くにたち蟄居日記 -75ページ目

「そこのみにて光輝く」 

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 DVDになったことで漸く鑑賞する機会を得た。

 結論的に言うと最後の二人の海辺のシーンが素晴らしい。あの場面自体を切り出して本編を
見ていない方に見せても、その美しさは分からない。なぜなら特に画面的に美しい場面では
ないからだ。但し、それまで2時間近く本編を観てきた僕らにはラストシーンの美しさが
際立つ。本編はラストシーンに全てを賭けた一作と言える。

 物語においても、風景においても、美しい場面は無い。丁寧に排除されている。敢えて言うなら
祭りの場面には、なにやら懐かしい美もあるにはあったのだが、続く乱闘において全て
ぶち壊しになってしまう。主人公にしてもヒロインにしても重い物を抱えて、その重さで足元が
ふらふらしているだけだ。極めて飲酒している場面が多い作品だが、足のもつれは酒の為なのか
抱えたものの重さなのかも定かではない。

 その重みは最後の場面でも解消されたわけではない。むしろ、物語の始まりよりも重みは
増しているかに見える。
 但し、重みをしょって立つ「足」自体はしっかりしてきている。「足」が「脚」になったという
言い方をしたら、ややあざといかもしれないが、僕らには二人が今後自分たちの「脚」で歩いていく
場面が十分見える。そんな「視野」を僕らがラストシーンで獲得できることが本作を鑑賞する
ということなのだろう。

 池脇が素晴らしい。美少女コンテストなどから出て来た方であると聞くが、堂々たる女優である。
安っぽいラブストーリーに出る必要がない格が出てきている。「ジョゼと虎と魚たち」以来
彼女の映画は楽しみにしている。 

「北野武による『たけし』」 

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 面白く読めた。但しいくつか違和感を持ったことも確かだ。

 北野はアフリカへの援助を語る。語りながらも「ディナーに彩りを添えたのは、1989年の
ロマネ・コンティの3本の極上ワイン」とも書いている。かかる高級ワインを傾けながら、
アフリカの貧困を語るという場面には庶民の僕としていささか気になるものがある。
 もちろんアフリカの貧困問題はワイン3本で解決するわけでも何でもない。また、むしろ
かように「書かなくても良いこと」をわざわざ書いている意図もあるのかもしれない。但し、
本当にこの部分で北野にアフリカを語らせたいのならば省いても良い一文だ。若しくは
著者は北野にある種の欺瞞を感じたから、この一文を挿入したのだろうか。

 他のレビュアーの方も指摘されているが14章以降の必要性も気にかかる。北野がどれだけの
情報と知見を持って世界を語っているのかは僕には見えない。北野が本当に世界を語りたいのか
もわからない。もし語りたいなら、もっとそういう場面が有っても良い気もするからだ。

 但し、かようないくつかの違和感がありながらも、本書は北野に良く語らせていると思う。
これは著者がフランス人であるからかもしれない。北野は本書でフランスへの憧憬を語る場面
も多い。そんな北野の想いが、そうさせているのだろう。その点で非常に面白い一冊であること
は間違いない。 

「ザ レイプ」 

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 DVDを機内に持ち込んでPCで観た。

 難点を言うと、テーマが絞り切れていない。ヒロインの人生の話なのか、法廷劇なのか、恋人
との別れの話なのか,女性が受けるレイプ被害の話なのか。それらの間で揺れている作品である。揺れている分、どの要素を取っても中途半端な作りだ。従い、話の筋を追う場合に、どれを追えばよいのかが読みにくい。
そうこうしているうちに終わってしまう作品だ。
 
 但し、「田中裕子の映画を観る」という視点で観ると本作の出来栄えは凄い。というか、田中裕子
の演技が凄い。

 無表情、笑顔、物憂い顔など、どれを見ても非現実的なくらい現実的である。顔の表情だけで映画が成り立たせることが出来る稀有な女優だ。田中裕子の顔に見惚れていると、あっというまに
観終わる映画でもある。

 こういう女優はなかなか居ないものだとつくづく思った。

「人のセックスを笑うな」 

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 不思議な味わいの映画である。

 温度感が良い。具体的に言うと「寒さ」をしっかりと感じさせる映画となっている。舞台としたのは
上州かと思うが、乾いた寒さが常に映画につきまとっている。日中の場面でも、乾ききった景色が
非常に印象的だ。夜においては石油ストーブばかり付けている気がする。この温度感は間違いなく
監督が狙ったものだ。では、なぜ監督はこの「温度感」を必要としたのだろうか。

 話の筋はある種のファンタジーである。永作という女優を得て描き出した魔女に翻弄される
主人公の話だ。助演している蒼井優も、一見すると普通の女性のようにも見えるが、いずれ正体は
魔女に違いない。
 
 そんなファンタジーの基調に「乾いた寒さ」を置く必要を監督が感じたということなのだろうと
僕は思った。ともすると、感情的に流れかねない話の筋を「乾いた寒さ」がきちんと「留めている」
という印象を受けた。そう、カンピョウのような味わいがある。

 本作の続きを知りたいのだが、残念ながら、そうもいかないだろう。結論や結末を与えられない
まま、僕らは話の中に置き去りにされている。

「吉田調書」を読み解く 朝日誤報事件と現場の真実

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 著者の前書を読んでいたことで本書も刊行されると直ぐに読んだ。本書のテーマは2点である。

 一点目。本書は福島原発の記録というよりは言論界の内幕を描く告発の書である。その意味では
福島原発は「素材」であると言える。

 僕は個人的には脱原発という方向性は正しいと考える。今回の福島の事故を見る限り、原発は
一度問題が起こるとどうしょうもないと考えざるを得ない。津波や地震対策は可能かもしれないが
例えばテロの標的になった場合、どこまで有効な防御策があるのかは僕には分からない。

 勿論原発が人類が頼るべき唯一無二の発電装置であるということなら、他に手段が無いので
脱原発を目指すことは不可能であろう。但し、現段階でオルターナティブは有るのではないか
と思っている。

 朝日新聞がどのような理由で脱原発論を展開したいのかはわからない。但し、本書を読む限り
「その志の是非」以前の問題を起こしたと言わざるを得ない。メディアとしてやってはいけない
手段を取ったということだ。従い、主張が誠に説得力を欠くと言わざるを得ない。脱原発を目指す
方にとって、今回の朝日新聞の騒動は大きな痛手となったに違いない。それが惜しいと思わざるを
得ない。

 二点目。改めて吉田所長の決断が浮き彫りになったと思う。あの日あの場所に彼がいたかいなかったか
で今の日本が全く変わっていたような気がする。

 但し、英雄は彼だけではない点も再度書き込まれる。吉田所長の下に大勢いた「ごく普通の方」が
ぎりぎりの現場で、おどろくべき意志を見せたという事実は、人間の力への大きな信頼を産んだと
思う。生物としては「自らの生命維持」が最大の優先順位であるべきにも関わらず、命を賭して事故に
立ち向かうことが出来たということは、人間の持つ全く新しい可能性を示したと思う。一言で言うと
「動物を超えた」と言えるのではないか。

 原発事故は現段階で進行中の事件である。風化させないことは重要だろう。その意味で本書を
読むことは良い勉強になった。

徒然草 第五十一段

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 この段では、治水工事の話を兼好はしている。水車を作ろうとして、大堰の人に頼んだところ
上手くいかず、宇治の人に頼んだらうまく行ったという例を挙げて、専門家は違うなという
話だ。
 
 兼好はご自身を何の専門家だと思われていたのだろうか。30歳程度で隠居されたらしいが
「隠居の専門家」というものもなさそうだ。いまから見ると「文筆の専門家」と言える気もするが
兼好が生きていた時代に「文筆業」という言葉も仕事もなかったろう。
 
 そう考えると、そもそも兼好はどのような思いで「徒然草」を書いたのか。何が彼を
書かせたのか。それを考えることも結構楽しい。
 

徒然草 第五十段

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 第五十段では鬼見物の話の紹介である。伊勢の国から鬼に化けた女が京に来たという噂話だ。誰も
確かに見た人はいないのだが、噂は広まるばかりである。現在の都市伝説と基本的に同じ構造だ。
 
 兼好が鬼を信じていたかどうかはこの段からは見えてこない。孔子は昔 怪力乱神を語らずということで
あったから彼もそれにならっていてもおかしくない。この段でも淡々と噂話を書き留めただけとも言える。
 
 それに比べると現代の僕らのほうがよほど怪力乱神を語っているのだろう。

「ライヤーズ ポーカー」 マイケル・ルイス

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 「マネーボール」で著者を知ったことで本書を読んだ。

 僕は金融業の経験が無いので、本書に登場する諸々の金融商品には疎い。従い、理解のレベルは
低い。但し、それでも十分楽しく読めた。

 本書で描き出されるものは何か。第一義的にはマネーゲームの中で貪欲を追及した金融業の姿
である。自身の利潤を唯一絶対の指標とする姿にはある種の清々しさすら感じる。勿論登場する
人物はほぼ全員が「清々しい」とは言い難い人たちだ。僕が「清々しさ」を感じたとしたら
それは「唯一絶対の指標」を持つことに起因しているはずだ。

 僕らは「分かりやすさ」を貴ぶ傾向がある。Simple is the bestという言葉は仕事のみならず
色々な場面で使っている。本書の登場人物も利潤、つまりお金を追及することだけを
目的とする点で非常に分かりやすい。実にSimpleと言って良い。但し、その「分かりやすさ」が
何を引き起こしたのかも歴史が語ることである。本書に登場する「分かりやすい」人たちは、
その「分かりやすさ」の為に「清々しい」面はあるが、やっていることは「清々しい」とは
言えない。

 そう考えると「分かりやすさ」というものの邪悪な面が見えてくる。僕らは「分かりやすい」
ものに、時として弱い。その「分かりやすさ」ゆえに思考停止してしまいがちだ。これも
僕らの歴史が語っていることの一つである。
 
 著者は、本書を読む限り、金融業から脱出したようだ。その理由がどの辺にあったのかは
分からない。但し、その結果として著者は「分かりやすい」ものから少し身を引けたのでは
ないかと僕は想像している。その結果が本書であり、「マネーボール」であったとしたら
僕らは得難い著者を金融業から救い出したとも言えよう。

徒然草  第四十九段

 「老年が来てから、はじめて仏道修行をしようと考えて、年をとるのを待っていてはならない。
 
 古い墓は 多くは年が若くてしんだ人のだ。思いがけなく病気にかかって、急にこの世を去ろう
 
 とするときに、初めて過去の誤っていたことが急に思い知らされるというものだ。
 
 その誤りとはほかでもない。  早速にしなければならないことをゆっくりし、ゆっくりしていいことを
 
 急いで暮らした過去のことが 後悔されるのだ」
 
 兼好はこの後で「人はただ、死が迫っていることを、心にしっかりと持って、わずかの間も忘れては
ならないのだ」とも言っている。
 
 死後の世界がはっきりと見えている時代であったということなのだろう。仏道修行とは、来世への
積み善であったのか、それとも現世を心安らかに過ごすためであったのか。信仰がない僕には今一つ
分からない。但し、「死が迫っていることを、心にしっかりと持って」という部分は共感できなければ
ならないとも反省する。
 
 
 

「打ち上げ花火、下から見るか 横から見るか」 岩井俊二

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 最近漸く岩井俊二の映画を観る機会を得ている。「四月物語」「花とアリス」「Love letter」を
観た上で本作を鑑賞した。

 不思議な映画である。テーマは殆ど無い。敢えて言うならヒロインの家庭が壊れたことによる
ヒロインの家出譚ということかもしれない。但し、家出になっているわけでもない。何かが
起こるのかと思ってみているうちに、花火がポンと上がって終わってしまった。

 但し、「手触り」ともいうべき「何か」が伝わってくることは確かだ。本作を観ている全ての人は
自分の子供時代の一場面をどこかで見つけるような気がする。僕自身もいくつかの場面で既視感を
覚えた。但し、それがどの場面であったのかはもう覚えていない。

 見ていると結構凝ったつくりであることも分かる。太陽の光線具合一つを見ていても、時間感が
おかしくなってくる。夕闇であった次の場面が、また昼間であるような場面が続く。そういう
案外細かく、柔らかい工夫が本作の「手触り」を醸し出している。そしてそれは心地よい。

 奥菜恵が素晴らしい。岩井は松たか子、蒼井優、中山美穂などをとびきり美しく撮影する
監督であるが、本作の奥菜も同様である。文字やセリフに頼らないで、表情だけで何かを伝えること
が映画の醍醐味であることも思いだした。