人生英語カリキュラム相談 | An Ulterior Weblog

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以前、関連会社のご子息で私立中高一貫校の入試に対応した話を書いたが、そのお子さんが中3になった。いろいろ科目での対応に苦慮しているとのことだったが、英語で重要な局面に立たされているとのことで相談を受けた。

 

内容はこう。2歳のときから親子での英会話の塾に入っている。ミネルヴァという会社(ミネルヴァ書房というのは学問の世界では知られているが、幼児英会話学校に関しては知らず、どうも直接関係は無さそう)。週一回でもう10年以上やっている(親はもう一緒ではない)。

同級や周囲の子たちが段々居なくなっているという。中学に入って成績に反映されないため、かなりの子が学習塾に鞍替えしている。それで検討したが費用がとてもかかるし、長くやってきたものを止めるのもと悩んでいるというのである。学校の英語は週に1時限だけ会話の授業があるが、ほかは全て通常の文法とリーディングだという。そっちの試験の出来がぐっと悪いという。

ミネルヴァでどんなテキストをやっているのか持って来てほしいと依頼した。

 

後日、テキストを見て驚いた。質は十分に高かった。周囲の若手、東大京大の修士出でも英会話はろくに出来ないのが圧倒的。彼らが社会人として受ける英会話学習の初期に十分耐える内容で、しかも学習指導要領にある程度配慮しているものとなっていた。内容的にはすでに高校の部分も入っていて、日常会話で必要なものは中高の範囲を気にせず取り込んでおり、よく練られた現実的なものとなっているのにはとても感心した。

 

出した結論はこう。

小さいときからやっているので耳が我々より絶対にいい。これは後で取り返すことが不可能。カリキュラムも良いし、脳の思考力が固まっていく高1までは何としても続けるべきだと伝えた。受験を考えると高2からは止めた方がいいが、幸い高2からは効果が薄まることは留学斡旋関係者の間では割りとわかっている。中3になったばかりでやめるのはあまりに勿体ない。加えて、学校に誰でも希望可能な短期留学コースがあるという。中学からも可能だが今はそれに見合う力がないので、頑張って1年後の夏休みに留学してはどうかと伝えた。そう誘えば子どもも弾みがつく。こんな絶好の機会は人生で一度あるかないかだ。金はかかるが活用しない手はないと力説した。

その代わり、高2からは受験1本に切り替える。その準備を少しずつ今からやり、主要英語試験の対策をする。具体的には中学の文法の参考書をまずこなしていく。とにかくこの2年の対処の仕方が彼の人生における英語のレベルを決めてしまうのは間違いない。少なくとも鞍替え組を最終的に置き去りにすることはお安い御用。彼らが逆立ちしても敵わない力はつけられる。それを目の当たりにしたとき、彼らは大きく後悔することだろう。いや、なぜこうなったか全く理解できないに違いない。

 

ピーターセン教授も指摘のように、今の中学の英語教育内容が悪いので(間違った語法などが今も教えられている。帰国子女は日本製英語との2本立てを余儀なくされる)、英語ができない大人が多いのは事実だ。前にも書いたが、中学は正しい会話に比重を置いた方がいい。高校ではそれを逆転させるが、それでも受験内容的には負担を一部減らして、それを大学の教養課程に回す。大学で遊ばせるぐらいなら、そんなことができないぐらいのカリキュラムを必修として加えればいいではないか。どうせ、まともな研究となると大学院なのだから、大学で論文に対応するように今までの受験で出されるような難しい文章以上をそこで消化させればよい。英語ができなければ困るような職業に就く人たちは大学で学べばよい。こうすれば、中学高校で必要以上の英語の負担を減らしながら、会話力が増えてかつ現実的に外国人に対応できる力を養うことは十分に可能だ。英語と日本語はとにかく相性が悪い。かといって、構文主義のように点数は取れるが形ばかり見ていて結局、自分の感覚にならないでは使いこなすなど絵空事だ。

 

ご子息は大学受験では文系になりそうなので、何とか頑張って『英標』あたりが理解できるまでになっていれば、その後相当楽になるし、220題もの英語のものの見方がわかるような代表英文を読んでおくことで、予備校系の過剰な構文主義に惑わされずに英語の世界をそのまま直に理解することができる。いつも座右に置いておくちゃんとした作品が見つかればなおいいが、今の容赦ない機械的分類の試験状況をみると高望みもいいところ。そこまででなくても、より上の学習ができれば、そこそこの大学に入ってもとても楽で、就職後も全く違うだろうと伝えた。

しかし、ここでうまく乗れずに失敗すると、ほかの凡人学生英語に埋もれる結果となることも付け加えた。企業などは英語はできるが日本社会に馴染まない人材を好まない。その憂き目に遭わないよう、英語力を日本人として適切に伸ばしてほしいと思っている。辞書読みももちろん話したが、これは相当本気を出してやる意識がないと続けられない。希望大学もまだ決まっていないし、実力も現時点では無い。今は避けるべきだ。

 

何とか波に乗ってほしいところだ。うまくいったなら、それは幼児期から将来、困らないようにと英語だけはと配慮した親の長年の支援の賜物だ。こういう例を見ると、親とか周囲の扱いが如何に子供の人生を左右するかが思い知らされる。

 

 

普段、小学英語教育に批判の立場なのに、今回はその逆をしていることに混乱を覚える人がいるかもしれない。その違いは、個人教育と国民教育にある。英語を個人でやる分には構わない。しかも、今回は週に1度の授業。国語への影響は無い。それを個人でやりたいのを止める理由は無い。しかし、全部の小学校に導入すれば、私立の入試が当然1教科増え、成績による差別やいじめがより小学の段階からさらに拡大。しかも、耳に関して言えば、小学5年からでは遅すぎる。つまり受験が過激になるだけでメリットが何も無い。大学受験で会話がそれほど主体になる可能性も無い。大学としてはそれより文献の読解力が重要だからだ(昔、口語問題が流行った時期があるが、結局は大きな比重になっていない。文献を読めない学生が増えたからだ)。英語で講義は大学院でやれば十分。となれば、大学受験を小学まで遡って会話に力を入れない。予備校のような塾が幅を利かす(ミネルヴァの経営は厳しくなるだろう)。今と変わらない。文科省は予備校の勉強で英語の点数だけは稼いだ東大出のおバカさんの集まりだとよくわかる。

 

※※

こういう事件が起きた。http://www.afpbb.com/articles/-/3128131

これは元々、受け入れ側のアメリカに大きな問題があるのは明白。しかし、一方で英語での読み書きができれば一晩も拘束されずに済んだだろうことは間違いない。言葉というのは時に生死や人権に関わることになる。空港の警官に引きずり降ろされたことはないが、セキュリティゲートでの対応も酷いことが多い。検査に引っ掛かって、何か言えば黙ってろと言うし、別のところで黙っていれば何か言えというし。英国人やフランス人は特権意識的に態度がでかいし、ドイツ人は頑固で融通が利かないし、基本的に外人にはうんざりである。