平安時代(800~1200年頃)の土佐の様子を記す文献資料は殆ど残っていない様である。が、
ICPP2007の気温変動の代替分析データが空白を埋める「歴史資料」になるかも知れない。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-ICPP2007temp

「温度」の計測は最近の150年程しかされていないので、年輪の巾など、
気温に由来しそうな幾つかの指標をざっくり集めて相対値をプロットしたもの。
西暦1000年前後の「中世の温暖期」と1500年代の「小氷河期」を何となく示している。

農耕というハイテク産業が始まって以来、GDPの殆どを担っていた穀物生産が太陽活動
と気温に左右されるとしたら、この図により平安時代の土佐の様子も概略想像できる。

非効率を絵に描いた様な公家政権が続き、源氏物語などチャラチャラした暇つぶし文学が流行。
人材も政策も極めて低レベルでありながら、拡大する耕地と生産力、右肩上がりの人口増加
に支えられた。歴史的にも希な「幸せな」時期だった?と想像する。

ただ気温図が示唆するように、1100年頃にかけ生産量は減少に転じたらしく?富を守る為
に荘園領主は「番犬」を飼う様になる。ところが食料難がさらに進むと今度は「番犬」が
軍事クーデターを起こし「幕府」とか「武士」などの搾取機構をでっち上げ始める。

土佐においては「土佐七雄」という豪族に収れんしてゆく、
・本山氏 - 長岡郡5000貫を支配した。本山茂宗など。
・吉良氏 - 吾川郡5000貫を支配した。吉良親貞・吉良親実など。
・安芸氏 - 安芸郡5000貫を支配した。安芸国虎など。
・津野氏 - 高岡郡5000貫を支配した。津野親忠など。
・香宗我部氏(山田氏?) - 香美郡4000貫を支配した。香宗我部親泰など。
・大平氏 - 高岡郡4000貫を支配した。大平元国など。
・長宗我部氏 - 長岡郡3000貫を支配した。長宗我部国親・長宗我部元親など。

と、Wikipediaには載っているが、恐らくこれは各陣営の最大瞬間風速の値?
この7勢力は安芸から津野までの「都左」領域でせめぎ合っており、
同時並行的にこれらを合計した31000貫の石高が存在した感じはしない。

ちなみに1貫はSI単位系では3.75kgの重さの単位。当時は通貨制度でもあり、
1貫=1000文(匁)=戦国時代では2石?=20斗=200升=2000合=大人2000食分=2人・年の食料。
(奈良時代の1斗は現在の0.4斗らしく?1斗=米6kg程度)例えば5000貫なら1万人の国力。
実際は人口2万人をギリギリ維持したとしても、、戦闘員は最大動員でも1000人?規模?
(運搬や土木要員も含め、さらにブラフの為の「公称値」でも3000人??がせいぜい?)

また、1石の収穫が見込める面積が1反。約1000m^2(10アール)という事なので、
1万石得る為には3.3km四方の耕作地が必要な計算。安芸くらい農地があれば何とか
なるが、平野に進出する前の本山氏の領地では半分も厳しい様に思える。

都左で小豪族が削り合っている間、幡多郡(旧中村市)で優雅だったのが一條氏。
応仁の乱(1467~1477?)を避け、京都から1475年に領地である幡多郡に移住。
土佐の西半分16000貫(3万2千石)を独占。藤原氏に発した5摂家のひとつ。

現在の中村駅。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-中村駅

中村の中心部。天神橋商店街?実際はシャッター通り。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-天神

アーケードの横に一條神社の入り口。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-一条神社1

神社の様子。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-一條神社2

一條神社から眺めた中村城址
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-中村城

中村の犬。愛想が良い。通行人全員に挨拶。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-中村犬

「冷害」で全国的に無政府状態になり、食料強奪のバトル・ロイヤルが行われる時代に
年間2000時間以上の日照と、水と、平地が幡多郡にはあったと思われる。ただ1つ、
足りなかったとすれば「外界への出口」。悲願である伊予確保を「食料援助」をてこに、
この1400年代に進めていれば、例外的に地域主権社会を作れたかも知れない。

もう一つの「土佐のまほろば」。中村城址からの景色。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-幡多市街

四万十川。ガンダム的に言えば「オリジナルのGN粒子が散布されている」様な爽快感。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-四万十川

佐田沈下橋から上流の眺め。ここで暮らしたら癌も自然に治りそうな感じ、、。
広大な浅瀬のさざ波が乱反射する事により無数の光源が発生している。また山からの
空気が川の流れに沿って吹き込み、通常味わえない「光・空気感」に包まれるせい?
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ-佐田沈下橋

土佐一条氏は「我が世の春」を100年延命しただけで、1570年代に予選リーグを勝ち抜いて
きた長宗我部元親に滅ぼされる。税収がある時はムダ使いに終始し、苦しくなってきたら
ジタバタし始める、、。右肩下がり時代の難しさはどの時代も同じ様である。