瑞鹿山円覚寺14 [神奈川県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

------------------------------

電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

おぉ、、と、ひとりならずも幾人かの同じような唸りが、あるいは、ちょっとしたどよめきが空気を揺らしたように感じた


萬屋錦之介さん演じる柳生但馬守は丹波さん演じる宿敵玄信斎との果たし合いを前にこう言ったんだったか

親に会うては親を殺し、仏に会うては仏を殺し、、


小さい頃の祖父の影響か、時代劇を観るのが好きだった、今でもそうだけれど、今は今でまた違った意味も出てきてしまうから、やはり、子供のころのあの純な熱中ぶりは懐かしい、だから、剣豪 というキャラクターを好きになってゆくのは当然の成り行きだった

だからこのセリフもよく覚えている


でもなぁ、、


でもそれが、臨済録にある言葉が元になっていたと知ったのはつい最近のこと、古田紹欽さんの著書「臨済録の思想」を読んだからだ


 逢佛殺佛、逢祖殺祖、逢羅漢殺羅漢、逢父母殺父母、
 逢親眷殺親眷、始得解脱、不與物拘、透脱自在。



白山道場での提唱はこの一月で碧厳録全百則を終え、さて、次は?と誰しもが思っていたに違いない、そんな坐禅会の参加者に管長さんから出た言葉は、

 「臨済録

思わず唸ったよ


瑞鹿山円覚寺

 

image
image


明けて今年初めの日曜法話は、いつもの場所にいつものように座して拝聴、始まりを待つ間、周りをしばし見回した、いつも隣りに座られていた方の姿は見えなかった

僕もひとのことは言えない、関東を去ったあとはそのほとんどは参加は出来ていないわけだから、同じように思われていたかもしれないね

それでも先月の日曜坐禅会では、見知った方の顔を見かけたので何だか日常に帰ったようで嬉しかった


そして、

日曜法話のあとは、これまたいつものように写経会へ、、


御朱印

この日いただいた御本尊の御朱印でようやく 佛心 の片面を終えることが出来た、ふ~
image


関東を去って以来、まったくもってその進みは亀のごとく、それでも、いただき終わってみれば、兎の一飛びのように あッ という間の二年と三ヶ月だったようにも思う

お次はまた、一から始めよう、まだまだこの御本尊シリーズは続くのだ◎


image


瑞鹿山円覚寺
臨済宗円覚寺派大本山
北鎌倉

しいちゃん、すやすや

image


松原泰道先生に、 意味をつかんでから文字を楽しむ と云う言葉がある、なるほどなと、今でこそ仏教をほんの少しだけだが学ばさせていただいてきたから、

 逢佛殺佛、逢父母殺父母、

と聴いて、あぁなるほどと自分なりに頷けはする、、ただ、実践をしてゆくには中々に難しい、それこそ、白楽天に佛法を説いた鳥窠道林和尚の如きだ

まだまだ捨てきれてはいない、殺しきれてはいないことが、実に多い、、


何を殺すのか、いかに殺しきれるか、、


白山道場境内

image


同じことは 「葉隠 にも言えるか、、未読ながらこの一文、 武士道とは
... 、について云えばここにも通じるものがやはりあるのだろう、文字通りに読んでしまってはわからない、死ぬ ということは 死にきる ということ、それすなわち、生ききる ということ、生を全うする ということなんだろう、そう 武士道 とは いかに生きるか を見つけたり なのだ

 


【神奈川県】
■鎌倉市
大蔵山杉本寺1 大蔵山杉本寺2
巨福山建長寺1 巨福山建長寺2
幽谷山回春院 (建長寺境内塔頭)1 幽谷山回春院 (建長寺境内塔頭) 2 幽谷山回春院 (建長寺境内塔頭) 3
瑞鹿山円覚寺1 瑞鹿山円覚寺2 瑞鹿山円覚寺3 瑞鹿山円覚寺4 瑞鹿山円覚寺5 瑞鹿山円覚寺6 
 瑞鹿山円覚寺7 瑞鹿山円覚寺8 (** 何年かかってもよい **) 瑞鹿山円覚寺9 瑞鹿山円覚寺10 
 瑞鹿山円覚寺11 瑞鹿山円覚寺12 (鎌倉五山第二位) 瑞鹿山円覚寺13
傳衣山黄梅院1
元鶴岡八幡宮 (由比若宮)
錦屏山瑞泉寺1 (幕末明治期ゆかりの仏閣巡り⑥) 錦屏山瑞泉寺2
松岡山東慶寺
稲荷山浄妙寺 (鎌倉五山第五位)
金寶山浄智寺 (鎌倉五山第四位)
亀谷山寿福寺 (鎌倉五山第三位)
佐助稲荷神社
鷲峰山覚園寺

■藤沢市
鵠沼伏見稲荷神社
■横須賀市
金鳳山景徳寺
■横浜市
諸嶽山總持寺1 諸嶽山總持寺2 諸嶽山總持寺3 諸嶽山總持寺4