傳衣山黄梅院 (円覚寺境内塔頭)1 [神奈川県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

哲学者西田幾多郎先生のこんな言葉 (書) を目にしたことがある

 見無形之形 聞無声之声 寸心

寸心 とは西田先生の居士号らしい

 

傳衣山黄梅院

 

朝比奈宗源老師が中興されるまでは、お堂があるだけになっていたそうだ

 

今年最後のお参りを





もう四年になるのかぁ... 

 

その日は、

 

納経させていただいたというのもあってか?冊子 「円覚」 をどうぞとおっしゃっていただいた


すでに手にしていたこともあり辞したところ、


それではと、

翌年の干支の午が描かれた手拭いを ✨


 

来年は 慈祥 だね

 

 

夢窓国師塔所 黄梅院

 その折りに教えていただいた

 きっと朝比奈宗源老師の書跡に違いないと思っていたのでスッキリ

 夢窓国師は、円覚寺開山の無学祖元 (佛光国師) の孫弟子にあたり、
 美濃虎渓山永保寺、甲斐恵林寺、京都天龍寺を開山、また苔寺西芳寺を復興された方でも

 

 


黄梅院扁額 「傳衣山」

 なるほど、、山号院号から宗派がわかるの道理だね

 由来とはそういうことだったのかと、まじまじ (°_°) と、、



 云何不衣傳
 師云為他有心

 伝心法要 / 黄檗禅師

衣 (袈裟) を傳えるとは法が嗣がれるの意だとは、日曜坐禅会の提唱の中で

達磨様を鼻祖とし、五祖弘忍禅師の住した黄梅山で、

後に六祖となる慧能へ五祖弘忍から衣が傳わるのだが、、

 

その慧能は、片田舎の嶺南 (*1) というところから佛になりたいとやって来た、まだ、

 

お坊さんにもなっていない青年だった、、、

 *1:中華思想にあって南とは山奥だという蔑んだ意味合いもあるのだとか


 何ぞ衣を傳えざる
  何故に、まだ、お坊さんにもなっていない青年に法を嗣がせるのですか?

 師云わく他は有心なるが為に
  弘忍禅師は云った、慧能の他には、

  まだ何かあるのではないか、まだ教わってない秘密の法があるのではないかと、

  外へ向かう心が有るからだ


なるほど...


 拈華微笑

 

または、

 

 迦葉召阿難 阿難應諾


と、いうことであろうか?


 「この袈裟は佛法の信を表すものです。力で奪うようなものではありません」

衣を奪い返そうと追ってきた僧に、慧能はそう云った
 

 

書いてみた

 師云わく他は有心なるが為に

 

 

 

大本山円覚寺百観音霊場第二番札所
 「聖観世音」


 


 すべての書物が失われても、 「臨済録」 と 「歎異抄」 が残れば我慢できる。
 西田幾多郎


大拙博士と同郷であった西田幾多郎先生も、ここ黄梅院に下宿されていたことがあったとか

 


今年最後のお参りを


 

 

今年の最初で最後の紅葉狩りを



 

 

 転瞬の間に内外を断じ醜を美に回した禅機を賞し達人の所為に庶幾しと云ったと云うが

 読者緒賢は首肯せらるるや否や
 春琴抄 / 谷崎潤一郎

 

 

さしずめ 醜を美に とは 見無形之形  というところか

 


傳衣山黄梅院
円覚寺境内塔頭 (夢窓国師塔所)
臨済宗円覚寺派

大本山円覚寺百観音霊場第二番札所

管長さんが兼務住職を務められているというのも巡り合わせで、

計り知れないものだなぁ... ご縁というものは

管長さんの法名の由来も、ここらへんの逸話に関係しているそうだ

また、黄梅院にて 「表信」 の掛け軸を間近に拝見させていただいたことがある

そういえば、管長さんの著書の表紙にもその掛け軸からの書だったね、重ね々々なるほどなと

 

 

神奈川県鎌倉市 (北鎌倉)


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春琴抄 / 谷崎潤一郎

 

 

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