放医研の受け入れが決まり、痛みを我慢する必要が無くなった。
この際、麻薬系の痛み止めをテストしておくべきと考え、9月22日から
オキシコンチンの服用を開始した。この時点で痛みレベルは3から5程度。
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図には「私の感じた」各鎮痛剤の相対効果と持続時間をまとめる。
コーヒーは冗談では無く、短時間であればロキソニンより効いた気がする。

オキシコンチンは一昔前に流行ったMSコンチンより「1.5倍効く」と噂される。
その上副作用も少ないとされており、服用している人も多い。

1回5mgから開始し、2~3日かけて痛みが軽減するレベルまで増量する。
私の場合、10mgと15mgの間が最適と思われたが10mgではちょっと不足。
15mgを朝と夜のそれぞれ9時に服用。勿論錠剤。
(いわゆる「レスキュー」とは麻薬系鎮痛剤の散剤、つまり粉薬)

副作用は、
・服用開始1~2日目の吐き気。一時的に食事量は50%程度に落ちる。
・便秘。下剤を朝晩服用。吐き気止めもセットなので一気に薬が増える。
・眠気。「飲み会の3次会で良い気分になってる頃」の眠気が続く。

この程度の副作用さえ我慢すれば痛みが「ゼロ」になる。非常にメリットがある。
が、私がこの時期最も苦しんだのは「排尿障害」。

服用3日目以降、徐々に尿が出にくくなり、1週間目についに「出なくなった」。

製剤カタログには確かに「尿が出にくい」という副作用表示があるが、
ここまで厳しい副作用が出るのか?
あるいは腫瘍が馬尾神経を圧迫する事による排尿障害か?

重粒子照射が始まり、同時にオキシコンチンも減量していった為、徐々に改善され、
結局原因は特定出来なかったが非常に焦った。1ヶ月前にはシスプラチンも投与
しており直近の採血ではOKであったが、ヘタをすると腎臓もやばい。

私は1日2L以上水を飲む。尿量は3L近い事もある。膀胱がパンパンになる程
尿が溜まっているのに「出ない」。そのうち「水が飲めなくなった」。

利尿剤も考えたが「自然排尿でいける範囲を見極めよう」と考え。トイレにこもる。
30分ほど立ち続けると、10ccくらい尿が「こぼれ始める」。
さらに30分程度かけ10~20回ほど「こぼす」と、どうにか尿をした感じがする。

これを1日10回程度繰り返す。夜間も2時間おきにトイレ。

最大40mg×2回まで想定され、かつ効果の高い薬ではあるがどうやら私の場合、
この「排尿障害」が上限を決める可能性が高い。
次の機会では「利尿剤との併用」でどこまでいけるかテストする必要がある。
2008年8月20日 国立がんセンターで相談

<主治医から>
画像診断では3コース終えて縮小は止まったと思います。選択肢は大きく3つ。
 1.抗癌剤を変えて継続
 2.放射線に移行
 3.あと1コースやって放射線に移行
 統計的な示唆は既にありません。どうしましょうか?

<私から>
・シス+ジェムをあと1コース継続し、10月を目標に重粒子線に移行したい。
 来週放医研に出向くので紹介状と医療情報のまとめを御願いしたい。
・白金製剤は通算11コースとなる。そろそろアナフィラキシーショックが心配。
 死なないとは思うが発症時はよろしく御願いしたい。

ショック症状は具体的に予測しづらいが主治医の見立てでも
「まあ、死なないだろう」との事。「重粒子の適応も出てきたかも知れない」。
全て御承諾頂く。8月27日を最終4コース投与日と決定し退院。


8月26日 放医研外来での相談

<私から>
・肺転移は一応消して来ました。仙骨照射16回で70GyEを希望します。
・抗癌剤の効果は既に落ち始めています。10月がリミットです。是非御願いします。

<放医研担当医から>
・肺転移は全て消失しましたが再発だった点はやはり気になります。
・肺からの骨転移は(通常適応性は無いので)これまで殆ど実績がありません。
 いずれにせよ骨軟部の担当医師と技術的な相談が必要です。
・呼吸器科としてはやる方向で議題には乗せますが今日の段階ではお約束出来ません。

という所まで話し、この日は終了。
後日、9月中旬に電話で「適応可」と連絡頂く。

抗癌剤により、腰以外の患部が無くなった事で辛うじて適応条件に達した。
が、重粒子をもってしても局所制御率など、データが無い領域に至る。
8月末以降の治療経過のまとめが遅れ、2ヶ月が経過してしまった。
私の体調に関するコメントを結構頂くので、最近行った所の写真を載せます。

がんセンターの移動図書で借りた「美味しんぼ」の日本全県味巡り。
第1弾「大分県」を10回は読んだ。ここ1年、その記憶が頭から離れない。

1.旅行に行こうと思い立ち、大分県の耶馬渓へ。より紅葉してそうな
  深耶馬渓まで行ったがちょっと早かった感じ。撮影日は11月12日。
  平日の朝にもかかわらず渋滞が始まりつつあった。ギリギリセーフ。
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2.じゃあ、やっぱり湯布院にも行ってみようかな?という事で金鱗湖。
  ここも観光客だらけ。でもまあまあ清々しい感じ。
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3.大分自動車から見た由布岳。やっと運転出来るようになりQOL完全復活。
  これくらい道路がすいているとイライラしない。アクセルべた踏み。
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4.末期癌患者なので悟りでも開くか。と、修験道と仏の郷、国東半島へ。
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5.が、両子寺の駐車場でクラクションを鳴らされキレる。車の窓を開け、
  「ちょっと待っとれや!、このボケがっっ!!」と怒鳴りつける。
  残念ながら、癌になっても性格は全く変わらない。
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6.最近国内で起きた最も大きな奇跡である大分トリニータでも見に行くか、
  と九州石油ドームへ。写真は隣にあるショッピングモールの中庭。
  天皇杯では鳥栖相手にレギュラー10人を外して負けても「知らんぷり」。
  シャムスカ監督の合理性は是非見習いたい。
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次回記事からはそろそろ治療経過のまとめをアップする予定。
筑紫哲也氏を「ガン患者」という1側面で捉えるのは明らかに不十分であるので、
番組全体の構成は適当だったと思う。質の高いゲストが揃い、さながら豪華な
「通夜」といった感じ。

大まかな治療経過と「小細胞肺がん」であったこと。さらに初回治療が虎の門病院
で行われた事も公開された。番組を採点するとすれば100点満点で言って50点。

癌に関するドラマや映画、ドキュメンタリー等への私の採点は通常0点以下なので、
これはかなりの高得点。本ブログではあえて、番組の失点項目を列挙する。

・筑紫氏が癌を公表した際「早期」で「克服可能」と言及したことは後々私を混乱
 させた。手術をしなかったであろうこと、及びその後の(かなり良好な)経過と
 本人の様子からは小細胞癌も感じさせたが、だとすると「早期」という理解は
 不適切である。小細胞がんの「限局」は決して「早期」という意味ではない。

 70歳を超えているとは言え、しっかりした判断のできる筑紫さんと、天下の
 名?病院である虎の門の間ですら、本当に意志の疎通ができていたのか疑わしい。
 日本中のがん患者が抱える「医師とのコミュニケーション」という問題を番組では
 もう少し掘り下げて欲しかった。

・初回治療のレジメンと放射線の照射量・タイミングについて少しでも良いので、
 ヒントが欲しかった。どれほど筑紫さんが頑張ったか?有名病院にどれ位の技量が
 あるか?治療戦略は何より雄弁に闘病の様子を示すと考える。

 特に小細胞肺がんでは「初回治療」に全力を尽くすべきである。限局であった様
 なので肺への照射もあったと想像するが、私ならば抗がん剤の方に軸足を置く。

 この辺りは「標準治療」もあるが、試行錯誤を重ね「悩む」のが本当だと思う。
 「患者はどう考え、何を希望したか?」
 「医師はどういう立場に立ち、どのように応えたか?」
 筑紫さんの命を対価に、この程度の事が検証できなかったとすれば、マスコミや
 医療ジャーナリストの皆さんは存在する価値は無いと考える。

・終盤、UASオンコロジーの植松氏が少しだけ登場した。一般視聴者には
 「筑紫さんが最後に頼った隠れた名医」という誤った印象を与えたと思う。

 私の理解では、ごく普通の事を普通にやってるだけで、
 「家の近所にあれば通院するかも知れない」が、何かを犠牲にしてまで鹿児島に
 行くメリットは全く感じない。

 しかし世の中には少なからず「筑紫さんが行った病院」に多大な犠牲を払って
 出向く、哀れな患者が生まれる。報道に携わる者の最低限の配慮と説明責任は
 是非果たして欲しいと感じた。

・筑紫さんが聖路加病院の緩和ケアを断ったのを「意志が強く、凄い事」と評した 
 のは呆れた。本当ならこれだけで0点にして良い位である。日本のがん治療の
 将来が思いやられる。

癌で死んだ故人を貶める様で誰も言えないだろうから、あえて末期癌の私が述べる。

経済力、社会的地位、家族、友人の支援、等が筑紫さんには充分あったと想像する。
が、世の中にはもっと悲惨な病状を抱えながらまともな医者にすらかかれない
患者がいくらでも居る。筑紫さんの闘病はごく標準的なものだと思う。

闘病に関し、必要以上に美化したり、讃えたり、恐れたりするのは、仮に
私だったら是非やめて欲しいと思う。そんな事よりも社会全体が癌と癌治療に
関する理解を深めたり、問題の解決に向け進展することを望む。

そういう訳で、やや甘い採点ではあるが50点。
ヒロさん

おひさしぶりです。今夜8時ごろからTBS系列で追悼番組がある様です。
・筑紫氏の闘病の実際、と
・番組としての立場と質、

は分けて考えるべきと思いますが、とりあえず見てから記事を書くつもりです。
詳しくは後ほど、、。

study2007
他人。それも故人の闘病にコメントをするのは甚だ不謹慎と思われるが、
やはり有名人のがん治療は気になるところではある。

同じ「がんクラブ」の、ほんの少しだけ先輩として想うことを文章にしておく。
故人、及び遺族の方々には何卒お許し願えればと思う。

筑紫氏の仕事面に関して、私の言及は必要無いと考える。
惜しい人を失くしたと思うし、後に続く人材が乏しい現実に驚くばかりである。

ただ、「ガンを公表した知識人」として以下の2点が、やや残念であった。
1.禁煙の重要性を啓蒙しなかったこと。
2.治療の方法と効果を公表しなかったこと。

後述するつもりであるが、喫煙と癌の因果関係は人類が100年を費やし、
得ることが出来た、唯一にして最大の疫学的な事実である。
タバコ産業と喫煙者は人類史上最大の「大量虐殺」を毎年繰り返している。

ヘビースモーカーだった筑紫さんには、この事実を認め、注意喚起することに
抵抗感があったかも知れない。が、禁煙と40歳以上の方に検診を勧めることは、
ガンに罹患した者の責務と私は考えている。

甚だ勝手な期待ではあるが、あれほどの見識と教養を兼ね備えた筑紫さんが、
禁煙に関して強いメッセージを遺さなかったのは意外であると同時に、やはり
少し残念に感じる。


治療経過や病状は当然、高度にプライバシーが守られるべきである。

にも拘わらず多くの患者が自分の治療経過を公表するのは、主に癌治療の
情報を整理し、後に続く「後輩」の参考になる事を期待してのことである。
この想いは筑紫さんも変わらなかったであろうと信じる。

「ガンを公表し」、「治療が一時奏功した事を報告し」、「訃報」が流れる。
癌患者やその家族が欲している情報は、「その間」にこそある。

ガン治療において先輩患者の経験は、それが成功であっても失敗であっても
極めて有用である。一方で、それが有名人であればある程、患者に与える
希望や落胆の度合が大きい事を筑紫氏ならば熟知していたと想像する。

「気が向かなかった」あるいは「落胆させたくなかった」というのは完全に
正当な理由ではあるが、私としてはもう少し情報を公開して欲しかった。

次の記事で記載する予定であるが、私の理解では筑紫さんの発言と治療経過は
少し矛盾を含むと同時に、肺がん患者に混乱を与えかねない気がする。
人種、宗教、容姿、貧困、出自、名前、家庭環境、、、恐らくオバマ氏は
あらゆる差別を経験し、骨髄でその本質を理解していると想像する。

「差別する人としない人」という分け方は、通常、正確ではない。
人は誰でも、時と場合により差別をする。

違いがあるとすれば、差別行動を起こすまでの「しきい値」と「動機」。

小浜市議の一部や市長、及び小浜市民の一部は無邪気にはしゃぎ、
町おこしに利用しようとソロバンをはじいている。

「名前が同じだから」という理由で好感を持つ程度の人間は
「肌の色が違うから」という理由で簡単に敵意を持つ。

共和党はオバマ氏のミドルネームが「フセイン」である事から根拠の無い
中傷を繰り返した。「しきい値」の低い層には充分有効だからである。

小浜市長は「良い事」でもやってるつもりかも知れないが、
両者の「根っこ」が同じことをオバマ氏には見透かされるであろう。

愛想笑いぐらいはして貰えると思うが、信頼されることは永久にない。
小浜市の様子を面白がって伝えるマスコミも同罪である。

昨日、勝利演説を生中継で見た。もう少し歯の浮いた言葉が並ぶかと
思ったが、極めて落ち着いた、実質的なモノだと感じた。

全世界中継と数万人の聴衆を前に、仮にどれほど立派な原稿を用意され、
CGを駆使した合成をしたとしても、あれほどのスピーチは到底出来ない。
面白い大統領選だったが、昨日を境に私はそら恐ろしくなった。

「民主党」への政権交代という現実を受け入れられず、世界最低水準
のコメントを暗唱するのがやっと、、な麻生総理。相互理解の
かけらも理解できない小浜市長(に代表される「低しきい値群」)。

キング牧師のdreamは日本でも当分の間は実現しそうにない。
11月4日はアメリカ大統領選。
前回と前々回は失望しか無かったが今回は大変面白い。

次の日本の衆院選も数十年に一度の面白さだが、
それよりも面白いかもしれない。
(ヘタすると日本への影響も衆院選より大きいかも?)

私の興味の中心は
・マケインが何%の支持を獲得するか?
・オバマがどのような大統領になるか?
の2点。

宗教や人種差別、偏狭なナショナリズムなどに目がくらみ、
まともな判断が出来ない人間がアメリカに何%いるのか?

ブッシュ親子程度の知能しかなければ楽かもしれないが、
世界で最も困難で責任の重い「米大統領」という仕事に
高い知性と責任感を有する人間がどの程度耐えられるか?

興味は尽きない。

ちなみに日本政府からするとマケインの方が「簡単」か?
従来の外交で日米関係を一応維持できるし、なにより
麻生(or福田or安倍or小泉)vsマケイン&ペイリンなら
つりあいが取れている。見ていて気が楽である。

反面、相手がオバマだとかなりイタイ。
オバマ候補本人からは若く、柔軟な「印象」が目立つが、
チーム戦略は老獪かつ合理的なものに見える。

日本側がダサく、恥ずかしいのはまだ我慢するとしても、
米側の新スタッフとの交渉の中身も油断がならない。
しかも圧倒的な国際的人気と世論の支持が背景にある。

石川遼やタイガーウッズと最終日、最終組で回るのは
それ自体厳しい。しかもキャディやコーチも一流とくれば
尚更である。

そもそも麻生にせよ小沢にせよオバマと1打差を競うライバル
足り得るのだろうか?例えていれば予選前日のプロアマで
ゴリ押しで同じ組に入れてもらう「協賛会社の社長」程度
のレベルに見える。

いずれにせよオバマに決まれば世界は否応無しに向こう数年間、
アメリカに注目せざるを得ない。やっとヨーロッパ主導の世界
になるかと思ったのに、選挙をするだけで(タダで)アメリカ
の存在感が増すことになる。

もしも大統領選そのものが誰かの演出だとすれば大したモノである。
図は抗癌剤治療と重粒子線照射の希望スケジュールの工程表。
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放医研病院は重粒子線治療を専門としており、通常、患者は他病院からの紹介となる。
頭頸部や骨軟部腫瘍に対しては比較的(手術による侵襲が大きすぎる事から)医師から
紹介される例が多い。

しかし消化器や呼吸器の場合は、患者側が積極的に動くことが不可欠である。
特に肺癌の場合、適応になるのはI期、II期までが殆どである。
私のようにIV期で、抗癌剤が奏効するのが「前提」となるケースは稀である。

また呼吸器への照射は通算500例程度しかない。肺癌は毎年5~7万人が罹患する、
とされており、この15年間の患者総数に対する割合は、僅かに500人/100万人となる。

仮にある医師が肺癌患者2000人を担当しても、その中で重粒子を経験する患者は
「たった一人」という計算になる。理解が無くて当然と言える。

私の癌細胞は成長が極めて速く、およそ24日で体積が倍増する。抗癌剤から照射まで
の期間は極力短く設定するのが好ましい。希望照射時期から逆算し、治療や検査日程を
決めてゆく必要がある。

1.まず、抗癌剤4コース目のダメージが抜ける10月照射を目標とする。

2.すると、重粒子線治療の準備・検査に要する期間2~3週間と、倫理審査に
  要する1~2週間を合わせ、遅くとも1ヶ月前には放医研に出向く必要がある。

3.適応性審査には最低でも肺のCTと骨盤MRIが必要となる。MRIはがんセンター程
  の病院でも2~3週間前に予約を取る必要があり、早めに動かねばならない。
  しかも、その時点で肺の病巣は寛解している事が照射受け入れの最低条件となる。

抗癌剤投与や副作用の合間をぬい、紹介状やCD-R等の医療情報を準備し、
がんセンターの主治医と放医研担当医の両方の理解を得る必要がある。

私の主治医は重粒子線治療に違和感を持っておらず、私が希望すれば協力してくれる。
にもかかわらず、ギリギリの体力のなかで調整を強いられるのは実は楽ではない。

しかも世の中には治療方針に患者が意見を述べたり、提案したりするのを嫌う
医師も少なくない。ひどい場合は治療状況を聞くだけで不機嫌になる場合もある。
そういった医師に担当された場合、他院で、しかも放医研で重粒子線治療を
行うのは、例え医学的なメリットがあったとしても完全に不可能である。

重粒子線治療が正しく認識され、世の中に広まる為にはこういった障壁をも
乗り越えてゆく必要があると考える。
スライス断面にややズレがあるが、抗癌剤治療による画像上の変化をまとめる。
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1.肺内転移の再発(左上葉)は3コース後にほぼ消失。
2.骨盤転移は1コース後やや縮小したが、その後はほぼ不変。

感覚的にも画像上もやはり抗癌剤の減量が響いている印象。
せめて腫瘍径で半分くらいには持って行きたかったが失敗。

肺の方が効きが良く見えるが、主治医の見立てでは
「大きさの違いを考慮すると同等の効き具合では?」とのこと。

後日、放医研でも伺ったが「骨」転移とは言え、癌細胞は原発の細胞に
近い組織特性を持っており、抗癌剤や放射線の「効き具合」は原発に
準ずるとの認識。

つまり骨転移とはいっても、石灰化している訳では無く、元々の細胞の
水分量や酸素量を保持している?とのこと。

この結果は当初の主治医の懸念よりは良い。が、
私が期待した水準には達していない。

その中間の「最低限ここまでは効いて欲しい」という共通認識
をなんとかクリアした程度であった。