くにたち蟄居日記 -78ページ目

「岩波ホールと<映画の仲間>」  高野悦子

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  僕は岩波ホールの良い客ではない。行ったことは一度しかない。また、巻末の上映リストを
みても、200本を超える中、僕が観た作品は12本だけである。自分自身としては映画好きだと思っていた
ので その少なさには驚いた。今回勉強になったのは以下三点である。

 一点目。

 岩波ホールは女性監督作品にかように力を入れていたことを初めて知った。映画の
撰者が高野悦子という女性であったことが主たる原因であったろう。但し、それで岩波ホールを
ユニークな存在になったことが良く分かった。
 確かに、世の中の色々は事象同様に映画製作での女性の活躍は限定的である。特に
女性監督は数えるくらいしかない。その状況下、積極的に女性監督作品を推した事で、
岩波ホールは単なる映画芸術を超えた、ある種のフェミニズムを担った運動になった点が今回よく分かった。

 二点目。

 アジア、アフリカ映画を早くから取り上げてきた点に感銘を受けた。映画というと
まずは米国となってしまうのは歴史的に見ても、また現在においても実態である。僕自身も
ハリウッド映画を嫌っているわけではないし、彼らのエンタテイメントへの飽くなき情熱は
高く評価すべきだと考える。
 但し、ハリウッドとは別のロジック、動機で動いている映画も実は沢山ある。あっと驚くような
映像もなければ、大スターが出演するわけでもない映画が、時として、大きな影響力を持つ
ことも映画の「徳」である。本書の巻末の上映記録を観ているとある種の圧巻を感じる。

 三点目。著者は本書で岩波ホールのスタッフをよく描き出している。高野悦子というお方は
おそらくはカラフルな人柄であったと想像される。その一方で、スタッフへの暖かい視点が常に
有ったろうことも本書から伝わってくる。スタッフの方も映画への志を同じくして岩波ホールを
支えてきたことが良く読み取れた。

 それにしても映画の力は大きいことを再認識した。特に「映画祭」というイベントを実行する
ことが出来ること、そのイベントが各種の運動に繋がり得ること等を見ていると映画とは
DVDやネット配信だけで観るべきものではないことが分かった。

PURI SAYANG 国立のインドネシア料理

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    国立のインドネシア料理店に初めて出かけた。美味しいし良心的な価格である。サテカンビンが
あるのに驚いた。羊肉の串焼きである。インドネシアに住んでいる際には良く食べたものだ。



「呑めば、都」 マイク・モラスキー

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 著者が国立に住んでいることで本書を読んだ。僕も国立市民である。

 著者が偏愛している居酒屋群は戦後の闇市に関与していた店が多い。
闇市の雰囲気を残した店に強く惹かれている著者の姿が見える。

 ここで改めて著者とは米国で生まれた米国人であることを考えても面白い。

闇市とは終戦というよりは「敗戦」によって生まれた鬼っ子のような一面がある。
日本を敗れさせたのは言うまでもなく第一義的には米国であろう。従い、いささか
強弁するとするなら著者は闇市をつくった国の国民であると言える。かような言及は
本書には見られないが、おそらくは著者はどこかでそれを意識する場面もあったはずだ。
例えば著者は国立市を描くに際して、米兵に溢れていた国立があったと記述している。
その米兵と自分自身が重なる場面もあったのではないか。そう考える
と著者の闇市への「思い」「想い」は、実は「重い」のではないかと思う。

 著者は住んでいる国立を愛していたのだろうか。これは僕にとって個人的にも興味深い。

 著者は国立のスノッブな様子を描き出している。これは僕もほぼ同感する。国立の持つ
ある種の「臭み」というものは僕自身が感じているからだ。

 但し、スノッブが悪いかどうかは別問題だ。例えば著者が偏愛する居酒屋群にも裏返った
スノビズムがあることも見えるからだ。「妙にお高くとまりがちな国立」と「闇市を引きずった
個性的な飲み屋」は、スノビズムという点では実はあまり変わらないのかもしれない。

 著者は現在熱海に住まわれていると聞いた。聞いたのはよく行く国立の喫茶店のマスター
からである。著者はその喫茶店の常連だったという。僕としては会い損ねた方になったのかも
しれない。

安曇野を訪れて  その3

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 安曇野を自転車で一巡りしてから松本に行った。
 
 かつて麹町に「三城」という蕎麦屋があった。平日の昼間しかやっていないという強気の店である。
会社の上司が蕎麦好きでたまにタクシーで出かけた。
 
 メニューはない。まず、わさび漬けとキノコをつまみとして日本酒が出てくる。松本の岩波酒造というところ
が作っている日本酒だ。淡麗という言葉が似合う。勤務中の昼にお酒を飲むことが出来るのは上司が一緒
だからである。上司は日本酒が好きで、かならずお替わりを頼む。部下としての僕も従うしかない。
 
 結構良い気持ちになってくると蕎麦が出てくる。黒っぽくて固くて、ごろごろした蕎麦だがしっかりした味を
している。同時にお漬物も出てくる。上司は、漬物で酒を飲むために更に日本酒のお替わりを頼む。部下
としての僕も従うしかない。
 
 お蕎麦もお替わりする。さすがにお腹が膨れてくる。デザートとして花豆を煮たものが出てくる。甘味を
抑えた味で、更に日本酒にも合う。
 
 会社に戻ると上司はしっかりと仕事をしている。部下の僕としても従うしかない。
 
 三城が閉店したのは2006年のことだった。故郷の松本に移転するからという理由であった。上司は
大層惜しがっていたがしょうがない。
 
 8年ぶりの三城は東京当時と全く同じであった。当時の女将さんもご健在である。挨拶すると僕のことを
覚えていてくれたことに驚いた。酒を飲みながら、もう引退している上司にメッセージを送った。すぐに
返事が来た。
 
 無理を言って日本酒を分けて貰って帰京した。帰りの特急列車では良く眠れた。久々の一人旅は
そんな風にして終わった。まあ 人生自体が一人旅ではあるのだが。
 
 
 
 

「津和野」  安野光雄

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 大学三年生の夏休みの半分を測量のアルバイトで過ごした。貯めたお金で寝袋を買い、リュック一つで西日本に出かけた。
 駅の軒下で寝袋で眠り、午前中は観光、午後からは銭湯とコインランドリー探しである。四国や山陰や最後は九州の柳川まで出かけた。バッグパッカーというような言葉はまだ聞き慣れない頃に、まさにバッグパッカーをやっていたわけだ。もう三十年前の話だ。

 津和野はそんな訪問先の一つである。
 
 銭湯が見つからず、小郡まで鉄道で出かけてお風呂に入ってから、また津和野に戻って駅で寝た事を覚えている。お金は無かったが時間だけ有ったわけだ。それにしても本当に銭湯は当時の津和野にはなかったのだろうか。

 安野が津和野出身であるとは本書を読むまで知らなかった。本書を読んでいると安野は画家だけではなく文章家としても才能に恵まれたことが良く分かる。彼がとぼとぼと語る彼の子供時代の話は実に生き生きとしている。
 
 彼はこう語っている。

 「故郷がすばらしいのは、例えば津和野がディスカバージャパン的であるからではない。誰にとっても、その
    故郷には子どもの時代に通じる道があるからである」

 カタカナ部分がちょっと残念なのだが、それでも「子どもの時代に通じる道」という言葉は非常に鮮やかだ。これを読んだ瞬間、自分の子供時代が一瞬見えた気がしたからだ。

 それにしても安野の絵は観ていて何か懐かしい。津和野にはまだ一度しか行っていないのに、なぜ懐かしいのかをぼんやりと考えているところだ。

カキ氷  ゆいさんのお店

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Sept 2014  Kunitachi
 
今年カキ氷を食べるのはこれが三回目だ。

安曇野を訪れて その2

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Sept 2014   Azumino
 
  黒澤明の晩年に「夢」という作品がある。いくつかのエピソードをまとめた短編集のような映画だ。
 
 往年の黒澤映画を観てきたものとしては寂しい作品と言える。黒澤ならではの練りに練った脚本がある
わけでもない。素晴らしいアクションがあるわけでもない。但し映像は美しい。映像の美しさは、撮影技術の
進化だと言ってしまうと身もふたもないのかもしれないが。
 
 「夢」の最後のエピソードが安曇野を舞台にしていた。そこで描かれる安曇野は本当に美しい。僕が
今回同地を訪れたのは、間違いなく黒澤明のおかげである。
 
 
 
 
 
 

矢川緑地

 
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Sept 2014  Kunitachi
 
ママ下から更に歩いて矢川緑地に行った。残暑の昼下がりは人影もない。

ママ下湧水 

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Sept.14,2014   Kunitachi
 
  ママ下を久しぶりに歩いた。こういう風景が残っている場所に住んでいることは非常に幸せである。
向こうの川岸に赤く曼珠沙華が咲いていた。もう秋なのだなと思わされた。
 
 
 
 
 

安曇野を訪れて  その1

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Sept.2014   Azumino
 
 いま考えてみると失敗だったのは安曇野を自転車で廻ったことだ。やはり歩くべきだった。
 
 思うのだが、人の目は歩く速度に一番対応している気がする。景色を眺めながら歩くと驚くくらいに
色々なことに気が付く。自転車に乗ってしまうと、見逃してしまうものが多い。早く多くの事を見ようとして
乗った自転車が、結局仇になる。
 
 安曇野は広いが狭いとも言える。歩きながら。時として立ち止まりながら、行くべき場所だったと気が付いた
のは安曇野を去ってからであった。