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An Ulterior Weblog

更新は全く不定期です。広告は勝手に付き、外す費用も馬鹿らしく、アメーバからも一切頂いておりません(コメント・読者登録もアフィリエイト狙い多く、受けておりません。ご容赦下さい)
Read-only, not set communicative and periodical updating, sorry.

この前後のあたり、どう暮らしていたか、断片的に覚えている部分もあるが、あまりはっきりとは記憶がない。小さかったので仕方がない。

日本全体としては、この年に日本赤軍のドバイ日航機ハイジャックという大きな事件が起きているが記憶にない。


街を大きく思っていたが、成長してスケールがはっきりしてくると実際にはそうではないことがわかってくる。生まれたばかりのときは産業が発展していたが、気がついたときにはもうかなり斜陽していた。高度経済成長が終わったのがこの年である。街の衰退はその前から徐々に始まっていた。少し前から主要産業を観光に切り替えて持ち直しかけたかに見えたが、それも数年でピークを越え、周囲から人が少しずつ消えていった。主に大都市へと仕事を求めて移っていった。それができないのは農家と公務員だけだっただろうと思う。工場なども少しはあったが、それだけでは引き留める力には全くならずに現在に至っている今日この頃、みなさん、いかがお過ごしでしょうか?


現在の出身地の状況は悲惨だ。商店街はほぼ壊滅。すぐ近くに大型ショッピングセンターがあるわけでもないのに、シャッターが下りてるぐらいならまだましで、持ち主がいないために傾いたりして、とても新たに買い手がつくことは望めないし、もともと人が減る一方でそんなことは不可能に近い。フランチャイズでお店が出来て雇用が保たれればまだいい方だ。

時間が経って建物がずいぶんと消え、店と店の間が空いてポツンポツンと抜けてる状態になっている。前はズラーっと並んでいたのに。

全国の地方の小さな町はどこも似たようなものだと思う。


1973年。地方も地方だったから、トイレは当然、汲み取り式。(日本で水洗式が普及したのがいつかわわからない。今は簡易水洗になっている)学校でもそうだったから、たまに大きい方でも使おうものなら、用を足した瞬間にお釣りが返ってくることもあった。そんな状態がしばらくは続いた。学校は高校まで昔のままだったからだ。自治体にお金がなかったようだ。

道路は整備はされていたが、それは街の部分だけでちょっと離れた田舎道はまだまだだった。雨でも降ろうものなら水たまりができて歩きにくかった。

買い物ではスーパーが普通になり始めた頃だったように思う。それまでは、市場のようなところで個別に少量ずつ、新聞紙や油紙に包んでもらって買っていたと聞いた。

スマホどころかウォークマンなんかもまだ出ていない。カセットが普及し始めていたが、拘る人はオープンリールデッキとかを持っていた。テレビはまだ家族団欒の中心で、子供部屋とかに入るには至ってなかったし、それもブラウン管で20インチ前後といった今からすると小さなものだが、本体はゴロンとでかく、大きな居間のある家なんて農家と医者ぐらいで、大事な家具のように家の中心に鎮座していた。家庭用ビデオもなかった。8mmフィルムカメラを持っていた人がいたように思うが、はっきりしない。

音楽はラジオで聴くか(エアチェックと呼ばれていた)、レコードを買うかだった。CDなんてものはなかったし、ましてや曲目毎に電子データなんてのは想像だにできなかった。

電話は1家に1本が当たり前になってきた頃かと思う。車はまだ高すぎて、それほど持っている家は多くはなかった。それよりバイクの家が多かったように思う。一番普及していたのは自転車だった。だから街中の交通量は多くなかったし、駐車場のない店はその後もずっとそのままだった。それより、電化製品の充実が世間体には重要な時代だった。エアコンなんてのは必要性も低く、まだ全く見られなかった。何せ、部屋の灯りが裸電球でソケットのスイッチを回して点けていたところもまだあったぐらいである。


社会的様子はこんな状態だった。しかし、現状の様子からみれば、人口は倍ほどあったし、衰退は始まったばかりでそれほど悲壮感はなかった。もちろん金持ちはいたが、皆似たようにまだ貧乏だった。オイルショックがあり、その後、バブルを迎える。バブルの恩恵はあったことはあったが、崩壊後に街が瓦解し、そこからは急速に衰退した。

この衰退を止めるには何がしかちゃんとした産業を根付かせないと回復など無理である。いい案が簡単にあれば、どの自治体も苦労はないだろう。


1年の半分近くは雪があり、冬は寒かったが、周囲にはもっと寒い地域がたくさんあったし、雪の量も特に多いところでもなかった。春になると、花売りの露店が駅前に並んだりした。夏は涼しかったが、今は温暖化で30度を平気で上回ることが多くなった。

夏にはどこでもあるように祭りがあったし、花火大会もあったが、花火大会は衰退してからいつの間にかやらなくなったようだ。

人が減ったせいか、空の星がよく見えるようになったように思う。もちろん、昔もよく綺麗に見えていたが。

スキーやスケートは盛んだった。何せ前年には笠谷を頂点にジャンプで五輪表彰台を独占していたのだから。それも今はやる人そのものがほとんどいない。

スキーをやるようになったのがこの頃だが、貧乏で道具を揃えることさえ大変だった。学校の授業でやらなければならず、仕方なく揃えたのが始まりだった。スキーウェアなんて特別なものは買えなかった。

プラスチックブーツはすでに出ているが、そんなものは見たこともなく、バックル式の皮ブーツにHOPEのビンディング、エッジがついた合板のスキーが一般的だったように思う。


あの頃の生活は今から見れば不便極まりない。もしタイムトンネルが実現した場合、今の20代、いや30代の人も1973年に戻ったとき、絶対に生活への不満で神経を少なからず擦り減らすに違いない。「昔に戻る」は聞こえはいいが、ワイルドな生活ができない人には無理ではなかろうか。私にしても暮らしにくいのに変わりはない。でも、暮らせないというほどでもない。むしろあの当時の活気が地方にもあったことを思うと、今の日本は本当に元気がなくなったと思う。日本は豊かになったが首都圏を除き活力を失った。豊かさと引き換えたのだ。あの頃の活気の中心にいたわけではないが、その雰囲気の中にいて、自分が成長していったことを感謝の念も込めて感慨深く思い出す今日この頃なのだ。



さて、おわかりの方はおわかりだろう。表題は村上春樹の長編小説『1973年のピンボール』をもじったものである。(今もって、村上春樹絡みで訪問される方が多いので)

驚くことに同じ表題のエントリーは見当たらなかった。それほどしょうもない表題だったのか?

3.11から3年半が経過した。

大震災を契機として新築の家、すでにある家でソーラーを設置する人が増え、売込みも激しくなった。我が家にも電話がかかってきたし、飛び込み訪問も受けたが全て断った。(使用する半導体とその性能、曇天時や部分損傷時の電圧・電流の制御内容をいま説明してほしい、メモを取ってそれを元に検討すると言うと、どれも引き下り二度と来なかった)


この潮流を後押ししたというか、作った張本人が時の無能首相菅直人と悪商人孫正義である。ともに在日。彼らが在日であることが協同を生んだのかどうかは知らないが、何らかのプラスの要因にはなっていただろう。誰でも同郷のものとは話を始めやすい。菅が反原発で騒いだのをビジネスチャンスと見てとった孫が近づいて、とぼけながら勝手に推し進めた。

彼らが組んで作った政策はソーラー発電に限定していないが、実質的にソーラー発電主体で計画された電力の売買制度である。高い買付け価格(10kW未満は2010から:\48/kWh、\42、\42、\38、\37)を長期固定としているので新築に関わらずこぞってソーラーをつけて儲けようという人やベンチャーが多く現れた。早いほど利益が大きいので急速に動いていた。そしてその支払いは電力会社経由で全国民に全て押しつけられた。

高い買付価格と予想の何倍もの速さで増えた設置容量のためにとうとう電力会社が立ち行かなくなり、適用制限や価格見直しが図られて、社会問題化している。

http://mainichi.jp/select/news/20141002k0000m020101000c.html

九州は特に深刻なようで、見込みではすでに九州全体をカバーできるほどに設置されたからである。

http://www.solar-partners.jp/mmbn-32705.html

ただ、騒がれてるようには家庭では問題ない。10kW未満の小口はそのままである。が、これも「当面」と言っているのでいずれまた顕在化するだろう。(業者が逃げ手として10kWに刻み、集合体を作ってくる可能性がある)

2015年度以降についてはドイツの例も加え、買取りそのものが、と懸念している記事もある。

http://thaio.net/news/%E5%A3%B2%E9%9B%BB%E4%BE%A1%E6%A0%BC2015.html

我が家は設計段階からソーラーを導入する気は全くなかった。

一番に、効率が悪く大きなパネルが必要な点である。希望の効率は70パーセント超。現状では最高でも45%も超えていないし、設計当時は量販品レベルで10%を少し超えた程度だった。効率がよくなれば、みっともなく屋根にズラーッと並べる必要はなくなる。大きな出力がいらなければ(売電とかにそそのかされてでかいのを載せるのがよくない)庭やバルコニーにおいておける大きさにまでできる。効率については企業だけでなく、名立たる大学でも研究が加速していることを知っていたので、それに期待した。


もう1つは取付の耐久性の確保だ。屋根に後付けした場合、間違いなく屋根の寿命が一挙に縮まる(我が家は50年持つようにしているが、後付けすると10年程度で手を入れることが多くなる)。屋根の張り直し金額を考えておかないといけない。屋根の張替えは足場を家の全周に組むことになるので、平屋や狭小住宅でもない限り、二、三十万は足場代にかかる。全費用は屋根面積や使用材によるが普通の家なら百から二百万といったところではなかろうか。

この屋根の傷み問題は深刻で、雨の多い日本では大抵の家の寿命はこれで決められてしまうと言っていい。ならばとできたのが屋根材と一体型の太陽電池。軽量ですっきりすることで人気があるとも聞くが、これが曲者で、性能が悪かったり壊れたとき、屋根材メーカーの問題なのか電池メーカーなのかはっきりしないと聞く。実際、どう処理されるのか知らない。ほかに、地震や台風、積雪、はては部分交換はやりやすいかどうか、広島のように災害でダメになったときの保障はどうなるのか。。。

などなど、懸念が多く、これらを超えてソーラーを使う理由などどこにもなかった。それもこれもソーラーがこんなにでかい場所を必要とするためである。

それに、根本的にどうすれば地球に負担を与えないのかと考えていたのであって、売電で儲けるためにソーラーを投資としてやろうという気はなかった。本末転倒である。


一方、ソーラービジネスの側からは、ソーラーをたくさん売るには売電で儲かるように仕向けないといけない。普通の家庭で全電力以上を賄うのではなく、無理のない発生分で補うとすれば、ソーラーは縮小サイズにできる。それでは業者や孫は面白くないわけである。

孫は再生エネルギー制度を利用してソーラーをつける人に儲かるようにみせかけて導入をそそのかし、一緒に自分のメガソーラーを紛れこませ、高い買取り時期を長く得るために買い取り価格の据え置きをも実現し、多大な利益を得る構造を作った。それをソーラーを買わない世帯からも調整金を徴収する形で漏れなく全国民の懐からお金を巻き上げることで実現したのだ。彼の狙いは電気を使う日本人全てからお金を取ることだったのだ。

彼は最初の2,3年ぐらいでやれるだけやって、目途さえ付けば、あとは上がりを待つだけなので、その後のベンチャーや庶民が損をしようが知ったことではないのだ。


部下や関係先を独りよがりの判断で怒鳴りまわった愚かな首相菅。利用できるならどんな相手とでも手を組む孫。とんでもない連中が最悪のタイミングに日本にいたことはたしかだが、それに踊らされたのが日本全体であり、我々がいまだに愚かである証拠といえる。
現在のところ、ソーラー発電は全くエコに反する。効率が悪過ぎる。光を電気に変換するためにガタ落ちするので当然。では、何が一番エコか?太陽光温水器だ。直接、熱エネルギーを得てお湯や暖房に使う。これに尽きる。エコキュート(電気で湯沸し)やエネファーム(ガス湯沸かしついでに発電)などよりはるかにエネルギーの無駄使いがない。

ソーラーでエコを目指すとなると、ソーラー発電が家庭電気の主体でなければならず、そのためには光-電気変換が8割とか9割が望まれる。装置の製造エネルギー分まで元を取れるようにする必要があるからだ(このことを導入世帯主はあまり考えていない。あくまで金銭収支)。はたしてそんな手段や材料が見つかるかどうか。実現すればこれもノーベル賞は間違いないだろう。LEDは電気がないと使い物にならないが、その電気を効率よく作るというのだから。



※大震災と孫と言えば公言した100億の寄付。実際には節税の恩恵を受ける財団法人に自分の手先を送り込んで資産管理してもらっているだけで、寄付などとはおこがましい。しかも、あまりに聞かれるので勿体ぶった言い方までして。これが孫という人間の本質である。昔から素が見えていたので、ソフトバンクを使う気は全くない。ほかに2つ、ちゃんと全国で使える携帯会社があるではないか。

http://www.k2wave.com/tatemae_41.html


※10/26に以下の記事が出た。いつまで残るかわからないので、簡単に書くと、同じエネルギーを得るのにどの方式の発電が安いかというもので、最新の状況を考慮した試算で、石炭\7.8、原子力\8.0、天然ガス\12.5、風力\21.2、太陽光\30.6となっている(石油は太陽光並みに高いため、LNGに奪われている)。今もってこの高さなのは製造にお金がかかる割に発電能力がパっとしないためというのがよくわかる。ただし、安い方には別の問題があることはおわかりだろう。うまい話はなかなかない。

http://www.yomiuri.co.jp/economy/20141025-OYT1T50135.html?from=ytop_main2

科学、特に宇宙や素粒子に興味のある人は聞いたことがあるはずだ。

宇宙の活動で観測される重力効果から考慮すると、観測にはかからないが宇宙のほとんどの質量を占める未知の物質のことである。


日本語版wikipediaでもわかる通り、その候補としてニュートリノ系列説が長いこと有力と考えられてきた。この関係でメシを食べてるわけではないが、昨日ひょんなことから、もしかしたらグラビトンの超対称パートナーのグラビティーノではないかと思った。いろいろと整合性はとれそうなアイデアに思え、かなり画期的なように思えたが、調べると案の定、すでにノルウェーの研究者が昨年早々、成功したような記事が出ていた。(原論文はまだ読んでいない)


http://www.astroarts.co.jp/news/2013/01/30darkmatter/index-j.shtml


これでグラビティーノ粒子が観測されれば(グラビトンもまだ観測されていない)ノーベル賞は間違いない。

ただ、これでも我らの宇宙のすべてが説明できるわけではなく、そのためには別の理論の構築が必要で、上の新理論との整合がとれるかどうかによる。


暗黒物質の理論はほかにないかと言うと、日夜、多くの研究者が悩んでいろいろと試みている。自分ももう1つ可能性のある方向と考えているものがあるが、それは量子論の方から重力を見直すもので、一般相対論を捨てざるを得ないものである(勘違いしないでほしいのは、アインシュタインが間違っているというのではなく、ミクロの世界では修正しないといけないという意味である)。研究者はいるが、主流にはなっていないし、道のりも上のよりは険しい。


それにしても昨日の画期的と思ったアイデアを、これは誰かが思いついていても不思議はないかと思って調べて、記事を見つけたときはやはりがっかりしてしまった。とほほ。

ストリートビューには富士山の登山道の様子とか建物の中とか本来の目的とはちょっと違うものがときどきある。内容に衝撃的なものがあるのでここには掲載しないが、世界の中では通りで銃を持った人物が映っているとか、世界の日常が安全や平和と如何にかけ離れたものであるかを示してくれるようなものもある。


ここで紹介するのはそのような際どいものではないが、理由がはっきりしないものである。

先に日本の最低気温の1つの地として母子里を採り上げた。実はそのときにストリートビューで様子を一部確認した。ここは昨年まではストリートビューは全く設定されてなかったと記憶する。いつ設定されたかは知らないが、今回、やってみたら見えるようになっていた。

そのときに変なものを見つけた。


下の画像でメインの通りなどとは関係ない、僅かに小高い丘のようなところに青く、ぐるぐるとうろついたような線が見える。しかも道らしい道がないようなところをうろうろしている。

ストリートビューで見てもメインの通りから轍のようなのが分岐するがそこに標識は見当たらない。青い部分のスタート地点にも轍には何の標識もない。



そして長いことぐるぐる行った先にあったのが下の画像のもの。全てのぐるぐるを回れたかどうかの自信はない。実際にストリートビューで拡大して見てもらうとわかるが、鳥の巣箱みたいなものの向こうに高い金属のポールに装置のようなものが上下に2つあり、上の方にはソーラーパネルがついている。2つとも高い位置にあるのは雪深いためと思われる。

通信関係のようにも見えるし(が、こんな森林の奥に設置する意味はないと思われる)、もしかしたら、ここが北海道大学演習林内の温度測定の場所なのかもしれない。もともと、母子里そのものが広大な北大演習林の中を切り拓いてできた集落だからだ。あるいは全く別のものかもしれない。いずれ、このあたりをまた通るつもりではあるが、さすがに轍からかなりあるのでヒグマを考えるととても実物を確認しに行く気が起きない。




それにしても何故にこんな奥に入ってストリートビューを動かしたのだろうか。ヒグマの危険があるというのに。(鈴を鳴らしていてもやられるときはやられる)


※知合いから、ストリートビューを動かしていたら左上のコンパスみたいなところに『雨龍研究林』と出てくると教えていただいた。マウスを動かすと出て、じっとしてるとその表示は消えるため気がつかなかった。ということで、ここが北大演習林の少なくとも現状の観測所として間違いなさそうである。

それにしても、これをわざわざ取り込むとは。研究関係者以外寄り付くことはないだろう。グーグルジャパンの人がやったのか北大関係者が協力したのかはわからないが。


※※鉄道ファンの方なら知っているが、母子里の西側に昔の深名線の蕗ノ台、白樺、宇津内という地域があり、駅があった。今もその跡地を訪問する人は少なくない。むしろ秘境駅ブームで増えているように思える。ところがどこもヒグマの足跡があったといい、中には実際に遭遇し、あまりのでかさ(推定500kg?)に車の中ながら恐怖したという話もある。特に最近はエゾシカ(この肉が実はかなり美味しい。ただし、高い)の繁殖を背景に巨大化が目立つヒグマ。春から秋に北海道を旅行する人は注意してほしい。

台風が過ぎて、日本全体が本格的な秋を迎えている。

昨日は旭川市と北見市の間の2つの峠で積雪が観測され、北国では冬が傍に控えている。すでに先月下旬には北海道の朱鞠内で朝に氷点下を記録していた。


さて、寒さが迫ると思い出すことがある。日本の最低気温にまつわる話だ。

気象庁のサイトで出てくるのは旭川で1905年1月25日の-41.0℃である(これに因んだお菓子は有名)。しかし、実際は違う。このあたり混乱が多い。


気温の測定には、気象庁の直轄の部署による測定だけでなく、外部に委嘱して測定データを提供してもらっているものも含まれる。

北海道幌加内町の母子里(もしり)という地域に北海道大学農学部の演習林がある(北海道にはほかにも東大の演習林がある)。1978年2月17日、そこで測定されたのが-41.2℃という記録である。この測定は水銀柱(昔ながらのガラス棒状のもの)の結果だった。ところが、このときデジタル式の温度計も用意されていた。そちらは何と-44.9℃と示していた。

この記録は当時、TVや新聞で全国的な話題になった。特に後者が驚異的に他を引き離しているのでかなり煽った報道がされた。母子里とはどんなところか、その温度の世界はどんなものかと。


当時はどうか知らないが、現在、幌加内町母子里は限界集落と思われる。世帯数は十程度と推定される。かつては深川市と名寄市を結ぶ深名線という鉄道路線があり、その中でも孤立したような奥まったところの集落で盆地である。深名線は代替手段としての道路が整備された1995年に幕を閉じた。農業主体の地域のはずだが、深名線では木材搬出が昔はかなりあり、その集積所だった可能性もある。また、朱鞠内湖(日本一大きい人造湖)では魚が獲れるので一部は近隣で取引されていたかもしれない。

この母子里のある天塩山地は寒くて雪深いと昔から有名で、現在でもよくヒグマが生息しているところでもある(天塩でヒグマと言うと、壮絶な三毛別事件が著名)。特に寒さは別格で-30℃前後は当たり前のように出る地域でしかも積雪の記録もたしか269cmだったと思う(極寒では雪は細かく、積雪は低いのが普通。後で母子里では278cmとの記録を見つけた)。これだけ積雪と寒さの厳しい地域は山の上とかを別にして寒い北海道と言えどこの地域だけとよく言われていた。


母子里ではトイレ(汲み取り式)では何もかも凍り、前に済ませたものの上にそのまま凍って便器につく、匂いはすぐ凍ってしまうのでほとんどしない。野菜は冷蔵庫の中に入れる。家の中に段ボールにでも入れておこうものなら凍ってしまって料理できなくなるからである(これは北海道の他の地域でもよくある)。そして、あまりに家の中が冷えるので、寝てる間に耳が凍傷になり、切り落とすことになった人もいたという。そのため、寒いときはストーブを一晩中燃やす。想像を絶する寒さである。(現代の家なら断熱もしっかりしているので問題ないはず)

自分が経験があるのは-20℃前後までである。よく聞くのは-30℃は違うというのと、そこから先はあまり変わらないということであるが、どちらも経験から推察することはできそうもない。


そんな母子里の最低気温は結局、デジタルの信頼性が当時はなかったと思われ、正式には-41.2℃ということになっている。さらに、実はこの記録より前に大記録が存在する。1930年1月27日、同じ天塩地方の美深町という名寄市より少し北の町(こちらも廃線になった美幸線があった)の-41.5℃(委嘱測定の模様)。母子里のデジタル値はこれを超えるものと思われて話題になったわけである。

気象庁は直轄しか正式には認めないのかもしれないが、委嘱先を無視するのも都合が良すぎていかがなものかと思うので、ここでは正しい測定をしていると思われるものは認めるべきだとの立場で挙げておく。


*-44.0℃ 歌登町上幌別(現枝幸町) 1931年1月27日
-41.5℃ 美深町 1930年1月27日

-41.2℃ 幌加内町母子里 1978年2月17日

-41.0℃ 旭川市 1905年1月25日

 


※樺太全体では南北に長いためもっと温度的には過酷で、最高気温は39℃(1977.6)、最低気温は-50℃(1980.1)。実に89℃の温度差をもつ。これに比べ千島列島は海洋内にあるので、夏涼しく、冬も-30℃以下を記録したことはないようである。なお、シベリアによく伝わる表現に「-40℃は寒さじゃない、400キロは距離じゃない」というのがあると聞いたことがある。


*追記

後日、歌登での記録を知った。こちらも委嘱測定で、北海道森林気象観測所というところだそうである。私はこれの記憶が全くなく、ここに追記した。母子里が話題になったのはこれをも超えていたからと思われる。歌登は近隣の地域の人から聞いたところでは昔は冬に雪に閉ざされて陸の孤島だったとのこと。現在、道東の陸別町が日本一寒い町(気象庁直轄観測点内としてと思われる)として宣伝しているが、幌加内や美深、枝幸は特に売り出してはいないようである。これらはすべて道北で道北は寒いところだと改めて思った次第。

ネット上では重箱の隅に淀んでいるこのブログであるが、この2日ほどはアクセスがかなり上がった。記録的というほどではないが、ほぼ歴代トップクラス。

もともと、何のランキング登録もしていないので目に着くことが無いし、ほとんど検索に引っかからないはずなのだが。。。


理由はちょうど2年前、村上春樹と団塊世代について書いた記事が、ノーベル賞物理学賞受賞のフィーバー(古い言葉。。。)の勢いに乗って、文学賞への注目度が上がったためのようである。

結果はご存じのとおりで受賞していない。


記事ではノーベル賞候補と書いたが、本当に候補かどうかは50年経たないと公表されないのであくまで推定でしかないのだが、これまでカフカ賞などのいわゆるノーベル賞候補となるべき賞をいくつも受けているので、候補のトップにいるかどうかは別にして、リストに挙がっていないということはとても考えにくい。

ただ、受賞できないだろうというのは今も変わらない推察である。彼は日本の代表にふさわしいという側面が見当たらないからである。

じゃ、代わりがいるかというといるようにも思えない。毎年、この村上春樹祭が続くのはそこに原因がある。彼を超える代替作家がこれといって挙がって来ない以上、しばらくは秋の風物詩となるのだろう。


さて、2年前の記事では村上春樹は学生運動には参加していなかっただろうと推察していたが、それ以降にニューズウィークのインタビュー記事に実際に「警察と闘った」と答えている。また、その後、周囲が結局、企業戦士になっていったのに馴染めずに作家になったと吐露している。(URL処理が汚いのはしばらくご勘弁願いたい)

http://books.google.co.jp/books?id=CruBAgAAQBAJ&pg=PP8&lpg=PP8&dq=%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%98%A5%E6%A8%B9%E3%80%80%E5%9B%A3%E5%A1%8A&source=bl&ots=kv-xqFJwRJ&sig=y8w75qZoBsgmXQ5S6EjiB7I5cS8&hl=ja&sa=X&ei=hVM3VNzUIcazuATUj4DQBQ&ved=0CEAQ6AEwCA#v=onepage&q=%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%98%A5%E6%A8%B9%E3%80%80%E5%9B%A3%E5%A1%8A&f=false


これでわかった気がする。村上作品を受け付けない理由が。彼は学生運動がそのまま続いているのだ。その点では坂本龍一も同類に思う。理想を求めて頑張ったが、結局そんなものはどこにもなく、現実が地に着いた日常なのだということが理解できずに自分の世界の純化に向かった人たちの1人だったのだ。

もちろん、それが共鳴なり共感なり、人間性の一面を照らす真実であったりするのだろうが、彼らの存在たらしめる舞台は我々の生きている日々のものとは別種ということだろう。それを楽しむのは一つの娯楽である。残念ながら私は両者の作品を楽しめたことは一度もない。両者が共通したものとの認識はなかったが。


※次の記事が出た。これが現実である。ただ、グレアム・グリーンを同じ扱いにするのはちょっと無理がある気がする。また、英語への翻訳版にはあまりに性的な部分は削られていることを注意しておく。つまり、海外で人気が高くてもそれは原作のかなり過激な部分を消した上での話なのである。

http://lite-ra.com/2014/10/post-535.html


※※元女子高生ロックバンドに曲も作られていることを知った。「村上春樹つまらない」

https://www.youtube.com/watch?v=2FgTqPV3fh8

アマゾンでも売っている。多角的経済効果である。

http://www.amazon.co.jp/dp/B003NAFFH2/ref=mem_taf_music_d

現在、御嶽山で自衛隊、警察、消防と懸命の行方不明者の捜索が行われている。

今回もそうだが、最近の広島の土砂災害や、特に東日本大震災のときでの活動に感謝の念も加わって、多くの国民に自衛隊が受け入れられるようになってきている。


前世紀とはかなり様相が変わってきて、現実の紛争が止まない世界情勢、朝日の捏造問題もあって、左の言い分は妄想として通用しなくなっている。

それに限らず、自衛隊の広報活動も盛んになってきている。空自に至っては『空飛ぶ広報室』がドラマ化までされた。長きに亘ってはそれぞれの基地での基地祭がおこなわれ、地元の理解を得る努力がなされている。

活動報告だけでなく、地元とタイアップしたイベントも行い、集客力をあげている。

実際に、いくつかの基地祭に訪問した経験がある。隊員も独自にいろいろ芸なり何なり仕込むようで任務とは別にいろいろと準備など大変だなぁと思う。


あるとき、全く別の機会で広報担当の方とお話する場に恵まれた。飛行機が上空をいつもと違うルートを1回飛んだだけで、いくつも電話がかかってくるという。多くは騒音に対する苦情だが、中には何事かあったのかと心配してかけて来る人もいるそうである。


さらに付け加えて強調して仰っていたのが、最近はスマホやデジカメなどで画像や動画を簡単に撮れるようになって、いわゆる軍事オタクがいろいろ投稿やブログにアップするために困るという悩みだった。

基地祭などで訓練展示を撮るのは構わないが、基地や機材の装備や格納庫の数や様子がわかるのは本当に困るということだった。


つい最近もとある基地祭に行ったという報告のあるブログがあった。機材だけでなく、格納庫の内部を撮影したものをそのままあげていた。幸いそこは私と違って寛容でコメント欄が有効だったので、上記のコメントを書いた。少なくとも格納庫内部の画像は削除が望ましいと。でなければ中韓露に情報を流すようなものだと。すぐにその記事は全面的に削除されていた。そこはまだ良心的だったといえる。


現在はグーグルマップにストリートビューがあり、基地祭にも平民として中に入ることはできるわけで、完全に防ぐことはできないだろう。特に日本人を使ってやられたら人種区別がつかないからどうしようもない。

しかし、ネットにあげた場合の世界への拡散の速さと広がりの大きさは別格である。

おそらく、少なくとも中国の軍関係機関は日本の軍オタのブログなどを始終監視し、新たな情報を得ることをしていると思う。それぐらいは簡単にやれる。


いま、日本は日々、近隣諸国から海上で妨害を受けている。報道がなされていないだけである。

注目を浴びているのは尖閣諸島や竹島だが、対馬も、佐渡も、利尻や礼文も隣国から被害を受けている。北方領土だけではない。

http://www.sankei.com/politics/news/141008/plt1410080003-n1.html


自分の活動を同類たちに知らしめたい、自分が特別に注視した装備なり、事象なりを誇りたいという心理はわかるが、そのために自衛隊の詳細が中韓露に知られ、国防を危うくしている。

軍事ファンを自認される方だけでなく、イベントに参加する方々は現地でどこまで可能かを一度確認した上で投稿や掲載を決めるようにお願いしたい次第である。

なお、撮ったものを自分で楽しむだけにおいては全く問題ないとの回答であった。

スキー靴のついでに防災のネタをもう1つ。


職場には防災グッズがリュックで個々人に渡されている。市販のものもそうだが、必ずといっていいほど、補給食が「乾パン」。

平均寿命が延びている日本。これを食べられる人の割合は減っている。年配の方や小さな子供、歯の弱い人はこんな硬いものは食べることができない。何年経っても変わらないのには驚くばかりだ。乾パン利権でもあるのだろうか。(おそらくは賞味期限が5年と長くかつコストがかからないために、公共での保存は乾パンが多いのだろう)


阪神淡路大震災の記憶が311によって霞み始めているようにも思うが、あのあとから防災は家から食べ物や生活水などの多岐に渡って見直しが図られた。

台所の蛇口のレバーは大震災のあとに下げると閉じる方式に統一された。逆の場合、落下物があると水が出っぱなしになり、二次被害を招くからだ。ガスの戸別遮断についてもこの震災を契機に強化・高機能化されている。


しかし、補給食の乾パンだけは見直しが図られていないようだ。では、他に何がいいかというと保存が利いて食べられるものは何でもいいわけで、真空パックの干し芋でもいいし、スナック菓子でも構わない。ただ、コンビニなどでどこでも手に入るものでコンパクトで好きな時に食べることができて食べやすいとなると何といってもカロリーメイトの類である。乾パンと違い、味も多種多様に出ている。それだけでも味気なさを解消できる。よく、板チョコを用意しておけという意見があるが賛成しない。高温になると溶けてしまうからだ。カロリーメイトなら炎天下に晒されても大丈夫だ。

我が家の防災リュックにはこれがたくさん入っている。賞味期限が過ぎたところで交換している、期限が過ぎたものは間食で処理している。賞味期限が過ぎても何の問題もない。試したところでは2年後でも特に問題なく味もそのまま。もちろん、開封後はあまり長期間放置はできない。おいしい食べ物とは思わないが、乾パンはさすがに食べようという気が起きない。なので、自宅の防災グッズくらいは自分の都合に合わせたい。


ほかにも工夫すればもっと防災備品の質はよくなるだろう。それぞれで工夫を試みるのを楽しんで防災力をあげてみてはと思う。

私の職場での足元にはスキー靴がある。

普通は靴で出勤して、サンダルに履き替えて仕事をしている。年がら年中スキーに逆上せている、というわけではない。


もし、大地震が来て、自席の周りが割れたガラス、落ちてきて粉々になった天井パネルや蛍光灯、歪んで折れ曲がったり、突き出たアングルなどで取り囲まれたとする。さて、どうやってビルの外に出るのか。歩いて行くしかないわけだが、サンダル履きで可能かと言えばまず無理だろう。


そんな地獄のような情景(阪神淡路大震災のように)の中を歩くのにスキー靴ほど適したものはない。安全靴というのはあるし、脚絆も売られているが、足首より上は無防備に近いし、甲の部分の保護も意外に完全ではない。生産現場での事故例も存在する。金属やボードやコンクリートの割れた角に対してぶつかったとき、負傷するのは防ぎようがないだろう。でも、スキーブーツなら金属の尖った棒でも簡単には突き抜けない。

唯一の問題は慣れてない人には歩きにくいということ。スキーヤーを自認する人には問題ないだろう。歩きやすいようにキャットトラックでも装着しておけばなおいい。


残念ながら、スキー板の方は防災でのこれといった活用法はまだ見いだせていない。ストックは骨折したときの添え木替わりには使えるし、松葉杖の代用としても使えるかもしれない。ストックはまだ会社には持って来てはいないがそのうち持参する予定だ。



※スキー靴ではガラスとかがあると滑るのではないかと思う人がいると思う。地震災害ではないが、使った感触では靴も同じように滑るし、スキー靴ではガラスやプラスチックなどを割りながら、薄いトタン板ぐらいなら突き破りながら進むことができるが、普段の靴ではそれは簡単にはできなかった。

それとスキー手袋も大変有効で手の怪我をかなり防いでくれる。ヘルメットはもちろんのこと、スラロームのプロテクターも活用できる。スキーは防災用具がよく揃っているスポーツと言える。


先に、ディズニーランドの殺虫剤散布による蚊の駆除の話を書いた。

正直なところ、原発事故を契機に放射線を気にしている人は、こういう事実にどう反応するのかは身近にいないのでわからないが、気にする人が多いだろうとは想像するし、全く無駄な心配をしてご苦労なこととも思う。


たとえば子供のために食物からの放射線はゼロでないと嫌だと言う母親がいる。でも、その人は5千とか6千ベクレルの放射線を体内で出していることを自覚しているのだろうか?(文献などによっては数値は結構異なるが千以下とか万以上とかはないようだ)

何としても放射線を防ぎたいとなると子供に一番接する自分が一番害を与えている可能性が高く、空から大地から、木々からありとあらゆる物から出ている放射線を最小化するためには数cmとか相当分厚い鉛の部屋にでも閉じこもっていないと無理と思う(物体や生命体の放射線測定は実際にこれに似た方法で行われる)。もちろん、子供自身も体内から放射線を出している。

一方、これらの放射線を出す物質は体の構成部分を成してもいる。放射線ゼロなどというのはこの宇宙というか地球というか、その中で生きていくためにはあり得ないことなのであり、許容範囲さえ守っていれば害はないのはたしかである(あるんだったら人類は太古に滅亡している)。もし、それで障害が出るとすれば生命力としては問題を抱えていることになる。(紫外線に弱い病気で病院から1歩も出られないような子供がいる。成長には紫外線が必要で、成長がかなり抑制される)


同様に農薬、あるいは家庭で使う殺虫剤ももちろん毒性を持ってはいる。しかし、ある虫にしか効かない成分の薬剤を選択したり、量を調整して、残留を無害なレベルまで下げるように工夫されている。法的規制がある。

農薬にしても殺虫剤にしても人体影響に関するものはネット上に一杯あるが、たとえば

http://d.hatena.ne.jp/LM-7/20080817/1218954695

などは、無農薬野菜へのこだわりが如何に馬鹿げたものであるかがわかる。


私も自家菜園をしている。できれば農薬や殺虫剤を撒きたくはない。お金が余計にかかることだし。しかし、放置して散々にやられた野菜と農薬で元気な野菜では明確に差がある。元気なのは農薬の方でおいしそうなのもそっち。別に農薬で漬け込んだものでもないので、洗って料理して何の問題もなく、とれたての新鮮でおいしい野菜(とれたては本当においしい!野菜が甘い!)で健康でいい生活が送れる。もちろん、傷んだ部分は取り除いている。

もう少し人間の強さを信じていいのではないかと思う。気にしてストレスをため込むこともまた不健康なり。