同時通訳の現場 | An Ulterior Weblog

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直前のエントリーで同時通訳について触れた。たまたま、そのハッシュタグ(少数の投稿で試しているところ)から現場を感じられる記事があった。

https://ameblo.jp/tsu-honyaku/entry-12280022915.html

ここに出られているのも女性だが、あまり話題になることはないように思うが、聞くところでは国連の通訳の方々の9割が女性。理由は耳がいいから。残念ながら男性は聴き取りに関しては生体的にハンディがあることがわかっている。一般に語学ができる人に女性が多いのは辛抱強く地道な作業に耐えられるというのもあるが、主に耳と言われている。

 

ところで、上の記事と似たような状況に遭遇したことがある。

ある国際ワークショップが日本で開かれたときのこと。人数的には小規模だが、世界のあちこちから重鎮的な学者が集まった。場所は東京工大の大岡山キャンパス。発表は論文の共著者である先輩が行った。英語で自分がすることになっていたのだが、日本語OKということになって、直前に変更した。

国際学会で何で?と参加経験のある方なら思うだろう。実は同時通訳がついていたからである。ワークショップに限らず同時通訳が付いた会議に参加したのは初めて。バブル時代に東大が主催元で沢山の国内外の名だたるスポンサーを得て、大きな国際会議を新宿の京王プラザホテルで開いたときでさえ、そんなことは起きなかった。ずいぶんと予算が潤沢なワークショップだと思った。

 

会場に行くと驚いた。プレハブ式の防音の専用ブースが設置されていた(会議が終わるとすぐ分解されていた)。そこに女性2名、男性1名が詰めていた。中年の女性1人がこのチームを統括していた。請負っていたのは日本が世界に誇るあのサイマルインター(SIMUL)だ!2度びっくりである。会場は大学の会議場としては大きい方で(日大のアメフト問題での会見場ぐらいか)小さいワークショップではあったが、さすがにブースがあると少し狭い感じになった。相当費用が掛かったはずだが、会場を大学内にしたことで賄えたのだろう。

 

発表は質疑含め1つにつき20分。2つ行って10分休憩という形が取られた。同時通訳者の準備のためである。各発表の原稿が事前に渡されていて(直前に呼ばれて内容に大きな違いがないか再確認された)、それをときに目で追いながら(事前に訳語や何かの書込みがあった)、発表のパワーポイントの画像とヘッドフォンからの音声をもとにマイクに向かって説明内容の通訳をする。しかし、実際の発表は全くの原稿どおりではない。基本的には発表者の口から出てきている言葉を訳していた。原稿は語彙とか概念を把握するぐらいまでのようだった。それを小さなヘッドフォンをつけていた海外の方々が聴く。発表者が日本人ならスピーカーは無音で、海外の人なら日本語が流れた(まるでCNNの2カ国語放送)。通訳の様子は上の国連の記事と全く同じ。世界から来られた方々はその技量の高さに目を丸くしていた。我々もどうして1秒程度の差で通訳が続けられるのかと驚嘆した。一番最初の通訳が始まったときは会場がざわめいた。終わりには海外組の代表者が挨拶で感謝の念を会場全体に聞こえる形で伝えたほどである。彼等も同時通訳を目の当たりにしたのは初めてのようだったし、仕事への文化的評価が高いのだろうと思う。

 

こういう現場を直接見ると、いかに日本語と欧米語の橋渡しが大変かと痛感する。通訳者たちの事前の準備の様子もそうだし、昼食時間でも英字新聞に必ず目を通し、会社にメールしたりと休み無しだった。

こういった仕事ぶり、こういう人たちのスタイルをよく知らずに、低いレベルにもかかわらず、即効性を求めた目先の学習法に頭を悩ましていても大して進歩なんかしないと心底実感した。同時通訳の方々と生で会うなんてことは人生で一度あるかないかだろう(その後無し)。こういう頂点の人たちが、振り返って、学習者は何をすべきかと教えてくれることには耳を傾けるべきで、TOEIC満点を何回取ったとかいうような人たちの教材に飛びついてもその程度でお仕舞いである。同時通訳者もそれぞれに秘訣はあるのだろうが、どうみても、巷の学習教材の世界とは無縁に思えた。辞書が電子式になったぐらいで(以前は、幾つも辞書を抱えて持参したそうである)、線を引いたりメモを取ったり、昔の勉強そのままだった。見るからに真新しい手法みたいなものは欠片も見受けられなかった。彼らはほんとに繰り返し繰り返し電子辞書と英字新聞から(当時はまだスマホは日本では高価だったし、アプリも対応が不十分だった)情報収集をして、次の仕事のための準備までしていた。今は全てスマホかタブレット1つで済むのだろうが、やることは同じ。毎日の地道な積重ねの力を感じた。

 

 

逐次通訳なら、メーカー主催のワークショップなどで何度かある。2人チームの交代制しか見たことがない。やはり、女性が多い。逐次だって大変なのだが、進行は同時通訳が圧倒的に滑らか。少なくとも半分の時間で済む。しかし、防音ブースや専用音響設備は要るし、何日か続く会議では最低でも3人はいないと疲弊するから、かなり依頼側の金銭負担が増す。どれだけ需要があるのか、AIの発展で今後どうなるのかと思ってしまう。

 

※※

こう書いて来たからといって、学習者全員が同時通訳者を目指せとか、彼等と同じことをしろと主張している訳ではない。彼等は選ばれし人間。どんなに努力しても適性無く、断念している人も少なくない。高齢では反応出来ないし、若過ぎると経験が足りない。

何より、理系の人間は論文で独自に文章を綴らねばならず、文章が事前にある通訳とはそこが根本的に異なる。しかし、いくら科学的であっても、文章は書いている人の言語空間の大きさと質で決まる。それらが貧弱だと読んで直ぐにわかる。言語空間をいかに健全に大きく作るかという点で、通訳者の学習法は役立つ。ただ、直前のエントリーのように瞬間英作文はいただけないので、それなりに選ばないといけない。

 

※※※

いつも逐次通訳でも同時通訳でも思うのが、日本人側の通訳としてネイティブの人がいないこと。日本の国連大使が喋っている場合、それを通訳するのは挙げた記事のように日本人で、一度も日本語が堪能なネイティブだったことがない。他国もそうだし、国連以外でもそうだ。自分が知らないだけかもしれないが、やはりバイリンガルだとしても母語でないと無理なのだろう。世界一通訳が重要でかつ人材豊富な国連でもこうなのだから、いかに言語間の壁は厚く高いかという証だ。