ようするに、自分というものを見つめる時間的な余裕がなかったのが原因ともいえるね。
寿命が長くなるにしたがって、人間は自由に考えるようになった。価値観の幅も広くなった。
魔法の色を知っているか? / 森博嗣
永遠に生きたいか?と問われたら、うーん、そうとも言いきれない、
ただ、、
鈴木大拙博士のいう 「心の問題は時間の問題である」 とするならば、寿命の長短はファクタではなく、定規の裏と表の違いか
閑話休題
そしてこの日、北鎌倉での坐り納めのあとは、少ーし足を伸ばして久しぶりになる浄妙寺さんへ、五山巡りは逆打ち (?) (閏年じゃないんだけど... ) で、五山第五位の浄妙寺さんより
稲荷山浄妙寺
惣門
境内、入ってすぐ
本堂扁額 「方丈」
円覚寺さんのものと同じ字体だね、そう見ると、同じものが多いなぁ、、京都でも三重でも、、
寺猫、ももたろう
こちらは三年前の写真、この日は会えなかった、、
元弘元年九月五日讃岐守貞氏卒しければ荼毘して当寺に塔を建つ
御朱印
鎌倉五山第五位
御本尊の御朱印をいただいたのは初めてで
鎌倉十三仏第二番札所
鎌倉三十三観音霊場第九番札所
稲荷山浄妙寺
臨済宗建長寺派
鎌倉五山第五位
鎌倉十三仏第二番札所
鎌倉三十三観音霊場第九番札所
神奈川県鎌倉市
本堂を背に
将三門来燈籠上
少し離れて俯瞰する、そうするとひとつの景色でしかない
大きい小さい、短い長い、暑い寒い、あの人は良いあの人は悪い、今日は天気が悪い明日は天気良い、上だの下だの、、生きるだの死ぬだの、、、
どこまでも自分中心に相対的に見ていればそれがとらわれとなり、一枚の世界にいるんだということがわからなくなる、燈籠の上に三門 (山門) を乗せる(°_°)?
将三門来燈籠上
三門を将って燈籠上に来たす
自分中心に相対的に見ていればそれがとらわれとなる
三門 (山門) は大きい燈籠は小さい、、
万巻の書物をすべて覚えていると言われるが、ではどうしてそれがあなたの頭の中に、収まっているのですか?
なるほどなぁ、うまい例えだ、、
碧巌録第六十二則 「雲門中有一宝」
そんな提唱もあった、あった、、
あったなぁ、、、
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