数学ネタが続く。毒喰わば皿まで。
7歳で数学検定2級(高校2年程度。つまり文系数学まで)に合格したとの話題がある。数学検定は小学1年11級から大学・一般の1級までと分かれている。しかも準1級とか、まるで英検やスキー検定みたいな分け方をしている。この役人の嫌らしさには反吐が出る。
なぜこんなに細かく分けて資格を示す必要があるだろう?そもそも数学検定に意味があるだろうか?
高校どころか大学まで全入という時代になって、大学生の質の低下は否めないのは当然だ。しかし、それなら高卒とか大卒とかに何の意味があるだろう?下を見ても意味がない。学校制度は歴然として続いている。ならば中卒、高卒、大卒とで数学に限らず日本人として押えておくべき教養を身につけさせるのが目的のはずである。それを疎かにして、自分たちが収入を得続けるための機関を設けるとは何事か。
しかも、小学生の学年ごとまでに分けてお金を取るというのは義務教育を基本とした日本の学校制度を自ら否定するものだ。中卒、高卒、大卒で大方はその人の教養の程度をはかられる。細々としたレベルわけなど誰が気にするのか。高卒文系ならここまでだろう、大学理系学科を出ているならこの程度のはできるはずだと判断すればいいだけだ。
大人で私の数学のレベルは中1ですという検定結果をもらって活用する場はどこにあるのか?中卒や高校中退の人を対象として「高等学校卒業程度認定試験」というのがあり、大学受験が可能になっている。こういうのは意義があるが、数学検定にはこのような意義はない。
世に○○検定というものはごろごろしている。そして、そこには必ず霞ヶ関なりの役人が天下っている。検定に限らない。緑の募金、赤い羽根募金もそうだし、宝くじもそうだ。宝くじは半分ほどが公共のお金となると宣伝しているが、それは天下った役人たちへの報酬という意味を言い換えているだけである。
天下りを徹頭徹尾嫌うとスカイマークエアラインズのように、許認可や優遇である意味いじめを受ける。その姿勢が正しかろうと不適切だろうと。
こういった類のものは言ってみれば役人による詐欺行為だ。緑の募金や赤い羽根募金などは町の自治会レベルまで当然のように徴収し、労せずして彼らの生活保障がされている。免許での交通安全協会や自動車学校もその典型だ。免許手続きは仕方ないが、安全協会には一度も支払ったことはないし、今後も支払う気はない。
ちなみにスキー検定では、冬期間のスキー教師の収入確保のため、多く落とすのが原則、シーズン最後は登録料確保のために甘く合格させる(ただし、事前講習を受けて貢いだ人優先)のはよく知られた事実である。
※では、その7歳の子供のような優秀な子はどうすればいいか。どんどん先に進んで、受験雑誌やさらに進んで『数学セミナー』を読むとか専門書に向かえばいいだけで、検定なんかどうでもいい。私が聞いた中で一番すごかった例は小学5年で『スミルノフ高等数学教程』全12巻をやっている子供だった。スミルノフは大体、難関大学の数学科の学部あたりと思ってもらえればよい。変分法に留まらずヒルベルト空間論まである。数物系を除く理工系の院を出ていてもこれを全部理解できてるなんて学生はそういない(私も含む)。こんなものわかる日本数学検定協会に天下った役人などいるわけがない。
もしかしたら7歳の子は中学では日本数学会の『数学』を読んでいるかもしれない。高校あたりは確実に定期購読をしていそうな気がする。一般人に入手可能なこれ以上の数学の最前線かつ詳細な出版物はない。もともと数学研究者向けの雑誌なのだから。