室戸岬まで行った本当の目的は東洋町まで行ってみる事。が、結局現在の公共交通機関を
もってしても日帰りでは辿り着けなかった。(骨に針を刺し始めたので外泊は1泊まで)
東洋町の「波」をライブカメラで眺めるのがせいぜい。(「ウェルかめ」の美波町よりさらに南方)

高知県内のニュースをぼけ~~っと見ていると、、
「須崎で軽自動車同士の軽い事故があり、1kmの大渋滞になった。けが人は無し。」とか
「○○中学の修学旅行は予定通り到着。御父兄の方はご安心下さい。」とか、。に混じって、

2009年11月18日
「地方議会議員のリコールを巡り、公務員が請求代表者になれるかどうかが争われた訴訟の
上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允長官)は18日、「なれない」とした
地方自治法施行令の規定は無効と判断。公務員を請求代表者として集めた署名を無効とした
1954年の最高裁判例を55年ぶりに変更した。裁判官15人のうち12人の多数意見。」
、、、という、すっごいニュースが流れた。(「修学旅行」の2つぐらい前に、、、)


・発端は、東洋町の田嶋裕起前町長が(補助金目当てで)高レベル放射性廃棄物
 最終処分場の候補地選定文献調査を原子力発電環境整備機構に申請したこと。

・当然猛反対が起こり、出直し町長選で反対派の沢山保太郎が初当選。応募撤回。

・すると今度は東洋町民から沢山新町長への批判が始まる。後援会が寝返った形。

・一方、推進派の田島毅三夫町議のリコール請求が起こされ、有権者の3分の1を
 上回る1125人分を町選管に提出。が、これを選管が受理しなかった問題。

・田島毅三夫議員は判決を受け辞職願を提出。2010年1月17日の任期満了に伴う
 町議選に再出馬する見込み、、、、。という流れ、、。

これは「原発」「環境」「地域主権」「公務員の人権」などが絡んだ大問題。
おまけに陸の孤島に暮らす3000人の人間関係は壊滅状態。
大法廷にまで達した「震源地」を是非見たかったのだが辿り着けずに終わった。

ただ、この「辿り着けない」事こそが東洋町の抱える根本問題なのかも知れない。
紀貫之の頃この付近は海賊のメッカ。平地も産業も無く昔から住民の命が安い地域。

思えば、ソマリアの海賊と東洋町推進派の「根っこ」は同種のもので、さらに、
それらを利用する「自衛隊派兵」と「核廃棄物処分」の手口も同じものに見える。

実際、東洋町やソマリアの悲惨さは恐らく私には判らない。そもそも行く事すら
出来なかったぐらいである。ただ、1月17日の町議選には注目したい。

裁判といえば鞆の浦の「景観訴訟」も話題になった。写真で見る限り、こちらも取り立てて
裕福な地域になる素養も無さそうだが、瀬戸内海の潮流が合流する「潮待ちポイント」
であることが古代からの特異点的な発展を支えた。内燃機関が発明されるまでの
2000年近くに渡り「地勢」に頼り続け、今後はその「遺跡」に頼るつもりの様である。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-鞆の浦

一方、東洋町にも「海」や「健康」と言った可能性があるかも知れない。が、もしも
「核廃棄物最終処分場」になった場合、その将来性も永久に失われると考える。
やはり1月17日の町議選は大注目である。地方の厳しさの具体例が見れる。
高知滞在中の私の最大の発見は奈良時代以前の土佐への交通・物流ルート。
これにより空海に関する私の疑問が1つ解けた気がする。

718年に野根(現高知県東洋町)から奈半利(なはり)に至る養老新道が整備されるまで、
畿内からであれ、北部九州からであれ土佐に行くルートは伊豫か宇和島を経由し、
幡多(旧中村市)から土佐国府にいたる「遠回り」をせざるを得なかったらしい、、。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-youshindo

瀬戸内海は、黒潮や対馬海流の様な一定方向の海流は無いが、潮の干満により定期的に
潮流が「反転」しており、潮と風を利用すれば「登りも下りも」自由に効率よく移動できるらしい。
数百年以上、畿内と太宰府、さらに朝鮮・大陸を結ぶ「文明の高速道路」だったかも知れない。

海上保安庁の潮流予測によるとキッチリ6~7時間おきに外海から海水が流出入し、
潮の流れが反転している事が判る。しかも1~2ノットはざらで、時速3km前後の速さ。
数tの大荷物を1日に10km以上移動させられる航路が発展したのは必然という気がする。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-seto1_1

ちなみに潮流がぶつかる「相転移」ポイントが「崖の上のポニョ」で有名な「鞆の浦」との事。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-seto2

結局、当時の大多数の人間の感覚では「伊予の向こうに宇和島があり、さらに遠くに幡多があり、
その、さらに向こう側に(あるらしい地の果ての国)が土佐、、、」という事になる。
九州や山陰、あるいは東国よりも「遠く」しかも「特に用のない土地、、」といった感じか?
その土佐国府の「最も奥」にあるのが奈半利(なはり)。現在、くろしお鉄道の終点。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-奈半利路線図

くろしお鉄道の(展望用)デッキ付き車輌。奈半利から室戸まではさらにバスで小1時間。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-車輌

川之江から高知に山越えで至る「北山越え」が開通したのが796年。空海が室戸岬で修行した
「ことになっている」のが丁度その頃。(箱根より険しい)高低差1000mの養老新道を
通ってでも迂回する室戸岬は恐らく当時の「最後の秘境」という位置づけ?。
中岡慎太郎の実家も「養老新道(野根山街道)沿い?」という感じ。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-室戸案内図

室戸の海。磯釣り客多数。足を滑らすと助からなさそう、、。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-室戸海

室戸の猫。愛想が良い。毛並みも良い。ちょっと小綺麗な感じ、、。
ジオパークに選定された地層にもたれて、くつろぎ中、、。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-室戸猫

もっと言えば「地球が平面で、毎日新しい太陽が出てくる」と信じ切っている大衆を手玉に
取るには、最も遠く、太陽の領域に隣接している「室戸岬」は極めて絶妙な道具になる?
岬近くにある御厨人窟。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-みくろ1

入り口は狭いが中は結構広い。けど当然暗い。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-弘法大師洞窟

洞窟から海を眺めた様子。多分当時からこんな感じ?、、。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-弘法大師洞窟2

私は空海は相当頭が良い人間だったと想像している。
「権威やブランドに弱く、自分で検証せず、かつ周囲に流されやすい」この国の世論形成を
熟知しているし、官僚機構の利用の仕方も判っている気配を感じる。勿論「修行」などという
非効率、不確実かつムダな事に時間を費やすはずがない。

不思議だったのは、それ程頭の良い空海にしては「室戸岬で修行した。奇跡が起こった。」
というウソは「お手軽すぎる」感じがしていた。が、今回現地に行き(北山越えの開通など)
当時の空気を想像することで、逆に「絶妙な設定だった?」と思える様になった。

設定ポイントは誰もが想像できる範囲の「ちょっと外側」ぐらいが適切なのであろう。
例えば「南米最南端のホーン岬」では当時の人間の想像力を越えすぎてリアリティーが無い。
逆に「九州や京都の山奥のどっかの寺」では世間に近すぎて付加価値がない。

現在の癌治療でもインチキ広告のキーワードは「遺伝子突然変異」とか「自己免疫力」とか
「米国の研究所」とか、である。まあ1000年後も似たような感じかも知れない。
「高知まで治療に行くなんて大変だね」と周囲には言われたが私的には楽しみなぐらい。
むしろ1ヶ月の治療期間では時間が足りなかった感じ、、。
先ず11月26日~29日には「カシオワールドオープン」。石川遼を見に行った。



治療2週目からは骨髄に針に刺す予定なので、念の為、治療第一週に行きたかった。
6月に適応除外された瞬間、再チャレンジの時期をここに再設定し、スケジュールした。
高知大病院からはバスで後免町駅へ、そこから、くろしお鉄道。夜須駅着。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-yashi1

夜須駅前の「ヤ・シィパーク」。椰子があるのでヤ・シィパーク?
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-yashi2

高知方面の海を眺めた景色。「夕日ポイント」らしいが整備され過ぎてて何かイマイチ。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-yashi3

「ヤ・シィパーク」からゴルフ場まで無料送迎バスで約20分、現地着。近い。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-kochicc

遂に見た。石川遼!。ギャラリーの90%は石川の廻りに密集。当然、一切撮影厳禁!!
帰りにゴルフ場の敷地外から最大望遠でやっと1枚、、、。これが看護婦さんに大ウケ(・∀・)。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-rishikawa

ドライバーは残念ながらこれ以上にはならないかも?あと何センチ背が伸びるかに拠る??
30ヤード以内は恐らく既に世界トップレベル。「18歳」と言ってもゴルフ歴は15年。さすが。
下手に高校や大学のゴルフ部に入らず「自分のフィーリング」でやれてきたのが良いのかも?
ヘッドスピードは現状57~59m/secぐらい。飛び抜けて速いわけではないが、フォローも
同じぐらい速いところが非凡。フェアウェイウッドやロングアイアンでベタピンに寄るのは
このフォローでの「ライン出し」が効いてるっぽい。

精神的にもほぼ「選手会長」レベル。常に周囲のギャラリーや選手に気をつかいつつ、
自分のプレーにも集中しようと努力している。もはや日本ツアーレベルを超越している?
賞金額を考えたら「米国ツアー」となるところだが、先ずは2年程度「欧州ツアー」に
参加するというのも良い様な気がする。

「高速グリーン体験コーナー」。500円のチャリティーで試合と同じ13フィートの
グリーンでパットできる。全部1パットならカシオの腕時計。約2年ぶりか、、、。
結局2パット、2パット、2パット、の賞品無し、、。確かに速い。くっそ!
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-13feetpt
高知大側の報告では(2008年時点で)
・50例中、著効は70%
・高齢者の進行乳がんに限れば15例中12例が1年以上の著効継続中。との事。

ただし放射線治療では癌種と部位を選べばこのぐらいの報告は珍しく無い。
あえて治療情報の中身を「縮退」させた統計で比べれば「重粒子も陽子もIMRTも
大して成績は変わらない、、」といった、政治的な主張も可能かも知れない。しかし、

ビームハンドリングの面倒さを差し引いても現状最も優れた線種は重粒子線であるし、
その理解は高知大の小川恭弘教授もほぼ同じだと思う。粒子線やフォトンの先進照射
装置までを含めた「実力」を把握している(意外と数少ない)医師の一人だと思う。

増感放射線の目標は低コストかつ早期に重粒子に近い治療効果を普及する事にある。
あくまでも「私の見方」なので間違いもあるかも知れないが、、

・皮膚癌、肉腫など「投与しやすい」患部には重粒子に近い効果が期待できそう。
・乳がん原発及び肺癌なども含めたリンパ節転移には早急に増感剤を併用すべき。
・消化管や(私の様な)薄い骨など粒子線が撃てない患部にはむしろ第一選択肢かも?
 カテーテルや内視鏡による増感剤注入法(抗癌剤併用?)も検討の余地があるかも?

・ただし、放射線と増感剤投与の負担を考えると多発転移患者にはやはり厳しそう。
・また、原発・転移を含め肺内の患部には恐らくリスクが高く、効果が少なそう。
・頭頸部、咽頭にも効果的だが照射源はIMRTやノバリスなど先進装置にすべき。

消化管などの患部を除き、(前処置を含めた)負担と効果の面で「重粒子を越える」こと
は恐らく難しいと想像する。しかし技術的な面だけを考えれば、殆どの放射線治療施設で
半年以内にスタート可能な治療であると思える。

実用段階での問題は前処置や患者の管理に要する人手と、手間ヒマに対する技術料
(診療報酬)の設定額・時期になるだろう。また出来るだけ多くのリニアック施設で
臨床試験を分担して進めるべきだと考える。

私自身の1症例でも初期反応としては「重粒子に近い感じ」と言っても良さそうである。
照射8回後のMRIでも縮小・変成が確認され、照射後の疼き具合も重粒子と比較して、
遜色無い程度であった。ただし、このまま局所制御に至る保証は全く無い。要経過観察。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-kochi_MRI1

骨折リスクを避け線量が足りない事と、増感剤が腫瘍全域に行き渡っていない
可能性があり、高知大としても「残存は充分あり得る」というスタンス。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-kochi_MRI2

図はT1強調像(繰り返し時間TR=400-600msec、エコー時間TE=10-12msec)
脂肪、骨髄>筋肉>浮腫、変成>水、腫瘍、、の順で白いので、腫瘍は黒っぽく映る。
中心部を除き腫瘤部が全体的に「浮腫」っぽくなった?様に見える。
これまでの実績から「重粒子、54GyE/12回」であれば私の腫瘍は制御できている。
患部に拠るが癌細胞の数は恐らく1×10^9個(10億個)から1×10^11個(1000億個)ぐらい。

「大雑把で古典的」な放射線による細胞生存率の目安として、
・2.0Gyの照射で55%
・3.0Gyの照射で35%
・4.0Gyの照射で20%
・4.5Gyの照射で15%
と仮定すると重粒子12回後の細胞数は(0.15^12をかけ)0.1個から10個程度に減ったハズ、。
まずまずだったと思っている。が、今回はそこまで追い込めない。通常は3Gy×10回どまり。

それだと(0.35^10をかけ)3万個から300万個程度癌細胞は生き残る計算。
2Gy×25回でも(0.55^25をかけ)300個から3万個程度癌細胞は生き残る。
これぐらいなら骨は溶けず再石灰化に転じるかも知れない、が癌も再燃するだろう。

これ以上の判断は素人にはムリなので小川教授に「良いプロトコルはないでしょうか?」
とお聞きしたところ「余り無茶は出来ませんが、全身状態も良く患者希望もあるので、、」
・2Gy×27回か、
・4Gy×12回(ただし回復時間をかせぐ為週3回)があり得ます。との事。

「1日おき」という考え方は微妙だが4Gy×12回なら単純計算で4~400個。
上腕の患部の大きさと感受性の良さを考え合わせると、ギリギリ制御可能かも知れない。
抗癌剤にもよるが、少なくとも1~2年は右腕は残せそうである。4Gy×12回を依頼。

しかしながら、これら計算は「あくまでも計算」の話であり、低酸素状態になってくると
(特にリニアックでのフォトンにおいて)殺傷効果が落ちてくる。(と私は信ずる)
それをカバーする為に下図の様に酸素を「供給」しながら治療を行った。

また増感剤は骨よりも腫瘍部により多く吸収される、、。、、かも知れない。つまり、
ビームによる「切り分け」は諦め、感受性による「メリハリ」も「期待」しての選択。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-zokan1

乳がんや完全に溶骨した骨転移なら「エコー」でも可能で麻酔なども軽くて済むとの事。
が、私の様な患部の場合、筋肉注射で軽く麻酔をかけ、かつ局所麻酔、CTガイド下で導入。

神経障害、大量出血、感染症、骨折、等による治療中断の可能性もある。
最悪「癌は治らない、骨も繋がらない、治療も出来ない」状態になる事もあり得る。

上腕部への処置は高知大としても第一号。万全の注意はするが保証は出来ない。
治療できるか?すべきか?針は刺さっても薬液が腫瘍内に保持されるか?不確定要素も多い。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-zokan2

最初の数回は安全の為と腫瘍の変成を狙い、増感剤は入れない。
このあたりのさじ加減は高知大側に知見と実績があり、私としては「お任せ」
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-zokan3

薬剤の注入自体には痛みは殆ど無く、処置自体には患者負担は少ない。が、私の場合の
「特殊事情」により、照射数時間後に疼き始める。(翌朝には完全に痛みは無くなる)
「効果の目安」にしているが、折角なので重粒子の際の自覚症状と比較しておく。

増感剤が入った日の照射は恐らく、相当な効果があったと「感じる」。
治療終盤になってくると増感剤を入れた日も痛みが出なくなった。これも良い兆候と想像する。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-zokan4
右上腕の転移が45mm程になって来たので(下図MRI参照)
高知大医学部での酵素標的・増感放射線治療を受ける事にした。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-mkochi_1

と言っても、まだまだ臨床試験段階である為、当然に除外規定がある。
・単発癌、もしくは単独の転移であること。
・胸水、腹水、脳転移がないこと。
・概ねPSが2以内なこと。(治療に対応できること)
・他の選択肢、効果、リスクについて患者本人が理解できていること。
・過酸化水素水が注入でき、かつ腫瘍内で保持できそうなこと。などなど、、、。
6月の初診時には他に病巣があり適応外とされたが、その後の抗癌剤治療が
奏効した事もあり、今回(11月)は何とか適応基準に滑り込んだ。

同様の治療は東京放射線クリニックでも受けられるとの事で、その点は
高知大の小川教授からも「選択肢」として明確に紹介されたが、
「私の場合、骨に針を射す必要があるのでこちらの病院で御願いしたい」旨伝え、了解を得た。

上腕部の転移は昨年から自覚症状があったし、今年の2月頃からPET、骨シンチにも
淡く集積が見られる様になってきた。5月にMRIを取ると、3cm程度の変成部位が
確認されたが、CTやレントゲンでは、まだそれ程の異常は認められない、、。

・骨転移である事は間違いないが、集積の密度は比較的軽度である。
・主要臓器でも無いし、患者本人(私)が「いつ切断しても良い」と強く主張している。
こともあり、これまでは他の患部の治療を優先し、手を出さずにいた。

さらに、難しいのは上腕部の骨は「竹筒」状の構造で、石灰部が薄い為、
強い放射線を照射すると、間違い無く「骨が壊死する」と考えられており、
粒子線治療に持ち込むことが出来なかった。

すなわち「癌を治すと骨も溶ける。逆に骨を残すと癌は根治できない」という
「王手飛車取り」状態である。抗癌剤が多少効くこともあって半年程度様子を見た。
(4Gy×15回=60Gyを約束してくれた病院もあったがリスクを考えキャンセルした)

この間に検討を重ね、選択肢としては、
・3Gy×10回=30Gy程度のリニアック照射+抗癌剤かカテーテル。
・2Gy×25回=50Gy照射のリニアック照射+抗癌剤かカテーテル。
(それぞれの場合について一応ハイパーサーミアの上乗せも行う)
・肩から切断。
・人工骨置換術(周辺の筋肉やリンパも結構取る事になる)。などで結局、
「切断に近い手術」か?運が良くて局所制御率5割前後の放射線化学療法か?という印象。

理想的な線量分布は、
・骨の内外の腫瘍には根治可能性のある照射量で、
・ただし(上腕の薄い)骨だけは温存できる程度。であろう。

が、幾何学的なシュミレーションは可能だとしても、実際のビーム散乱や
2次電子の拡がり、空間的なマージン。等を考えるとフォトンを使う限りは物理的に
不可能であろうし「重粒子+ガントリー+スポットスキャニング」に加え「電子冷却」
ぐらいが実現しないと実際的にはムリだろうと思える。
(トモテラピーやノバリス担当医にも相談したが精度・強度ともに不充分)

、、等々の経緯もあり、今回は「そうだ高知、行こう」という事に決定。

入院前に用事があって九州から高知に移動。フェリーなんか絶対イヤ、、。とすると、
福岡空港(写真)から行くしかない。JALのみ就航、料金は高く便は少ない。最悪。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-mkochi_2

「マジでこれで飛ぶの?」って感じ。ウッズの自家用ジェットの方がまだ大きそう。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-mkochi_3

高知龍馬空港の滑走路で「下車」、てくてく歩いて出口へ、、。「米国の地方路線」って感じ。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-mkochi_4

高知大病院到着。空港からタクシーで約2700円。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-mkochi_5

病棟の風呂。夜9時まで入れ、かつ希望順なので全くストレス無く過ごせる。
お湯の出がハンパ無く、このでかい浴槽が2~3分で満タンになる。これまでで断トツ。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-mkochi_6

病棟からの風景。山沿いの道路は高知自動車道。窓側ゲット。
大学病院な割には堅苦しくなく、病棟は非常に過ごしやすい。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-mkochi_7
1000年前の12月21日(旧暦ですが)は紀貫之が日本初のブログを書き始めた日。
60歳を越えるおっさんが「女性のふり」をしてみたり、匿名性を充分に活かしている。
ブログカテゴリーはさしずめ「旅」とか「患者・遺族」という感じ?

歌は詠めないものの、私も治療の為高知に行ったので「デジタル土佐日記」を
まとめてみたい。滞在期間は11月19日から12月18日までの1ヶ月間。

<土佐日記 門出>
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
それの年(承平四年、934年)のしはすの二十日あまり一日の戌の時に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。ある人縣の四年五年はてゝ例のことゞも皆しをへて、解由など取りて住むたちより出でゝ船に乘るべき所へわたる。かれこれ知る知らぬおくりす。年ごろよ具しつる人々なむわかれ難く思ひてその日頻にとかくしつゝのゝしるうちに夜更けぬ。

<現代語訳>
 男も書くとか聞いている日記というものを、女である私も書いてみようと思って書くのです。
 ある年の12月21日の午後8時ころに出発します。そのときのことを少しものに書きます。
 ある人が任国の4、5年の任期を終えて、しきたりとなっていることをすべて終えて、
解由状などを受け取って、住んでいる官舎から出て、船に乗ることになっている所へ移ります。だれも彼も、知る人も知らない人も、見送りをします。
長年、親しくつき合った人々が、本当に別れるのがつらく思って、一日中、いろいろと忙しく騒いでいるうちに、夜が更けてしまいました。、、、、、

<土佐国府及び紀貫之邸跡>
高知大病院から車で5分。国分寺の北、国府小学校前の小径を入った所。

国府跡は現在「古今集の庭」として簡素に整備されている。駐車場と案内板がある。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-kokufu1

紀貫之邸跡。「国司」とは朝廷が派遣した地方長官。任地での全権を有した。
大化の改新(646年)から1200年頃までが「国司全盛」の時代であったとすると
紀貫之が赴任した930年頃はまさに「左うちわ」の頃。が、鎌倉時代になると「幕府」
が派遣・任命する「地頭」が実力で権益を横取りする様になる。現在柱1本残っていない。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-kokufu2

「土佐のまほろば」は少なくとも2つある。1つはここ「都佐国造(現高知市、南国市)」。
もう一つは「波多国造(現四万十市周辺)」。この碑の捉え方は不充分であろう。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-kokufu3

29番札所土佐国分寺。先ずこちらから行った方が道は判りやすいかも。
軍事力と仏教は「植民地支配」の2大アイテムであり「朝廷帝国主義」の根幹。
権力の持ち主と拠点は朝廷(国府)、長宗我部(岡豊城)、山内家(高知城)と
推移してゆくが国分寺はそれらと結びつき生き残った。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-kokufu4

国分寺のサクラ?撮影日は12月6日。高知県内を廻っていると所々に植えられている。
地元の人に聞くと11月頃に咲く種類なのだとか、、、。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-kokufu5

国分寺から見た岡豊(おこう)城。あちらもすっかり「夢のあと」状態。
山内氏以降、高知中心部の鏡川が河川改修されるまでは現高知城のあたりは湿地帯。
湿地帯の東の物部川沿いの耕作地が岡豊・国府。西側の鏡川・仁淀川地域の拠点が朝倉。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-kokufu6

私が国分寺に着いてから帰るまで、ずっとアイドリング状態でたむろってたツーリング連中。
田園風景の中の古寺に無用な騒音をまき散らし、本人達は満足らしいが、いかにも興ざめ。
1000年後に癌の特効薬は出来てても、こいつらの頭を治す薬は開発できないだろう。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-kokufu7

土佐電鉄舟戸駅。信号の下の堤防の壁に看板がある。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-kokufu8

看板の拡大図。土佐大津に近くここから船出したとの事。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-kokufu9

舟戸から浦戸湾へ向かう水路。ここから京まで約50日間を要している。
718年に阿波ルートが整備されてから200年近く経っているにも関わらず、
土佐と京の間の交通がどれほど大変だったかが伺える。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-kokufu10

舟戸から国府を振り返った風景。当時はここが土佐の表玄関だったハズ。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-kokufu11
番組告知をした手前、感想を記しておく。一言で言うなら「完全に期待外れ」。
むしろ「負のアナウンス効果」が懸念される為、問題点を指摘しておく。

1.戸塚氏へのインタビュー。
先ず、戸塚氏の治療経過から得られた教訓が「抗癌剤は怖い」というもの。これは0点。
どれ程良い「情報」があっても、それを「知識」に構築出来ない典型的な例と言わざるを得ない。
念のため、戸塚氏の治療経過を再掲する。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-t090701

また本ブログの
・戸塚洋二氏の治療経過について(4.治療の別ルート)に腸閉塞や肺炎について私の見方を
示している。例えば腸閉塞の原因のより多くは抗癌剤よりも手術だと考える。
抗癌剤が怖いという迷信から逃れられず、治療回避という結論から逆算し、言い訳を
並べただけに過ぎず、事実関係の整理すら出来ていない。

戸塚氏の治療における真の問題点は「再発時の診断」と「国内の医療制度とバランスを欠い
た医療費支出」による治療方針の設計にあったと私は考えている。


2.癌遺伝子、低酸素耐性・転移、がん幹細胞について
(番組では「確定事項」の様に語られていましたが、私的には異論も多々あります、、)
「前世紀」の古い話題を聞く為にわざわざ米国まで行く理由が分からない。
がんセンターのレジデント君と昼飯でも食いながら歓談すれば同様の情報は得られる。

勿論、これらの話題は私の治療にとっても重要な示唆に富んでいる。
・癌治療(エピジェネティック)
・分子標的剤に関する良くないニュース

・癌治療(治癒しない理由)
・重粒子線治療(診療相談・(がん幹細胞の話題))

ただ、私にとって「情報」は「治るため」に必要なのであり、
何かを諦める為の言い訳に利用する感覚は理解出来ない。

例えば、強敵とされる「がん幹細胞」も重粒子を100Gy/Eも照射すれば
間違い無く死滅させられると想像する。放医研において「充分でかい原発癌」が
わずか50~60Gy/E程度で制御されている事実を「見て見ぬ振り」をするのは正直ではない。

さらに、新規抗癌剤と分子標的剤、カテーテル治療を組み合わせる事で、癌の「娘」細胞
は制御・縮小できるケースが現れてきている。

2009年現在の私の「市民感覚」から見ると、立花氏の論点と思索は癌治療のスタートライン
に立つ以前の、まるで競技場の外か、観客席での「うわさ話程度」のレベルに見える。

例えば昨今、私が気になるのは、
・例えば2cm径の「耐性腫瘍」に本当は何カ所まで重粒子照射が可能か?10回~20カ所か?
・重粒子まで落とし込む為の抗癌剤の最適な手順・手法は?
・毎年30兆円の医療費を消費しながら、なぜ「重粒子100台(0.5~1兆円)」が実現しないのか?
・毎年300億~600億円もの医療費がUFT(大鵬薬品)に投じられムダになってきたのは誰のせいか?
・ワクチン療法は何ミリ以下なら効くか?10mmか?1mmか?0.1mmか?
などである。

保険適応で分子標的剤と重粒子治療を受けられる様になれば、年間2カ所ずつ再発しても、
5年から10年制御することも不可能では無い。65歳で発病し75歳まで治療を継続
できれば、それは「勝ちにも等しい引き分け」ではないだろうか?

現状でそれが出来ないのは技術的な問題よりも、医療制度や(患者も含めた)モラルの低さ
の問題ではないかと私は考えつつある。立花氏のレポートは「がんに挑む」という立場に
おいて、観点が古く、かつ掘り下げ方も極めて浅い、表層の議論に終わったと感じる。
明日ですが、11月23日月曜22:00~23:15 NHK総合で
NHKスペシャル「立花隆 思索ドキュメント がん 生と死の謎に挑む」
が放送されるそうです。私も見ます。

専門家の受け売りに終始することの多い立花氏ですが、我々庶民が希望しても絶対
応じて貰えない研究者や研究所の取材に行った様ですので参考にはなると思います。


また、予断ですが、本日大河ドラマの「天地人」が最終回でした。予告によると来年は
福山雅治の「坂本龍馬」という事ですので、「あ~これは面白そうだな~~」と
眺めていると、さらに年末の「坂の上の雲」の予告もありました。

これは以前から「絶対見る」とチェックしていたのですが、なんと!
2009年11月29日から5回、
2010年に4回、
2011年に4回、

と、足かけ3年にわたる放送スケジュールである事が判明、、。
(そういえばJAPANデビューの一環だった様な、、)
癌患者とか高齢者には結構きついモノがあると思われます。(^∇^)
事業仕分けがネット中継されていますが、本日10時半からspring-8が議論されるそうです。
関係者の方はご注目下さい。(^-^)/。(第三会場ワーキンググループ)

他にも日程は判りませんが、以下の事業が仕分けリストに入っております。
事業仕分けに強制力は無いですが、財務省の査定には強く反映されるでしょうから、
どのような議論が為されるのか注目に値します。

まあ所謂、「原研、理研、産総研」、、、の「組織」はしょうが無いとしても、
そのとばっちりでspring-8が「廃止」とかなったら悲惨ですな。

以下のリストで私的に「温存」したいのは科研費の若手向け補助金、、だけかな?('-^*)/
大学の授業料はそもそも無料で当たり前なので、それなら奨学金も無くてもいいかな?

○ (独)産業技術総合研究所運営費交付金
○ (独)新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)運営費交付金
○ (独)原子力安全基盤機構運営費交付金
○ 国立大学法人運営費交付金
○ 大学等奨学金
○ 科学技術振興調整費(革新的技術推進費、先端融合領域イノベーション創出拠点の形成)
○ 科学技術振興調整費(若手研究者養成システム改革)
○ 科学研究費補助金(若手研究(S)~若手研究(B)、特別研究員奨励費)
○ 特別研究員事業((独)日本学術振興会)
○ 科学未来館((財)科学未来広報財団への運営委託を含む。)((独)科学技術振興機構)
○ 科学研究費補助金(特別推進研究、特定領域研究、新学術領域研究、基盤研究(S))
○ 革新的医薬品・医療機器の創出に向けた研究(分子イメージング研究(文科省、(独)理化学研
究所、(独)放射線医学総合研究所)
○ 次世代スーパーコンピューティング技術の推進((独)理化学研究所)
○ 大型放射光施設(SPring-8)((独)理化学研究所)
○ 衛星打上げ(24年度以降打上げ分)((独)宇宙航空研究開発機構)
○ 高速増殖炉サイクル研究開発(もんじゅ及び関連研究開発)((独)日本原子力研究開発機構)
○ 材料試験炉研究開発(JMTR) ((独)日本原子力研究開発機構)
○ 高レベル廃棄物処分技術開発(深地層処分)((独)日本原子力研究開発機構)
○ 国際熱核融合実験炉研究開発(ITER(サテライト・トカマク計画)) ((独)日本原子力研究開
発機構)