くにたち蟄居日記 -76ページ目

「LUCY」 

 
 
 機内で鑑賞したが、正直、非常にがっかりした。ベッソン監督作品とは思えない。

 一番の問題は、話の展開が収集つかなくなっている点にある。ヒロインに何が起こったのかも、
何がこれから起こるのかも分からないままに放り出された感しかない。
 また舞台仕立てとしても、台北で韓国系のマフィアが出てくるなども、むしろ陳腐である。
わざと陳腐な舞台にしたのかもしれないが、その効果がどのように出ていたのかもわからない。
 念頭においたのはキューブリックの「2001年宇宙の旅」だとは思うが、キューブリックが
本作を観たら何と言ったかも想像しやすい。

 ベッソン監督は、アトランティスなどで敬愛しているだけに今回の作品は残念と言える。
ご本人にもそれは分かっていると思う。かかる作品を作らなくてはならなかった背景に
一番興味を覚えた。

「ぼくはお金を使わずに生きることにした」 

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 2012年1月に購入していた。2年半を経て漸く読む機会を得た。

 著者は一年間をお金無しで暮らすという実験を行う。言うまでもないが、著者を支えた
多くの人や環境はお金がある環境にある。従い、厳密に言うと著者は非貨幣経済で一年を
生き抜いたというわけではない。但し、著者の狙いは非貨幣経済を探求するというものでは
無かったはずだ。むしろ、貨幣経済の中で、著者なりに「正しい」生活を送る方法を
徹底的に考えたかったということではないか。

 現時点での地球という小さな星で暮らすに際して、貨幣抜きを想定することは非常に
難しい。我々は日頃あまり語っていないが、貨幣は人間が発明した色々なものの中でも、
もっとも「優れている」ものだと僕は思う。

 僕は「優れている」と言った。但し、「優れているもの」にも、必ず毒もある。著者は
その貨幣の毒に敏感になるために、一年間の実験に踏み切ったのだと思う。毒を理解し、
解毒剤を探すことこそが、著者の狙いだったのではないか。

 では、著者は成功したのか。

 それに対する有効な答えはとりあえず本書では見当たらない気はする。「無償の助け合い」とでも
いうべきものは萌芽として見えるものの、それは著者一人が貨幣に頼らないで生活をする程度
のものだ。従い、本当の解毒剤かどうかは僕にはなんとも言えない。但し、著者が起こした問題提起
は大変興味深いものがあった。

 食事の場面が楽しい。やはり、「食べる」ということは実に大切なものであるなと思ったのが最後の
読後感であった。

徒然草 第四十八段

 ここでは兼好は「ご飯の食べ方における礼儀」について書いている。
 
 テーブルマナーというものが日本においても昔からあったことには感心するしかない。
但し、「食べること」と「食事の場」とは、全く次元の違う事象であることも確かだ。「食事の場」
とは、高度に文化的な「場」でもあるからだ。食をともにすること自体が既に政治的な話でも
あるからだ。デートにおいても会食が欠かせないのは、食事をともにすることに強い
メッセージがあるからだろう。「同じ釜の飯を食べる」という言葉も我々は持っている。
 
 

「無縁・公界・楽」  網野善彦

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 30年前から本書のことは知っていたが、なぜか読む機会が無かった。今回その機会を得て
ほっとしている。

 本書で著者は「無縁・公界・楽」というある種の「人間社会の普遍的な制度」の例を日本を舞台にして
解明しようとしている。「普遍的な」という意味は、「日本だけではなく世界全体でも共通している」
という意味である。
 その普遍的な制度は、欧州においてはアジールと呼ばれ、中国では桃源郷であり、
日本ではたまたま「無縁・公界・楽」という呼び名になっているということだ。元の概念は
共通であり、日本・欧州・中国では、その表れ方において、色々なバリエーションがあるという話である。
 バリエーションの媒体としては著者は宗教に注目している。「無縁」という言葉は仏教から援用
しているというような考え方だ。

 上記のような展開は非常に面白く読める。著者自身が自嘲的に言っている通り「風呂敷をひろげた」と
いう面もあろう。著者が挙げた個々の例に関しても、その度に専門家からの細かい批判を受けてきている
ようだ。
 但し、そういう「状況を片手でわし掴み」するような手法も時として重要である。顕微鏡だけではなく
望遠鏡も持っているのが我々であるのだ。本書はまさに望遠鏡で人類を覗き込んだ趣があり、
それが読んでいて感じるある種の興奮にも繋がっている。

 簡単な本ではないが面白かった。自分の今のアジールがどこにあるのかも考えさせられた。

「蚊   ウィルスの運び屋」 

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 エボラ出血熱やデング熱などの感染症が話題になっていることもあり本書を読むことにした。

 世の中に色々な害虫がいるわけだが、確かに蚊が齎した災難は他のあらゆる動物を超えている点
が良く理解できた。蚊によって亡くなった方の人数は数えようもないくらいである。
 また僕自身、タイとインドネシアで生活していたこともあり、身近な方がデング熱やマラリヤに罹患する姿や
話には良く接する機会を得てきている。本書を読んでいると僕自身が罹患しなかったのは
たまたまであったことも良く分かった。

 確かに歴史を見ると、感染症との闘いが人類の歴史とも言える。コレラ、マラリヤ、ペスト、
天然痘、狂犬病、インフルエンザなど、枚挙のいとまがない。動物としての人間の体は非常に
脆いと改めて思った。これだけ感染するものを持っている動物が他にいるのだろうか。直観的
に言うと、人間が突出して感染するものを持っている気がしないでもない。
 その理由を考えると「生息地域の広さ・個体数の多さ・人口密度の高さ・雑食性の高さ」
等が上がるような気はする。素人考えながらも、色々な理由が想定される気がする。

 それにしても蚊ごときにやられてたまるかと思う。但し蚊も彼らの存在をかけて血を吸って
いるだけである。そう考えると、大きく行って生き物の営みゆえしょうがないと達観するしか
ないか。

「マネーボール」 

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 映画を観た。面白かったので原作を読む機会を得た。

 実在するビリービーンはお金にまかせて選手を集める球団には極めて批判的である。但し、その
理由とは「お金で選手を引っ張ってくるのではなく自前で育てるべきだ」というような根性論
から全くかけ離れている。彼が考えているのは

 ・選手の評価の仕方に関して従来の球界の判断は間違っている。

 ・その結果、評価できる選手は、正しい評価を受けておらず、従い、安く手に入る。

 ・その結果。球団経営も収益面で改善できる。

という非常にドライで冷徹な内容である。

 実際ビリーは選手の育成には興味がないように見える。もっと言うと彼の考える「育成」
とは、高く売却するための「研修」みたいなものだ。ファンドが経営不振の会社を買って
リストラを行うことで収益性を上げ、売却するような姿にほぼ重なる。従いビリーを安易に
ヒーロー扱いすることはいささか間違っているし、ある意味でビリーに対して失礼かも
しれない。

 それにしても まず面白いのは「選手の評価の仕方」部分だ。この点に関してはビリーの
独創性があるわけでもなんでもない。新しい評価システムは他の人が作ったものであり、
ビリーはそれを活用しているだけである。
 次に面白いのはビリーがそれを活用している「活用の仕方」の場面だろう。トレードを
活写している部分は実に臨場感が溢れているし、かかるビジネスモデルがあること自体に
驚いた。そう野球はビジネスなのだ。

 ということでビジネス書として面白いのだが、それでもどこかにスポーツに対する賛美の
眼差しも残っている。それが本書にさわやかな印象をもたらしている。ビリーもレッドソックス
からの誘いを断って、現在でもアスレチックスのGMだそうだ。

「花とアリス」 サントラ

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 映画を観ているうちに音楽が印象的なのでサントラを買った。映画のサントラを買う事は
比較的稀である。従い、注文しながら、この音楽がかなり好きになっている自分に気が付いて
いささか苦笑した。

 岩井という監督は才能豊かな方なのだろう。映画、小説に加えて音楽までおやりになる
という方はあまり記憶にない。そういえばチャップリンも音楽までやっていたと記憶
しているが、それくらいであろうか。

 非常に繊細な音楽である。ぼんやり聴いていることが似合う曲だ。音楽にも色々とある。
肩に力を入れて聴いた方が良い作品もあれば、このアルバムのようにぼんやりうとうとしながら
が正しい音楽もあるのだ。

モンテプルチアーノ・ダブルッツォ カサーレ・ヴェッキオ ファルネーゼ

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 夏の終わりに妻と二人で奈良ホテルに宿泊した。

 奈良ホテルに宿泊したのは三回目だと思う。堀辰雄の「大和路 信濃路」の一篇である
「十月」が、奈良ホテルから堀の妻に出した手紙で構成されている。あのころの作家は
奈良ホテルに1~2週間宿泊していたようだ。お金持ちだったわけだ。僕らは一泊が
せいぜいである。

 奈良ホテルのレストラン「三笠」でこのワインを飲んだ。簡単に言うと一番価格の安い
赤ワインをお願いしたらこれだったというわけだ。選んだ理由は無粋であるが、ソムリエは
味については保証すると繰り返していた。確かにおいしい。

 東京に戻って直ぐにアマゾンで購入した。4本買って、まだ1本も飲んでいない。
おいしいことは分かっているから焦ることもないのだ。

イーグルクリークのデイバッグ

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 イーグルクリークを最初に買ったのはもう20年ほど前である。出張先のサンディエゴで
休日に遊びに行くためのデイバッグを買ったのが初めてのことだ。イーグルクリークという
ブランドも知らないで適当に買ったものだ。

 使ってみるとその機能の高さに驚いた。詰め込める量も多いし、タフで頑丈である。僕が初めに
買ったデイバッグには本当にお世話になった。休日はどこに行くにも背負っていった。
15年程度使いこんだ挙句に最後はぼろぼろになった。

 それ以来イーグルクリークを偏愛している。大型のバッグパックも同社製品だ。タイ駐在から
帰国する日にも荷物を詰め込んで帰国したのを良く覚えている。

 今回比較的小型のバッグパックを購入した。昔より軽くなった点は技術の進歩である。背負って
休日を過ごしていると自分が20年前に戻った気もしてくる。そう、イーグルクリークは20歳代から
30歳代の僕の友人であったわけだ

「Toccatas Bwv 910-916」  

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 大学時代に友人からバッハを纏めて紹介される機会があり、以来30年近くバッハを聴くように
なった。

 このアルバムはそんな当時にLPで購入した作品である。テープにダビングして至るところで
聴いた。ウォークマン全盛期である。スティーブジョブスがまだヒッピーだったころかも
しれない。

 今回CDで購入し、IPODにもすぐに入れてゆっくり聞いている。ピノックのチェンバロが懐かしい。
30年間聴いていても飽きない。今後30年先にもきっとこのアルバムは売られているに違いない。
そのころはCDもIPODも無い時代なのだろうが、それでもこの演奏は形を変えて残っているはずだ。