はじめに

今回の投稿も、前回に引き続き論文を紹介します。

 

Canagarajah, S. (2023). Diversifying academic communication in anti-racist

scholarship: The value of a translingual orientation. Ethnicities, 23(5), 779-798.

 

僕の大尊敬する、translingual practiceで有名なCanagarajah先生の新しい論文です!

 

とてもワクワクして読んだのですが、、、

とっても難しかったので笑、すごく簡単にまとめることにします。

 

では早速見ていきましょう!

 

  学術論文とtranslingualism

この論文では、translingual practice、codemeshing、structuration、indexicality、codemeshingなど、様々な概念(どれも難しい・・・)を紹介し、その後、Geneva Smithermanの書いた学術論文に見られるAAVE(African American Vernacular English:アフリカ系アメリカ人に特有な英語のスタイル)を、translingualismやindexicalityなどの観点から分析しています。

 

とても難しい論文だったのですが、ものすご〜く簡単にまとめると、

 

学術論文にAAVEのような特有な英語も認めていい。そしてそれを続けていくことで、学術論文にあるスタンダードのようなものも変わっていくだろう。言葉が変わるのは自然なことなのだから。

 

といった内容でした(誤読がありましたらご指摘ください。。。)。

 

色々と難しい議論があるのですが、ひとつ思うことは、「日本の英語教育界でこのようなことが議論されるようになるのは、あと数十年近くはないだろう」ということです。

 

そもそもtranslanguagingの概念がいわれるようになったのが最近ですし、その解釈もまだまだ限定的であるように思います。

そして何より、現場はこのような「先進的」なことよりも、「いかに効率よく作文ができるようになるか」といったことを考えるのに必死なのです。

 

なので、これまでの英語教育界の「遅れ」を踏まえても、まだ数十年は、今回僕が読んだ論文のような意見は出てこないように思います。

 

このような世界の英語教育界の進化を頭の片隅に入れつつ、以下ではこの論文で書かれていたtranslingualism*の説明を抜粋し、紹介していきたいと思います。

 

*ここではtranslingualism・translingual practiceをtranslanguagingと同様に扱います。transanguagingの説明は、過去の投稿を見てください。

 

 

  Canagarajah(2023): translingualism

 

The value of translingualism is that it does not treat languages or texts as monolithic (p. 783)

translingualismの価値は、それが言語やテキストを一枚岩(のように固定的で静的なもの)として扱わないことである。

 

the orientation conveys that norms, structures, or policies are not fully determinative of any communicative outcome. There’s more to communication beyond what we receive in prescriptions and rules (p. 783)

この [translingualismの] 方向性は、規程、構造、ポリシーというものが完全にコミュニケーションの結果によって決定されるものではない、ということを伝えている。コミュニケーションには、私たちが規程やルールの中に感じ取るもの以上のものがある。

 

Translingualism would encourage us to realize that what is called “English” actually contains words from diverse cultures and languages, diverse registers and discourses, and communicative practices informed by different ideologies.

And what is called “academic writing” has variable repertoires and voices as embodied by different scholars. 

Monolithic language ideologies force us to misrecognize this diversity and treat “English” or “academic writing” as homogeneous, static, and normative (p. 784)

translingualismは、いわゆる「英語」と呼ばれるものが、実際には様々な文化や言語、言語使用域や談話、イデオロギーに満ちたコミュニケーションの実践からくる言葉を含んでいるということに気づかせてくれる。

そして、いわゆる「アカデミックライティング」と呼ばれるものも、様々な学者によって具象化される変動するレパートリーでありvoiceをもっている。

ことばは一枚岩(のように固定的で静的なもの)であるというイデオロギーは、この多様性を誤認させ、また「英語」や「アカデミックライティング」を均一、静的、規範的である物として扱うことを私たちに強制する。

 

「アカデミックライティング」と呼ばれるものが、何か「特別な(そして高尚な)」ものであるという認識は、少なからずあるように感じます。そのため、その「規程」に従えないものは「邪道」「学がない」と思われがちです。

 

しかし、translanguagingが学術論文でも地位を得られるのなら、上記の抜粋部分のような効果をもたらしてくれると思います。translanguagingは、言語のレパートリーを駆使して意味や価値を生み出す創造的な営みなので、上記のような「力」があると、僕も信じています。

 

ただ、このようなtranslanguagingの「斬新さ」について書くと、いろいろな批判が出てきます。それについてもCanagarajah (2023) は応答していますので、以下の抜粋をご覧ください。

 

However, this does not mean that translingual practice denies the reality of structures, norms, and restrictive policies. It traces how everyday communicative practices lead to the gradual sedimentation of grammatical and discourse patterns that become shared and treated as “established” for those communicative activities (p. 784)

しかし、これ [前出の抜粋部分]は、構造、規範、制限的なポリシーの現実を否定することを意味しているわけではない。それは、どのように日々のコミュニケーションの実践が、徐々に文法的・談話的なパターンの堆積につながることを明らかにしている。そしてそのパターンは共有され、そのコミュニケーションの活動において定着されたものとして扱われるようになるのだ。

 

このように、translanguagingは現実を無視しているわけではないのですね。

あくまでことばというのは変わっていくものであり、そして、人々が使う中で「パターン」として集積していくということばの「自然」を重視しているだけなのです。

ということは、現在「規範」「スタンダード」とされている言葉の「パターン」も変わっていく可能性があるだろうということです。

なので、学術論文においてもtranslanguagingもありだし、そうやって「規範」「スタンダード」が変わっていくことをCanagarajahs先生は期待しているのだと思います。

 

ちなみに、Canagarajah (2023) の「結論」部分では、以下のような一文があります。

Translingualism is not saying anything new (p. 796)

translingualismは、何も新しいことを述べてはいない。

 

やはりtranslanguagingは新しくて異端なものではなく、あくまでもことばの自然にのっとった考え方なのです。

 

  おわりに

Canagarajah (2023)はとても難しい論文でしたが、translanguagingについて改めて学ぶことができてよかったです。

 

日本では学術論文にtranslanguagingがあってもよい、という考え方が出てくるまでまだまだかかりそうですが、英語の学習の中でことばについて考えることで、「規範」「スタンダード」を疑う姿勢が身についていくといいなと思います。

 

ことばの自然・本質をついたtranslanguagingが日本での英語学習・教育にも影響を与えるようになるよう、僕自身も発信と実践をしていきたいと思います。

 

 

参考文献

Canagarajah, S. (2023). Diversifying academic communication in anti-racist

scholarship: The value of a translingual orientation. Ethnicities, 23(5), 779-798.