この前後のあたり、どう暮らしていたか、断片的に覚えている部分もあるが、あまりはっきりとは記憶がない。小さかったので仕方がない。
日本全体としては、この年に日本赤軍のドバイ日航機ハイジャックという大きな事件が起きているが記憶にない。
街を大きく思っていたが、成長してスケールがはっきりしてくると実際にはそうではないことがわかってくる。生まれたばかりのときは産業が発展していたが、気がついたときにはもうかなり斜陽していた。高度経済成長が終わったのがこの年である。街の衰退はその前から徐々に始まっていた。少し前から主要産業を観光に切り替えて持ち直しかけたかに見えたが、それも数年でピークを越え、周囲から人が少しずつ消えていった。主に大都市へと仕事を求めて移っていった。それができないのは農家と公務員だけだっただろうと思う。工場なども少しはあったが、それだけでは引き留める力には全くならずに現在に至っている今日この頃、みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
現在の出身地の状況は悲惨だ。商店街はほぼ壊滅。すぐ近くに大型ショッピングセンターがあるわけでもないのに、シャッターが下りてるぐらいならまだましで、持ち主がいないために傾いたりして、とても新たに買い手がつくことは望めないし、もともと人が減る一方でそんなことは不可能に近い。フランチャイズでお店が出来て雇用が保たれればまだいい方だ。
時間が経って建物がずいぶんと消え、店と店の間が空いてポツンポツンと抜けてる状態になっている。前はズラーっと並んでいたのに。
全国の地方の小さな町はどこも似たようなものだと思う。
1973年。地方も地方だったから、トイレは当然、汲み取り式。(日本で水洗式が普及したのがいつかわわからない。今は簡易水洗になっている)学校でもそうだったから、たまに大きい方でも使おうものなら、用を足した瞬間にお釣りが返ってくることもあった。そんな状態がしばらくは続いた。学校は高校まで昔のままだったからだ。自治体にお金がなかったようだ。
道路は整備はされていたが、それは街の部分だけでちょっと離れた田舎道はまだまだだった。雨でも降ろうものなら水たまりができて歩きにくかった。
買い物ではスーパーが普通になり始めた頃だったように思う。それまでは、市場のようなところで個別に少量ずつ、新聞紙や油紙に包んでもらって買っていたと聞いた。
スマホどころかウォークマンなんかもまだ出ていない。カセットが普及し始めていたが、拘る人はオープンリールデッキとかを持っていた。テレビはまだ家族団欒の中心で、子供部屋とかに入るには至ってなかったし、それもブラウン管で20インチ前後といった今からすると小さなものだが、本体はゴロンとでかく、大きな居間のある家なんて農家と医者ぐらいで、大事な家具のように家の中心に鎮座していた。家庭用ビデオもなかった。8mmフィルムカメラを持っていた人がいたように思うが、はっきりしない。
音楽はラジオで聴くか(エアチェックと呼ばれていた)、レコードを買うかだった。CDなんてものはなかったし、ましてや曲目毎に電子データなんてのは想像だにできなかった。
電話は1家に1本が当たり前になってきた頃かと思う。車はまだ高すぎて、それほど持っている家は多くはなかった。それよりバイクの家が多かったように思う。一番普及していたのは自転車だった。だから街中の交通量は多くなかったし、駐車場のない店はその後もずっとそのままだった。それより、電化製品の充実が世間体には重要な時代だった。エアコンなんてのは必要性も低く、まだ全く見られなかった。何せ、部屋の灯りが裸電球でソケットのスイッチを回して点けていたところもまだあったぐらいである。
社会的様子はこんな状態だった。しかし、現状の様子からみれば、人口は倍ほどあったし、衰退は始まったばかりでそれほど悲壮感はなかった。もちろん金持ちはいたが、皆似たようにまだ貧乏だった。オイルショックがあり、その後、バブルを迎える。バブルの恩恵はあったことはあったが、崩壊後に街が瓦解し、そこからは急速に衰退した。
この衰退を止めるには何がしかちゃんとした産業を根付かせないと回復など無理である。いい案が簡単にあれば、どの自治体も苦労はないだろう。
1年の半分近くは雪があり、冬は寒かったが、周囲にはもっと寒い地域がたくさんあったし、雪の量も特に多いところでもなかった。春になると、花売りの露店が駅前に並んだりした。夏は涼しかったが、今は温暖化で30度を平気で上回ることが多くなった。
夏にはどこでもあるように祭りがあったし、花火大会もあったが、花火大会は衰退してからいつの間にかやらなくなったようだ。
人が減ったせいか、空の星がよく見えるようになったように思う。もちろん、昔もよく綺麗に見えていたが。
スキーやスケートは盛んだった。何せ前年には笠谷を頂点にジャンプで五輪表彰台を独占していたのだから。それも今はやる人そのものがほとんどいない。
スキーをやるようになったのがこの頃だが、貧乏で道具を揃えることさえ大変だった。学校の授業でやらなければならず、仕方なく揃えたのが始まりだった。スキーウェアなんて特別なものは買えなかった。
プラスチックブーツはすでに出ているが、そんなものは見たこともなく、バックル式の皮ブーツにHOPEのビンディング、エッジがついた合板のスキーが一般的だったように思う。
あの頃の生活は今から見れば不便極まりない。もしタイムトンネルが実現した場合、今の20代、いや30代の人も1973年に戻ったとき、絶対に生活への不満で神経を少なからず擦り減らすに違いない。「昔に戻る」は聞こえはいいが、ワイルドな生活ができない人には無理ではなかろうか。私にしても暮らしにくいのに変わりはない。でも、暮らせないというほどでもない。むしろあの当時の活気が地方にもあったことを思うと、今の日本は本当に元気がなくなったと思う。日本は豊かになったが首都圏を除き活力を失った。豊かさと引き換えたのだ。あの頃の活気の中心にいたわけではないが、その雰囲気の中にいて、自分が成長していったことを感謝の念も込めて感慨深く思い出す今日この頃なのだ。
さて、おわかりの方はおわかりだろう。表題は村上春樹の長編小説『1973年のピンボール』をもじったものである。(今もって、村上春樹絡みで訪問される方が多いので)
驚くことに同じ表題のエントリーは見当たらなかった。それほどしょうもない表題だったのか?