↓ コチラからお読みください
>1.母が大嫌いで大好き、親を頼っていいのかわかりません
>2.拒食・過食を生み出すエネルギー
>3.親の心配は親の役割、子供が救ってやろうとする必要はなし
>4.”自立”と”頼るについて~お金・愛・優しさを「受け取る=与える」「与える=受け取る」
>5.自分の気持ちは伝わってるはず、察するべき、という思い込みから生まれるイライラ、憎しみ
ここから、↑5.のつづきです
この前から書いたことね
「頼る」「自立」について思いを巡らせても
やっぱりお母さんに色々口出して欲しくない
自分ひとりでやってみたい
っておもうなら、それはそれでいいと思うのね。
親にお金を援助してもらおうと、
自分で稼いで買ったとしても、
どちらをとっても、そらさんの「価値」は上がるわけでも下がるわけでもなく「どっちでもいいこと」だとは思う。
↑
全部自分でやったっていえば、すごいねとか言う人はいるだろうけどただそれだけのことでよくも悪くも深い意味はないと言う意味です
でも、人がどうでも自分の中で挑戦してみたいって思うなら、それも、いいと思うんだ。
問題は、そらさんがどうするかよりもきちんと、お母さんに自分の「本当の気持ち」を伝えられてないことじゃないかなって思いました。
うるさいなとか自分でやるからいいよ!とかはいってるけどそれじゃあさ、お母さんには何も伝わらないとおもうんだよ。
何をそんないやがってるん?
何をそんなに不機嫌になってるん?
って、ワケわからん状態だろうし、
そらさんが今までずっと親を頼ることにバッテンつけて頼ってこなかったから「普段から自分を頼ってくれないからここは無理矢理にでもおせっかいでも色々やってあげないと」なんてなっちゃうのかもしれないし、
単に、そらさんの気持ち、つたわってないから自分の不安や心配を解消することしかみえなくなっちゃうのかもしれないし。
気持ちがつたわれば「そうなんだね、わかった」ってあっさりなることも、そうならなくなる。
自分でやってみたいならちゃんと、その気持ちつたえてみたらいいよ。
「自分でできるかわからないけど 自分でお金ためて、どこまでできるかやってみたいんだ」って。
「自分でやってみて、難しかったり援助が必要そうだと思ったらちゃんと頼るから、 それまでは私を信じて見守っていてほしいんだよ」って。
↑
想像違うかもしれないけど なにか、言葉にしてない気持ち、あるとおもうんだ
でもそれを、自分では「自分でやるからいい!」ってお母さんに怒ったり、不機嫌の態度は見せてるから
「自分の気持ちは伝わってる”はず”」
あるいは
「その位、いわなくても察する”べき”」
って、思い込んでしまってるのかな?
そうなるとお互いのお間に「ズレ」が生じはじちゃうんだよね。
お母さんは言われないから本当にわからなくて良かれと思ってしてるだけのことも、そらさんとしては自分でやるって伝えて怒りを表現してるのに、
↓
「自分の気持ちを大切にしてもらえない」
「どうせ一人じゃ出来ないと決め付けられてる」
ってような気がする。
もしくは
「なんか理由はわからないけど、いちいちうるさい親がいけない気がする、イライラする」
となったりするのかも。
で、大好きなはずのお母さんが大嫌い、となる。
いやいや、
気持ち伝えてないから
伝わってないだけなのに(*'▽')
親子とはいえ、別の人生歩んできた別の人間だから、言葉で伝えてあげないと、子供が考えてることも、気持ちも、さっぱり伝わらないことも、全然違う意味で伝わってしまうことも一杯あるんだよ~
自分だって言われてないことは
気づいてあげられないんじゃないかな
空気読んで顔色や言葉の一部で
相手はこう思ってるに違いないと思ってたって、
実際は、自分の過去の自分のデータに照らし合わせてはじきだされた憶測にすぎないから。
「私だったら」
「私のあの時は」
「私の知ってるアノ人は」
っていう考えることはあくまでも自分のデータであって、相手には相手の感じ方と相手のデータがあるわけだから
自分の想像どおりとは限らないのよ。
この前、わたし、親の心配は親の役割だから、子供がそれをどうにかしてあげなきゃと責任感じる必要はないってかいたけど
自分の気持ちはできるだけ伝えたほうがいいよ。
いざとなったらたよるから、安心してねっていうことも。
それでも心配する人はするだろうけど、
それは心配症な人はそうなんだから、しょうがない。
心配したいのですから心配させてあげましょうよ、
ということです(^○^)
>大切な人を失う気持ち、大切な人への後悔。
>それを痛いほど理解されたあやさんの意見をお聞きしたいです。
私が、母についてあとから思うのも、「ちゃんと気持ちを伝えればよかった」ってことだよ。
そして、今ならわかる母が向き合っていた痛みや不安ごと母を抱きしめたかった。
母をもっと優しい気持ちで死なせてあげたかった。
今でも自分がしたこと、思い出せば涙が出てくるけど、「後悔」をしてるかというと、それともちがうの。
あの時は、私も母も、アレ以上どうしようもなかったのも事実だから。
もしあの時に戻れたとしても、多分同じことを繰り返したと思う。
相談できる人も、いなかったし。
どう相談していいかもわからなかったし。
今のこの気持ちはアノ時代があって、こうなったわけなので、都合よく時間だけまきもどすことなんてできないからね、、。私の命が終わったらやっとその時に母に話せるって思っておくことにしています。
私もこんななので、そらさんにも色々書いたけど、自分の気持ちすらわからないときがあるのも、わかっても伝えられないときがあるのも、本当は知ってるよ。
だから、ゆっくりでいいと思う。
感情に流されるときがあってもいい。
だけど「あとからでも」
ゆっくり自分の気持ち整理して
見えてきた自分の気持ちは伝えるようにしてみる。
説得という意味ではなくて、ただ伝える。
相手の気持ちも、どうせこうだと決めつけずに、聴いてみる。
うまくまとまらないときは「まだうまくまとまらないけど」って言えばいいんだよ。
それでいいようにいくときもいかないときもあるのが人生だけど、コミュニケーションを心がけているかどう、自分の思い込み(考え)を見直すこTもしているかどうか
ただそれだけで感じ方って楽になってくるのだと思うよ
↓
そして
自分が変わると、相手も(時間はかかることもあるけど)かわってくる(こともある)という感じです。
最初からうまくいかなくても、すこしずつ練習していけば大丈夫よ^^
うまく伝えらないのはみんなお互いさまだから(^○^)、
あと、最後にやっぱりもうひとつで終わりにします。
>家族を悪者にして、悲劇のヒロインになって”かわいそう”と思われたかった
っていうところね。
>>続きは次のページに分けました。
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