龍峰山興禅寺 [鳥取県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

鍵屋の辻の敵討ちの渡辺数馬は岡山池田家家臣だけど

(本家の岡山池田藩菩提寺は臨済宗曹源寺←いつか絶対にお参りしたい)、

 

お墓はここ黄檗宗興禅寺さんに
 

 

渡辺数馬之墓




敵討ちの助太刀は義兄になる剣豪荒木又右衛門で、

これまた鳥取市内の浄土宗玄忠寺さんに又右衛門のお墓もあるけれど、

 

それはまたの機会に、、


にしても、、、


通ってた高校の近くにこんな素晴らしいお寺さんがあったとは~💦

 

今更ながらの感激で✨


龍峰山興禅寺

幕末の鳥取池田藩最後の藩主となる十二代池田慶徳公は徳川慶喜公の異母兄で、

何かと水戸家とはご縁の深い鳥取藩

県庁前の武家門横に立つ石碑 「尚徳館記碑」 はその慶徳公の書のよう

 

何と書かれているかはよく読めないのだが、その石碑には、

 人君治を為すの道二あり。曰く文、曰く武。文は以て己を修め人を治む。

 武は以て姦を防ぎ邪を遏(や)む。人臣の道も亦文武のみ。

と書かれているらしい、ほ〜

文武両道の思いはこの碑にもこめられていたんだねぇ

 

毎日通った道なのに知らなかったよ ((((゜д゜;))))

 


「尚徳館記碑」


 

 

母校は鳥取藩校の 「尚徳館」 を受け継いで設立されており、

集会の折りにはよく 「文武両道」 という言葉を聞かされたような気が (・ω・)?


今あるその「尚徳館」はその慶徳公が水戸藩の「弘道館」にならい拡張充実をはかったようだ

 

そんな歴史は学校でもひとつも教えてくれなかったけど



御朱印は黄檗宗らしく(?) 「大雄宝殿」
江戸での池田家菩提寺であった牛頭山弘福寺さんと列びでいただいた (・人・)





鎌倉と鳥取池田藩

還俗して結婚したため歴代住職に入れないこともあるようだが、

水戸藩九代藩主徳川斉昭公の十五女正姫 (正子) は、
幕命により水戸光圀公縁でもある鎌倉は浄土宗英勝寺の第七代住職となり

得誉清端尼と称す、、

その得誉清端尼だが、後に英勝寺さんを出て異母兄池田慶徳公の養女に...


どういういきさつがあったのか...


でも、鎌倉と鳥取池田藩とはこういうつながりもあるんだねぇ...


時は少しだけ下って、、

池田家第十四代当主池田仲博侯爵は慶喜公の五男、

慶喜公と容保公のお孫さん同士は結婚もされてるけど、

その間をとりもった方が仲博侯爵であるらしい

その当時、池田仲博侯爵が住まわれていた場所は、

今は渋谷の 東郷神社 が立つところだとか

その池田家は後継を取らず今のご当主の代で終わるらしい

なんだか寂しいなぁ...


池田仲博侯爵別邸「仁風閣」
映画版「るろうに剣心」武田観柳邸ロケ地でも

 

 

龍峰山興禅寺
黄檗宗
以前は鳥取藩主池田家の菩提寺
江戸での池田家の元菩提所は勝海舟が禅を学び始めた向島は

黄檗宗弘福寺 (隅田川七福神の布袋様を祀る) 、、、
鳥取県鳥取市

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牛頭山弘福寺 [東京都]

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