ランボー 怒りの解散 | An Ulterior Weblog

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今週末に衆院選の投票がある。地域には与党である自民・公明の1名枠の調整が図られて自民から1人が出ている。もちろん野党からも出馬している。


もともとこの解散総選挙は首相本人も考えていなかった話だった。それがこうなったのは、アベノミクスの問題(経済活動をこの1つを持って判断できる気はしないが)というより、増税が全てを吹っ飛ばしてしまったからだった。予想以上に増税後の回復が見られないことに加え、財務省が消費税増税政策の推進を止めないように周囲の政治家を使って首相に攻勢を仕掛けたからだと言われている(法人税減税にも強く反対。国の財源がなくなるからである)。自分たちの論理を押しつけようという霞ヶ関に永田町としては解散総選挙で打って出て自分たちの政策に支持を得て捩じ伏せようというわけである。つまり、安倍首相の「怒り」を財務省がかってしまったというのが背景だ。


話変わって、今日はノーベル物理学賞の授賞式がある。その中の1人、中村修二氏は現在の業績に至った原動力は「怒り」だと公言した(中村修二氏の受賞についてはいずれ書くかもしれない。私は彼が受賞には値しないと考えている)。この考えは特段非難されるべきものではない。逆境を跳ね返して大成した人たちは皆、こんちくしょう!と怒りを持って努力してきた部分が必ずあるだろう。その逆境の対象が人だったり、組織だったり、自然だったりとの違いはあるかもしれないが。


そして、私も今回の解散総選挙には「怒り」を覚える。政治と行政の軋轢の解消を国民の税金で700億近い損失という代償で強いたからだ。おそらく、ほとんど政治家に近い人間と企業関係者を除けば一般国民は今回の総選挙の意義を見い出せないだろう。実感が全く伴わないはずだ。

なので、与党、特に首相の母体、自民党には入れたくない。これほどのお金を無駄にした責任として報いを受けるべきだ。しかし、一方、これまでいつも与党の甘い蜜を吸い続けてきた公明党を野党に引きずり降ろす絶好の機会でもある。公明党など政教分離に反するような政党が与党でいるのは言語道断である。別に創価学会は創価学会で存続するのは仕方がないと考えるが、それが実質的な政治母体になっている政党があり、政権の中枢に居続けているのは三権分立の民主主義国家の原則に反する。

はたして、今回の選挙の意義の無さを示すために反自民・公明で投票すべきか、それとも自民に投票して議席占拠を実現して公明党の野党化を促進すべきか、ハムレットのように大変に悩ましいところである。


とにもかくにも選挙はある。よく、投票すべき人が見つからないとか、投票しても何も変わらないからとほざいて投票しない人がいる。選挙投票は国民の義務として規定されている。言ってみれば日本の中の社会保障の中にあってその恩恵を受ける見返りとしての重要な仕事である。この選挙権にしても明治期から多くの人の犠牲の上に成立したものだ。人は豊かになったものを大事にしない。選挙権を当然と思うとその活用に無頓着になる。上記のように言う人は結局何もしない人、それより余暇に時間を割きたいというだけの愚かな人種に過ぎない。何を言っても言い訳をつけて投票には行かない連中だ。常におかれた状況で自分にとって社会にとって最善と思われる投票を検討し実行しない者は日本から出て行って頂きたいものだ。