三徳山三佛寺9 [鳥取県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 「ツノ大師? 聖徳太子くらいしか知らねえがな」
 「そうですか。旧暦の十一月二十三日夜に来ると云う恐ろしい姿の神様です。
 京都あたりでは元三大師とも云う」
 「ガンザン大師? 聞いたことねえなあ」
 「比叡山延暦寺中興の恩人、良源こと慈恵大師の別名です。
 正月三日に亡くなられたから元三」



今年お初の参拝は、その元三大師のご命日に


三徳山三佛寺

本堂
その前に立つのは、、

阿形

吽形



御朱印
今は入山受け付けでは御朱印は書かれなくなったんだね、この日は皆成院さんにて


新しい御朱印帳が出来ていた、その二冊のうち一冊は改元に合わせた限定もののよう、ご縁があれば ( ・人・)

一番手前がネズミだね@輪光院さん



三徳山三佛寺
天台宗修験道三徳山法流本寺
鳥取県東伯郡三朝町


本堂前に立つ石柱

侯爵池田家、旧藩主とあり、おそらくは、徳川慶喜公の御子息になる池田仲博氏か (慶喜公容保公のお孫さん同士の仲を取り持った方でも) 、あるいは、鳥取藩最後の藩主にして慶喜公の実兄池田慶徳公か? 詳しくはまた故郷に帰ったときにうかがってみよう◎



幕末の鳥取藩は、藩主池田家に入った方は水戸斉昭公の実子になる慶徳公、が、そもそも池田家はそれ以前に薩摩の島津家と縁が深く (島津斉彬公の外祖父が鳥取藩主にして池田家当主治道公) と、幕末において、藩としては幕府側か新政府側かのどちらにつくのか? 不安定な状況ではなかったかなと


 一寸待ってください──と云って京極堂は立ち上がり、
 書架の中程に設けられた抽匣 (ひきだし) を開けて、
 ごそごそと紙を選り分け、一枚のお札を取り出すと、
 ああこれだ──と云った。何か黒い模様が刷られた和紙のようだった。
 「これが角大師の護符です。これは全国の天台宗系寺院で今でも配られているものです。
 東日本では鬼守りの名目で、門口に大いに貼られた。見たことはありませんか?」

 塗仏の宴 宴の支度[しょうけら]/ 京極夏彦