癌治療に関する最も重大な間違いは「2人に1人は癌になる。だから地域医療の拡充が必要」
という曲解。(勿論、一部の圧力団体はこれがウソである事は先刻ご承知の事とは思うが、、)

2人に1人が癌を経験し、3人に1人が癌で死ぬのは事実である。が、決して癌は
「罹患しやすい病気」とは言えない。1年間に新たに癌を罹患するのは60万人に
過ぎず、人口の0.5%。それも殆どが60歳以上の高齢者である。

むしろ「癌という珍しい病気にかかる程、長生きする人が増えた」というのが
正しい見方で、癌患者数は概ね100~150万人と推定されている。

専門性が求められ、治療困難な、しかし国民の約1%しか罹患していない癌の治療を、
水虫や花粉症を扱うのと同様に「均てん化」するのは救いようの無い誤りである。

そもそも国内の医療機関は水虫や花粉症の治療ですら適正には程遠い。
・約10万施設が夜間救急も大手術もしない医師数1~数人の小規模「開業医」。
・残り1万施設が「病院」だが平均医師数12~15人体制で事実上の崩壊状態。
・診療科格差も地域偏在も無秩序に放置され、科ごとの専門性すらノーチェック。

高齢化した島国の医療の限界が医師数30万人、医療費30兆円だとすれば、ドイツに倣い
・「病院」は3000施設、常勤医師は70人。24時間、365日のアクセスを原則とする。
・「開業医・診療所」は3万施設、常勤医師3人。介護、ターミナルケアも分担する。
・専門医師数、開業医数の地域調整は5年程度はドイツ医師会からの専門委員で決定する。
 その後は5年間の実績で専任された45歳以下の勤務医による「新医師会」が決める。
・開業医資格は20年以上の勤務医実績もしくは10年以上の救急外来勤務が必要。
などの「適正化」を行う以外、恐らく物理的な解は無い。

人口4万人に1病院。歩いてアクセスできない場合もある。が、車で15分移動すれば、
24時間ほぼ確実に対応可能な診療体制が実現できる。タクシー制などを併用すれば、
役に立たない病院が近所に30軒あるより遥かに確実で、安上がりである。

原則として癌治療は、この3000の病院で全症例を扱い「専門化」と「症例集約化」を諮る
べき技術である。手術さえ済めば、殆どの癌治療は数日から数週間毎のフォローで済む。
ターミナルケアを除けば通院は容易い。「均てん化」は癌治療には最悪のアプローチである。

放射線治療の1つのゴールは2020年時点で全国100カ所の重粒子線治療施設を建設し、
年間30万人の需要の大半を扱う姿である。1施設で年間2000人が目標患者数となる。
その為には2017年頃に建設費5千億円の国家プロジェクトを決断する必要がある。

「人口120万人に1台、コストもかかるが、照射した部位はほぼ確実に制御できる」
この確実さと有益さを知り尽くす為には2017年頃までに2~3万症例が必要であり、
2015年頃までに新たに先行機10施設程度を建設し治療を開始する。

加速器を用いる粒子線治療の場合、第III相試験を完遂する為には国家的な主導が
不可欠である。それだけのコストを投入する価値がある事は、既に実証されている。
東京新聞の社説に「がん粒子線治療」に関する記事が載りました。
どういう意図があるのか正確には判りませんが、この種の流説は時々流布されるので
(まだ推敲中ですが)この際、私のコメントを付し、問題点を整理しておきます。
study2007 2010年1月22日

尚、1月25日朝、東京新聞の問い合わせ先
・東京新聞へのご意見・ご要望 outou1@tokyo-np.co.jp
・Web記事について tdenden@chunichi.co.jp
に下記コメントを送付いたしました。今回はたまたま新聞社の社説でしたが、
このような論じられ方は医療現場のかなり広い範囲にも浸透しており、
常日頃から問題だと感じておりましたので、よい機会と考えます。

今回、数値や文章に整理することで、私自身の理解の矛盾点や曖昧な点も抽出する
事ができましたので、今後も加筆・訂正を続け1患者としての意見集成を継続して
行きたいと思います。ご意見、ご助言など頂ければ幸いです。
study2007 2010年1月25日

ーーーーーーーーーー記事本文。私のコメントを赤字で記載するーーーーーーーーーーーーーー
東京新聞の社説 がん粒子線治療 今からでも適正配置を

2010年1月21日

 巨額の建設費を要する、陽子線や重粒子線を使うがん粒子線治療施設の開設が、無秩序に進められてよいのか。患者の利益、地域的な配置、医療水準の向上を考えた全国的なプランがまず必要だ。

 陽子線は国立がんセンター東病院(千葉県柏市)、筑波大(茨城県つくば市)など六カ所、重粒子線は放射線医学総合研究所(千葉市)など二カ所で現在、治療が行われている。

 また群馬大(前橋市)が本年中にも重粒子線治療を始める。名古屋市は河村たかし市長当選で凍結した陽子線施設建設を、一転継続と決め、二〇一二年度開院を見込む。このほか構想段階や資金集めなど順調でないものを含めると、国内約十カ所で計画がある。

 正常細胞を避け、がん細胞をねらい撃ちでき、患者の苦痛や副作用が少ないとされる。放射線医学の専門家が注目するのは当然だろう。だが「夢の治療」と過大な期待をかける前に、慎重な検討が必要ではないか。

 まず治療の対象となるがんは転移がなく、患部が何カ所にも分かれず、しかも動かない部位に限られる。頭頸部(けいぶ)のがん、脳腫瘍(しゅよう)、肺がんの一部などである。胃がん、大腸がんは対象外だ。粒子線治療の適用患者が、何人いるかも正確なことはわからない。

→呼吸同期を取ることにより、肺などの動く部位にも粒子線治療は有効です。記事には明らかな事実誤認があります。消化管などの経時変化を指摘するのであれば明確に分けて議論すべきです。

→対象部位は他にも前立腺癌、肝細胞癌、膵癌、子宮癌、骨・軟部腫瘍、直腸・大腸の術後再発癌、悪性黒色腫など、多くの部位に及びます。記事は事実と著しくかけ離れた表現だと考えます。例えば重粒子医科学センター病院のHPhttp://www.nirs.go.jp/hospital/radiant02/radiant02_01a.shtmlをご覧下さい。

国立がんセンターがん対策情報センターの発表http://ganjoho.jp/public/statistics/pub/statistics01.htmlによれば、例えば2004年に肺癌を発症した人数は約8万人とされています。そのうち約6万人が65歳以上の高齢者です。また、がん研究振興財団http://www.fpcr.or.jp/publication/statistics.htmlの「地域がん登録における5年生存率(1997~99年診断例)」 によると宮城、山形、新潟、福井、大阪、長崎の6府県のがん登録データからの推計ですが肺癌罹患者の約50%が限局、もしくは領域期です。局所制御率が高く低侵襲な粒子線治療は高齢者には特に有益であり、このグループに「医学的適応性」があるとすれば、適用患者数は早期肺癌患者だけに絞っても年間3万人以上と推計できます。

→森田皓三 愛知県がんセンター名誉病院長らの「苦しまないがん治療の実現に向けて」の提言書 www.city.nagoya.jp/_res/usr/16832/teigen.pdfでは愛知県内の重粒子線治療需要を年間2800人と推定しており人口比で換算しますと全国では4.8万人という推計になります。
 また名古屋大学医学部の石垣武男氏は中部地区で推定される12万人の癌罹患者に対して重粒子線治療の推定患者数を年間3200人から6600人と推定しておりますwww.antm.or.jp/06koenkai/koenkai02/02_6ishigaki.pdf。全国では約60万人が新たに癌に罹患しますので全国での推定患者数は約5倍の1.6万人から3.3万人となります。ただし、これらは適応性のある患者の10%が治療を行う事を仮定しておりますので適応患者という意味では約16万人から33万人と推定されます。

→これらは医療現場の医師らの推計ですが、あくまでも根治癌を対象とした現在の適応基準に準じており、粒子線治療を何度も受けた患者の私から見ますと、むしろ過小評価に感じます。現状で治療待ち期間により適応を外れるケース、保険適応されていないことで経済的に治療を諦めるケース、これまでは適応除外されているが医学的に照射が有益な転移癌、などを含めると潜在的な需要がさらに高い事は明らかと考えます。日本放射線腫瘍学会(JASTRO)が2005年にまとめた放射線治療に関する定期構造調査http://www.jastro.jp/report/topic/070419.htmlでは年間約20万人が放射線治療を行っており、その半分が粒子線治療を受けるとしても年間需要は10万人近いと見込まれます。

→以上の様に、推計や仮定によりバラツキは有りますが年間需要は適応患者数の僅か10%と仮定しても年間1.6万人から4.8万人、適応患者数はその数倍から10倍と見込まれており、潜在的には10万人から30万人が粒子線治療により利益を得る事が推定されます。年間利用者数が10万人なのか、あるいは30万人なのか?について議論が生じることは予想できますが、その議論を曲解し、粒子線治療施設が10施設から増加するのを批判するのは定量的に不適切です。仮に20施設が稼働し、1施設で年間1000人を受け入れたとしても年間2万人ですので最低限の需要すら賄いきれません。
 もしも本当に御社が適応患者数が判らないとすれば、それは患者需要を推計するのが難しいからでは無く、物事を判断する為に必要な最低限の取材や調査を行う能力と意思が欠如しているからに過ぎません。


 ほかの放射線療法と陽子線、重粒子線による治療とどちらが有効か、たとえば治療して五年後の生存率を比較したデータも、まだ十分蓄積されていない。
→「5年生存率」は癌の治療効果を個別に計る指標としては不適切と考えます。少なくとも現在では集学的治療を行うのが一般的であり、かつ分子標的剤の奏効の程度により生存期間の分布は患者毎に年単位でばらつく様になってきました。もしも科学的な評価を望むのであれば、個々の患者が一時期受けた治療の効果を推定する指標として1~5年間の局所制御率と有害事象のグレードを併せ考えるべきと思います。

→重粒子線治療の有効性を示す一例として辻井博彦氏の報告書http://www.nirs.go.jp/hospital/result/index.shtmlを挙げます。この中では各プロトコルに対する3年局所制御率、症例数などが明記されています。それぞれの癌種において安全性と効果の確認を行う第I/II相臨床試験に必要な症例数(例えば最適化2段階デザインにおける閾値反応率を60%、期待反応率を80%、真の効果を見逃してしまう第二種の過誤を犯す率を10%以下とデザインした場合、2段階の合計で53例)は概略確保されており先進医療に移行する際の根拠となっています。またこれらの結果、明らかに治療効果のある技術が医療に寄与するのを優先する人道上の見地から、第III相試験は省略されております。記事の指摘はこれらの経緯と事実関係を踏まえておらず合理性に欠けます。

→尚、対象となる治療(例えば従来の放射線治療)との比較を行う第III相臨床試験では一般的に、観測された効果(差)が偶然である確率が5%以下になる様に、また真の治療効果が統計的に得られる期待値が90%以上になるようにデザインされます。例えば旧来型のリニアックの3年制御率が50%で、重粒子がそれより10%優れている事を示す為には約500例程度が必要とされています。放射線治療は多数の癌腫、部位について細かくプロトコルが分かれており、それぞれのプロトコルについて500例の症例を集める為にはこれまでの数倍、つまり1万5000例~2万例の治療経験が必要になります。今後年間500例ずつデータを収集しても放医研単独では30年から40年を要することになります。
 真に患者の利益と医学の進展を望むならば、先駆的な技術を合理的でない理由により40年間も飼い殺しにするのは問題があると言えます。むしろ早期に20施設程度を立ち上げ、2~3年で3万症例程度のデータを蓄積し更なる発展につなげるのが患者と国民の利益という観点で建設的な考え方だと思います。記事の御主張は定量性に欠け、かつ報道機関としての見識が疑われるものだと考えます。


 粒子線治療の中核部分は現在、健康保険は適用されない。最高三百万円の治療費は全額、患者の自己負担である。当然、収入の格差が医療の格差を生み出す。健康保険の適用を促すためには、まず症例ごとに治療の有効性が実証できる資料を、多く積み重ねる必要がある。
→例えば重粒子線治療の有効性が既に確認されている事は再三申し上げました。現在保険適応されない理由は「施設数が少ない事による偏在性」とされています。記事では治療の有効性が実証できる資料が乏しいとの科学的に誤った印象を与える記述になっており不適切です。

→収入格差が医療格差に繋がっているのは、こういった事実誤認もしくは医学的・科学的根拠にもとづかない健康保険承認のあり方に原因があると考えます。記事では、新規抗癌剤などでも度々問題視される健康保険の適応性審査に関する諸問題、さらには実質的に適応を遅らす圧力になっている医療費の非効率性や無駄に目を向けず、誤解による理由付けだけに終始しており不見識かつ稚拙だと考えます。

→また、大腸癌骨盤転移、進行性骨転移など、従来なら極めて侵襲性の高い手術か、あるいは緩和的なX線リニアックによる放射線照射しか出来なかった症例にも粒子線であれば根治的な治療が可能です。これらは今後益々必要性が高まる分野であると同時に、従来型の照射装置では治療そのものが不可能だった訳ですから、文字通り比較にならない程の有用性があります。


 既存の施設は、福島県から兵庫県までの本州中心部に偏る。これまで期待だけが先行し、半ば無秩序に施設の建設を競い合う結果になったといえないだろうか。
→例えば指宿メディポリスでも陽子線が稼働予定です。そもそも既存施設はまだ非常に少なく、その分布構造から何らかの傾向、恣意、あるいは誰かの監督責任を指摘するには飛躍があり過ぎます。

 今からでも国、自治体、放射線医をはじめがん治療の関係者が協議を進め、患者の需要と確保できる医療従事者の数、提供できる医療水準を考慮し、地域ごとの粒子線治療施設再配置のプランを策定すべきである。その上で症例のデータを増やしたい。
→繰り返し述べてきましたが有効性を証明する症例データは既にあります。現在は先行機を20台程度配備し、より詳細で広範な治療データの蓄積と量産機へのフィードバックが求められている段階にあります。記事は事実誤認と論理矛盾が並べられているだけで何ら有効な示唆を含んでいません。さらに具体的・定量的な調査、評価、提案も無く、事実誤認を流布しているに過ぎません。記事では繰り返しデータについて言及されておりますが、各開発段階における意志決定に必要な収集データ数について、もしも定量的なご見解があればご呈示下さい。それら具体的な裏付けも根拠も無いまま、想像だけで意見を述べているのだとすれば、記事執筆者及び関係者には真摯に反省頂きたく存じます。

→例えば粒子線装置の普及には先ずビーム核種の選定が必要と考えます。これは粒子線医療に従事する医療関係者と原子核物理の研究者、及び治療経験のある患者などを入れた小委員会で決定すべき技術的事項です。
 並行して粒子線治療装置に投入できる医療費の総額を決定する必要があります。これは医療体系全てを見直し科学的・医学的に検討する必要があり最も難しい課題です。私見ですが国内の叡智だけでは解が見つけられないと感じており、例えばドイツの医学界から20~30人の専門委員を推薦してもらい協力を仰ぐ必要があると思っています。現状で医療行政は各圧力団体の意向で決定される政治的事項になっていますが、本来は医学的・科学的事項ですので適正化が必要と考えます。
 粒子線源と総予算が決まれば施設数と建設場所は自動的に決まる統計的事項です。人口分布と癌の罹患率のデータから統計的、機械的に決定できます。決して政治家や医師会、産業界の意向は入れるべきでは無いと考えます。先ず全国のがんセンターに配分し、次に癌拠点病院もしくは中核の大学病院です。地域内の拠点病院間で引っ張り合いが生じた際は当該病院の医師と技師だけで相談し決定すべきです。


 人の生命を預かる治療施設が、新たな“箱物”の公共事業になることはあってはならない。
→記事でも見られるような非科学的で無責任なマスコミの姿勢もこれまでの非効率な医療行政を許した一因だったと考えます。既に存在する臨床データを意図的に無視したり、科学的根拠にもとづかない議論をエンドポイントも想定せず継続することは、有効な医療技術の普及を不当に妨げている公害の1つであり、本記事もその典型例と考えます。

→粒子線が普及するまでの期間、効果に乏しい旧技術に従事するメーカー、病院、医師、技師等は既得権益を享受し続ける事になります。事実関係を無視し、何ら必要な取材を行うことなく、矛盾を重ね続けた本記事の意図がこれら「古いハコ物」の保護であるとすれば、有効な治療を待ち望む癌患者、技術集積に寄与してきた医療・研究者、ひいては研究費を負担し将来的に粒子線治療の恩恵を受ける権利を有する国民の利益を著しく損なうものとご理解下さい。
少し唐突ですが、私の考える(この場合は癌治療についてですが)「情報」と「知識」
の違いについて模式図を載せておきます。
(あくまでも架空のネットワーク図です。固有名詞、団体名等は架空のものです、笑)

図の丸い印が「情報」でそのネットワークを「知識」と考える様にしています。
どれだけ多数の情報を収集しても、互いに検証・評価できない限り「知識」には成り得ません。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-情報と知識の違い2
1500年代「土佐だった」国は江戸期には「地方」と言う場所になる。しかも、
徳川所長がどっかから連れてきた管理職が「日本一のゴマすり侍」山内一豊。
実績もプライドもある長宗我部の遺臣に「従え」と言っても多分ムリな相談。

能力も人望も無い上司が部下を管理する最後のアイテムが「人事権」。
土佐藩の身分制度の厳しさと城の過剰さは結局「指導力不足」の裏返し?

「ポスト」が手段でなく目的化した「小さい」人材が取り立てられ、
代を経る毎に矮小化してゆく、言わば「人材のデフレスパイラル」。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-高知城紅葉

大手門と天守が現存する唯一の城とのこと。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-大手門石垣

浦戸城から運ばれ再利用された石垣。地方行政の為の「ハコ物」の礎石になるとは、、。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-高知城天守閣

天守から、はりまや橋方面。(この2枚は6月撮影)
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-天守から6月

12月は「龍馬伝」の便乗企画、夢灯籠。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-夢灯籠

そんなに寒くない。歩くのに丁度良い感じ。やっぱ高知は良いわ。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-夢灯籠2

外敵との戦では無く藩内のテロ対策用の堀。ハード的にどんなに立派であっても、
インチキな理由で建てられ、ソフト面が備わっていない城は空虚に見える。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-高知城堀

土電、枡形駅近くの堀。亀や魚や鴨がうようよ、、。半袖で散歩。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-枡形亀

太陽活動を反映するという太陽黒点の数(赤線)と、太陽風が強くなると「減る」と
いうベリリウム同位体の年次プロット(青線)。氷河の中などから採取したとの事。
太陽活動が極小になった数年後に気温低下が起こり、不作になるという説がある。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-太陽黒点

応仁の乱の頃がやはり最悪。1500年代前半も厳しい。土地に恵まれない武田信玄などは
略奪の限りを尽くす。江戸期に入ると回復傾向。が、数十年をかけ回復したと思ったら
太陽活動は低下し飢饉を起こす。下手に人口が増加するとその後の飢饉が余計きつそう。

しかも藩支出の半分は江戸屋敷で消費され、参勤交代の費用も含めると地方財政は破綻。
江戸時代を「地方分権のモデル」とか「江戸文化が華やかだった」と称するのは稚拙過ぎる。
農奴制と地方のエントロピーの蓄積で辛うじて維持されたのが100万都市「江戸」。

日清戦争ぐらいまでの戦争や侵略は殆どが飢饉に押し出されてのことの様に見える。
腹が減って死にそうなので他人のものを奪う、という最も「根源的な」行為。
子供だましの大義も、取ってつけた様な言い訳も必要ない。

が、1910~1920年代にハーバー・ボッシュ法でアンモニア合成が可能になり
「空気から肥料」が造られるようになると戦争動機は「食料以外」に転換される。
不正直な戦争を維持するために様々な「セット」や「脚本」が用意されてゆく。
1500年代土佐の「本命」は断トツで一条氏。荘園支配という旧システムの代表。
「対抗」は新興勢力の本山氏。警察・司法に加え、自らの為の徴税を始めた戦国大名。
「大穴」が長宗我部氏。地元採用の支店長ながら「一領具足」という徴兵制度を創設。

牛馬扱いだった農民に「人権」を認め、親会社を乗っ取る。創業者一族の世襲社長とは
異なり、1000年続いた雇用制度を変革。その一方で、居心地の良すぎる「安芸平野」の
安芸氏が終始脇役のまま滅びたのは必然であろう。

安芸という土地は室町時代には幕府に頼り、応仁の乱以降は幡多の一条氏に尻尾を振る。
長宗我部が怖くなれば城主の首を差し出し、山内時代においては藩の海上輸送基地。
岩崎弥太郎が後藤象二郎の腰巾着として甘い汁を啜い続ける様は象徴的である。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-安芸案内板

安芸平野に朝日が昇り、、、
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-安芸朝日

夕日が沈む、、、。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-安芸夕日

ハウス野菜が1日分成長する以外、何も変わらない安芸の1日。

先ずは岩崎弥太郎生家へ。駅から3km程?無料のレンタサイクルもあるらしいが、
癌患者なのでタクシーで向かう。帰りの足も無いので駐車場で待ってもらうが、
親切な運転手さんでメーターを止め、案内してくれる。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-岩崎案内板

ドラマなどでは「超貧乏」との事であるが、この辺りではまあまあ裕福な家柄らしい。
実家の裏山は昔から通称「岩崎山」と呼ばれ、郷士株は売ったものの庄屋に近い感じ?
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-岩崎全景

石碑と母屋の屋根は追加されたモノだが、それ以外はだいたい昔のまんま、との事。
(タクシーの運チャンが近所のおばちゃんに聞いた情報、、)
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-岩崎2

岩崎家の旧家紋。菱を3つ重ねたデザイン。大河ドラマの「龍馬伝」では、新聞記者の
インタビューを受ける岩崎弥太郎の服にもこの家紋が入っている。、、なかなか細かい。
運チャン曰く「この辺りの本当に貧乏な家には家紋なんて無いです、、」。、、だよね。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-三菱旧型

後世に追加された屋根には新型の三菱マークが入っている。岩崎家の家紋と土佐藩の
三つ葉マークを組み合わせたものらしい。いわば「政・官・業の癒着」の元祖。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-三菱新型

室内の様子。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-岩崎室内

庭石。日本列島をかたどっており、写真左が北海道、右が九州、手前が佐渡島。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-岩崎石

再びタクシーで武家屋敷付近まで乗せてもらう。30分くらいガイドをしてもらい、
料金は880円くらい?。お礼の意味も込めて2000円渡す。色々話が聞けて楽しかった。
武家屋敷といっても質素な造り。垣根も何とか?いう竹の様な生け垣。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-安芸武家屋敷

ちょっと偉いさんの家はこのくらいの壁。でも「隣の家の話し声が聞こえる」つつましさ。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-安芸武家屋敷2

安芸城の堀。近所の幼稚園児が鯉のエサやり。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-安芸城堀

正門。江戸時代になると一国一城令の為「城ではなく土居」と言い張る。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-安芸城正門

安芸城内の紅葉。戦国時代にこれだけ脆弱な城も珍しい。江戸期には完全に町役場。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-安芸城紅葉

安芸市立歴史民族資料館。手前は「毒井戸」が保存。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-安芸資料館

山内一豊の左ほほ骨から右奥歯まで貫通したという矢じり。引っこ抜いた五藤氏の家宝。
真偽の程はともかく、我々が知っている「スポーツ用品」とは異なり、完全に「凶器」。
本気で人を殺そうという「殺意」のオーラに満ちている。

弓の名手といわれた三段崎勘右衛門がどういう矢を用いたのか気になり20分くらいガン見。
矢じりの最大径10mm以上?、長さ170~180mm?、質量50~60g?とすると矢全体では~200g?。
シャフトは抜ける構造、筋肉であれ骨であれ、これが刺さると恐らく工具が無いと抜けない。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-矢じり

初速はかなり遅めでも150km/hくらい?硬球ボールより重い鉄の矢が顔に直撃?死なない
としても確実に重体。「刺さったまま闘った」というのは私の中では完全にウソと認定。
お笑い黒田に「骨折させられた」とウソの供述をしたガールズバーの店長と同程度の狂言?

資料館の展示パネル。古代からの説明文が並ぶ。山内家の政策キーワードは、
「農奴制の復活」と「身分差別」。土佐においても「暗黒の260年」が始まる。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-安芸パネル

阪神タイガースの安芸キャンプの紹介コーナーまである。素晴らしい。
村山、田淵、江夏らの往年の姿や水洗トイレの設置時期まで記録・展示されている。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-安芸キャンプ

武家屋敷から少し市内よりにある「野良時計」。農作業用の時報を発信。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-野良時計

野良時計の解説。近くにカフェがあるが今日は休み。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-野良時計解説

市内まで、まだ2kmくらい有るので、帰りはバスに乗ってみる。市内循環の小さいバス。
高齢化社会で病院を集約化するとき、こういったきめ細かいバス運行は必須かも。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-安芸バス

しょうがないので駅前で名物?ちりめん丼。高知滞在中唯一の失敗。
良く見ると地元客は皆ラーメンやカレー。これを頼んだのは私一人。くっそ。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-ちりめん丼
ドラマの主人公にするなら本山氏が最も面白い。出自も政策も判らない事が多く、
その上、他の豪族とは根本的にビジネスモデルが異なる。脚色のしがいがある。

もともと何処の誰かも判らない本山氏が目を付けたのが、現在の本山町。
数百年以上、朝廷の管理が届かず、800年経って官道が開けた四国山地の中央部。

吉野川の上流域な為?そもそもは阿波の管理下だった本山を、先ず、もぎ取る。
山奥の谷間。2009年までの5カ年平均で見ても、平均気温は14.2℃、日照は年1645時間。
高知市の17.5℃、日照2170時間とは比るべくも無い。誰がやっても「収益の出ない土地」。

その「空白地帯」で本山氏は100年以上耐えた。耐える事ができた原資は恐らく「流通」。
土佐と瀬戸内海をつなぐ陸路はここしか無い。業者は本山氏の「言い値」を支払う以外、
貿易はできない。東洋町の海賊より本山町の山賊の方が多少要領が良かったのかも知れない。

「企業舎弟」からの収益と情報を蓄えたヤクザはついに長宗我部氏の切り崩しにかかる。
1507年の細川政元暗殺を察知すると、1508年に連合軍を組織し岡豊城を陥落。同じ年、
斉藤道三より10年遅く、今川義元より10年早く、土佐最強の本山茂宗が生まれる。

室町幕府に公認された土佐守護は細川氏。その細川氏の「飼い犬」である長宗我部氏を
排除した本山氏は土佐初の「戦国大名」と定義できるかも知れない。「独立国家」の拡張
を目指す本山氏は一条氏にとって最も怖い存在であった事は間違いないだろう。

阿波と本山の境、大歩危。JRの駅があり特急が停まる。
が、見事に何も無い。駅の前はもう吉野川の渓谷。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-大歩危駅と川

大歩危峡。川下りなど。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-大歩危渓谷

吉野川の流れ。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-吉野川透明度

吉野川の透明度。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-吉野川透明度2

大豊の「日本一の大杉」。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-大杉

「大杉」。別の角度から。写真には納まりきれない。この杉の様に呼吸量を減らし、
動かずにじっとしていれば癌の罹患率も減り1000年くらい生きられる?
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-大杉2

本山氏の本拠、本山町。吉野川の流れにそった猫の額ほどの土地。
「生産拠点」には成り得ない。しかし利用価値の低さ故に攻められる心配が無い「要害」。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-本山吉野川

本山から見た早明浦ダム。街のはずれに巨大なカベがそびえ違和感がある。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-早明浦遠景

渇水で有名な「四国のいのち」早明浦ダム。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-四国のいのち

早明浦ダムの貯水量計画図。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-早明浦貯水量

早明浦ダムの各県配分量。確かに徳島にとっては生命線。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-早明浦4県配分

取水ルート。高知県内にもほんの少しは水が来ている。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-早明浦取水ルート

ダム壁面。貯水量は12月としてはまあまあ?
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-ダム壁面

ダム放水ルート。街中のすぐ横を抜けて吉野川へ。もし決壊したら本山は壊滅?
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-早明浦用水路

本山と大豊の間の道路沿いに咲くさくら?これも12月に咲く種類??
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-本山のさくら

さくら?アップ。違う花かな??、、ま、名前なんか何だっていいか、、。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-本山のさくら2

1520年代:本山氏は朝倉から仁淀川左岸までの平野に進出を果たす。領地を護るだけの
     「平たい」レースだと最下位なはずの本山氏がトップに立つ不思議さが興味深い。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-仁淀川伊野

浦戸の海。
1540年代:吉良氏を倒した頃には早明浦ダムから桂浜までを制圧する最大勢力を達成する。
     この頃、長宗我部氏は対岸の種崎に勢力を張っている。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-浦戸本山氏

1560年:本山茂宗病死。長宗我部氏が本山氏に対し挙兵。
1564年:親茂は長宗我部氏に臣従。

本山氏にとっても、また一条氏にとっても最大の誤算は「子犬」だと思っていた
長宗我部国親が「2人目の戦国大名」として質的に変化した事かも知れない。

桂浜といえば何故か「坂本龍馬」だが歴史的には浦戸城があった場所。もしかすると
土佐の郷士達にとって戦国大名たる本山氏や長宗我部氏が覇を競った浦戸は、見かけ
だけ立派で中身が空っぽな高知城より遥かに重みのある「聖地」だったのかも知れない。
高知大病院前が岡豊(おこう)城址。長宗我部氏の居城にして土佐の歴史の中心。
国分川沿いに位置し、物流、守備、水利に優れ、かつ穀倉地帯を見下ろす天然の要塞。
病院にしておくには惜しい程の優れた立地条件。登り口は反対側でかなり遠い。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-岡豊城1

病院経由で1日に数本「歴史民族資料館行き」のバスがある。が、3月頃まで休館中?
歴民奥の階段を昇りつめた先が本丸址。標高97m。ここまでも相当の坂。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-歴史民族

二の段から物部川沿いの耕作地を眺めた景色。旧国府跡や国分寺を見下ろす。
長宗我部国親ー元親の2代を見ずに土佐の歴史は理解できないだろう、、。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-二の段

二の段の案内板。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-東方面

・1504年:長宗我部国親 生まれる。
・1508年:父の兼序、本山氏、山田氏、大平氏連合軍に攻められ、岡豊城で自害。
      国親5歳?は落ち延びて(幡多に来て約30年になる)一条氏に養育される。
・1518年:国親15歳?一条氏の仲介で父の仇である本山茂宗と和睦。岡豊城に復帰。
      独自の徴用制度「一領具足」を発足。この階層が後に「郷士」化してゆく?
・1539年:長宗我部元親、岡豊城で生まれる。国親36歳。

面白いのは一条氏の動き。もちろん動機は「親切」でも「徳」でも無い。長宗我部氏の
5歳の遺児を掠め取り、絶対に消えない「15歳の火種」を都左のど真ん中に戻した。

伊予と都左に挟まれた一条氏としては、土佐中心部に傀儡政権を持ちたいところであるし、
最低でも、本山氏や安芸氏に一本化されるのだけは避けたい。公家大名として他の小豪族
同士を争わせ優位を維持しようとの政策であろう。いかにも公家らしい手法とも言える。

本丸と二の段の間の堀切と井戸。井戸は2m×2mくらいで深さは3m程度だったらしい。
水が湧くタイプでは無く「溜め池」だったとの事。私も結構探したが、これ以外に井戸
らしい窪みは無く、桶など含めても最大貯水量は20t以下という感じか、、、。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-堀切井戸

仮に300人で籠城した場合1L/人・日で頑張っても2ヶ月が限界?
スペースも300平方mの広場が2つあるぐらい。物資や武器の備蓄も限界があり、
3000人くらいに囲まれ兵糧を断ち切られると「1ヶ月程度」といった印象。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-詰め

「詰め」案内板。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-詰め案内板

本丸から国分川の眺め。3カ国に同盟されるとさすがに厳しかったであろう、、。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-詰め景色

「から堀」の説明図。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-から堀案内板

攻め手は弓矢や投石の雨の中、戸板をかかえて「ダッシュ!」。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-から堀

「虎口」。汚物や瓦礫の中、投石や矢を浴びせられながら「登り坂ダッシュ!」。最悪。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-虎口

「竪堀」。斜面に畑の畝状に溝を堀り敵の進行ルートを制限。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-竪堀

1列縦隊で進まざるを得ず、守備側からのV字砲火を受ける。殆ど罰ゲーム。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-竪堀の様子

・1547年:国親44歳。一条氏の支城である大津城を攻める。
・1560年:国親57歳。本山茂宗が病死し、女婿の茂辰が後を継ぐと本山氏を討つべく挙兵。
      浦戸城攻略後に病死。享年57。嫡男元親が家督を継ぎ、本山茂辰と戦い続ける。
・1568年:元親30歳。本山氏を滅ぼす。
・1569年:安芸氏を滅ぼす。
・1575年:元親37歳。四万十川の戦いで一条氏を撃破。土佐統一。

イラン革命で中東が面倒になった時、米国はフセインを造った。
一条氏が土佐で育てた「フセイン」は予選リーグを勝ち抜いてしまう。
土佐の国力を集中し20年かけて「公家支配」を完全に排除する。
もしもフセインが中東の統一に成功していれば、これに近い事が起こったかも知れない?

などと考えつつ川側の裏道を歩いて下る。降りた所に民家と標識。低く見えるが
本丸まではマンションの30階相当の高さがあるので歩いて登るのはお勧めしない。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-岡豊城川登り口

病院への帰り道「四国みち」に指定されている。土佐一宮方面への道でもある。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-帰り道

写真左端が高知大病院、右端が岡豊城本丸址。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-岡豊城病院

土佐統一後、長宗我部元親は織田信長と同盟?この辺りから中央の歴史に吸収されていく。
・1580年:阿波、讃岐をほぼ制圧。
・1580年:信長は元親の四国征服がやっぱり気に入らなくなり、敵対関係になる。
・1582年:本能寺の変。命拾いする。
・1585年:元親47歳。四国全土をほぼ統一。

その後、豊臣秀吉に土佐一国に封じられる。
・1588年:大高坂山城(現在の高知城)に本拠を移すが治水の悪さから再び岡豊を本拠とする。
・1591年:浦戸城を築き、岡豊城は廃城。

関ヶ原の後、山内一豊が土佐24万2千石?を与えられる。
・1601年:浦戸城に入る。大高坂山に本丸の造営と鏡川・江の口川の治水工事に着手。
      その際、浦戸城の石垣を高知城にリサイクル。
・1603年:本丸と二の丸が完成。山内一豊入城。

1500年頃、土佐全域でも4~5万貫(=10万石弱?)だった石高は100年が経過し
約20万石と評価されている。計算方法や林業、漁業、商業収入の増加もあるとは
思うが、税収の自然増に加え、長宗我部氏による阿波や讃岐からの利益誘導が伺える?
この「土佐日記」シリーズはまだまだ続く予定。理由は私が「高知」を気に入ったから、、。
病院も快適だし、どこに行っても面白い&美味しい。特に中村での食事は完璧だった。

昼はやってない店が多く、四万十市役所横の「炭や 一風」に入る。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-炭や

天然鰻のうな丼、2500円。これまでにも「天然」と称する鰻は食ったことはあるが、
ケタ違い。歯ごたえがプリプリで鰻自体の味わいも深く、、「とってもおいしいです」。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-鰻丼

天然鮎の塩焼き、1200円。季節的にはイマイチだが天然鮎の香り?みたいな
爽やかな味わい。脂もさっぱりしていて、、、「とってもおいしいです」。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-鮎塩焼き

夜はガイドブックとタクシーの運ちゃんの意見で市役所前の「季節料理たにぐち」。
「四万十川は初めてなんですが、何か四万十らしい美味しいものを、、」と訪ねると、
「四万十定食があります。Aは川料理中心で3500円。Bは海のモノも加わり4700円です。」
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-たにぐち

うっ、、、一瞬ひるんだが、「じゃ、じゃあB定食で、、」と見栄を張ると。
「でしたら、刺身かタタキかになるんですが、、どっちにします?」とのこと。
「ぐっ、、じゃあタタキは高知で食べたんで、刺身で、、」となって出てきたのが「石鯛」。
こ、れ、がっ、旨すぎる!歯ごたえ、脂の味わい、磯の香ばしさ、、まさに「芸術」の範疇。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-石鯛

帰って同病室のOさんに聞いたところ「土佐で一番美味いものは、この時期の石鯛」。
ただし運良く釣れたら市場に出るが、いつでも出回る魚では無いらしい。ラッキーとの事。

次は四万十名物、川エビ。身もミソも独特の深い甘みがあり、、「とってもおいしいです」。
私の友人のW君はエビアレルギーがあるが四万十川の川エビと富山のシラエビは大丈夫らしい。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-川エビ

なんとか?の佃煮。甘みと香ばしさが深く、、「とってもおいしいです」
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-佃煮

四万十の新?名物「あおさの天ぷら」。、、これは、まあ「普通」って感じ?
関係者の皆さんは期待している様ですが、やっぱりメイン料理には厳しいと思いますよ。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-あおさ

天然鰻の蒲焼き。、、、ああ、、、、「とってもおいしいです」
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-鰻蒲焼き

天然鮎の塩焼き。、、、、また、これも、、「とってもおいしいです」
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-たにぐち鮎

このデフレ時代に何の躊躇も無い価格設定だが、それに見合うだけの料理が出る。
運ちゃんの話では4~5件同レベルの店があり、それ以外はなかなか長続きしないとの事。
マジで、ここで暮らしたら癌も自然に治りそうな感じ、、。
平安時代(800~1200年頃)の土佐の様子を記す文献資料は殆ど残っていない様である。が、
ICPP2007の気温変動の代替分析データが空白を埋める「歴史資料」になるかも知れない。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-ICPP2007temp

「温度」の計測は最近の150年程しかされていないので、年輪の巾など、
気温に由来しそうな幾つかの指標をざっくり集めて相対値をプロットしたもの。
西暦1000年前後の「中世の温暖期」と1500年代の「小氷河期」を何となく示している。

農耕というハイテク産業が始まって以来、GDPの殆どを担っていた穀物生産が太陽活動
と気温に左右されるとしたら、この図により平安時代の土佐の様子も概略想像できる。

非効率を絵に描いた様な公家政権が続き、源氏物語などチャラチャラした暇つぶし文学が流行。
人材も政策も極めて低レベルでありながら、拡大する耕地と生産力、右肩上がりの人口増加
に支えられた。歴史的にも希な「幸せな」時期だった?と想像する。

ただ気温図が示唆するように、1100年頃にかけ生産量は減少に転じたらしく?富を守る為
に荘園領主は「番犬」を飼う様になる。ところが食料難がさらに進むと今度は「番犬」が
軍事クーデターを起こし「幕府」とか「武士」などの搾取機構をでっち上げ始める。

土佐においては「土佐七雄」という豪族に収れんしてゆく、
・本山氏 - 長岡郡5000貫を支配した。本山茂宗など。
・吉良氏 - 吾川郡5000貫を支配した。吉良親貞・吉良親実など。
・安芸氏 - 安芸郡5000貫を支配した。安芸国虎など。
・津野氏 - 高岡郡5000貫を支配した。津野親忠など。
・香宗我部氏(山田氏?) - 香美郡4000貫を支配した。香宗我部親泰など。
・大平氏 - 高岡郡4000貫を支配した。大平元国など。
・長宗我部氏 - 長岡郡3000貫を支配した。長宗我部国親・長宗我部元親など。

と、Wikipediaには載っているが、恐らくこれは各陣営の最大瞬間風速の値?
この7勢力は安芸から津野までの「都左」領域でせめぎ合っており、
同時並行的にこれらを合計した31000貫の石高が存在した感じはしない。

ちなみに1貫はSI単位系では3.75kgの重さの単位。当時は通貨制度でもあり、
1貫=1000文(匁)=戦国時代では2石?=20斗=200升=2000合=大人2000食分=2人・年の食料。
(奈良時代の1斗は現在の0.4斗らしく?1斗=米6kg程度)例えば5000貫なら1万人の国力。
実際は人口2万人をギリギリ維持したとしても、、戦闘員は最大動員でも1000人?規模?
(運搬や土木要員も含め、さらにブラフの為の「公称値」でも3000人??がせいぜい?)

また、1石の収穫が見込める面積が1反。約1000m^2(10アール)という事なので、
1万石得る為には3.3km四方の耕作地が必要な計算。安芸くらい農地があれば何とか
なるが、平野に進出する前の本山氏の領地では半分も厳しい様に思える。

都左で小豪族が削り合っている間、幡多郡(旧中村市)で優雅だったのが一條氏。
応仁の乱(1467~1477?)を避け、京都から1475年に領地である幡多郡に移住。
土佐の西半分16000貫(3万2千石)を独占。藤原氏に発した5摂家のひとつ。

現在の中村駅。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-中村駅

中村の中心部。天神橋商店街?実際はシャッター通り。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-天神

アーケードの横に一條神社の入り口。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-一条神社1

神社の様子。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-一條神社2

一條神社から眺めた中村城址
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-中村城

中村の犬。愛想が良い。通行人全員に挨拶。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-中村犬

「冷害」で全国的に無政府状態になり、食料強奪のバトル・ロイヤルが行われる時代に
年間2000時間以上の日照と、水と、平地が幡多郡にはあったと思われる。ただ1つ、
足りなかったとすれば「外界への出口」。悲願である伊予確保を「食料援助」をてこに、
この1400年代に進めていれば、例外的に地域主権社会を作れたかも知れない。

もう一つの「土佐のまほろば」。中村城址からの景色。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-幡多市街

四万十川。ガンダム的に言えば「オリジナルのGN粒子が散布されている」様な爽快感。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-四万十川

佐田沈下橋から上流の眺め。ここで暮らしたら癌も自然に治りそうな感じ、、。
広大な浅瀬のさざ波が乱反射する事により無数の光源が発生している。また山からの
空気が川の流れに沿って吹き込み、通常味わえない「光・空気感」に包まれるせい?
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-佐田沈下橋

土佐一条氏は「我が世の春」を100年延命しただけで、1570年代に予選リーグを勝ち抜いて
きた長宗我部元親に滅ぼされる。税収がある時はムダ使いに終始し、苦しくなってきたら
ジタバタし始める、、。右肩下がり時代の難しさはどの時代も同じ様である。
「検診」については、私的にはどの辺りが最適値なのか未だ結論が出ないままでいる。
が、小澤征爾さんが(癌患者のオアシス)聖路加病院?で早期食道癌を発見したとの事
なので現状の「人間ドック」について整理してみる。

まず、日本人間ドック学会のHPに載っている検診メニュー。普通はこんな感じ?
相場は決して教えてくれないが日帰りだと大体2~6万円?検査項目も「自由」診療。
<1日コース>
・身体計測、血圧、心電図、眼、聴力
・肺機能検査、胸部X線
・上部消化管X線、腹部超音波
・血液検査(腫瘍マーカー無し)、尿検査、便潜血
・内科検診
<2日コース>
上記に加え、
・直腸診
・子宮頸部細胞診
<オプション>
・乳腺、前立腺、C型肝炎
ガイドライン?では肺CTはオプション設定すらない。日帰りコースで癌が見つかれば
それは「偶然」。潜血が出てくれれば大腸癌くらいは見つかるかも??いずれにせよ癌に
ついては殆ど効果が無い上「人間ドックを受けたから大丈夫」という誤解を与えるだけ。


次に小澤征爾さんも受けた?聖路加病院の「人間ドック」。成る程、さすが、という感じ。
予防センターでの日帰りコース
・身体計測、内科診察、尿一般検査、便潜血(2日法)、血液検査(マーカー無し)
・甲状腺機能検査 TSH、FT4
・血圧、心電図、眼底、眼圧、視力、聴力、肺機能
・胸部X線検査、胸部CT検査(50歳以上)
・上部消化管X線検査、もしくは上部消化管内視鏡検査(*生検は保険診療)、腹部超音波検査
・子宮頚部細胞診、婦人科診察、乳房自己触診指導
・骨密度検査
<オプション>
・マンモグラフィー、胸部CT、喀痰、大腸内視鏡など
腫瘍マーカーは入らないものの肺CTなどがオプションに入っており「まあまあ」。
(造影剤には1万人に数人くらい重篤な副作用があり得る為、基本コースに入れにくい?)

<2日間特別ドック>
・検温・診察・身体計測・血圧・脈拍・検尿・検便・血液検査(腫瘍マーカーあり)
・安静時心電図・運動負荷心電図・肺機能検査・胸部X線検査
・腹部超音波・内視鏡検査(上部消化管または下部消化管)
・各科診察
2日目 検温・血圧・脈拍・結果診察
<オプション>
・脳ドック、胸部CT、HIV
実質的に「オプションも受けなさい」というスケジュール。「かなり充実」している。

仮に1週間コースになると肺CTや前立腺、乳房X線(マンモグラフィー)も加わる。
大腸内視鏡がオプションな事とPETが無い事以外は理想に近い。

ただし、料金もハンパ無く、最低限の胸部CTと大腸内視鏡を含むと
・日帰りコースでも結局11~12万円
・2日コースだと27~28万円(脳MRI含む)
・1週間コースに至っては67万円!
50歳から70歳まで毎年1週間コースを受けると総額1340万円。

さすが医者の守護聖人「聖ルカ」病院。
小澤征爾さんの隣の医師の笑顔が非常に印象的であった、、、。

ちなみに内視鏡で取れれば2~3週間くらいで退院できるかも知れない?
ただ7月まで休養ということは追加で何かやるのかも、、??いずれにせよ、
国宝が失われることは避けられそうである。検診の重要性を再認識させられる。

一方で、今の日本で何の自覚症状もない40~50代の社会人が20万円の
自己負担で、2日間休暇を取って「人間ドック」に行けるものだろうか?

そもそも貧乏な庶民が受ける「人間ドック」とゴルゴ13並の「人間ドック」は
全くの別モノであり、同じ名称で呼ぶこと自体にも問題がありそうである。
検査項目についても合理的な指針があるとは思えない。、、考え続けることにしたい。