相変わらず英語記事が圧倒的に閲覧されているが、大学入試英語に関するものばかりだ。
英論文をまた書くことになった。今年になっても特許や何だかんだと英語での対応が続いている。特許はこの先も続くはずだが、前回の件があり(結局、審査官との対決に3年を要して勝利)、それに比べれば今後はとても楽と予想される。しかし、だからといって、論文が楽になるわけでもなし、その質を上げる努力は要る。今もって日本人の論文の質の悪さは言葉だけでなく払拭されてなどいない。
本格的な英論文を書くのはおそらく今回が最後だろう。もう一段、英語の感覚を上げて有終の美としたいところ。特許対応のこともあり、ライティングについてはずっと続けていたし、難しいといわれる参考書(残念ながら前世紀のもので絶版)にもトライした。撃沈。昨年のことである。添削の説明が英文感覚として高くて理解できなかった。というか容易に受け入れられなかった。英語の言語観としてこういうのがあるのだろうかと感じたのである。ネイティブと張り合える著者らなのは間違いないが、感覚がどうしても合わない。一旦、期間をおいて今では言っていることは理解できるが、やはり書かれた英文は感覚的に合わない。日本人だけのライティングはどうも合わないのである。
受験生の間では昔から有名(昔は英作文参考書が僅か)な佐々木高政の『和文英訳の修業』は、当時以前なら問題ない用法や例文だったのかもしれないが、今となっては間違いもしくは不適切なものが少なくないし、昔はなかったTOEFL・TOEIC関係はリーディングも含めて、点数は高いが英語が身に付いていない著者のものばかりで実力養成など到底できない。大体、TOEFL満点だろうとネイティブ級どころか実力ある大学教員に遠く及ばない知識と実力で本など出すなと言いたい。予備校講師も殆ど同じ(大矢氏など。力がないのだから少なくともネイティブチェックすべき)。
さて困った。そこで、一度戻る形でZ会の古い英作文シリーズの上位2冊を購入してやってみた。
文の内容そのものは難しくはないが、たとえば、一番難しいとされる自由英作文編は論理構成とかをネイティブのものに合わせている点はたしかによいのだが(英語の論理展開の本質部分は大したことのないもの。多田正行の思考訓練シリーズで指摘されている)、採点する大学の教授陣に英語の実力者はごく僅かだから(でなければ、入試問題はまともだったはず。特に私大)、彼等の実力を考慮して、解答英文は明らかに採点優先で日本人向けにしている。アマゾンなどでも高い評価を与えている人は多いし、受験の実情を考えると致し方ないが、英語の力をつける意味ではむしろよろしくない。
このあたりが日本の英語教育の問題であるし、教育する側、つまり大学側が情けない状況だという証拠でもある。今回の文科省による英語試験の変更は、その大学側の変革が大変なので方向を変えて民間業者に任すことにしたともいえる。文科省と大学の手抜き。本当に日本人から世界に通用する若人を育てる気なら、TOEFLだなんだという試験に任そうなどととち狂ったようなことに思いが行くことはあり得ない。これらの試験に靡くことは、両極端ともいえるほど異なる日本語と英語の言語文化の橋渡し教育はもうしないと宣言したも同然だからだ。つまり、徹頭徹尾、頭を英米化しなさいということである。日本人を捨てろと言ってるに等しい。
話を戻して、先のZ会シリーズでよいと言えるのは入門編と実戦編(改訂で今は書名が変わっている)、特に英文をネイティブ感覚で纏まって書かれていて和文と対照して見れる実戦編の「模範解答」である。この解答英文が自然に感じ取れてほかの英文がいかに日本人的かと思えれば、佐々木高政の著書などやる気も起きないだろう。却って自分の英文がおかしくなる可能性がある。まして、伊藤和夫など論外。以前にYouTubeで見た彼の英作文講義から察すると、あの実力では「合格解答」さえ覚束ない。実際にはもともとの課題文がいかにも日本的で英語の論理や語彙に載らないので、「合格解答」と大差がないものもあるが、歴然と差があるものもちゃんとある。差異分析は記載されていないが、そういうムラがわかるかどうかも実力のうち。
自由英作文編の解答例はあまり役立たない。書きやすい範囲で語彙と表現のレベルが必ず落ちる。実践編では既存のそれなりの和文を引っ張ってきているので、「模範解答」の質も高いわけである。
ビジネス系参考書になっても状況は同じ。殆どは語法に注力、日本語に引き摺られないように指導する程度で、和英辞典と英和辞典の最近の発展を鑑みれば、多くは辞書の中に答えがある。トレーニングとしてまとまっている点で短期養成に一役買うという程度の違いしかなく、どのみち、多くの英文をいろいろな媒体で読んで聴いて身に着けていくしかない。誰もが言うとおりで特効薬など無い。英語の習得は食事と同じだ。体のために栄養を考えたものを都度こつこつと摂る。それをサプリや薬で誤魔化しても意味がない。
読んで書いて聴いて話す。それを日々愚直に繰り返す以外に感覚や論理など構築できない。文法に拘泥したり、構文把握ばかりにエネルギーと時間をかけてはいけない(文法からすぐ実践読解演習に移り、凝った構文解析はしない方がいい。構文といわれるものがそのまま出てくる比率は多くないし、却って理解を浅くする。英文は一語ごとに理由があって選ばれており、受験で使う構文の類に従ってなどいない。安心して例文で語彙を増やすことを心掛け、とにかく英文を読んで書いてほしい)。
仮にネイティブに近いとすると、家でも外でも英語で考えたり、思わず呟いたりする状態ということになる。そんな状態になれるのか、どれほどかかるのかということを考えてみてほしい。だから、英語を机に向かう勉学とすべきではない。
そんな初歩的見直しのあとにやっているのが(難関大入試もTOEIC満点も英語を本当の意味で身に付けるという視点からは所詮初級レベル)、ライティング関係とはちょっと違う『英文創作教室』である。この書は昨年末に出たばかりで、年明けには増刷されている。
本書は正しい英文を書くための演習書ではない。アメリカ人と日本人4人ずつに各々短いストーリーを書かせ、それを現役の有名アメリカ作家がそれぞれに改善の指摘をし、書き直してもらうことをしている。8編の話が2回出てきて、それぞれへの作家の指摘が8稿、批評8稿。テーマは4種に大別され、テーマ内容の説明英文が4つ。最後に作家本人と他の作家の作品が4つ。計40の纏まった左ページの英文にすべて対訳が右ページについているという独創的構成になっている。一言なら英文作家養成講座。対訳本はたくさんあるが、中身はまるで別。本書はたくさんの文体に触れながらも、ネイティブによる練り上げがどういうものかがわかる。上級の内容で英文の質も高い。論文の添削の類はこれまでもあるが、それらとは全く異なる次元を呈している。正しい英文を書くとか、文のつなぎと展開の仕方みたいなことを指導する参考書を質的に超えるものとしては今は本書ぐらいしかないだろう。読むと気付くことはいくつかあるが、実力ではっきりと分かれるので、敢えて伏せておく(アマゾンレビューでは誰ひとり1つも気付いていないようだ)。それと関連するが、本書は学習者に必須の本ではない。その意味でいい本ともいい切れない。
こんな学習者みたいなことばかりやってるかというとそうではない。これらの本はほとんどの場合、トイレやロッカーに行くついでに持ち込んで読んできた。家でも会社でも。英文だけの話だから細切れ時間で対応。英語のためだけに貴重な時間を割くのはばかばかしい。すでに相当時間を無駄にした。通勤などではノーベル賞級の英米ネイティブ学者らの論文を読んでいる。中身と英語の勉強になるからである。スマホは常に携帯し、わからない単語や表現はすぐに調べられるように整備してある。映画のスクリプトも探せるようにしてあるので、検索して見つからないようなものは特殊な用法か存在しない言葉と考えていい。
論文対策はざっとこんなもの。そんなこんなで現在は英語の時間帯が増え、日本語の中に勝手に混ざってくるようになった。ちゃんぽん状態になっている。日本語が完全に追い出されていた英英辞典読みのときを除くと、英和辞典を読んでからは初めての英語洗脳に近い状態である。ただ、注意してほしいが、英会話の缶詰コース同様、英語脳状態になってもそれは自分が持ってる語彙レベルでの範囲であって、決してネイティブレベルなどにはならないし、日本で生活していて、いつもちゃんぽん状態としたらその人は異常である。英語でいつでも反応できるなんて国際結婚や外資にいるのでも無ければ日本にいる日本人としておかし過ぎる。日本から出て戻らない方がいいだろう。
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今回はライティングという視点の関係で全体の見直しについては触れていない。見直し中の一つとして、論文作成に絡んで行っている。のんびりやっていたのだが、論文と特許がまた迫ってきた関係でそうもいかなくなった。なお、ライティングの意外な重要度については当ブログの以下を参照願いたい。
https://ameblo.jp/speedflex/entry-12258297975.html
今の英語学習者はその達成レベルについてあまりに幻想を持ち過ぎだ。そこに到達は可能だが、想像絶する時間消費になる。自分が今まで使った時間と現在の実力をよく吟味してほしい。学習法で縮めることはほとんどできないし(示唆的なだけ)、人生を代償とすることになる。
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Z会の書籍に限らないが、最近の本は辞書含めてカラフルでレイアウトも五月蠅すぎる。答えの英文の背景が塗りつぶしだったり、違う色の枠が入ったり、枠がいくつもあって矢印がついていたり、単語の色がころころ変わったり。視覚的にすぐにわかるように訴えるのはわかるが、いい書籍はその後も何度も使うのである。そのときに、過剰な効果は却って邪魔。世の中の軽佻浮薄さは不可逆で、やる気のない人間にも売込もうという出版事情の厳しい昨今、わからないではないがもう少し考えてほしい。読もうとしている英文に枠など元々ないし、色づけされているわけでもない。まして、真っ新な原書に枠をつけたり、矢印でまとまりを示すことが読者の作業などでは決してない。マーカー引いたりすることはあろうが、それは英文を理解するためではなく、意味するところを自分の生き方に活用するためだろう。さすがに『英文創作教室』にはそんな悍ましい印刷やレイアウトはされていない。
科学英論文に特化して技法を学びたいなら次をお勧めする。こんなのは当たり前ぐらいになっていないと、まともな論文など書けない。訳書が出ているが、不評なのと、本原書を読めないようなら、そもそも英論文を出す段階にない。
https://www.amazon.com/Science-Research-Writing-Non-Native-Speakers/dp/184816310X/
日本側代表は、ライティングにおいて日本語といかに英語の論理意識が違うか、以下が有益。比較言語論的で、ここまで徹底して指摘してくれると論文やレポートの質は格段に上がる。ちなみに、論文と違い、本ブログはほとんど日本語式で、この本の指摘には沿っていない。
https://www.amazon.co.jp/dp/4871382370/
本当にいい論文は自分の言葉で書けるようになってからだが、そこまで行くのが大変。上の両書はその入口までのいいガイドである。技術英文については事典ともいえるこちらがほぼ最後の砦。
https://www.amazon.co.jp/dp/4621045369
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ネイティブとの共著だから安心かというとそうでもない。今回の自由英作文編でもp.108 に「even though のあとは事実、even if のあとは仮定」と記述があるが、even if のあとにも事実は来る(Ex. That was a good meal, even if it was a bit small.)。そのときは even though の方が硬い言い方になる。仮定では even if が基本だが、譲歩では交換可能で使用状況でほぼ分離、重なりが少ない。しかし、受験ごときではこの区別までは不要だろう。一番勘違いされる点を明確にした結果と思う。こういう点で受験参考書は要注意なのだが、いかんせん、TOEICや英検などの実用系参考書の質が低いもしくは悪いので、ほとんど使えない(その証拠に網羅的なしっかりした文法書が未だない)。
以前にネイティブによっても言うことが違うと書いたのはこのような語法や意味の個人差だ。しかし、これは完璧な辞書がないのと同じようにこの本をやっていれば盤石というのがない。だから、何を読むか聴くか、どれだけ大量に消化するかで調節していくしかない。一つの教材を暗記するまでやるなというのはこういう理由からで、どうせ共通したところは他も同じで、復習しながら新たな調整ができる点で参考書も繰り返しより、多くをやる方がよい。
それにしても、これだけネットで視聴や書込みすることが増えているのに佐々木高政の著作が今も支持されるのは、如何に日本人の実力が上がっていないかを示している。昔は彼の著作をやって受験した学生は抜群の成績を収めていただろうが、今は不適。と言って、英作文で佐々木以上の日本人の学者も多分片手の数しかいないから、痛し痒し。