An Ulterior Weblog -17ページ目

An Ulterior Weblog

更新は全く不定期です。広告は勝手に付き、外す費用も馬鹿らしく、アメーバからも一切頂いておりません(コメント・読者登録もアフィリエイト狙い多く、受けておりません。ご容赦下さい)
Read-only, not set communicative and periodical updating, sorry.

年初にある業者の広告で挙げていた特許を調べた結果、それが無かったことを書いた。

その後、特許庁の検索閲覧システムは完全に入れ替わった。

その段階でもその特許はすぐには出てこず、しばらくして、そのデータが現れた。

つまり、実在する。今まで長く利用してきた中でこういう例は初めてでよくわからなかった。

さらに時間が経って公開公報が出てはっきりした。その特許の場合は登録公報がとても先行していて公開公報がずっと後になっていた。通常、公開のち登録であり(審査官は膨大な出願数を抱えているので、とりあえず拒絶査定するのが常で、それへの反論やら審査請求などで時間がかかる。想像を絶する手間を要することがある)、逆の例は見たことがなかったし、想像もできなかったというのが実情である。


なので、その特許に絡む記述を一切削除した。

ここにご迷惑並びに不利益をおかけした発明者に謝罪する。また、ご連絡頂いた関係者に余計な仕事を与えてしまい、深くお詫びする次第であり、一方、きちんとデータを確認できたことで決着がついたことに感謝申し上げる。

もし、発明者の特許の物件のよい情報が入ってきた場合は、別エントリーでご紹介を検討したいと考えている。



以下はオリジナルの残となる。

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住宅や建築物のトラブルは多い。セキスイハイムの新築が311で周囲より壊れ方が大きいとして茨城の顧客と裁判があるし(もともと棟数が多いので裁判も多い)、いわゆるソーラーサーキット系(床下蓄熱コンクリートにエアサイクル工法を組合せたもの)での訴訟などは有名である。先駆けのOMソーラーでは大分や岐阜での裁判があるし、ソーラーサーキット(現「ソーラーサーキットの家」は元々の「ソーラーサーキット」の組合をカネミ油症事件の片棒だったカネカが大企業のゴリ押しで実質的に乗っ取ったもので人が代わっている)では元会員(実質除名処分)の高砂建設による無知な殺虫剤散布による被害が有名である(高砂建設はこの乗っ取り事件後「ソーラーサーキットの家」の傘下に入っている。厚顔無恥とはこのこと)。どれも被害者は実質的には救われていない。薬害を受けたり、アパート生活に戻ったりなどを余儀なくされた。闘いはまだ続いているようだが、被告の一部が倒産してしまっていたりするので、どうなっていくのか見通しははっきりしない。


先般のチセの話のときにも書いたが、蓄熱コンクリート式は基本的に外張りの基礎断熱を施すことが多い。ところがシロアリにはコンクリートや果ては鉄筋でさえ敵ではないということをあまりに知らなさ過ぎる。断熱材などあっさり突き破るし、食害のターゲットによくなる。大手ハウスメーカーでさえ、うちは鉄筋ベタ基礎だから大丈夫などと呑気なことを言っている。15cm厚のコンクリートを2時間で貫通する力をシロアリは持っていると専門家から私は伺って、もうどうしようもない相手であり、ただ、彼らが活動しにくい環境にするしかないと観念し、基礎は床から離してあまり温めないことしか道はないと考えている。そこからするとシロアリ天下の本州以南でソーラーサーキット系のようなことをやるのは大変なリスクを伴う(シロアリ以前に、床下や屋根を通る空気を清浄機があるとはいえ、室内に送り込むことに抵抗がないことがおかしい。埃やダニとか虫とかどれだけエアサイクルで床下や屋根に積もっていくことやら)。基礎や土台が関わるだけにこれらがやられるともうその家では何も対処することができない。継続して繁殖することを止めることができれば助かるかもという程度。基本は最初から設計段階で工法やつくりとして適切なものを選ぶことが全てである。



※OMソーラーとシロアリの問題については何といっても有名なこのサイトが参考になる。ただし、この住居についてはそれ以前の欠陥住宅の問題が大きい。

http://www.geocities.jp/volkshausa/index.html

また、高砂建設の問題は被害者側の著書がある。

http://www.amazon.co.jp/dp/4806908495/

ソーラーサーキットを率いた松井修三氏のブログに高砂建設に対する怒りと問題の家が見てとれる。

http://180.222.85.213/blog/2008/12/post-795.html

新年を迎えた。新たな一年、はたして今年はどんな年になっていくのか。きな臭い話はごめんだとは思うが、こればかりは日本だけで収まる話ではない。


12月に入って列島各地で積雪と寒さに見舞われ、被害も出ている。昨晩も東京駅では上りの東海道新幹線が遅れてそのまま列車ホテルとなった。

勘違いをしている人が多いようだが、この冬の被害は寒さが厳しいためだけではない。特に積雪被害は温暖化によるものである。強い寒気団がシベリアからさらに大きく南下しているが、これも温暖化による気流変動による。欧州は逆に積雪が少なく、アルペンのW杯は北欧を除くと惨憺たる有様でコース以外に雪がないならまだいい方、降雪機さえ効果がなくレース返上のところも出ている。

シベリア寒気団の異常南下に加え、日本海の水温が温暖化で高い。それは漁師の間でも認識されているもので、南側でしか獲れないものが果ては北海道で獲れるなどという現象まで起きている。

南下した寒気団が温かい海水の上を通過すれば何が起きるかは明白。温暖化がなければ、寒気団の南下も海水温の上昇も起きず、今回のような酷い雪害は起きなかった。


さて、こうしてPCで書込んでいる陽の射さない北向きの小部屋の室温は15.3℃。実はほんの少し前まで14.8℃だった。こうして私が居続けていることで温度が上がり始めた。温度計は机の端に置いている。しかし、寒くない。(因みに外気温は0℃をやっと超えた程度)

以前に日本の最低気温 についてまとめて書いた。また日本一寒い場所 絡みで寒さの捉え方について書いた。その最後にアイヌ民族への敬意も表した。

そう、アイヌの人たちは一体、どうやって北の大地で暮らしていたのか?が今回の話である。



「チセ」という言葉を聞いたことがある人は非常に少ないだろう。アイヌ民族に特別に興味を持っているか家づくりでも断熱にかなり拘って興味がないと知らないと思う。「チセ」とはアイヌ語で家を意味する。それが家庭までも含むことがあるのかどうかは知らない。ここでは構造物の家という意味として話を続けていく。

明治に入って、アイヌ民族は経済だけでなく和人の生活スタイルにあわせることを余儀なくされる。ある地域にまとめて住むようにされたり、昔ながらの和風の家を与えて住むように仕向けられた(所謂、土人保護法による政策)。しかし、和風の家が極寒の地でチセに敵うわけがなく、ほどなく、すぐそばにチセを作ってそこに住み替えたという。和風の家の納屋か何かに見間違われるほどの代物だったようだが、断然温かいのだそうだ。これに類する家の作りは遺跡類を除けばおそらく日本のどこを探してもないだろう。


具体的にどんな作りになっているか、これ以上の解説はないというのがこちら。

http://www.chinetsu.jp/cise01.php

とにかく、驚きのエコ住宅だ。雪を断熱材として活用し、囲炉裏で僅かな焚き火を年中続けることで、大地に蓄熱し、笹もしくは茅を何層にも葺いて雨対策と外気との熱交換ができる通気性を確保。とても温かく、アイヌの人たちはあの寒い大地で風邪もひかなかったという。(温かい家で暮らしている方が風邪はひきにくい。寒さに耐えるべくと称して、寒い家であまり暖もとらないような生活の方が体力を使い病気がちになりやすいことを案外知らない人が多い)

何に驚いたといって、室温が5℃なのに体感温度は20℃だというのだ。体感温度は気温の寄与が半分程度、残りの半分は天井、壁、床、窓と外からの光から受ける輻射温度(MRTと言われる)の平均によってもたらされる。気温がかなり高くても壁とかが冷え切っていると寒く感じたり、窓から陽射しがあれば温かく感じるのはこのためである。


チセではこの輻射熱を確保し続けるため、年中、囲炉裏で小さな火を絶やさずに焚き続け、その輻射を家の構造体そのものと大地に蓄積する。しかも雪が溶けない程度にしか火は焚かない。とろ火という感じか。おそらく料理も外で煮炊きするなら別だが、あまり熱い汁物などは作らなかったのではないかと思う。この微少燃焼で雪が溶けずに中に含まれる空気が見事に断熱性を発揮し、極寒でも屋内は冷えない仕組みになっているというわけである。囲炉裏は、ときに1mほど深く掘って梯子を設けたピットのようなところの中央に置くこともあるようで、さらなる極寒地での仕様ではないかと思う。


我が家は所謂、高気密高断熱の家になる(窓はほぼすべてトリプル)。今は私が設計した当時よりもさらに断熱技術は進んできているが、平均的な新築の家よりはまだ高性能である。冷暖房も基本、1台の冷暖房機で家全体をカバーしている。あとは補助的に扇風機なり小型電気ストーブを使うことで十分対処できる。人がいない部屋ではこの補助冷暖房機は使わないので光熱費は安く、エコも実現している。1軒の家でこれほど少ない家はそうないだろう。(人の生活か?と思えるほど。前の肩こりのエントリー でも書いたとおり、我が家は風呂の湯温が低いのも大きく寄与)

今居る小部屋では遠赤外線パネルヒーターで150W出力で使用している。しかも、この部屋は主暖房の空気を引き込んでいない。陽が沈む頃から夜中も締め切ったままずっと動かし続け部屋を温めた結果だ。陽が昇り温かくなってくると止めている。まだ、試験的にやっていることもあってか、温かいという状態ではないが、肌寒くてやってられないというレベルではない。他の部屋の方が室温が上だが、北側の部屋にしては温かみを感じる。上は厚手のセーター1枚と下はジャージっぽい厚手の綿のパンタロンである。全くもこもこの感じではない。ゴミ捨てに出ていくにはちょうどいいぐらいといったところ。


高気密高断熱で温かいというとたとえば一条工務店のi-cubeが有名だ。床暖装備の充実度でも知られている。しかし、その温度設定は22とか23のようで、私の感覚ではとても逆上せて使えない。床暖自体あまり好きでもない。裸足で適度に感じる床温を調べたところでは18℃かせいぜい19℃である。一方、外から戻ると、20℃以上の室温にした場合、血管の急激な拡張のせいか気分が悪くなることが多く困っていた。

空気だけでなく壁から何から18℃だと肌寒いと思える(特に女性陣に不評)。かと言って戻ってきて一時的にせよ気分が悪くなるのは嫌だということで、室温を下げて輻射を利用した壁や床の温度の上昇をはかろうというのが今回のものである。主暖房のエコにもつながる可能性が高く、やってみる価値あり。

どれぐらい低出力のもので、どれぐらいの時間、天井や壁に遠赤外線を当て続ければいいのか判然とはしていない。何せこれを始めたのがこの冬が初めてだからである。-10℃近くまで下がる地域の家の中でうまくいくかどうかは何とも言えない。


それにしてもやはり先人の知恵とはすごいものだ。現在の最新鋭の家でもチセには遠く及ばない気がする。ただし、本州ではチセと同じ方式での家作りは無理だろう。基礎部分に蓄熱するために基礎断熱を行う必要があるが、シロアリに確実にやられてしまう。北海道だからできる話である。

以上を書き終わった時点で、まだ16.0℃である。

無意味な衆院選は終わった。国会運営としての政党のパワー配分には何の変化もなかった(民主主義とは詰まるところ多数派優先主義)。ただ安倍内閣の主張が強化され、膨大な国民の税金だけが泡と消えた。


投票では直前まで迷ったが、反自民を選択した。投票率は最低を記録しそうに思えたし、黙ってても自民が勝つに決まっているから、やはり今回は国税の浪費の責任として反自民を決めた。小選挙区も比例も自民と公明には入れていない。


選挙の結果が出て、違和感を覚えた。自民党が予想に反して伸びていないからだ。後からの公認を除くと5議席減らしている。これをどうみるかはメディアでもずいぶん違う。自民圧勝というのもあれば、維持というのもあり、アンチ的なメディアでは減を強調する。私は実質減と見る。そしてそこに裏がちらちら見える気がする。


公明は31から35に増えた。増えたのはおそらく自民の協力と小選挙区と今回の最低投票率によってもたらせれたものと思われる。おそらく、自民協力でこの全数は読まれていた数字にほぼぴったりのはずである。公明党は昔から候補者数を事前に調整し、各地域に配分し、ほぼ確実に当選するように仕組むことで知られる。これについてはジャーナリストの勝谷誠彦氏が調べて自分のブログに公表したことなどがある(現在は見れないようだ)。その看板たる名に反して公明ではない。

つまり、公明党は完全に票読み可能なのだ。おそらく末端の個々人まで、誰々に投票するように、比例は公明、自民のどっちに入れるかを支部から指示されているはずである。


北海道と福岡は革新が強い歴史があるが、北海道の場合、公明の助けがなかったら、自民は苦杯を嘗めることになったと思われる。民主が依然強いことがよくわかる。

http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2014/kaihyou/ya01.html

自民にとって公明はキャスティングボードを握っていたのは間違いないだろう。

自民はおそらく全面的に公明への協力を実施したと思われる。それにより公明は議席を予想通りに伸ばすことができた。しかし、公明はいつもの数調整能力を使って自民には済し崩し的に協力はしなかったのではないかと思われる。創価関係者以外が純粋に公明に投票することは考えにくい。増大分は自民からの協力要請を受けた企業なり個人なりの反映だろう。同じことを数操作が得意な公明が行えば自民も増えたはずなのである。一時は300越えで自民単独での絶対的勢力を得るのではないかとの見方があったぐらいである。


公明の山口代表は弁護士で憲法に対する見解もそれなりに持っているようだ。反対に安倍首相は有名政治家のぼんぼんに過ぎない。一応、政治学を修めたことになっているが、出身大学などを考えるとまずまともな知識が身に付いているとはとても思えない。山口代表から見れば、呆れる話が多いのではなかろうか。

こういった互いの人的質の違いが反りが合わない理由ではないかと思われる。


もともとその場しのぎで始まったであろう自公連立(公明の票操作の安定がキーとなっていたと思われる)。それをいつ解消するかというタイミングは何度も図られたのではないかと思うが、ついぞ実現しなかった。それができる可能性があったのが今回の総選挙である。

安倍首相は大義がない選挙と批判されて、だから、安定して議席を確保できると達観し、解散に踏み切った(大義なく変わり映えしないなら投票者は来ないと我々は見下されたのだ。行かなかった人は猛省すべき)。そこにはかねてからの懸念である公明との連立解消の狙いもあったと踏んでいる。

自民は勝ったが連立解消には失敗した。そして、公明は自民に反旗を翻し始めている。全て言う通りにはしないと。

もし、自民単独でもっと議席を確保していたら、徐々に公明切りに動いたのは間違いないだろう。自公間の駆け引きが本格的に始まると睨んでいる。少なくとも公明はその意思を示したと考えている。



※それにしても、ガソリン1円に敏感に反応し騒ぐ人たちが、赤ん坊含めて1人あたり5百円玉以上を無駄にされた選挙に何も行動を起こさないというのは一体どういう頭の構造なのか、理解に苦しむ。

数学ネタが続く。毒喰わば皿まで。


7歳で数学検定2級(高校2年程度。つまり文系数学まで)に合格したとの話題がある。数学検定は小学1年11級から大学・一般の1級までと分かれている。しかも準1級とか、まるで英検やスキー検定みたいな分け方をしている。この役人の嫌らしさには反吐が出る。

なぜこんなに細かく分けて資格を示す必要があるだろう?そもそも数学検定に意味があるだろうか?


高校どころか大学まで全入という時代になって、大学生の質の低下は否めないのは当然だ。しかし、それなら高卒とか大卒とかに何の意味があるだろう?下を見ても意味がない。学校制度は歴然として続いている。ならば中卒、高卒、大卒とで数学に限らず日本人として押えておくべき教養を身につけさせるのが目的のはずである。それを疎かにして、自分たちが収入を得続けるための機関を設けるとは何事か。

しかも、小学生の学年ごとまでに分けてお金を取るというのは義務教育を基本とした日本の学校制度を自ら否定するものだ。中卒、高卒、大卒で大方はその人の教養の程度をはかられる。細々としたレベルわけなど誰が気にするのか。高卒文系ならここまでだろう、大学理系学科を出ているならこの程度のはできるはずだと判断すればいいだけだ。

大人で私の数学のレベルは中1ですという検定結果をもらって活用する場はどこにあるのか?中卒や高校中退の人を対象として「高等学校卒業程度認定試験」というのがあり、大学受験が可能になっている。こういうのは意義があるが、数学検定にはこのような意義はない。


世に○○検定というものはごろごろしている。そして、そこには必ず霞ヶ関なりの役人が天下っている。検定に限らない。緑の募金、赤い羽根募金もそうだし、宝くじもそうだ。宝くじは半分ほどが公共のお金となると宣伝しているが、それは天下った役人たちへの報酬という意味を言い換えているだけである。

天下りを徹頭徹尾嫌うとスカイマークエアラインズのように、許認可や優遇である意味いじめを受ける。その姿勢が正しかろうと不適切だろうと。


こういった類のものは言ってみれば役人による詐欺行為だ。緑の募金や赤い羽根募金などは町の自治会レベルまで当然のように徴収し、労せずして彼らの生活保障がされている。免許での交通安全協会や自動車学校もその典型だ。免許手続きは仕方ないが、安全協会には一度も支払ったことはないし、今後も支払う気はない。

ちなみにスキー検定では、冬期間のスキー教師の収入確保のため、多く落とすのが原則、シーズン最後は登録料確保のために甘く合格させる(ただし、事前講習を受けて貢いだ人優先)のはよく知られた事実である。



※では、その7歳の子供のような優秀な子はどうすればいいか。どんどん先に進んで、受験雑誌やさらに進んで『数学セミナー』を読むとか専門書に向かえばいいだけで、検定なんかどうでもいい。私が聞いた中で一番すごかった例は小学5年で『スミルノフ高等数学教程』全12巻をやっている子供だった。スミルノフは大体、難関大学の数学科の学部あたりと思ってもらえればよい。変分法に留まらずヒルベルト空間論まである。数物系を除く理工系の院を出ていてもこれを全部理解できてるなんて学生はそういない(私も含む)。こんなものわかる日本数学検定協会に天下った役人などいるわけがない。

もしかしたら7歳の子は中学では日本数学会の『数学』を読んでいるかもしれない。高校あたりは確実に定期購読をしていそうな気がする。一般人に入手可能なこれ以上の数学の最前線かつ詳細な出版物はない。もともと数学研究者向けの雑誌なのだから。

まずは以下の問題を見て、是非挑戦してもらいたい。少なくとも1時間は頑張ってほしい。


「5年考えて解けなかった問題」

http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2004/08/post_3.html





さて、いかがであったろうか。見かけは小学生でも解けそうに見えるが難問である。解答は上のエントリ-の数日後に4つ上がっている。


この問題は初めて見たし、かなり以前のエントリーでネットで話題になっていたことなど全く知らなかった。コメントに書き込んだ人によると「ラングレーの問題」という有名な問題だそうで、日本を代表する数学者 矢野健太郎が3日考えて解けなかったらしい。


解くのに1時間掛かってしまった。このところ中学入試の問題ばかりに魘されていたためか、この問題を中学の問題ではなく、中学入試の問題と勘違いして、小学の範囲で解こうとした。そのため、30分以上を無駄にしてしまった。改めて中学の問題として考え直したところ、行き当たったのは上記のブログでも紹介されている相似を証明して求める代数的方法となった。やってみるとかなり大袈裟な解法になってしまった感じがする。一旦、相似がわかれば一発で答えはわかるのだが、相似に気がつかない人も多いかもしれない。

再度、小学の範囲で何とか求まらないかと検討したが、どうしても問題の角度以外に1つ不明の角度が邪魔をして、高度な補助線を使うなど何らかの別の手段を要求するため無理なようだ。ブログにある最も簡潔な解答は小学の範囲と言えなくもないが、さすがにそれでも厳しすぎる気がする。

はたして高校入試はては中学入試に出たことがあるのだろうか?有名過ぎて逆に出ないのか?

今週末に衆院選の投票がある。地域には与党である自民・公明の1名枠の調整が図られて自民から1人が出ている。もちろん野党からも出馬している。


もともとこの解散総選挙は首相本人も考えていなかった話だった。それがこうなったのは、アベノミクスの問題(経済活動をこの1つを持って判断できる気はしないが)というより、増税が全てを吹っ飛ばしてしまったからだった。予想以上に増税後の回復が見られないことに加え、財務省が消費税増税政策の推進を止めないように周囲の政治家を使って首相に攻勢を仕掛けたからだと言われている(法人税減税にも強く反対。国の財源がなくなるからである)。自分たちの論理を押しつけようという霞ヶ関に永田町としては解散総選挙で打って出て自分たちの政策に支持を得て捩じ伏せようというわけである。つまり、安倍首相の「怒り」を財務省がかってしまったというのが背景だ。


話変わって、今日はノーベル物理学賞の授賞式がある。その中の1人、中村修二氏は現在の業績に至った原動力は「怒り」だと公言した(中村修二氏の受賞についてはいずれ書くかもしれない。私は彼が受賞には値しないと考えている)。この考えは特段非難されるべきものではない。逆境を跳ね返して大成した人たちは皆、こんちくしょう!と怒りを持って努力してきた部分が必ずあるだろう。その逆境の対象が人だったり、組織だったり、自然だったりとの違いはあるかもしれないが。


そして、私も今回の解散総選挙には「怒り」を覚える。政治と行政の軋轢の解消を国民の税金で700億近い損失という代償で強いたからだ。おそらく、ほとんど政治家に近い人間と企業関係者を除けば一般国民は今回の総選挙の意義を見い出せないだろう。実感が全く伴わないはずだ。

なので、与党、特に首相の母体、自民党には入れたくない。これほどのお金を無駄にした責任として報いを受けるべきだ。しかし、一方、これまでいつも与党の甘い蜜を吸い続けてきた公明党を野党に引きずり降ろす絶好の機会でもある。公明党など政教分離に反するような政党が与党でいるのは言語道断である。別に創価学会は創価学会で存続するのは仕方がないと考えるが、それが実質的な政治母体になっている政党があり、政権の中枢に居続けているのは三権分立の民主主義国家の原則に反する。

はたして、今回の選挙の意義の無さを示すために反自民・公明で投票すべきか、それとも自民に投票して議席占拠を実現して公明党の野党化を促進すべきか、ハムレットのように大変に悩ましいところである。


とにもかくにも選挙はある。よく、投票すべき人が見つからないとか、投票しても何も変わらないからとほざいて投票しない人がいる。選挙投票は国民の義務として規定されている。言ってみれば日本の中の社会保障の中にあってその恩恵を受ける見返りとしての重要な仕事である。この選挙権にしても明治期から多くの人の犠牲の上に成立したものだ。人は豊かになったものを大事にしない。選挙権を当然と思うとその活用に無頓着になる。上記のように言う人は結局何もしない人、それより余暇に時間を割きたいというだけの愚かな人種に過ぎない。何を言っても言い訳をつけて投票には行かない連中だ。常におかれた状況で自分にとって社会にとって最善と思われる投票を検討し実行しない者は日本から出て行って頂きたいものだ。

関連企業で仕事をお願いしている人たちが何人かいる。そのお一方のお子さんが私立中学を受験するという。そして、受験先からもらった過去問をやらせたところ算数の問題が全然解けなくて、危機感を持った。何でできないのかと自分がやってみたら、やはり難しくて解けない。それで解いてくれないかと言う。


職場のある地域は謂わば田舎だ。進学校の私立中学があるというのにまず驚いた。競争率は例年1.2倍前後だという。自分と自分の家族や周囲の状況で中学受験は信じられなかったので、なぜ受けることにしたのかを訊いた。配偶者がそこの出身で入りやすいというのと、このあたりの中学と高校の事情によることがわかった。普通に中学に進んで、塾にかなりのお金を注いでいるのに希望の公立進学校に進めない事例が周囲に多いという。それを知って、中高一貫のその私立に行かせることにしたのだそうだ。たしかにその高校からはいい大学に行っているのが調べてわかった。しかも塾代を考えると出費には大差がない。


職場には有名難関大を出た人が圧倒的に多い。旧帝大に東工大、筑波、早稲田、慶応といった連中が転がっている。ほかに高専出身などがいる。私の直下の部下は京大大学院の修士を出ている。問題をもらって2人で解いてみた。これが結構難しい。大問で8つ。小問合計20問で5点配点になっている。単純な計算も難問も全て5点。これを40分で解かなくてはいけない。1問2分。全問正解は不可能だと思った。できないことを前提にしてるとしか思えなかった。単純な問題は30秒ぐらいで片づけて時間を稼ぐなど時間配分ももちろん要るが、文章を理解して条件を抽出して回答戦略を取ることを要求していたり、中には明らかに中学の範囲の知識を使わないと解けないものがある(範囲逸脱でなくても、高校の数列や行列への接続を意識したようなものまであり、出題者は相当意識が高い)。残念ながら京大の部下はあまりうまく解いてくれない(ほかの人にも渡してみたが同じだった)。これではお子さんは理解できない。問題を解くことはそれほどでなくても、小学の範囲でわかる回答を作ることが大変なのである。あとである問題集があって、その解答も見たが、どう考えてもわかりやすくない。そんなこんなで結局、私が全部解く羽目になった。しかも、受験まで残された時間は1ヶ月ちょっとしかない。(家庭事情で受験を決めたのが直前だったため)


まず、過去問2年分の2形式4セットの入試問題をやった。これだけでは足りないから、塾経由でさらに過去問を集めてもらった(塾や学校で教えてもらえばいいのだが、実は、その説明がよくわからず、私のがよくわかるというので、完全に頼られてしまった。塾は落ちるものと端から思っているような冬期プログラムを組んでいる始末だった)。現在の指導要領になってからの2年分を追加して計4年分8セットをやった。中にはえらく難しいセットがあって、生徒の点数は相当下がっただろうと思ったら案の定、翌年はまた元に戻ったりしていて、比較的傾向が安定していることもわかった。数学というと受験のときには『大学への数学』というのをやったが、その下の『高校への数学』というのもあった。しかし、調べると『中学への算数』というのがあることを知った。時代は変わったというべきだろうか。全入時代になったにも関わらず、こういう雑誌で商売が成立するというところが皮肉である。(考えろよ日教組と文科省!ちゃんと仕事しろっ!)


とにかく160問全部の解答を作り、解説も加えて渡した。ときに理解できずに説明を求められるものがあったが、それは中学の範囲で、こればかりはどうしようもないから覚えてほしいと伝えた(公立高入試にそのまま使えそうなのが毎年出されていた)。あとは本番練習もするよう指示して頑張ってもらうことにした。連日、夜遅くまで一緒に算数の問題と格闘したようで、寝不足に陥っていた様子だった。


今年は受験者多く、競争率1.5倍超。準備期間があまりに少なかったのでただでさえ希望が薄いのにこれでは厳しいかと最初から親と私は敗戦ムードだった。親は知合いから中学受験を無理矢理やらしているのではと批判されたり、お子さんもなかなかうまく解けずに癇癪を起して、明後日には試験だというのに親と大喧嘩するなど、暗雲が立ち込めた。仕方ないので、本人と面識のある私はお子さんに語りかけるメールを送ることもした。また、お子さんの受験についてはクラスには知られないようにしていたが、ほかの学区のお子さんは知られてしまい、何が何でも受からないといけないような状況に追い込まれ、少し遠い塾への送迎を急遽始めたとも聞いた。


そして、試験の日を迎えた。試験開始と同時に親の控室にも問題が掲示された(問題は持ち帰れない)。それを親が列をなしてタブレットやスマホで順番に撮影していったという。そのあとに親子で面接に臨む。内容的にはいい応対だと思ったが、そこで親もびっくりのお子さんの発言。「小説家になりたい」。今まで聞いたこともない発言に一番驚いたのが隣に居た親の自分だと言っていた。

懸念の算数は後で見せてもらった画像から本人が解けなかったという問題をその場で解いて解説した。全体的に傾向は例年どおりだが少し形を変えていた。本人は出来たと言うが、こればかりは何とも言えない。

試験翌日に合否の通知が速達で発送された。さて、結果は。。。合格だった。そのメールでの連絡を私は喜んだ。受かったこともそうだが、もう問題を解かなくていい自由の身になったからだ。



※入学直前の3月下旬、年明け以降にある複数の試験の合格者を含めた全合格者をクラス分けするための選別試験があると連絡が後日あった。すでに解答した分の一部が対象になると推定されるので新たにすることはないが、科目が増えるし、それなりの準備をしておかないと不味いだろうと伝えた。今後の人生を左右することになるだろう学校の選別に努力は必要とは言え、今の小学生も親も大変だ。

ちなみに過去問以外、役に立たなかった塾は全国チェーンの明光義塾である。

自分には起きたことがほとんどないが、妻のそれはかなり酷く、何度夜中に叩き起こされたか数知れず。

多くは右脚だが左脚のときもある。相当痛いらしく、手もバタバタとのた打ち回る様子で30分とか1時間続く。脚を摩ったり、手で思いっきり指を反らしてみたり、反対の脚を脚先まで延ばしたりするのだが改善の兆しはなく時間だけが過ぎる。見ていて悲しいし歯がゆいばかりなのだが、何せ何が悪くどうすればよくなるかがさっぱりわからない。


多少はスポーツ医学を齧ったことを経験にいろいろやってみるのだが全く効果がない。血行の問題から冬が多いかというとそうでもない。暖かいときでも真夏でも起きる。ずっと調子がいいかと思うと突然に起きるし、低気圧の関係かというとそれも違うようだ。毎日、買い物では自転車を使って数キロぐらいは平気で出かけている。往復で10キロ超も珍しくないから運動不足でもない。推定では栄養バランスの問題かと思っている。妻は自分が嫌いなものは自分の分だけ作らないし、食事のバリエーションもはっきり言って広くない。ぬるぬるするものは嫌いで里芋とかなめことか絶対に買って来ないし、面倒な料理には手を出さない。それに家族のいない昼間はインスタントが多い。これで栄養十分というのは考えにくい。


家族とか親類の女性がこういう攣りを見せたことも話も聞いたことがないから、女性だからというわけでもないようだ。これほど酷い攣りの人が多いのかどうか知らないが、まとめサイトなどがあったりするぐらいなので、少なくはないのだろう。しかし、それらを読んでも夜に突然に発生する惨劇に有効な一手は見い出せない。


ある夜、また発作のようにのた打ち回り始めた。寝ぼけながら脚を摩っていたとき、ふと、いつも攣るのは寝ている間だけだということに気が付き、日中立ちまわっているときには一度もないことから、立ってみたらどうだ?と立たせてみた。あれほど寝床でのた打ち回って、こっちもレスリングみたいに脚と格闘していたのがまるで嘘のようにピタリと止んでしまった!何だ、これは?と思ったほどだ。そのまま、その後は問題なく眠れたことは言うまでもない。

以後、攣ったら立つで全て解消していて、こちらも寝不足にならずに済んでいる。

もし、同じように寝ているときによく攣って困っている人は騙されたと思って立ってみてはどうだろうか。

肩こりで苦労されている方が意外に多いように見受けられる。

何か病気や骨格の歪み起因の場合は別であるが、基本的に血行が悪いことが主原因と言われている。「肩が凝る」という表現を初めて使ったのが夏目漱石との通説がある。ただし、肩こりと思われる別の表現はすでにあり、症状を示す表現は少なくとも17世紀からあったことがわかっているが、どちらにしても古からの表現ではないようだ。


特に多いと感じるのが女性。社会人から主婦など。平均的に女性はまずあまり運動をそれほどしていない。基礎代謝が低く、血流が低いのが1つ。もう1つは筋力が低い割りに乳房が常に重りとして下がっている上、買い物だ子供だと長い時間、肩にさらに加重される点である。これでは肩こりにならない方がおかしいといえる。


昔はお金を払ってマッサージを受けて体をほぐすなんてことはよほど暮らしに余裕があるか、体に問題を抱えているかとしか見られなかったように思うが、いまはリフレクソロジーと呼ばれるようなものまで取り入れられて、ショッピングセンターや空港とかあちこちでマッサージを利用できるようになってきたし、実際に利用者が増えている。私も何度か利用した。スキーでの怪我のリハビリで病院で理学療法の1つとして受けていたときもある。

金を払った甲斐あってか、それぞれに違う処方を施されたのを覚えて、それを適当にアレンジし、肩こりがひどい妻に応用し、大ロングセラーとなっている。子供に触れてみると凝っている感じはなく、やはり大人に圧倒的に多い。男性も多いが自覚症状が少ないようなのに対し、女性はかなり辛い思いをしている人が多いように思われる。


自分もマッサージを受け、また、人に施してみてわかったのが、肩こりはマッサージだけで根本解決できるものでは基本的にはないということである。つまり、生活の仕方そのものが肩こりを決めている。そこで、毎日の生活の中で完全解消は別にして、何とか他人の手を借りずに肩こりを和らげる方法はないかと考えた。


先に述べたとおり基本的に血行をよくすることが重要で、特に腰から上の上半身と首周りは温めたい。よく、肩こり解消法としていろいろネットでも上がっているが、肩のあたりだけのものばかりで、それでは一時的で緩和度は低い(マッサージを受けた人なら肩以外も揉まれた経験があるはず)。上半身全体となれば、お風呂が一番、取り入れやすい。

これまではずっと心臓への負担などを考え半身浴をしてきたが、むしろ肩周りは冷えて逆効果のようだと気づいた。そこで、いろいろ考えて、習慣化し易く肩こりにはなっても以前より緩和されたと思える手段がまがりなりにも得られた。

とにかくお湯の中に直接、腰から首まで腕も含めて浸けてしまわないことには上半身全体の血行が上がらない。できるだけ大きい範囲を直接湯で温めた方がいいので、頭の後ろ半分も含め湯船に沈める形を取るのが一番有効だ(ここ重要。理想は頭もだが、それはできないので)。血行がよくなる時間は東京ガスの調べによると15分以上だと言う。実際にやってみると通常の湯温では逆上せてとても続かない。そこで、湯温を下げ、現在は38℃で行っている(ガス代や電気代はかなり下がり、地球にもやさしい)。人によってはかなりぬるく感じると思うが、15分間浸かってそこは確認してほしい。また、ちょっとだけ熱くなってきたという場合は両手先を出して、少し冷やすことができる。手の出し入れで流れる血液の温度を調整するわけだが、なるべく手は出さなくて済むのが望ましい。膝や足先については出て構わない。やってみたところ影響は小さかった。

大事な点は15分経ってもあまり熱くならず汗もにじむ程度にすること。熱いのに我慢をしていると心臓に負担がかかるうえに、汗をかくと風呂上り後乾くときに体を冷やして結局、血行を悪くしてご破算になってしまう。ここが重要で、慣れるのに少々時間がかかる。


この方式を理解するのに最適な絵がある。有名なこの絵である。


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/08/Sir_John_Everett_Millais_003.jpg


これはラファエル前派の画家ジョン・エヴァレット・ミレーが描いたシェークスピアの悲劇『ハムレット』で最後に気が狂って溺れ死んでしまう恋人オフィーリアの絵である。上で書いたことがよく理解してもらえると思う。

よって、個人的にこの方式を「オフィーリア式」と呼んでいる。シェークスピアもまさか自分の作品の悲劇のヒロインが肩こり緩和に一役買うとは夢にも思わなかったことだろう。


オフィーリア式は髪のほとんどが湯に浸かるので、掛け湯で髪をさらっと流して洗髪前にやる方がよいように思う。一方、このため、長い髪の女性では実施しにくい。多くの女性は、長い髪のせいで直接首より上を温めることができずにお風呂に入っていてもほぐす効果がほとんど得られない。それが、女性ではお風呂で緩和できていない理由の1つと思われる。


肩こりが血行の問題なら、血行をよくして緩和しようということなのだが、オフィーリア式だけで肩こり完全解消とまではいかない(何時間も掛けて体に貯め込んだ凝りを15分でちゃらにできると考える方がどうかしている)。また、入浴時間もそれなりにかかるから、家族との割り振りにも影響することもあるだろう。ぬるくて嫌だといわれたら、ぬるくなったときに入るように順番を最後にするしかない。しかし、日常において自分だけで確実にできる有効な方法はほかにはそうはない。機械を使えば、揉まれる部分が却って堅くなるなどの逆効果の話もある。オフィーリア式は一応はその根本から考えた対処法で、さらにマッサージも加えればよりよくなるのはたしかなので、試してみてはいかがだろうか。効果が感じられる目安は1ヵ月ほどを見てもらえれば基礎代謝などの変化があるかどうかも含めて判断がつくと思う。


なお、肩こりの酷い人は血行の悪さが祟って、急に血流を上げると、湯船から上がるときに立ち眩みを起こすことがあるので、いきなり効果を得ようと頑張らずに少しずつ時間を延ばしていくことをお勧めする。



※知人から頭の半分を浸けないとだめか?との質問。顎まで沈むだけではダメかというわけである。実はこれが急激に効果を弱める。首周りは血管が表面近くを通っていて体温調整として重要な熱交換がなされる。特に脳の温度を適温に保つ役割を果たす。暑いと服の首周りを広げ、寒いとマフラーをするのはそのため。ところが頭からもかなり熱は逃げている。首から折角、熱をもらった血液は頭で冷やされてしまう。理想は頭まで浸けることと書いたのはそういう理由である。しかし、それはできないので、オフィーリア式となったわけである。


※※知人から更なる質問。オフィーリアのように水平になると顎や胸が出る。上体の傾きは最適なのはどれぐらいかと。これは知人も独自に認識したとおりで、大体、30度ぐらい。それで顎、耳の裏、後頭部が浸かる。絵のように完全水平では却って不都合。知人もただ真っ直ぐ沈み込むのと傾けて後頭部まで浸けることの違いはあると理解してくれたようである。

先月、日本の最低気温 の記録についてまとめて書いた。記録を持っているのは道北の地域ばかりだったが、日本一寒い町として宣伝している道東の陸別町についても触れた。


では、本当に日本一寒い町はどう考えればいいのだろうかと思った人は少なくないだろう。これについて丹念に調べた方がいる。その記事がこちら。


http://okatabi.hill-in-biei.com/archives/36478757.html


これで、平均的にずっと寒いのが道東であり、瞬間記録的に寒いのが道北であるというのがわかる。これ自体に間違いはない。

しかし、これが全てにおいて正しい、とは言えない。


なぜか。気温の記録には陽射しは考慮されていないからだ。北国で育った人はよくわかると思うが、天気がよくて放射冷却が起き、風がないとその冷気が盆地に集まり低温化する。道東は典型的にこの傾向で、日高山脈や大雪山系であらかた雪が落ちてしまう道東は冬あまり曇天にならない。晴天率が高く、そのため、北見工業大学では逸早く太陽光発電の研究がされていたほどである。

-20℃とたしかに冷え込んでも陽射しがあると実はそれほど寒いと感じない。たとえば、夜に晴れて放射冷却で-20℃まで冷え込んだあと、朝から雲が張り、昼間の最高気温が-15℃を越えないなどということがあるととにかく寒い。陽射しがないからである。自分の感覚では、陽射しのある-20℃と等しいのは陽射しのない-10℃以上に思える。10℃ぐらいの温度差を陽射しは解消すると感じられるわけである。


この陽射しによる温度差感は完全に寒い地域の印象を変える。

道北、それも日本海側の天塩地方は曇天が多い。日本海から運ばれる雪が延々と降り続く地域だからだ。道北で生まれ育った人が道東に移り住んでもそれほど寒いとは思わないのではないかと思う。旭川に近く同様に寒い富良野で生まれ育った人が釧路に移り住んで、夏は霧で天気が悪くて寒く暖房も入れるが、冬は天気がよく暖かいと言っていた。山形から仙台に出た人も同じことを言う。

似たような状況はいわゆる裏日本と表日本の間でも起きる。広島は冬陽射しが差すが島根ではよく雪が降る。山形と宮城、新潟と埼玉や東京なども同じ関係である。気温そのものはそれほど低くなくても天気が悪いところは温度以上に寒く感じられる。
晴れれば記録的最低気温、曇ればただただ寒く雪が降り続ける道北。実際に冬の寒さが厳しいというのは道北だろう。


さらに「風」のファクターを入れるとまたまた話は変わる。風があると体感温度は相当に下がる。その場合は風がいつも強い襟裳岬か天塩地方に近い雄冬岬のあたりだろうと思う。あるいは利尻や樹があまりない礼文かもしれない。襟裳岬は一時ひどく砂漠化した(NHKの『プロジェクトX』でも取材された)。あまりに風に温度を奪われて寒く、木の根までストーブで焚けるものは何でも焚いたからである。寒さのために砂漠化したなどという地域はここ以外に聞いたことがない。

北国に生まれて育った私もさすがにこれらの人たちと対等に生活できる自信はない。そして、我々和人が来る前はアイヌの人たちが暮らしていた。生活用品や家の状態は今と比べるべくもない暮らしでよくぞこの寒い大地で民族として続いていたものだと敬服する。