っていたのでしょうか?



よく、「原子力発電所が本当に安全ならば、東京のど真ん中につくれ。それができないとしたら、それは安全ではないからだろう」といわれています。



本当にその通りですね。最近、マスコミが「安全神話が崩れた今、・・・」と書くところをみると、マスコミは安全だと信じていたのでしょうか????マスコミの人達に聞いてみたいものです。


漁村と二酸化炭素

先日、北海道大学・水産科学研究院の古屋温美先生を招いて、「低炭素社会における漁村など小地域の取り組みと水産公共政策」についてお話を聞く機会に恵まれました。



北海道の中心で政策をさけぶ-古屋温美先生

                    古屋温美先生

漁村というと、のんびりとしていて空気がよくて、自然がいっぱいというイメージがあるのですが、二酸化炭素の排出という観点から見ると、優等生とはいえないとのことでした。



まず、重油を大量消費して船を走らせ、照明(ex漁火)を煌々と照らす。そして、持ち帰った魚などを大型の冷凍庫を使用して保管し、重油を利用して干物や昆布を乾燥させる。これら、すべてにおいて、かなり二酸化炭素を消費します。



では、二酸化炭素の排出量を減らすにはどうしたらよいかですが、これは漁業の共同化による効率化ではないかとのことでした。



すなわち、今までのように、小型漁船で各々エネルギーを消費するのではなく、ある程度船を大型化し、みんなで漁業をするようにして効率化を図る。さらに、船を走らせるときには、エネルギーの消費の観点から最適な速度というものがあるので、それを守って船を走らせる。かなり改善の余地があるとことでした。



ただ、漁師さんはみな独立心が旺盛で、自分の船を持つことにこだわりがあるので、共同化などはなかなか難しいとのことでした。



先日の東日本大震災では、多くの漁船が被害を受けました。ご自分の船を失った漁師さんの心痛は、いかばかりかと思います。



漁師さんの意思を尊重しつつも、漁船の共同化など、地球に優しい漁村へ生まれ変わるような取り組みができたらよいのではないでしょうか。



※北海道新聞の社説(2011年4月28日)によると、宮城・岩手の漁協は組織的に漁や養殖を行う協業化を提唱しているとのことでした。

小林郁子を囲む会

先日、北海道議会議員「小林郁子を囲む会」が北海道クリスチャンセンターのワイズカフェで開かれましたので、参加しました。



北海道の中心で政策をさけぶ-小林郁子を囲む会

           

                 小林郁子さんと後援会長の竹村泰子さん



選挙期間中、毎日のように顔を合わせていた人たちに久しぶりにお会いし、選挙期間中の話で盛り上がりました。



あるマイクスタッフ(ウグイス嬢)の方が、「この年になってマイクスタッフとしてマイクを握るとは思わなかったけど、いい経験だった。最後の日は燃えました。」と楽しそうに話して下さったのはありがたかったです(マイクスタッフはかなり体力を使うのです)。




北海道の中心で政策をさけぶ-樫見さん

               小林郁子さんと元北広島市議の樫見由美子さん



マイクスタッフは若い女性がやっているものというイメージがありますが、どこの陣営でもかなり高齢化しています。



若いマイクスタッフが沢山乗っている陣営は、しっかりとした組織が付いている所が多いのですが、組織がないと、知り合いなどを総動員しますので、かなり年齢が高くなってしまいます。



年齢隠しに帽子を取り入れようかという案もあったのですが、諸般の事情から却下されてしまいました(最近、皆でおそろいの帽子をかぶっている陣営が多いのは、年齢隠しだろうか??)。



ただ、年齢が高いマイクスタッフの方が(自分を含めて)味があるはずと信じています(笑)。


楽しく学ぼう!「エコ&サイエンス」

昨日は、私がサイエンスサポーターとして所属しているNPO法人北海道科学活動ネットワーク主催の、『楽しく学ぼう!「エコ&サイエンス」』が、札幌イーアスで行われました。


子どもにもっと科学の楽しさを知ってもらって、将来日本を引っ張っていける人材の育成を図ろうということで行われている取り組みです。



北海道の中心で政策をさけぶ-エコサイエンス1


私は、スライムとロケット発射台を担当しました。




北海道の中心で政策をさけぶ-エコサイエンス2

              ロケットと発射台


北海道の中心で政策をさけぶ-スライム


            スライム


スライムは、ムニムニしたゲル状のもので、子どもさんは、液状のものからゲル状になる過程を体感することで、大喜びします。ただ、材料のホウ砂(ほうしゃ)の分量が難しく、ねばねばしたお団子状にするのは結構難しかったです。



ママさんと一緒にくる子どもが多いのですが、パパさんに連れられてこられる子どもも多く、皆、一生懸命子育てしているんだなあ・・・と感心しました。



ただ、お子さんの作業を辛抱強く待っている親御さんと、後ろで待っている人を気にしているのか、子どもさんから物を奪ってさっさと作業をしてしまう親御さんがいらして、子どもの成長の為には、辛抱強さが必要だよなと思い知らされました。



そうそう、ママさんやパパさん、皆私よりも若いのですね。「お姉さんがやってみるね・・」と言うとき、本当は「おばさんがやってみるね」と言うべきだよなと思いました・・・。




北海道の中心で政策をさけぶ-エコサイエンス3




30日も同じ所で行われます。小さな子どもさんがいらっしゃる方、是非、遊びに来て下さいね。