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ステップあやです✨

 

 

今日はハフポストのこの記事のご紹介。

 

 

(Haffpost: 2017年06月27日 )やせ礼賛は社会による身体のいじめ。幼稚園児にまでやせ信仰が刷り込まれる異常さ。

http://www.huffingtonpost.jp/maho-isono/body_image_b_17296472.html

 

 

以下、上記リンクより。

 

 

 

▼引用ここから

 

去年の秋、震災で横浜市に転向した生徒が学校でばい菌扱いされ、不登校になった事件があった。2015年の冬には電通社員の高橋まつりさん(24)が過重労働が原因で自殺をした。


この2つのニュースは話題となり、なぜ学校は、企業はこの状況を放置していたのかという議論が巻き起こった。横浜市の事件では、当時の校長ら6人が処分となった。高橋さんの事件では、電通に捜査が入った。その上、残業100時間くらいで過労死するのは情けないと発言した大学教授が謝罪に追い込まれた。

 

 

ところが摂食障害の場合はこうはならない。
 

 

 

 

 

学校でデブと言われ続け、生理が早く来たことを男の子にからかわれ、必死になってダイエットをした結果、過食嘔吐が止まらなくなった女の子がいる。

彼氏に「女は50キロ以下でないといけない」と言われ、毎日目の前で体重を測らされた結果、食べることが怖くなってしまった女性がいる。

いじめや過労死の問題とつなげれば、彼女たちが摂食障害になった原因は、学校でデブと言われ続けたこと、彼氏に「50キロ以下になれ」と言われ続けたことになるだろう。

 

 

 

しかし違うのである。
 

 

 

「デブと言われても摂食障害にならない子もいる」

 

「そういう彼氏から離れられないあなたに原因がある」

 

「そこまで過激なことをしてしまうのは、家庭環境に問題があるのでは?」


現在主流の医学的な見方に沿うと、問題の所在はこういう形で本人の性格の弱さや生まれもった傾向、家庭のあり方に向けられる。

 

 

ひとには個人差があるから、こういう考えもありなのかもしれない。

 

しかし今一度考えてほしい。
 

 

 

 

「いじめられても死なない子がほとんど。自殺の原因は本人の性格の弱さにある」

 

「残業がそんなにつらいなら会社を辞めればいい。」

 

「自殺なんて過激なことをするのは、家庭環境に原因があるのでは?」
 

 

もしいじめや過労死が起ったとき、こういう論調で社会が一色になったらどうだろう。

 

少し怖くないだろうか。
 

 

 

 

現実に目を向けると、こういうことを言う人は確かにいる。

 

 

でもこのような意見は「そうやって個人に問題を押し付けるから同じ問題は繰り返される」というカウンターに必ず遭う。

 

社会が一つの視点に染まることはない。
 

 

 

だから私は不思議なのである。

 

日本社会には太るのが怖くてたまらなくなったり、過食嘔吐が止まらなくて困っている人がたくさんいるのに、執拗にやせさせようとする社会に目が向かないのはなぜなのかと。
 

 

摂食障害は女性の理想体型がぽっちゃりからやせ形に移行した20世紀後半に急激に患者数が増えた病気である[1]。

 

 

 

 

それまで摂食障害が医学書ではみかけたことがあるものの診察室ではめったにお目にかからない病気であったが、20世紀後半になると思春期の女の子によくみられる病気になった[2]。

 

それに加え、私たちが住む日本社会は、やせることを賛美する言葉と、太ることを否定するメッセージにあふれかえっている。

お笑い番組を見れば、恰幅のよい女芸人が自分が太っていることをネタにして笑いを取っている。

 

そしてそこで良く演じられるのは、デブでブスなのに男にモテると思い込んでいる勘違いキャラである。

 

 

 

これを見た子どもたちはきっとこう思うだろう。

 

太っていることはブスってことで、

恋愛はやせるまでお預けで、

太っていたら笑っていいんだ。

 

 

 

それだけではない。

 

 

アニメを見れば、人間離れした手足の細さを持つプリキュアの主人公が「ダイエットしなきゃ!」と叫び、小学生・中学生向けの雑誌にはダイエット特集が組まれている。
 

 

 

加えてファッション雑誌やダイエット産業から発せられるメッセージは巧妙だ。

 

現実離れしたモデルの写真と共に、「やせたらあなたはもっときれいになる」、「もっとかわいくなれる」といったメッセージが、ダイエットとからめて示され続ける。
 

 

いっけんそれはとても前向きなメッセージに思える。

 

でもその一方でやんわりと否定されているのは、それを見ている女の子の身体である。
 

 

 

 

 

太ることを否定する社会のメッセージは、いまの女性の身体にはっきりと刻み込まれている。

 

日本は先進国では稀に見る若年女性のやせすぎが問題になる国であり、近年それは30代の女性にまで広がった。

 

 

 

アイドルの体型は80年代、90年代と比べると明らかに細くなり、80年代のマネキンにいまのスキニ―ジーンズをはかせたら太もものあたりで止まってしまうほど、洋服のサイズは小さくなった。
 

 

私が去年から実施しているワークショップ「からだのシューレ」の参加者にはじめてやせたいと思ったのはいつかと聞くと、幼稚園、小学校低学年という言葉が当たり前のように出される。そして圧倒的に多いのは女性の身体が変わり始める中学生から高校生だ。
 

 

 

これは身体に対する社会のいじめではないだろうか?
 

 

幼稚園、小学校は子どもの身体がどんどんと大きくなっていく時期である。

 

中学校、高校は女の子が第2次成長期を迎え、身体が丸みを帯びてくる時期だ。

 

 

身体が成長するその時期に、

 

太ることの恐怖を途切れなく刷り込み、

やせることの素晴らしさを説き続ける社会。

 

 

 

やせること、食べることで具合が悪くなったのなら

それを本人の心のあり方に求め、

心が強ければ病気にはならないという社会。

 

 

 

これはなんだかおかしくないだろうか?
 

 

 

摂食障害を専門にする医師の中にも、大事なのは内面であって、外見は表面的なことだという人がいる。

 

でも太ること、やせることは表面的なことでは決してない。

 

 

今の社会は、太った身体に「ブス、バカ、怠惰、自己管理ができない」といったネガティブなイメージを、やせた身体には「きれい、かわいい、賢い、自己管理ができる」といったポジティブなイメージをしっかりと刻みこむ。

外見が内面のイメージとしっかりくっついているからこそ、デブと言われた子は傷つき、デブについた意味から必死に逃げようとするのである。

 

 

ありのままの自分を受けいれましょう
もっと自分を好きになりましょう

この二つは摂食障害の当事者に向けられる常套句である。

回復した当事者もよくこのようなメッセージを発する。

 

そして回復した人々がこのようなメッセージを発するのはとても大事なことだと思う。
 

 

 

 

でも一方でこうも思う。

 

 

幼稚園の子どもにすら太ってはいけないと思わせる社会にあって、ありのままの自分を受け入れることはかなりの離れ業である。

 

太っていることを人間としての質の低さと結びつける社会にあって、デブと言われて平気でいるのはもはや職人芸に近い。

 

 

 

だからこそもう一度問いたい。
 

 

 

いじめや過労死はいじめる側、企業側の問題になるのに、摂食障害は、ありのままの自分を受け入れることができない本人の問題になるのはいったいなぜなのか?

 

 

なぜ私たち大人は、体型のことで傷ついた子どもたち、若者たちに、社会が発し続けるメッセージのおかしさを伝えないのだろうか。(※)

 

 

 

 

 

そう思うからこそ、太っていることを気にしている女の子、太っていることを気にしている若い女性に、少し世代が上の、文化人類学という変わった学問を専門にしている私からこう伝えたい。
 

 

 

あなたが自分の体型についてひどく傷ついていること。

 

やせれば何かがよくなるのではと思ってしまうこと。

 

自分を受け入れることができないこと。
 

 

 

 

あなたがそう思ってしまうことはどこもかしこもおかしくない。

 

あなたが自分を受け入れられないような形で、社会はメッセージを発し続けている。

 

あなたはそんなメッセージに真剣に反応しただけなんだ。

 

 

 

 

 

※ 摂食障害のきっかけはダイエットでない場合ももちろんある。しかしここでは女性の理想体型がやせ型に変化した時期に摂食障害が急増したことに特に着目しこの記事を書いた。
 

 

 

 

 

 

********引用ここまで

 

 

ステップあやです。

 

痩せ賞賛の社会の問題についてここまで他人がいってくれると、スカッとする。

 

イジメや過労死に置き換えて考えるとほんとうにそうだ!!って。

 

 

 

 

でも,, これだけだと少し苦しくなりそうな誤解がありそうなので

 

(この記事では  社会問題に焦点をあてたかったか 文字数や文章としてのバランスで かかれなかったのもしれませんが、私の視点ではありますが少し補足を加えておきます。

 

 

 

 

上の記事のなかでは

 

現在主流の医学的な見方に沿うと、問題の所在はこういう形で本人の性格の弱さや生まれもった傾向、家庭のあり方に向けられる。

 

って書かれているけど、

 

本人の性格や環境について書かれている医師も

 

「社会の影響」が大きいことや

そういわれたことがきっかけで

病気になる人がいると分かっていて

 

 

それもちゃんと社会全体で考えていかなければならない問題だ、といってくれてる医師もたくさんいます。

 

 

 

 

 

 

つまり

 

 

”社会問題”なのは事実だから

それはそれで問題提起していくけれども

 

というのが大前提で、

 

 

 

 

心のあり方とか家族関係とか

自分と周囲が「できること」を提案してくれて

 

社会が変わるのを待たずとも、痩せにとらわれる「病気」は治りますよ、

 

っていってくれてる。

 

 

 

社会のせい「だけ」って言い切ってしまうと

(そのときはスカッとするけど)

 

 「社会が変わるまで本人は自分では何もできない。社会が変わるまで治らない。」

 

ということになってしまって

 

「社会を恨む以外にどーすりゃいいんだよ…」

 

って絶望的になってしまうからそれはそれで辛いのです・・。

 

 

 

 

 

自分自身のコミュニケーションや捉え方の癖と向き合い、ストレスから身を守る力をつけていくということも

 

「社会が変わるまでにできること」

 

 

の提案であって

 

”出来ないお前が悪いからそーなった”

 

とかって「欠点の指摘」として言ってる人ばかりじゃないんだ。

 

 

 

 

もちろん、欠点扱いする医療関係者もいるだろうけどそんな人ばかりじゃないです。

 

 

 

↑↑

 

 

 

これ、私もよくわからなくて、

 

 

価値観の歪みがどーたらこーたら

コミュニケーションがどーたらこーたら

 

って言われると、それだけで猛反発して話を聞く気にもなれなかった頃もあるので、その気持ちもわかるのですが。。

 

 

 

 

でも、同じ言葉をつかってても、私が どーせこーいってるんだろって決めつけていただけで、そんなこといってなかった人も多いものでした。。。

 

 

 

 

 

医師といっても色んな先生がいるけど、」少なくとも>ステップあやの書籍その他お勧め本で紹介してる水島広子先生の本はそのあたりのことはちゃんと、書いてくださっています。

 

 

 

 

メディアで、すでに痩せてる芸能人が痩せたーいって発言をしたら「そういう発言が摂食障害を煽てしまうから やめてください」と注意することも、その場の空気が凍ろうとも、するそうです。

 

 

先生の、本かツイッターで、そう書いてるのみたよ。

 

 

 

 

 

「そういう情報をきいても病気にならない人のほうが大多数」

 

だとしても、

 

 

だからって少数の人に対して気遣いをお願いすることすら許されないなんて、そんなあほなことはないからね。

 

 

 

 

 

 

私も、せっかく自分が苦しいの経験したし

 

今現在苦しんでる人と毎日接してる立場だから

”摂食障害にならない人”の方が多いのは知っているけど

 

体型のこうあるべき、べきでないと、

とやかく言う言葉で病気になる人や

苦しんでいる人と接してるのでごめんね”

 

と前置きして、

 

苦しい人の事情を説明したり配慮をお願いしたりすることはします。

 

 

 

 

関わったメディア関係の方にも伝えてきたけど、やっぱりメディアは売れるかどうかが大事で・・・

 

2021年追記 ↓こんなこともあった

 

 

 

 


摂食障害になるひとがいることも

その人たち向けの本の需要があるのもわかるけれど

一部の人でしょうからウチでは無理って本の企画がボツになったことも…。

 

 

 

 

痩せ賞賛の風潮っビジネスが絡んでるから昔から、社会に訴える活動をしてる人がいても変わるのは難しいのね・・・。

 

 

 

 

 

そこで今日の記事の話に戻りますが、
 

雑誌やテレビ

ダイエット食品や方法やジムの宣伝まで、

普段は自分も笑いながら見てるお笑い芸人さんのいじりのくだりや

 

痩せる太るが見た目だけの問題じゃなく自己管理できるできないとか内面にまで影響してるように刷り込まれてるっていうことは

 

私もあちこちで書いてきたのでほんとうに、そうそうそう!って思ってよみました。

 

 

 

 

思ってる事が書いてあると超スカッとします。

 

 

 


でも、ここもちょっと気に留めておいたほうがいいかもしれないとおもうことは、文中にもでてきた”ありのまま"の自分を受け入れるって言葉の意味。

 

私もいってるし、他の経験者やカウンセラーもそうってるのよくきくけど
 

「ありのままの自分=体型」を 

「受け入れる=好きになる」
っていう意味でいってる人は一部だと思う。


(そうなった人もいる、というだけで。)

 

 


私は、すくなくとも、その言葉使ってるけど

 

太っても全然大丈夫♪な心とか、デブっていわれても傷つかない♪とか、そんな心になれなくても”ありのままの自分を受け入れる”ことはできますよという風にかいていて、私自身も、そうなれたわけでないのはこれまで書いてきたとおりです。

 

 

 


でも、体型という一面ではここはいやだなって思うところがあるままでも体型が好きでも嫌いでも自分の「一部」になれば、体型が嫌いなことは「病気になるほどの重大事」には、ならないんだ。

 

 

 

私もそれに気づいて、そうなるように努力してきた。

 

 

どう努力したかって

痩せた太ったはきになりつつ、

それが気にならない完璧な体型になろうとか

それが気にならない完璧な心のなろうとかじゃなくて

 

 

体重や体型「以外」の自分を知る努力

 

自分にとっては努力と感じない「嫌じゃないこと」を伸ばす努力

 

 

そういうことをやって、自分=体型 自分=仕事の成果、みたいな苦しい価値観から抜け出す努力をしてきた。

 

 
 
 

そもそも自分はだめだ、って思いが何でもかんでも「せめて痩せなきゃ」に向かう思考癖にもだんだんと気づいてきたから、ちょっとずつ楽な考え方を身につけてきた。

 

 

 

見た目はどうでもいいと思うようになったわけでもないよ。

 

気になるからこそ、無理に痩せること以外でも痩せて見える努力はしたよ。

 

 

 

痩せなきゃできないオシャレするために

無理やり痩せる、くらいしか自分を魅せる手段なかったkど

 

 

着やせ術とか
メイクとかで

痩せなくても痩え見えするように工夫したり

 

痩せてからじゃなくjて

その時どきの「今ここ」の自分に体型にあうものもみつけたりした。

 

 


 

そんなこともしていたら、体型についてはいやだなって思うとこがあってもそれが私の全てじゃなくて一部になった

 

 

 

痩せたいな太ってやだなと思うからって、だからダイエット以外の人生すべて投げ出してまで”無理”にそう思わない体に変えなければダメ(変えないと自分はダメ)、とまでは思わなくなった。

 

 

 

 

 

つまりは

 

痩せる太るはきになるけれども
「自分全体の価値」にまで直結しなくなった、

 

それだけなんだけど。

 

 

 

それでも 

楽しくいきられるようになりました。

 

 

 

 

 

だってさ、残念なことではあるけど、今の世の中健康な女性でもほとんどの女性が自分の体型に自信がなく「痩せたい」と答える世の中です。

 

(厚労省・日本学校保健会の資料など)、

 

↓↓

右矢印調査報告、メディアに接する時間が長い人ほど自分の体が嫌いで痩せたくなる

 

 

 

 

そんなわけなので”その気持ちをなくすこと”や”体型が全く気にならない心になること”が=摂食障害が治るということでもないし=ありのままの自分を受け入れるってことでもないと思う。

 

↓↓

 

右矢印自分の体に自信をもつvsコンプレックスと共存する

 

右矢印「私痩せますか?」ベスト体重、適正体重って何? 

 

右矢印摂食障害について思うこと-1

右矢印痩せないと世間が許してくれない気がするーその1

 

右矢印回復過程‐”体重の上げ止まり”から10キロ痩せました

 

 

 


だけど、

 

「好きになれる体形に変えないと =幸せになれない」というのは勘違いで、その捉え方はこれから楽に変えていけるところ、逆にいえば、そこは、のびしろですよってこと。

 

右矢印「痩せる=幸せ」ーこの思い込みからラクになる-2

 

右矢印自己肯定感を高めるために自分を信じるのをやめてみる(えっ)

 

 

 

 

まあでも、痩せれば=幸せっていう刷り込みも社会の刷り込みのせいだ、っていったらそれも間違いじゃない。

 

よくメディアやジムやダイエット商品の広告でも痩せて世界が変わった!とか当たり前にいうし、 ダイエット番組も誰かが一旦がんばって痩せて自信がつきました、ってとこまでしか見せないし。

 

 

でも、そういうメディアや人がきっかけで病気になったのが事実でも、そんな社会が変わるまで病気は治らないとか自分の体型を好きになれるまで摂食障害で苦しむしかない、ってことではないからね。

 

 

 

■自分自身でできること

 (物事の捉え方、食に対する捉え方も含め)


■家族や彼や友達の力を借りてできること

 (ひとりで抱えない、コミュニケーションをとることでの気づき)


■そして、~ねば、~でないとダメ、にひっぱる情報・数字・人からはできるだけ離れる。心地よく過ごせる環境も人も自分が選ぶ。

 

など、そんなひとつひとつが回復の力になるのもこれまた事実です。

 
 
私のブログの過去の記事も含めて、皆さんが自分の体を好きでも嫌いでも、「そのこと」にとらわれず、自分の人生を楽しく生きられるお手伝いになれば幸いです。

 

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