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An Ulterior Weblog

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Read-only, not set communicative and periodical updating, sorry.

「13」を英語でどう発音しますか?

 

いきなりなんだこんな問題、と怒らないでほしい。ここでちょっと条件がある。
あなたは英国北部のスコットランドのどこかの町に今居るとしての話。さて。。。

 

答えは後程にして、表題の『。。。』部分は最近出た南條竹則氏の新書である。(。。。)は私が勝手につけた。

https://www.amazon.co.jp/dp/4797680261/

南條氏は作家、翻訳家、東京外大講師。現在、59か60のお歳で東大大学院で英文学修士を得ているのに講師だから、東外大の学閥の壁だろうか。
それはさておき、本書はいま、英語を学習されている方、就学児童のいらっしゃるご家庭、これから英語を本気でやろうと考えている方がぜひ読んでほしい1冊である。いろいろな学習法の本に手を伸ばす前に是非これを読んでほしいと思い、ここにご紹介させていただく。

税込799円と特別高くはない。内容からすれば十分安い。

 

英語の歴史的な側面、大戦前までの世界語の歴史に始まり、他の言語との関係、各国の英語教育事情、早期英語教育や学習で身に付けるべきことは何かといったことが書かれている。エスペラント語の話も出てくる(日本人の理系専門書で、索引にエスペラント語が付記されたものを1冊だけ持っているが、読めない)。フランス人は話せるのに話さないというのは嘘で話せない、という話は私も現地で何度も確認している。パリ大学の学生が自分よりずっと話せなかった。早期教育については他国の例も踏まえて批判的で、失うことの方を考えていないと糾弾する。全く同意見である。

今、実用英語(著者はこの言葉にも異を唱えている)を声高に唱える人は、この日本語と相性の悪い言語を習得に費やす時間のことを考慮していない。のめり込んで点数アップにしか目がいかないからである。そのため、日本語にしわ寄せが出たり、他の趣味や活動を制限され、英語の学習をするということは何かの学習を排除していることに全く無頓着である。ちなみに意識的にか、TOEICやTOEFLといった文字は出てこなかった。英検もなかったはずである。

 

私のこれまでしてきた主張と同じである。さらに言えば、人間形成で大事な時期を英語に多く奪われ、年をとったら英語以外は大して何もできない。しかも、AIが発達してくると会話はAIがやってくれて、今までの苦労がパーとかいうことが数年後には起きかねない。いま、自分は年内には英論文を書きあげなければならないから仕方がないが、そのうち、英語の全論文を読んだAIが日本語原稿から英文を作ってくれるようになるかもしれない。
本書では早期教育について1つだけ利点を述べている。耳である。これもこれまで何度か書いてきたが、同意する。大学までどう展開すべきなのか(第二外国語まで含め、従来寄りとだけは言えるだろう)詳しくは本書を購入して読んでほしい。ここの読者が一番知りたいことかもしれないが、商売の邪魔はあまりできない。

 

ほかに英国人が見下していたアメリカ英語が大戦後世界の中心となって苦々しい思いを持っているらしいことも書かれている。
終わりには発音に関しては日本人はイタリア語やスペイン語はそれほど苦労はない(しかし、格変化とか文法が大変)。これは自分の現地経験でもそうである。とても聞き取りやすいし、こっちの発音も通じる。ドイツ語も比較的可能。フランス語は自分には英語より難しい。著者はオスマン帝国支配が今のアメリカのように進んでいたら、トルコ語と日本語は構造が似ているので、楽になったかもしれないとも書いている。

 

私には実用英語といっている人たちは受験英語で苦しめられかつ使えなかったことへの感情的な反発から偏重が強いのだろうと思う。一方で受験の方も伊藤和夫を中心として予備校の指導というものが変に独走してしまったという面がある。私はある意味両方からそっぽを向かれたようなものだが、いわゆる昔からの学校英語(予備校英語もしくは受験英語ではない)が問題はあるにせよ、結局は日本人の道に近かったと確信している。英語の何をしてきたか(文学か歴史か実ビジネスかなど)、その素養が重要だ。試験というものを絶対的な実力や指標などとみなさず、役に立たない小さなものとし、とてつもなく広い言葉の海の中で遊ぶという感覚で望まないととてもネイティブらと意思疎通など進まない。


さて、冒頭の解答。「ティルティーン」か「チルティーン」と聞こえる。決して「サーティーン」などではない。これは本書とは直接は関係なく、自分の経験。同じ英国といっても発音が全然違う。実用英語が重要と試験対策に明け暮れてばかりいても現地で過ごす力には直結しない。会話はほんとに現地もの。最終的には行って体験して身に付けるしかない。このことは本書でも述べられている。受検費用を海外見聞に回した方がよい。

新書でよくここまで多角的に書けるものだと感心した。多くの人はごく一部しか読まないかほとんど興味を示さないかもしれない。特に実用英語派の方々。その行為自体が彼らの実力の結末を示している。

 

これで英語話も終了。論文対応をきっかけに続いたがここで一旦お仕舞い。

 

 

人間というのは不思議だ。低い実力のときには上のレベルのものに全くといっていいほど歯が立たない。上は上、下は下とほとんど完全にわかれる。上の問題を3割は解けるとかいうことがない。それだから、検定試験が有効で幅を利かすことができるのだろう。にもかかわらず、TOEIC900以上から満点の人たちでも書いた英文にまともなものを見たことがほとんどない。私は自戒も込めて会話より英作文をもっと学校教育に盛り込むべきだと思っているが、学校の先生にはかなりの負担なのは事実。そのネックが日本人の英語の成績だけでなく、全体的に変な英語と言われてしまう所以だろう。

直前のエントリーで同時通訳について触れた。たまたま、そのハッシュタグ(少数の投稿で試しているところ)から現場を感じられる記事があった。

https://ameblo.jp/tsu-honyaku/entry-12280022915.html

ここに出られているのも女性だが、あまり話題になることはないように思うが、聞くところでは国連の通訳の方々の9割が女性。理由は耳がいいから。残念ながら男性は聴き取りに関しては生体的にハンディがあることがわかっている。一般に語学ができる人に女性が多いのは辛抱強く地道な作業に耐えられるというのもあるが、主に耳と言われている。

 

ところで、上の記事と似たような状況に遭遇したことがある。

ある国際ワークショップが日本で開かれたときのこと。人数的には小規模だが、世界のあちこちから重鎮的な学者が集まった。場所は東京工大の大岡山キャンパス。発表は論文の共著者である先輩が行った。英語で自分がすることになっていたのだが、日本語OKということになって、直前に変更した。

国際学会で何で?と参加経験のある方なら思うだろう。実は同時通訳がついていたからである。ワークショップに限らず同時通訳が付いた会議に参加したのは初めて。バブル時代に東大が主催元で沢山の国内外の名だたるスポンサーを得て、大きな国際会議を新宿の京王プラザホテルで開いたときでさえ、そんなことは起きなかった。ずいぶんと予算が潤沢なワークショップだと思った。

 

会場に行くと驚いた。プレハブ式の防音の専用ブースが設置されていた(会議が終わるとすぐ分解されていた)。そこに女性2名、男性1名が詰めていた。中年の女性1人がこのチームを統括していた。請負っていたのは日本が世界に誇るあのサイマルインター(SIMUL)だ!2度びっくりである。会場は大学の会議場としては大きい方で(日大のアメフト問題での会見場ぐらいか)小さいワークショップではあったが、さすがにブースがあると少し狭い感じになった。相当費用が掛かったはずだが、会場を大学内にしたことで賄えたのだろう。

 

発表は質疑含め1つにつき20分。2つ行って10分休憩という形が取られた。同時通訳者の準備のためである。各発表の原稿が事前に渡されていて(直前に呼ばれて内容に大きな違いがないか再確認された)、それをときに目で追いながら(事前に訳語や何かの書込みがあった)、発表のパワーポイントの画像とヘッドフォンからの音声をもとにマイクに向かって説明内容の通訳をする。しかし、実際の発表は全くの原稿どおりではない。基本的には発表者の口から出てきている言葉を訳していた。原稿は語彙とか概念を把握するぐらいまでのようだった。それを小さなヘッドフォンをつけていた海外の方々が聴く。発表者が日本人ならスピーカーは無音で、海外の人なら日本語が流れた(まるでCNNの2カ国語放送)。通訳の様子は上の国連の記事と全く同じ。世界から来られた方々はその技量の高さに目を丸くしていた。我々もどうして1秒程度の差で通訳が続けられるのかと驚嘆した。一番最初の通訳が始まったときは会場がざわめいた。終わりには海外組の代表者が挨拶で感謝の念を会場全体に聞こえる形で伝えたほどである。彼等も同時通訳を目の当たりにしたのは初めてのようだったし、仕事への文化的評価が高いのだろうと思う。

 

こういう現場を直接見ると、いかに日本語と欧米語の橋渡しが大変かと痛感する。通訳者たちの事前の準備の様子もそうだし、昼食時間でも英字新聞に必ず目を通し、会社にメールしたりと休み無しだった。

こういった仕事ぶり、こういう人たちのスタイルをよく知らずに、低いレベルにもかかわらず、即効性を求めた目先の学習法に頭を悩ましていても大して進歩なんかしないと心底実感した。同時通訳の方々と生で会うなんてことは人生で一度あるかないかだろう(その後無し)。こういう頂点の人たちが、振り返って、学習者は何をすべきかと教えてくれることには耳を傾けるべきで、TOEIC満点を何回取ったとかいうような人たちの教材に飛びついてもその程度でお仕舞いである。同時通訳者もそれぞれに秘訣はあるのだろうが、どうみても、巷の学習教材の世界とは無縁に思えた。辞書が電子式になったぐらいで(以前は、幾つも辞書を抱えて持参したそうである)、線を引いたりメモを取ったり、昔の勉強そのままだった。見るからに真新しい手法みたいなものは欠片も見受けられなかった。彼らはほんとに繰り返し繰り返し電子辞書と英字新聞から(当時はまだスマホは日本では高価だったし、アプリも対応が不十分だった)情報収集をして、次の仕事のための準備までしていた。今は全てスマホかタブレット1つで済むのだろうが、やることは同じ。毎日の地道な積重ねの力を感じた。

 

 

逐次通訳なら、メーカー主催のワークショップなどで何度かある。2人チームの交代制しか見たことがない。やはり、女性が多い。逐次だって大変なのだが、進行は同時通訳が圧倒的に滑らか。少なくとも半分の時間で済む。しかし、防音ブースや専用音響設備は要るし、何日か続く会議では最低でも3人はいないと疲弊するから、かなり依頼側の金銭負担が増す。どれだけ需要があるのか、AIの発展で今後どうなるのかと思ってしまう。

 

※※

こう書いて来たからといって、学習者全員が同時通訳者を目指せとか、彼等と同じことをしろと主張している訳ではない。彼等は選ばれし人間。どんなに努力しても適性無く、断念している人も少なくない。高齢では反応出来ないし、若過ぎると経験が足りない。

何より、理系の人間は論文で独自に文章を綴らねばならず、文章が事前にある通訳とはそこが根本的に異なる。しかし、いくら科学的であっても、文章は書いている人の言語空間の大きさと質で決まる。それらが貧弱だと読んで直ぐにわかる。言語空間をいかに健全に大きく作るかという点で、通訳者の学習法は役立つ。ただ、直前のエントリーのように瞬間英作文はいただけないので、それなりに選ばないといけない。

 

※※※

いつも逐次通訳でも同時通訳でも思うのが、日本人側の通訳としてネイティブの人がいないこと。日本の国連大使が喋っている場合、それを通訳するのは挙げた記事のように日本人で、一度も日本語が堪能なネイティブだったことがない。他国もそうだし、国連以外でもそうだ。自分が知らないだけかもしれないが、やはりバイリンガルだとしても母語でないと無理なのだろう。世界一通訳が重要でかつ人材豊富な国連でもこうなのだから、いかに言語間の壁は厚く高いかという証だ。

瞬間英作文というのが、いつ頃から言われるようになったのか分からないが、以下によると、ある人物が主にTOEICに対応させて言い出したらしい。瞬間英作文の説明もある。

http://www.yukihy.com/entry/2014/12/10/僕がTOEICのために使ってきた瞬間英作文の本とその
進学校で取り入れているところもあるらしいが、受験界でどれだけ名が通っているのかは知らない。
この記事では、さらに細かく学習段階を設けており、それらに合わせて教材を割り当てている。学習者はありがたく思うことだろう。
 
ここで、中学で初めて英語を習い出した頃を思い出してほしい。短文や単語熟語の暗記に終始したのではないだろうか。自分としては理系ということもあって院試までそうだった。
人間の聴覚は声変り時期までに固定されることはもはや常識だ。それだけでなく、最初に学んだことや暗記したというものはスポーツ含めて、一生心身から抜けないことは誰しも経験しているはず。
英語も変わりはない。最初に暗記させられたことがその後も残り続け、学習法を変えても消え切らない可能性は十分にある。こういう初期記憶に限らず、例えば留学初期や何か特別なやり方で成績を上げたり身に付いたものも固定記憶になりやすい。
従って、最初の小学や中学で瞬間英作文をやると、一生ものとなる可能性は高い。
 
これまで瞬間英作文は学習には不適切と言ってきたのはこれによる。大変よろしくない。
当然のことだが、英語と日本語は観念や論理が大きく異なる。翻訳でいくら頑張っても英語にしかない観念が前面に出ている英文は和文にしようがない。現在完了(その特殊用法など特に)の反映とか、幾つもの未来表現(文法上は"未来形"があるが、実用上はない)の間の違いはやはり100%を和文には出来ない。和文から英文に戻してみるとわかる。英語→日本語、日本語→英語のどちらからも同じになるということはない。それをあたかもあるかのように思い込ませるのはよくない。しかも、初期から課すと一生それが邪魔をし、チグハグな英語力にしてしまうので犯罪的とも言える。
 
極く簡単な例をあげれば、"No."という表現は「違う」「嫌だ」「とんでもない」「まさか」「はい」「ダメ」など状況でとにかく変わる。短く、いろいろに使われるからで、長い文章では一対一に対応するようにはなっていくが、完全に対応する場合は決まり文句の類で、使える場面も限定され、応用が利かない。
それを何も考えずに使い続ければ、相手と誤解やすれ違いを生む。なぜ、こんな最初から混乱を学習者に与えるようなことを提唱するのか理解に苦しむ(おそらくは、英語で商売するための道具か)。しかも、こういうのに簡単に騙されて、教育現場に使われていると聞くとぞっとする。
 
瞬間英作文が一番意味を成すのは、同時通訳という最高レベルの英語力を持った人たちの訓練で、かつ彼等はその危険性を知っているし、経験豊富だから問題ないが、初心者はむしろやってはいけないものだ。というか、彼等が元祖で、他人のふんどしに別の名前をつけて、さも新たな発明のようにしただけだろう。
同時通訳者たちは2つの全く異なる言語間に正確な関係を短時間で築いて交流を完全なものにしなければならない使命がある。生き様そのものが瞬間英作文だ。しかし、それはかなりの困難を含み、一つの特殊技能で誰でもできるものではない。将棋の名人がやっているからと素人が真似しても意味がないのと同じで、そんなものを学習初期段階から推奨すること自体、正気の沙汰ではない。我々は同時通訳の必要性はないし、英語で食べていく訳ではないのだから、試験には有効なこともあるだろうが、本当の英語力を身に付けるには却って害になる。プロでも翻訳者はやらないだろう。
 
 
英語習得法については既に書いている。最初にあげた記事のような学習は試験点数は高くなるのだろうが、結局は英語を理解せずに終る。現地で長く仕事バリバリの人はこんな学習法依存症のような話は一蹴だ。自分も昔、30ほどの教材を細かく分けてやったが、今の力の1割ぐらいか。いろいろな流派の文法からいいもの探そうとしたのと、構文系教材が特に大きなロス。
試験点数を上げる方法はあるのかと訊かれれば、ある。今まで馬鹿馬鹿しく敢えて出して来なかったが、900は超えている。何年も前で今は少し下がるだろうが、どのみち自分には意味がない。周囲もそうだ。英語の出来ない他人が納得するだけで、実態の判断など出来ない。点数でしか見ようがない。より高得点や満点の人が見下して来ることがあるが、無意味さが分からないようだ。そもそも高得点になっても実力がつかなかったから、独自の習得法というか英語への接し方を変えた。
試験対策は簡単。模擬試験の反復と頻出語彙の暗記。もちろん、具体的なやり方には独自の工夫があるが、もう個人の問題。というより、習得方法が分かってからはちょっとした試験対策で高得点が取れるようになった。こうなると、試験対策に時間を割くこと自体が無駄。今はとにかくいい論文を読んで吸収することに注力している。これは学生時代からでもやれることだ。
 
※※
英文⇔和文の直接変換はかなりの実力が要ると何度も書いてきたが、自分の習得方法の辞書読みを終えたならあまり違和感なくやれる。ただ、直接変換は通訳を目指さなければ一般的方法ではない。勝手に頭の中で英文と和文が行き来するなら構わないが、無理して作ろうと訓練するのは好ましくないし、時間も勿体ない。では、代わりの一般的方法はあるか?
試験命の人を除いて一般学習者は英英辞典にまで手が届かない。それで「英語ぐらい身につけたい」と言ってるのを聞くと眩暈がするが(身に付けるとは英語で物事を理解できること、ぐらいは理解してほしい)、最低でも英英に手が出るのが望ましい。すると、TVやネットや新聞記事で例えば step down という多義idiomを見て、'Tis "resign" here. と呟くことになる。つまり、英語で言葉を関連付け、英語内で閉じた comprehension と paraphrasing を進め、脳に英語空間を築いていく。多読しても英和だけでは無理で、それが例文の多い中辞典クラスの英英1冊丸ごと読めと言っている理由。私は読みでは英英中心で意味を確認(いちいち英和で日本語に戻っていられない)、英和は専門語用。辞書は紙中心。
点数狙いなら、英英で原書を読むようになってからが何度も受けずに済み、時間と金を節約できる。いろいろ読めるようになると、試験が空しくなるはずだ。得点は言語習得と直結しない。母語を磨きたいと入試や日本語検定を解くことしかしない日本人がいたらどうだろう。何を読んできて、感動した作品は何か、その内容は、と思うのが普通だろう。私が採用で英語力を判断するなら同じ質問をする。高得点でもきちんとした作品をまともに読んでなどいないのだから。(TIMEも論外。本を読む人がTIMEの名など挙げない)
お勧めの1つを。惑星探査機として宇宙蝶(a space butterfly)という提案がなされている。奇抜に見えて理に適っている話が多く出てくる。SF小説も吹き飛び、天才の凄さがわかる。

相変わらず英語記事が圧倒的に閲覧されているが、大学入試英語に関するものばかりだ。

 

英論文をまた書くことになった。今年になっても特許や何だかんだと英語での対応が続いている。特許はこの先も続くはずだが、前回の件があり(結局、審査官との対決に3年を要して勝利)、それに比べれば今後はとても楽と予想される。しかし、だからといって、論文が楽になるわけでもなし、その質を上げる努力は要る。今もって日本人の論文の質の悪さは言葉だけでなく払拭されてなどいない。

 

本格的な英論文を書くのはおそらく今回が最後だろう。もう一段、英語の感覚を上げて有終の美としたいところ。特許対応のこともあり、ライティングについてはずっと続けていたし、難しいといわれる参考書(残念ながら前世紀のもので絶版)にもトライした。撃沈。昨年のことである。添削の説明が英文感覚として高くて理解できなかった。というか容易に受け入れられなかった。英語の言語観としてこういうのがあるのだろうかと感じたのである。ネイティブと張り合える著者らなのは間違いないが、感覚がどうしても合わない。一旦、期間をおいて今では言っていることは理解できるが、やはり書かれた英文は感覚的に合わない。日本人だけのライティングはどうも合わないのである。

受験生の間では昔から有名(昔は英作文参考書が僅か)な佐々木高政の『和文英訳の修業』は、当時以前なら問題ない用法や例文だったのかもしれないが、今となっては間違いもしくは不適切なものが少なくないし、昔はなかったTOEFL・TOEIC関係はリーディングも含めて、点数は高いが英語が身に付いていない著者のものばかりで実力養成など到底できない。大体、TOEFL満点だろうとネイティブ級どころか実力ある大学教員に遠く及ばない知識と実力で本など出すなと言いたい。予備校講師も殆ど同じ(大矢氏など。力がないのだから少なくともネイティブチェックすべき)。

 

さて困った。そこで、一度戻る形でZ会の古い英作文シリーズの上位2冊を購入してやってみた。

文の内容そのものは難しくはないが、たとえば、一番難しいとされる自由英作文編は論理構成とかをネイティブのものに合わせている点はたしかによいのだが(英語の論理展開の本質部分は大したことのないもの。多田正行の思考訓練シリーズで指摘されている)、採点する大学の教授陣に英語の実力者はごく僅かだから(でなければ、入試問題はまともだったはず。特に私大)、彼等の実力を考慮して、解答英文は明らかに採点優先で日本人向けにしている。アマゾンなどでも高い評価を与えている人は多いし、受験の実情を考えると致し方ないが、英語の力をつける意味ではむしろよろしくない。

 

このあたりが日本の英語教育の問題であるし、教育する側、つまり大学側が情けない状況だという証拠でもある。今回の文科省による英語試験の変更は、その大学側の変革が大変なので方向を変えて民間業者に任すことにしたともいえる。文科省と大学の手抜き。本当に日本人から世界に通用する若人を育てる気なら、TOEFLだなんだという試験に任そうなどととち狂ったようなことに思いが行くことはあり得ない。これらの試験に靡くことは、両極端ともいえるほど異なる日本語と英語の言語文化の橋渡し教育はもうしないと宣言したも同然だからだ。つまり、徹頭徹尾、頭を英米化しなさいということである。日本人を捨てろと言ってるに等しい。

 

話を戻して、先のZ会シリーズでよいと言えるのは入門編と実戦編(改訂で今は書名が変わっている)、特に英文をネイティブ感覚で纏まって書かれていて和文と対照して見れる実戦編の「模範解答」である。この解答英文が自然に感じ取れてほかの英文がいかに日本人的かと思えれば、佐々木高政の著書などやる気も起きないだろう。却って自分の英文がおかしくなる可能性がある。まして、伊藤和夫など論外。以前にYouTubeで見た彼の英作文講義から察すると、あの実力では「合格解答」さえ覚束ない。実際にはもともとの課題文がいかにも日本的で英語の論理や語彙に載らないので、「合格解答」と大差がないものもあるが、歴然と差があるものもちゃんとある。差異分析は記載されていないが、そういうムラがわかるかどうかも実力のうち。

自由英作文編の解答例はあまり役立たない。書きやすい範囲で語彙と表現のレベルが必ず落ちる。実践編では既存のそれなりの和文を引っ張ってきているので、「模範解答」の質も高いわけである。

 

ビジネス系参考書になっても状況は同じ。殆どは語法に注力、日本語に引き摺られないように指導する程度で、和英辞典と英和辞典の最近の発展を鑑みれば、多くは辞書の中に答えがある。トレーニングとしてまとまっている点で短期養成に一役買うという程度の違いしかなく、どのみち、多くの英文をいろいろな媒体で読んで聴いて身に着けていくしかない。誰もが言うとおりで特効薬など無い。英語の習得は食事と同じだ。体のために栄養を考えたものを都度こつこつと摂る。それをサプリや薬で誤魔化しても意味がない。
読んで書いて聴いて話す。それを日々愚直に繰り返す以外に感覚や論理など構築できない。文法に拘泥したり、構文把握ばかりにエネルギーと時間をかけてはいけない(文法からすぐ実践読解演習に移り、凝った構文解析はしない方がいい。構文といわれるものがそのまま出てくる比率は多くないし、却って理解を浅くする。英文は一語ごとに理由があって選ばれており、受験で使う構文の類に従ってなどいない。安心して例文で語彙を増やすことを心掛け、とにかく英文を読んで書いてほしい)。

仮にネイティブに近いとすると、家でも外でも英語で考えたり、思わず呟いたりする状態ということになる。そんな状態になれるのか、どれほどかかるのかということを考えてみてほしい。だから、英語を机に向かう勉学とすべきではない。

 

そんな初歩的見直しのあとにやっているのが(難関大入試もTOEIC満点も英語を本当の意味で身に付けるという視点からは所詮初級レベル)、ライティング関係とはちょっと違う『英文創作教室』である。この書は昨年末に出たばかりで、年明けには増刷されている。
本書は正しい英文を書くための演習書ではない。アメリカ人と日本人4人ずつに各々短いストーリーを書かせ、それを現役の有名アメリカ作家がそれぞれに改善の指摘をし、書き直してもらうことをしている。8編の話が2回出てきて、それぞれへの作家の指摘が8稿、批評8稿。テーマは4種に大別され、テーマ内容の説明英文が4つ。最後に作家本人と他の作家の作品が4つ。計40の纏まった左ページの英文にすべて対訳が右ページについているという独創的構成になっている。一言なら英文作家養成講座。対訳本はたくさんあるが、中身はまるで別。本書はたくさんの文体に触れながらも、ネイティブによる練り上げがどういうものかがわかる。上級の内容で英文の質も高い。論文の添削の類はこれまでもあるが、それらとは全く異なる次元を呈している。正しい英文を書くとか、文のつなぎと展開の仕方みたいなことを指導する参考書を質的に超えるものとしては今は本書ぐらいしかないだろう。読むと気付くことはいくつかあるが、実力ではっきりと分かれるので、敢えて伏せておく(アマゾンレビューでは誰ひとり1つも気付いていないようだ)。それと関連するが、本書は学習者に必須の本ではない。その意味でいい本ともいい切れない。

 

こんな学習者みたいなことばかりやってるかというとそうではない。これらの本はほとんどの場合、トイレやロッカーに行くついでに持ち込んで読んできた。家でも会社でも。英文だけの話だから細切れ時間で対応。英語のためだけに貴重な時間を割くのはばかばかしい。すでに相当時間を無駄にした。通勤などではノーベル賞級の英米ネイティブ学者らの論文を読んでいる。中身と英語の勉強になるからである。スマホは常に携帯し、わからない単語や表現はすぐに調べられるように整備してある。映画のスクリプトも探せるようにしてあるので、検索して見つからないようなものは特殊な用法か存在しない言葉と考えていい。
論文対策はざっとこんなもの。そんなこんなで現在は英語の時間帯が増え、日本語の中に勝手に混ざってくるようになった。ちゃんぽん状態になっている。日本語が完全に追い出されていた英英辞典読みのときを除くと、英和辞典を読んでからは初めての英語洗脳に近い状態である。ただ、注意してほしいが、英会話の缶詰コース同様、英語脳状態になってもそれは自分が持ってる語彙レベルでの範囲であって、決してネイティブレベルなどにはならないし、日本で生活していて、いつもちゃんぽん状態としたらその人は異常である。英語でいつでも反応できるなんて国際結婚や外資にいるのでも無ければ日本にいる日本人としておかし過ぎる。日本から出て戻らない方がいいだろう。

 



今回はライティングという視点の関係で全体の見直しについては触れていない。見直し中の一つとして、論文作成に絡んで行っている。のんびりやっていたのだが、論文と特許がまた迫ってきた関係でそうもいかなくなった。なお、ライティングの意外な重要度については当ブログの以下を参照願いたい。

https://ameblo.jp/speedflex/entry-12258297975.html

今の英語学習者はその達成レベルについてあまりに幻想を持ち過ぎだ。そこに到達は可能だが、想像絶する時間消費になる。自分が今まで使った時間と現在の実力をよく吟味してほしい。学習法で縮めることはほとんどできないし(示唆的なだけ)、人生を代償とすることになる。

 

※※

Z会の書籍に限らないが、最近の本は辞書含めてカラフルでレイアウトも五月蠅すぎる。答えの英文の背景が塗りつぶしだったり、違う色の枠が入ったり、枠がいくつもあって矢印がついていたり、単語の色がころころ変わったり。視覚的にすぐにわかるように訴えるのはわかるが、いい書籍はその後も何度も使うのである。そのときに、過剰な効果は却って邪魔。世の中の軽佻浮薄さは不可逆で、やる気のない人間にも売込もうという出版事情の厳しい昨今、わからないではないがもう少し考えてほしい。読もうとしている英文に枠など元々ないし、色づけされているわけでもない。まして、真っ新な原書に枠をつけたり、矢印でまとまりを示すことが読者の作業などでは決してない。マーカー引いたりすることはあろうが、それは英文を理解するためではなく、意味するところを自分の生き方に活用するためだろう。さすがに『英文創作教室』にはそんな悍ましい印刷やレイアウトはされていない。

科学英論文に特化して技法を学びたいなら次をお勧めする。こんなのは当たり前ぐらいになっていないと、まともな論文など書けない。訳書が出ているが、不評なのと、本原書を読めないようなら、そもそも英論文を出す段階にない。

https://www.amazon.com/Science-Research-Writing-Non-Native-Speakers/dp/184816310X/

日本側代表は、ライティングにおいて日本語といかに英語の論理意識が違うか、以下が有益。比較言語論的で、ここまで徹底して指摘してくれると論文やレポートの質は格段に上がる。ちなみに、論文と違い、本ブログはほとんど日本語式で、この本の指摘には沿っていない。

https://www.amazon.co.jp/dp/4871382370/

本当にいい論文は自分の言葉で書けるようになってからだが、そこまで行くのが大変。上の両書はその入口までのいいガイドである。技術英文については事典ともいえるこちらがほぼ最後の砦。

https://www.amazon.co.jp/dp/4621045369

 

※※※

ネイティブとの共著だから安心かというとそうでもない。今回の自由英作文編でもp.108 に「even though のあとは事実、even if のあとは仮定」と記述があるが、even if のあとにも事実は来る(Ex. That was a good meal, even if it was a bit small.)。そのときは even though の方が硬い言い方になる。仮定では even if が基本だが、譲歩では交換可能で使用状況でほぼ分離、重なりが少ない。しかし、受験ごときではこの区別までは不要だろう。一番勘違いされる点を明確にした結果と思う。こういう点で受験参考書は要注意なのだが、いかんせん、TOEICや英検などの実用系参考書の質が低いもしくは悪いので、ほとんど使えない(その証拠に網羅的なしっかりした文法書が未だない)。

以前にネイティブによっても言うことが違うと書いたのはこのような語法や意味の個人差だ。しかし、これは完璧な辞書がないのと同じようにこの本をやっていれば盤石というのがない。だから、何を読むか聴くか、どれだけ大量に消化するかで調節していくしかない。一つの教材を暗記するまでやるなというのはこういう理由からで、どうせ共通したところは他も同じで、復習しながら新たな調整ができる点で参考書も繰り返しより、多くをやる方がよい。

それにしても、これだけネットで視聴や書込みすることが増えているのに佐々木高政の著作が今も支持されるのは、如何に日本人の実力が上がっていないかを示している。昔は彼の著作をやって受験した学生は抜群の成績を収めていただろうが、今は不適。と言って、英作文で佐々木以上の日本人の学者も多分片手の数しかいないから、痛し痒し。

サッカーにはほとんど興味がない。もともと好きになれない。

プロと言いながら肥満体型の多い野球選手を見れば、野球がスポーツでないことがわかる。マラドーナやロナウジーニョなど、歴史的にも屈指の選手でありながら、ワールドカップの決勝で当然のように「神の手」などという反則はやらかすわシミュレーションはするわ、どこにスポーツ精神があるのかという気しかしない。英の名選手ベッカムはサッカーよりラグビーの方がいいスポーツだと言い放ったのが事実を物語っている。

 

今回のサッカーワールドカップ(「ワールドカップ」と正式な名前で始めた最初のスポーツは実はアルペンスキーだと知る人は少ない。1967年のこと。毎年欧米中心に転戦して行われている)は20年ぶりの対決となるフランスとクロアチア(当国のことばではHrvatskaフルヴァツカという。クロアチアはラテン-英語表記)。仏人の傲慢さに何度も頭にきているし、現地でよい対応をしてくれたクロアチア人らとの関係からも当然、クロアチアの勝利を願っていた。それまでの粘り強さから十分に勝てると思っていた。結果は残念だったが、1試合分も多く疲労したクロアチアが分が悪いことはわかっていたので、そこで差が出たのだろうとも思う。休みが少なく、ベルギーに完封負けしたイングランドの結果を見てもそれは明らかだった。

 

しかし、それよりも思いがけないことが起きた。ご存じの乱入者。Pussy Riotという過激なロシアのバンドのメンバーたちだった。このバンドはプーチンの大統領3選目から叛旗を掲げて結成された。今回の効果は絶大だっただろう。何せ、五輪よりも視聴者の多いサッカーワールドカップで、しかも決勝戦。注目度ではこれ以上のものがこの世に無い。プーチンがどう思ったかは知らないが、現場の保安責任者はもうクビになっているはずだ。日本人の多くは他人事に思うだろうが、東京五輪でも起きうることである。

 

今回の事件でサッカーのメディアが記事を書いている。

https://www.football-zone.net/archives/122433

本当にこれがサッカー中心を謳っているメディアなのかと呆れた。試合を全部見たわけではないが、試合の流れや当時の両国代表の状況を考えれば、こんな愚かな記事は書けないはずだし、編集者がおそらく実質いない殴り書きなのではないかと思う。

これまでの両国の戦いではフランスに有利だが、ロシア大会は波乱続きだったことを思うとそれは意味がない。むしろ、20年前の借りを返すべく、そして初優勝にクロアチアが一丸となっていた状況は以下の消防隊の様子でもわかる。

https://www.youtube.com/watch?v=iyMVPcqNiAA

一方、フランスは20年ぶり2回目の優勝を目指していた。クロアチアと違って先制得点して、あとは逃げ切りという戦法で、ベルギーがそのせこい戦法に激怒していた。これは決勝までいかに体力を温存させるかというのが目的だっただろう。これがまたサッカーをつまらなくする。

クロアチアのオウンゴールで始まったこの試合。フランスが加点していくのをクロアチアが追い上げる形で進んでいった。後半に入って、クロアチアがボールを持ってまさしく攻撃をかけていたところでこの乱入が起きる。クロアチアの攻撃の流れはこれで強制的に潰された。その怒りが出るのは当然であり、一方のフランスはリードしている上に相手を止めてくれたわけで、渡りに船みたいなもの。それでなくとも試合を邪魔されたのだから選手は皆激怒して当たり前なのだが。ムバッペは19の若造。何が起きているかよく理解できずに成行きの行動をしただけだろう。それを軽々しく「神対応」などとされたら、神こそ迷惑だろう。メディアとしてのいい加減さと軽さがよく出ている記事だ。書いているのが高校生かと思ったほどだ。

 

 

メディアの軽薄さで言えば、日本代表がコロンビアに勝つまで、国内メディアは大して取り扱っていなかった。それがこの朗報(相手が少ないので快挙とは言えない)で掌を返して称賛と取材ラッシュ。いい加減なものである。

ロシア大会で気になったものがもう2つ。1つはランキングが意味がないこと。二桁とか大量得点が望めないサッカー。オウンゴールやペナルティーキックで勝敗があっさり逆転されてしまうこともある。下剋上が多かった。そして、個人よりチームが重要だということだ。メッシやロナウドなどの名選手を中心にしても勝ち進めなかった一方で、日本は短期間ながらチーム力を示した。五輪陸上で100m×4リレーで銀メダルを取れたのもチームプレー以外の何物でもない。今後、日本はチーム力で対抗する道が十分にあることを自ら示した。

 

しかし、一方で日本サッカー協会のお粗末さも日本ではよくみかけるものだ。チームのことをよく見ていれば2か月前ではなく、もっと前から監督を替えて対応することができたはずだ。ほかの代表チームの選手も言っていたように、指揮官を2か月前に替えたチームに普通負けるとは世界最高レベルの試合では誰も思わない。今回はたまたま西野監督という、日本人の心をよく理解してチームを上手くまとめあげることができたからあそこまで行けたのであって、限界だったといえる。しかし、大会後の協会幹部の総括で、結局勝ったのはコロンビア戦だけだと批判した人物がいたそうである。自分たちの義務を果たさず、たった2か月しか準備期間が無く、いきなり経験の無いワールドカップでの采配を押し付けてよくそんな戯言が言えるものだと呆れる。どこかのスポーツ連盟と変わらない。

 

皆の目は日本代表に向いているだろう。しかし、本当は協会の連中がちゃんとしなければ、よい結果を出すことも、それを継続することもできないことは明らかだ。日本人は何だかんだ言って、目立つ個人にしか目がいかない。もっと運営組織をしっかり批評する必要がある。それは日大問題でも同じである。

 

 

なぜ、日本代表チームの選手を Samurai Blue と呼ぶのだろう。ウェアの色のことならいいが、選手の方は Blue Smurai(s) だろう。ベルギーはちゃんと Red Devils なのに。

 

※※

メディアの酷さは選手たちからも怒りを買ったようである。グループリーグ最終戦ポーランドとの試合前に、メンバーの大幅入れ替えが報道された。本田と長友はそれぞれのSNSでどこから漏れたかわからないが、自分たちもギリギリで情報も含めて戦っているのに、それを事前に知らしめるのは迷惑この上ないと怒りを述べている。それほど今のメディアは自分たちの視聴率確保を優先し、その影響や問題について判断をしようとしない。すでに思考力を失っており、報道としての機能を果たせなくなっている。単なSNSの垂れ流しアカウントに過ぎなくなった。

 

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サッカーとはこういうものと以前から思っていた。

https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180723-OYT8T50010.html?page_no=1

あんなでかい敷地を使い切らずに、ドーンと大きく飛ばしてゴール回りでごちゃごちゃと小競り合いしている、というのが現代のサッカーだろう。バスケもハンドもそうで、それでつまらなくなった。球技の高速化は必ずこういうものになる。ラグビーは仕組み上こうはならない。

昨年、11月に諸事情からガラケーからiPhoneに変えたことを以前に書いた。不本意であったし、使い勝手は相変わらず悪い。便利と思えるのは辞書機能やネットで情報を得るときにPCよりサクサク調べることができる点ぐらいだ。

 

アップルストア無料期間の3ヶ月を利用して使えるアプリなどを(通信量上限に気を付けながら)ダウンロードし、現在、完全に固定して落ち着いている。ホーム画面はずっと整理され、これほど使い易い画面はそうはないだろうというぐらいにはなっている。たまに他人の画面を見る機会があるが、自分の方が断然、簡素で使い易く、誤操作をできるだけ抑えるようにできている。それでも、基本機能部分がダメなものはどうしようもなく、電話に関してはポンコツ以外の何物でもないことに変わりはない(通話中の頬の接触で会議モードになるとか、いい加減にしてもらいたい)。

 

さて、契約後3ヶ月の無料期間が過ぎると、アップルから毎月請求が来るようになった。iTuneの利用料金である。税込980円。無料期間の間にダウンロードした曲数は150ほど。そのうちの一部は別にダウンロードしたアラームアプリ(日本の祝日に対応できるもの。iPhoneはおバカなので、こんなことにも対応していない)と関連付けて、アラームでは音楽が流れるようにしていた。これで多少は気分よく使えていたわけである。ときにはアラームが鳴って、耳にした人から、いい曲ですねと言われたこともある。

 

iTuneには意外に有名曲がなく、諦めたものもある。それで、大体ここまでかというのが150ほどで終わった理由である。50ぐらいは見つからなかった。そして、それをアラーム(通勤用で起床用に非ず)で楽しく使って、まあ、これで十分かと思って iTune 契約を解除した。もう特にダウンロードしたいものもないので、年間1万円以上もただ取られるのは馬鹿げている。解除方法は少々わかりにくいがアプリからパスワード確認だけでできた。すっきりした気分になった。毎月のあの「お金を頂きました」というメール連絡も来なくなる。

 

解約から1ヶ月が過ぎたある朝、アラームが全くの無音になった。出勤時間を過ぎているのに鳴らない。見ると、アラームアプリは動作しているが、音楽が流れていない。Music アプリを見ると綺麗さっぱりに全部消えていたのである。再契約をしなかったからだろう。つまり、スマホにおいておきたかったら、年間1万2千円を払えというわけである(2年契約式でないことは関係ないと思うが、本体買取式で価格は1万6千円)。これだけのお金があれば、とてもいい専門洋書を新品で購入できる。

 

なるほど、こういう仕組みか。もちろん、著作権費用が発生してもいるだろうが、そうだとしてもこれは高い。よろしい。アラームが音楽でないと困るということはない。2度と貴様たちのところから購入という愚行はしない。

すでに、OS更新では古い機種の速度を勝手に落とすという仕組みをこっそり入れていたアップル。AmazonのKindleに似た仕組みだが、おそらくアップルの方が先駆けだろう。Kindleはまだ無料で見れるサンプルがあるが、iTuneにはない。全く、こいつら毛唐のやり方の阿漕さには頭に来る。

iTune、iBook に関するアプリはゴミでしかないので全て消去した。ちなみに、削除前、iTuneでは曲の検索はできたが試聴さえ一切できなかった。

 

赤外線通信どころかSDカードも使えず、基本機能も使いにくいiPhoneはいつでも替える用意があるし、auから離脱する用意もある。それほど頭にきている(バッテリー交換もできないので、新規購入を強いられもする)。自分たちの都合のいいように顧客にいろいろ制約を課している。そのためにカメラ含めて機能的にはAndroidと同等かかなり越されているものもある。普通ならオワコン扱いだろう。ガラホかAndroidで替わりの小型なものが早く出てほしい。

時間が無駄になるだけなので、ホーム画面のアプリ入替えや整理などももうこれ以上行わないことにした。

 

 

スマホでのアップルの売行きは中韓に抜かれ、シェアを落とし続けている。価格を抜きにしてももうiPhoneの優位性はすでに失われている。アップルは違法的で姑息な手段も含んで囲い込みを行い、結果、オープン性で改善してきた他社に負けたのだ。ブランドといっても、よほどの個別性と寡占性がない限り、単独維持などできない。特に、IT関連はオープン性そのものが命のような世界であり、そこにアップルのようなやり方と製品は基本的に馴染まない。富裕層相手とターゲットを絞っても、庶民の方が使い勝手のいい多機能のを持っていれば魅力を失うのがこの世界。制約を設けたことがこの業界ではネック。デザインがいいと言っても機能的に周囲から置いて行かれたら生活上も使えないものとなる。いつまでもジョブズの黄金時代の感覚で過ごしているとITコンテント(コンテンツは和製英語)を担う役目は終わってしまったと言える。

渦中の日大問題ではあるが、多くの人にはもう事実は明白だろう。なので、その点については特に述べることもない。文春砲も今日、エネルギー充填120%で発射されるのを待つまでもなく、前監督とコーチは詰んでいる。あとはどう処理されていくかだけだ。大事な点はそこではない。

 

すでに指摘もある通りで、日大には危機管理学部というのがあるし、大学としての組織および指揮系統がはっきりしているが、それが全く不適切で機能していない。挙句に教職員組合から各支部長連名で学長および理事に具体的な項目をあげて対応するように声明文が上申されている。

 

大学、特に私学は会社の組織運営と大差ない。研究のスポンサーを探して研究室の運営費用確保に皆四苦八苦している。そのため講師陣の方が分が悪い。早稲田でさえ、一番いい立場にいるのは運営職員である。収入はよく、講師陣や幹部の任期制と異なり定年制である。前監督は運営幹部側だが、最も人心掌握の最高権力である人事権を握っている。事務職員含めて、刃向えば、抱えている研究者と学生を路頭に迷わすことになる。多くの人生を左右する。ふつうに社会経験のある人なら、どれほどの存在かは言うまでもないだろう。

一方、日大はご存じのとおり、日本一の学生数7万人を誇るマンモス大学(という言い方も古いか。今ならメガ大学?)で、当然、その統治もおそらく日本一難しいはずである。社員が7万人以上もいる会社は今はNTTと日本郵便ぐらいではなかろうか。中国は知らないが、世界的にもそんなに多くはない。正直に言えば、実質、統治不可能なレベルに思う。それが曲がりなりにできていたのは人事権を過剰に振り回してきたからだろう。

 

しかし、現代の会社なり、組織の運営はそれではもう立ち行かない。世間への評価、会社なら株価が運営の良し悪しと直結するようになった。そのことを知っていたのが、相手の関西学院大。会見を仕切っていたディレクターの能力の高さがずいぶん言われているが、大きな組織の企業ならあの職種の担当であれば当たり前にやっていることで、驚きに値しない。現時点では関学大の学長が出てくる段階ではないので、あれで済んでいるが、もっと重大な局面になった場合を想定して学長も準備しているはずである。ガバナンス(ガバナビリティではない)とはそういうことである。


日大側はもうそういう段階を越えている。もともと運営幹部が脳まで筋肉なので、外からの刺激に対して対応できる能力を持っておらず、体制的にも不十分なように思える。というより、もともとそういう外野のことを考慮する気がない。うるさいから被害の無い監督業だけ辞任でポーズを取ったという程度。当然の結果が現状だ。本来は学長以下、総力戦で対処しなければならないところを常務理事およびコーチの保身に舵を切ったままなので収めようがない。

おそらくは派閥や日頃の人事権への濫用もあって、事務方や教職員関係者からはこの際、この脳筋連中を一掃しようという内部でのまとまった動きが起きているはずである。その1つが先の教職員組合の動きである。さらに、文科省およびスポーツ庁としてもこの処理を誤ると自分たちにも大きな禍根を残すので、大急ぎで対応を検討して、助成金全面凍結で幹部一斉辞職要求を突き付けるところまで視野に入っているはずである。お前たちは管轄省庁として今まで何をやってたんだと言われないよう、国側のガバナンス事案になってきている。

 


さて、周囲の部分まで含めた長い前置きは終わって、ここから本題である。
今回の日大の問題では、前監督が常務理事であったことから(そもそも監督をやりながら人事の常務理事なんかまともにできる訳がない)、直接的に理事長および学長への責任追及の意見が出ているし、なぜ彼らは出てこないのかという意見が圧倒的である。これ自体は今のガバナンスの常識から言って当然である。

 

少し前に、TOKIOのメンバーの事件があった。同じ事務所ではさらに前にSMAPの解散問題もあった。これらにおいて、ジャニーズ事務所側は会見を開いていない。実質的な決定に加わっていないはずはないし、少なくともグループの意見を承認する側だ。でなければ事務所とは関係なしに彼らが会見なりで発言および去就を決めるということを放置していることになる。これらの問題のときに、「どうして、責任者のジャニーズ事務所は表に出て来ないのか?あんたがたは何のためにいるんだ?」という意見は大々的に言われた記憶がない。タレントたちに全部おしつけて、自分たちは矢面に立たないようにしていた。タレントへの同情を引き出して自分たちの運営の問題を見えないように隠したのだ。そしてそれに成功している。ここが問題なのである。中には、TOKIOについてジャニーズはうまく立ち回ったのに日大は失敗したなどというとんでもないことを堂々と書いている愚かなジャーナリストもいた。
日大もやっていることは全く同じ。しかし、これは世間が許していない。20歳になったばかりの学生1人に大人がよってたかって全責任を押しつけていると学生に同情し、日大のトップよ出てこい!謝罪しろ!という世論形成になっている。ジャニーズ事件のときにはそうはならなかった。女性中心とか、年代が一部であるとかという要因もあるとは思うが、同情がそれ以上の本質的な追及にならなかった。

 

原因はメディアである。民衆にそこを気づかせるべきメディアがジャニーズに刃向えないからだ。TV番組の視聴率を上げてスポンサーひいては自分たちの給与を授けてくれるタレントを抱えている一番がジャニーズだからだ。これは日大において人事権を握っている常務理事を日大内部から突き上げることができないのと同じ構図なのである。ジャニーズのときはメディアが世論形成をしなかった。今回の日大では世論を味方にして内部から改革の声がやっとあがっているわけである。そして、口先では責任は自分が取るように言ってけしかけておいて、いざ問題になると逃げる張本人たち。旧陸軍などでもよく見受けられた日本的伝統の1つなのかもしれない。
我々は、自分たちはきちんと見ていると思っているかもしれないが、大事なところを見落としている。私はメディアを信用していないのと同様、何も見えていなかったくせに今、日大を責めている庶民も信用に値しないと思っている。

 

これも指摘しているのを見たことはないが、今回の件で少なくとも現在の日大学長の叙勲は完全に消えた。旧帝大などの有名大学の学長は無事に任期を終えれば退任時に必ず勲章が転がってくることになっている。その栄誉のために、学内での派閥争いが起きるほどである。日大はもともとは皇道関係の法的研究から始まった由緒ある大学。今でこそ、偏差値で日東駒専とかポン大などと揶揄もされるが、創立はかなり早く名門である。調べてはいないが、皇室との関係から言えば叙勲対象だろう。それがパーになったはずだ。

 

 

会見全部を見たわけではないが、わかったことはこれでも辞めない常務理事のチタン合金並みの心臓の強さと、司会者から見えた日大運営組織の質の酷さと、メディアの質問のバカさ加減。論理思考や戦略とはほど遠いオツムの持ち主しかいないようだ。日大受験を考えている生徒はほかの大学を受けることを奨める。無理して入ってもこれでは就職や他大学院への進学に影響する。今すぐ体制が崩壊しても関係先との調整に時間がかかるので間に合わない。日大生を含む大学生には就職先としてメディアはやめた方がいいだろう。あのような仕事に人生を捧げるのは馬鹿げている。

こんなそこらの飲み屋にでもいくらでもいそうな愚かな親父が7万人の学生を預かる日本最大の大学のトップであることが信じられない。(直前に何をしていたかは2つめの動画の終わりの方でわかる)

https://www.youtube.com/watch?v=0x9o1GHUG4Y

https://www.youtube.com/watch?v=BRB9y0yENrM

 

※※

どう追い込まれようと危害を与えた事実から加害選手を非難する人もいるが単純に過ぎる。能力を買っている選手を敢て外して発奮させるというのはスポーツに限らず会社の中でもよくある話だが、パワハラと区別がつかないものもある。ちょっとしたものまでパワハラだと言っていたら成長もできないが、今回のは明らかに行き過ぎだ。しかも、大学側との対話で相手への謝罪を止められていた関係で、結果的に退部覚悟で名前も出し、大学側無しで単独謝罪会見に至っている異常さを考えれば、加害選手も被害者である。謝罪会見後も幕引きではないことも明言しており、逃げてもいない。人生を台無しになりかねない状況に臨んでいる点で戻って地位の上がるヤクザの鉄砲玉と真逆。同じだと非難する人はもう少し頭に血をめぐらした方がいい。やった行いに問題はあったが、その大元がより重要だ。

彼が反則しなかったら、単独会見に踏み切らなかったら、アメフト部も日大本体もその腐った実態が明るみにならなかったことを考えると、非難より腐った内情を知らしめたことをプラスにとらえるべきで、そうしなければ、あの単独会見を実施した意味がない。今回の件で、自分のところは大丈夫かと冷や汗を流してる他大学もあるだろう。

霞が関と大阪維新と大阪府警は日大を一掃する見事なタックルを見せてほしいものだ。助成金はゼロでお願いしたい。資産はあり、痛くも痒くもないらしいので(なら、助成金にたかるな)。それにしても、たった1人の選手の退場がここまで大事になるとは、あの時点で思った人は、たぶん一人としていなかっただろう。

 

※※※

内田前監督は常務理事に執着していたが、5月30日付で辞任となった。関東学生アメフト連盟の認定と処分、第三者委員会の設立の影響と、おそらくは警視庁の方のOBから、さすがに今回は世論の高まりから守り切れませんとパチンコ理事長に話が行ったはず。それで切ったのだろう。後ろ盾が無くなればどうしようもない。これでアメフト関係の問題幹部は消えたが、パチンコ理事長の体制が残っている以上、日大の変革や解体は止まったことになる(前常務理事も職員として残存。ほとぼり冷めたところで復活だろう)。パチンコ理事長の暗い部分を本気で炙り出すかどうかだが、たぶん、警視庁OBとここで手打ちした可能性が高いだろう。アメフト関係も他のコーチは残るだろう。挿げ替えで終わり。日大を切り崩す力は今のメディアには無いだろう。受験生が激減すれば話は変わっていくかもしれないが、時間がかかる。渦中の2人は詰んだが、日大自体は追い込めずに終了か。

先月末、アメーバ事務局からいつもとは違うメッセージが届いた。(いつもは、今購入すればコイン増量とか、どうでもいい内容)

「ジャンル編成部がブログの内容を拝読した結果、こちらのジャンルに招待させて頂いた」という内容。で、そのジャンルは「日記」カテゴリーの年代別のところだった。

 

ブログを始めたきっかけは、おそらく、あまりある例ではないと思う。当初は全くブログをやる気はなかった。ブログを作ることそれ自体が問題なだけだった。ところが、途中で事情が変わった。そして、この通り記事は増えた。ブログ説明にも書いている通りで、アフィリエイト稼ぎと思われる反応の方が多かったので、消去できる交流設定はすべて外している。ランキングは全く気にしていない。上がっても自分として何か得するわけでも何でもないからだ。むしろ、それを維持するために更新に次ぐ更新に駆り出されるのは御免である。

 

さて、ジャンル編成はどうも昨年秋から仕組みが変わったようで、それまでにあった「人気ブログランキング」を細分類したようなものらしい。つまり、このブログが編成部の目に留まって読まれた結果だということと一応、推察はできる。本当だろうか?

 

私の推察はこうだ。このブログより読まれているブログはそれこそ五万とある。そもそもジャンル招待は昨年の秋から始まっているようなので、私のブログは相当下で、やっと順番が回ってきたのだろう。ただ、これにはちょっとおかしな点があり、実は秋頃の方が閲覧者はずっと多かったのである。それがわかるのがアクセス解析で、内容的には個人的にかなりの実のある内容も書いてはいるが、どうせまともに見に来る人は少ない(人気があるブログの方が、閲覧者は俄かかノリでの来訪者が必ず割合が高くなる)ことはわかっている。人の集まりとはそういうものだ。

 

秋頃はたしか1日の全アクセス数の平均が400ぐらいではなかったかと思う。夏ごろは500ぐらいだったと思う。このとおり少ない。たった2日だけ、1600と3100を記録した。驚いたのはこっちの方だった。初夏の頃だ。しかし、600台ぐらいに落ち着いて、徐々に下がって来ているわけである。現在は200を切ることもあるし、300を超えることもあるが、平均200台前半である。そんな程度だ。おそらく、これを高い部類だと思う人はいないだろう。どこまで下がっていくかは想像もつかない。

 

さて、このアクセス解析、実はネットで調べればすぐわかるが水増し疑惑がある。だが、アメーバの肩を持つわけではないが、私の場合はそれは無いはずだ。

本ブログの全アクセス数の少なさは記事別のアクセス数から来ている。いつも1番の記事は以前は1本で200とか300とかのアクセスがあった。その次が100程度。今はそれぞれが60と20ぐらいである。ところが、これをグーグルでキーワードで検索すると必ず1面に出てくる。今ではアクセス数が5もあるかどうかという記事でさえ1面どころかトップに出てくる。むしろ、こんな少ないアクセス数でグーグルのトップに出てくることに驚くぐらいだ。いくらなんでもこの数が水増しで本来の数字は1とか2でグーグルの検索を押し上げ続けているとはとても思えないからだ(しかも、グーグルとサイバーエージェントはあまり関係がよろしくないように聞いている)。

 

「拝読」となっているが、それほど読んでいるとは思わない。それこそ一体いくつあるのかわからないブログの中から上位とはいえ相当な数のものを虱潰しに当たっていたら大変だ。おそらくは、いくつかのワードや全体ランキングを上から選択して、それぞれをザッとみて分類し、連絡メッセージを送っているというのが実情と想像している。ソフトである程度仕分けして、最終的に誰かがチェックというように。

こうやって、ブロガーたちを活性化し、ブログ運営を活発にして、事務局としてのアピール(サイバーエージェントの株価への高評価)をしているという、会社としてふつうのことをしている、ただそれだけのことだろうと思う。

 

ということで、せっかくのご招待ではあったが、ジャンルは外さしてもらった。(全体ランキングは正しい数字かどうか知らないが、5万から3万の間を毎日上下している)

どこかのジャンルに入らないとダメと言われたらどうするか。ちょっと悩む。日記的ではあるがその意識はないし、その分類は承服し難い。もともとこのブログは ulterior なのである。ランキングで表に出てどうするというお話。

 

 

アメーバブログでは商売目的は禁止と聞いている。しかし、事務局側はトップブロガーの方々が出した書籍を宣伝している。どう解釈されているのかよく理解できない(ブログ記事を直接使ってなければOKなのか?)。

https://ameblo.jp/staff/entry-12361477179.html

 

 

 

これまで何度か触れてきた知合いのご子息の中高一貫校の件でまた相談になった。

 

以前に『人生英語カリキュラム相談』のところに書いたミネルヴァがベネッセに吸収されたという。現在はまだ変化はないが、そのうち本来の幼少時の英語教育ではなく、受験を意識したものに移行していくのは間違いないだろう。残念な話だ。

さらに、高校にそのまま進学するわけだが(外部受験生と同じ試験を受け、習熟度でクラス分けされる)、その前の学校側の説明会で、3年後に受ける入試への対応に関する説明があったそうである。一応、進学校ではあるのだが、その対応の低さ、つまりの教師陣のアンテナの低さにはちょっと驚いた。その学校の英語科の教師陣は言語習得とは何かを知っていないということだ(大学の教授陣もそうだが)。

 

2021年度の新制度の共通テストでは、おそらく浪人救済策の意味合いから2023年度入試までは現行の英語試験が継続されることになっている。つまり、2つの英語の評価方法が3年間だけ混在する。特に国大協側が民間の評価をどう活用するかの指針が文科省から示されていないことから、併用を全体会議で採決している。国立大希望者は現状の試験対策で済むと考えていい。妥当な採決。

問題は私大。基本的に(国立含め)大学の裁量でということ(いつもながらの文科省の曖昧さ)で始まっているが、私大はどうするかはそれこそ個々で違うだろう。例えば、上智やICUのようなところはTOEFLやSAT、IELTSといったものが基準にすでになっている。英検が対象になっていないのは、これらの試験の方が概してより難しいことと、世界にそのまま通用しやすいからではないかと思う。

https://www.sophia.ac.jp/jpn/admissions/gakubu_ad/fla/Q-A.html

https://www.icu.ac.jp/admissions/april/general/subject_b.html (2018年度)

これらが合否基準になっているところは独自の英語試験を行わないようだ(独自の英語教育観を持ち合わせていないか、生徒発掘について手抜きをしている)。これについては、学科にもよるが、もし文学的素養が必要な場合にはどうかという気がする。前にも書いたが、こういう資格試験的なものは基準としては都合はいいが、文化としての英語には直結しない。アカデミズムの部分はあるにせよ、日本人の英語文化に関する素質を判定するのには向いていない。結局、英語はツールだというような表層的英語使いを多く受け入れ、増殖させるだけとなる。言語には強いこういう私大がこの状態でいいのだろうかという大変皮肉な状況といえる。それにしても、今だ英語主体で大学の名声を確保できるという日本の大学事情の情け無さ。

 

大学が愚かでも、こう決められている以上、受けざるを得ない。しかし、別途これらの試験を受けなければならない家庭の負担、特に地方の学生の負担は大変だ。地方の方が所得が平均的には低いのに、交通費や場合によっては宿泊費まで出して、どこかに受検に行かなくてはならない(PCもしくはタブレットで受けることもできるが、大学側がオフィシャルの試験しか認めていない)。SATとかの試験会場がそう近くにあるとは思えない。大学が自分たちの負担を減らして、受検機会の少ない学生を最低基準点を設けて門前払いするのは大変疑問だ。少なくとも高2までには一度は受けて感触を得ておかないととても厳しいし、高2でこれらの基準点を満たす地方の公立高校に通う学生は非常に少ないはずだ。それこそ帰国子女を除けば小学や中1から英語ばかりやってきたような子でもないとこれらの大学で基準点を楽に超えて合格するレベルには到達できない。ここまで要求するのはどうかという気がする。つまり、英語漬けのような人間しか来るなと言ってるも同然だということである。疑うのであれば、一度、TOEFLでもSATでもいいので受けてみるといい。また、高得点者がどんなことをしていたかを調べてみればわかる。

 

で、先の一貫校に戻るが、こういう体制に対応するような形にはなっていない。これらの難関私大への合格者が少ないこともあってか、英語のみの授業とかを始めていない。英検ばかりでTOEFLは対象にしていない。もちろん、ネィティブ教師は在籍している。口ではこれからきちんと対応していきますとは言っているそうだが。。。

もし、TOEFLなどを高2で基準点をクリアする実力を生徒につけさせようとするなら、それぐらいやらないとできない。実際、これまでの社会人(ほとんどが難関大やその院の出身者)の留学対応コースは最長2、3ヶ月の英語漬け缶詰で仕上げで受検するのだが、それでもギリギリとか不足とかいうことが少なくない。それを大学入試で要求するのである。たしかに、海外の大学にも送りだしている私立一貫校では当然のごとくに英語のみの授業とかをやっている。しかも、必ずしも正しい英語が使われているわけでもない(誰でも知ってるトップ私大の付属だったが、たどたどしいものだった)。にも拘わらず、全国の高校に対応せよというのはどう考えても尋常ではない。国として言語的に属国になる覚悟を決めたことになる。上智やICUあるいは津田塾や東京外大などはそれが当然みたいな大学だが、ほかはそうではない。今度の大学入試英語改革は異常というか、教育行政の放棄という無責任さに尽きる。

 

知合いのご子息はどう見ても理系ではなさそうだ。国立も難しそうだという。となると私立文系以外、選択の余地が無い。あとはどこに行くかを早く決めて、そこが共通テストを採用するのか、独自の英語試験があるのか、民間だけなのかを調べないといけない。むしろ、共通テストを採用しているところを探すしかないのではないかという話をしている。すでに高1になろうとしている。少なくともTOEFLは時間的に絶対に間に合わない。知合いは不安になってまた相談となったわけだが、3浪する余裕はないだろうから、共通テストに絞った方がいいだろうと助言した。TOEFLは青天井で満点設定はあるが、そのためにはどれぐらいやらないといけないかというのは見えないほど遠い。少しでも有利にとなるとかなりの時間とお金をかけて点取りにいくことになるし、現にそうしている帰国子女も少なくない。言語習得に終わりなどないし、これらの受検が言語文化そのものの理解とはほとんど関係しない。点数化するのは民間の勝手だが、時間が少ない受験生には多大な負担になる(そういう本質的な意味で何もわかっていない文科省は愚かに尽きる)。

 

今の中3から下は一体どこを向いて対処したらいいのかと不安と不満が出ている。文科省は適当なことを言うだけで(誰かがぶち上げて昇進を狙う。ゆとり教育がいい例)責任を取らないから、受験生には迷惑至極といえる。以前に危惧していた通りの混乱が生じている。大体、グローバルな人材養成と謳いながら定義もなく、世界的に通用する訳でもない英検やTOEFL(TOEICに至っては日韓ぐらい)を採用と訳が分からない。本当のグローバル対応は日本として各言語スペシャリストを養成することだ。英語ばかりはおかしいし、ハンガリー語のように英語と相性の悪い言語はたくさんある。多様性こそがグローバル。

そして、この混乱を根深く酷いものにしているのが、実用英語などという中途半端な英語の高成績者たちだ(TOEICやTOEFLのどこが実用なのか?そんなに米国でビジネスをやる気なのか?大学院に行くのか?)。英語は他の学問と違って何がしか練習すれば時間こそかかるものの試験で点数を取れる。試験に言語学などは出て来ない。試験で点数を取るために独自に編み出した細かに末節な学習法をこれ見よがしに披露している人はネット上にごろごろいるが、大学以上の数学や化学を理解するための学習法を披露している人は極々わずかだ。また、日本人がこういうランキングが大好きときてる。彼らはその投資の元を取ろうとして、ただ点数が高いことで衆目を引き、ブログや書籍なりアプリなどで商売をしている。学校教育を敵として自分たちの正当化に利用している。そして、点数がとれた人たちが信者となって学校英語を否定する。自分の実力がいかに狭くて小さいかを知らないくせに。こういう私もネイティブの数%の能力もないのだが、殆どの人はまず相手にもされないレベルと思っていい(論文・特許は普通の人は無理だし、本当の日常会話は試験には出て来ない。Facebook友人の流行や砕けた表現にはよく泣かされている)。

 

実用英語などという実態のないものに感心している学習者は一度、立ち止まって客観的になってほしい。本当に学校英語は酷いのかどうか。自分が思う英語習得とは何を目指しているのか。会話だけなら、NHKのテレビやラジオ番組でも十分。ビジネス英語関係なんか質も高い。TOEICなどやる必要はない。本当に英米人とビジネスなり学問でやりあうなら、入試英語(特に京大入試。それでも初級レベルに過ぎないが)の方がためになる。しかし、結局のところ、BBCやCNNを視聴し、文学作品や雑誌を読み、専門分野の記事や論文を読むといった「生活=英語」とならない限り、英米人を理解することなどできないし、やりとりを対等に進めることなど無理である。何か違う勉強法でそれらが手に入るなんてことはない。残念ながらアニメとか浮世絵ぐらいでしか我々の立場で進められる分野は無く、彼らの土俵にまずは上がることから始めないといけない。それは日本人にとって本当に過酷以外の何物でもない。

 

 

現在、受験生全般に受検が多いのはベネッセのGTECと思われる(ご子息の一貫校は中学で英検、高校でGTECとなぜか玉虫色)。優遇処置をしている中堅大学が多い。日本の私大の標準になりつつあるようだ。(国際基準の自負の高い上智やICUは目もくれないようだが)

http://studyhacker.net/students/column/popular-general-gtec-cbt

しかし、費用的な問題があるせいか、社会人では圧倒的にTOEICで、企業から米国などの大学院に留学するときにはTOEFLがほぼ必須の状況で、はたして一応、国際標準を満たすというGTECのスコアが有効となることが今後広がるかどうか不明。英検については

http://studyhacker.net/students/column/popular-general-eiken

準1級や1級での扱いが大学によってかなり違う。現状の詳細は知らないが、準1級以上を忙しい受験生が取るのは容易ではないはず。2級が妥当なところだろう。早稲田なんか1級を目指す時間があったら、入試全体の対策を取った方がいいだろう。せいぜい準1級を受けて取れればいいぐらいにしておかないと英語ばかりに時間を取られ過ぎる。

私が難関大で決定権を持っている立場としたなら、共通テストを優先、無くなった後は、高2以降に受けた英検2級の合否のみを足切り対象とし(高1にすると中学に悪影響。評点は換算しない。換算すると少しでもいい点数をと受検負担が続く)、さらに独自の試験を行い、大学の教育に合致する人材を探す。京大あたりはこのようにすると思う。英語は大学に入った後で何とでもなる。しかし、人材確保は入試で選ぶ以外に道が無い。それを直接かかわりのない英語のあまり実効性のない点数によって失うことの方が問題だからだ。もし、ノーベル賞を受賞した益川さんがいま受験生だったら合格せずにいい仕事ができないことになる。こういうことが起こり得るのもあまりに日本語と英語が違いすぎるからである。これは変えようがないのだから、それを前提として英語の教育を考えないといけない。文科省が大学から小学までの英語教育のしっかりした方針を持っていないのは明白だ。たしか、学校教員には準1級かTOEIC720点以上を目標にという話だったと思うが(すると大学側の基準の根拠は一体なんなのか)、この点数では人に教えるのは難しいだろう。昔の難しい教員試験も無いし、実力判定方法がない。

 

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上智やICUのようなレベルは前に書いたこちらで、第一段階の英英辞典を読み終えたレベルに相当する。要は英語で英語の情報を獲得できるようになっている知力と語彙力を持っていることが要求される。

『英語習得法(英英のち英和ところにより和英)』

まあ、これらの大学やその学部は言ってみれば帰国子女や英語が三度のメシより好きといった、ある種別世界というか異常というか、そういう人たちしか相手にしませんというようなレベルなのでここまで要るということだろう。以下も併せてご参照願いたい。

『英語習得とはどういうことか?』

 

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東大は民間試験を合否に使わないことを発表した。受検は求めるが、入学後に活用ということで、少なくとも移行期の段階では妥当な判断。

日本の中でも有名なスキー場、草津国際で3000年も眠っていた山に新たな噴火口が発生し、残念なことに死傷者が出てしまった。

その後の調査では思っていた以上の噴火活動が認められ、おそらく、これまでの上部コースはもう使うことはできないだろう。草津の観光としては大きな打撃だ。現在の商いをしているところは何とか持つだろうが、徐々に温泉街としてしぼんでいく可能性がある。

 

噴火予知は地表変動が事前に出る比較的活発な領域ではわかる場合もあるが、基本的には予知不能だろう。

今回の件で、テレビで噴火に遭遇したときの対策がTV局でいろいろ人を呼んで解説していたりした。全部を見ていたわけではないが、どうして肝心のことを知らないのかと驚くばかりだった。

 

被害に遭われたのは訓練にしてもレジャーにしても、スキーやスノボードで来ていた人たちばかりだ。ヘルメットをしている人もそれなりに居たようだが、何より一番の防災道具を活用することに誰も触れていない。本人たちがスキーやスノーボードをしないからだろう。

建物が近くにある場合はいいが、多くは違うだろう。スキーかスノーボードで身を守ることになぜ誰も触れないのか全く驚くばかりだ。スキーやスノボは人が乗って何mも高いところからジャンプして着地しても平気な頑丈なものだ。しかも弾力性があり、衝撃吸収力に優れる。これを利用しないなんて考えられない。

ゴンドラの中だと、スキーは外にあるが窓を下して何とか中に持ち込みたいし、スノーボードならそれをそのまま頭の上に滑走面を上にして持って床にしゃがむ。ボードの下に2人ぐらいは収まる。

 

滑っているときはとにかく、直滑降でできるだけ離れた場所へと突き進む。リフトにいれば、フード付きでもなければ、できれば飛び降りて(上級者と一緒に飛び降りるのがいい)、その場から一刻も早く離脱したい。スキーをつけていると重心が下になるので、体が回って胸や頭から直接打ち付けられるということがない。もっとも、高すぎる場所では大きなジャンプをしたりして遊んでいる人以外は無理なので、その場で待つしかない。こういう場合が一番危ないといえる。リフトは大抵、周囲に木が無い。下りられないとなれば、できればスキー、スノーボードを何とか外してそれを楯にしてほしい。スノーボードは比較的簡単にできるだろうと思う。

 

本当にそれで噴石の衝撃に耐えられるのかと疑問に思うかもしれない。現在、アルペンの滑降競技では最高速度が160キロを超えている。30年ほど前は140キロだった。今は珍しくない。転倒での死亡や重症化を避けるため、専用ワンピースの下に脊髄を守るためプラスチックのプロテクターを入れている。小さいスノーボードのようなもので、これでかなり怪我が減っている。100キロ超で転倒して、周囲の安全柵にぶつかることもあるが、脊髄損傷事故は本当に聞かなくなっている(手足が多い)。海外の大男が100キロを優に超えて転倒して激突しても事故が減っていることは如何にこのプロテクターが選手たちを守っているかがわかる。スキー、スノーボードはこのプロテクターよりもさらに頑丈なものである。安心してプロテクター代わりに使ってほしい。

(これは滑降に強かった米選手がアルペンW杯大回転に出場したときのもの。大回転でも80キロは超えるのでこのようなことが起きる。当時はまだ背中にプロテクターは入れていないはず。https://www.youtube.com/watch?v=0hax4ufjqOs)

 

登山であれば、リュックが緩衝材になるし、コッヘルとかフライパンがあればヘルメット代わりにできる。スキーでもそうだが、身に着けられるものは布製だろうが何だろうが付けるだけ付ける。手袋もサングラスも。それによって熱傷や傷の深さはかなり軽減できる。私の場合、バックカントリーにしろ、ゲレンデスキーにしろ、こういうことに遭遇したことは幸いないが、雪崩を目撃したことはあるし、自分で小さいのを作ってしまったこともある。大雪が続いているので、もし、ということを心掛けてほしい。

ほかの人はどうしているかはわからないが、尾根部を滑っている分にはまず雪崩被害には会わない(むしろ自分が引き金にならないように注意が要る)。大抵滑っているのは開けた谷部になる。雪崩も谷部に向かって発生する。雪崩のスピードは100キロ以上はあたり前なので、レーサーでも無ければまず捕まる。なので、しばらく下向きでスピードを得て追いつかれる前に、そのまま尾根部の林などに切り上がっていくのが一番の回避策。これはスキー場でもそうで、必ずリフトからコースの様子を把握するといい。森林限界を超えているようなところは起きやすいので特に注意する。

 

これから私大受験で大学は休みに入る。多くのスキーヤー、スノーボーダーが繰り出すことだろう。海外からのお客も昨今多い。是非、コースをよく見て楽しいひと時を過ごしてほしい。

最後に、亡くなられた自衛隊員へのお悔やみを申し上げるとともに負傷された方々の早い治癒を祈念して、本稿を閉じる。