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モヒカン大統領

バイデンがモヒカンにしたんかと思った。



玉川カルテット

みなさま、大変長らく

ご無沙汰いたしております。
この世にまだ生きている証に
ブログを更新いたします。

とはいえ、小ネタです。

 

 

ぼく個人的には

こいつの

永久追放を

願っています。

ウクライナ義勇軍

ウクライナのことが気がかりでならない。

デンマークのメッテ・フレデリクセン首相は
2月27日(日)
報道関係者への会見で
ウクライナでロシア軍と戦うために
結成された国際旅団に国民を参加させる
と発表した。
自由意志により参加できます。
デンマークに住むウクライナ人だけでなく、
紛争に直接貢献できればと考える
他の人々にも当てはまります

と彼女は言った。

日本に住む老人ではあるが、
ロシアに領土侵略を受けている国民として、
ウクライナに貢献できればと考える。
まずは少額だが義援金の寄付をした。


https://english.alarabiya.net/News/world/2022/02/27/Danish-PM-says-volunteers-can-join-Ukraine-fight-

 

 

 

アメブロのエディタが

カバーを編集しろ

というので

ウクライナ国旗を

設定しましたが、

それはどこに

反映するのかな?

 

 

肥沃な火曜日

今日はマルディ・グラ(肥沃な火曜日)


復活祭までの40日間は四旬節といって

肉食を控え節約生活をする。

森鴎外は「精進日(せじみび)」と訳している。

フイフイ教のラマダン(断食月)みたいなもんである。
それというのも春のおとずれを前に、

万が一春のおとずれが遅かった時のために、

食料の備蓄を十分に残しておけという

古人の知恵だったのだろう。

あるいは冬の間は牧草がないので

痩せてしまった家畜を食べるのは

経済的でないという教えだったのかもしれない。
 

いずれにせよ、40日もの節約期間を前に、

精進する前日までなら、

肉を食うて大騒ぎしてもかめへんねん

とばかりにバカ騒ぎをするのが、カーニバルである。

謝肉祭と訳されるが、それではまるで

少しの肉にも感謝していただきましょう

という仏教的慎ましさを感じさせるが、

実際は大いに飲み食いする乱痴気騒ぎである。
 

本場イタリアでは

コンフェッティを町中の人が投げ合ったりする。

このコンフェッティというのは

紙吹雪だったりもするようだが、

石灰を豌豆(えんどう)の大きさに練りたるなり。

白きと赤きと雑(まじ)りたり。

中には穀物の粒を石膏泥中(せっこうでいちゅう)に

転(まろが)して作れるあり

と森鴎外はローマのものを紹介している。
 

コンフェッティconfettiの単数形はコンフェットconfetto。

これは金平糖の語源ともなっているので、

砂糖菓子を投げ合うような都市もあったのかもしれない。

なにしろイタリアにはオレンジを投げ合う祭りもあり、

スペインのトマト投げ祭りも有名なのだから

ラテンの人々のバカさ陽気さ加減は計り知れない。


さてそのカーニバルの最終日となっているのが、

今日「肥沃な火曜日」なのである。

告解の日」ともいわれるように、

本来は罪を懺悔する日のはずであったのだが、

カトリック社会では逆手にとって、

懺悔しさえすればなんでも許される日

のような扱われ方になったようである。
 

ぼくがマルディ・グラという言葉を

初めて知ったのは、

ニューオリンズのカーニバルを歌った

ポール・サイモンの

Take me to the Mardi Grasという曲である。

There goes rhymin' Simon(邦題「ひとりごと」)

というアルバムに入っているが、

2004年にはそのリマスター版が出て、

マルディ・グラのアコースティック・デモ版が

ボーナストラックに収録された。

・・・いや、これがまた実にいい。

なんて心のこもった演奏だろう。

大好きなポール・サイモンの声が

優しく語りかけるように響く。
ポール・サイモンは去年、

すべての版権を手放したというが、

いつまでもできるだけ多くの人に

聴いて欲しい名曲である。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=SPfC-hoXd8g

 

みなさま、

ご訪問くださり

ありがとうございます。

デンマークの

カーニバルは

ファステラウンといわれます。

アメリカのハロウィーンで

子供たちが

コスチュームで

家々をまわって

「Trick or treat」

とやりますが、

まさしくその原型が

北欧のファステラウンです。

つまりデンマークでは

カーニバルとは

大人たちの乱痴気騒ぎではなく、

子供たちのお祭りに

なっています。

ファステラウンについては

過去にも記事にしたことが

あると思いますので、

ごらんいただければ、

さいわいです。

 

 

 

 

多彩中国

真美丽的风光

这个颜色是从哪里来的呢?

(美しい風景

この色彩はどこから来たの?)

 

 

 

 

 

 

噢,原来是这样。

哪个颜色你喜欢吗?

(そうだったのか。

あなたはどの色がお好きですか?)

 

 

 

みなさま、毎度ごぶさたしております。

できれば今年はいろいろと

書いていきたいと思っています。

今回はまぁくだらない

小ネタです。

これらの写真は

ネット上から

適当に拾ってきました。

 

かの国は

環境問題だけでなく、

人権問題でも

見逃してはならない

と考えております。

このブログも

少し生まれ変わって

政治的な発言を

していきたいと

考えているところです。

どうぞ末永く

おつきあいくださいませ。

謹賀新年

みなさま

あけまして

おめでとうございます

 

昨年ほとんど更新しませんでしたが、

今年はなんとか、

もう少し

がんばっていきたいと

思っています。

 

今年が

みなさまにとって

すばらしい一年に

なりますように。

 

これからもどうぞ

末永くおつきあいのほど

よろしく

お願いいたします。

 

皇紀2682年元日

 

これ意外と知られてないんですけど…、

 

読者のみなさま、

毎度ご無沙汰しております。

小ネタを作りましたので、

お届けします。

 

これって、

意外と知られてないんですけど

というテンプレで

大喜利できますよね。

って、もうどこかで

やってるでしょうね。

 

みなさまの

ご健康と

ご多幸を

心から

祈っております。

 

これからも

どうぞ

気長に

末永く

お付き合い

くださいませ。

 

 

奉祝端午節

 

 

みなさま、大変長らく

ご無沙汰しております。

お元気でお過ごしでしょうか?

ぼくも生きているという証拠に

小ネタをアップします。

 

ブログ更新は稀にしかありませんが、

どうぞ末永くご贔屓のほど

よろしくお願いいたします。

民の竈(かまど)の煙

文部省「尋常小學國史 上巻」昭和10年刊より

 

世に有名な仁徳天皇の「民の竈の煙」の話である。

治水事業として、堤とあるのは茨田(まんだ)の堤、池とあるのは和珥(わに)の池(:富田林市喜志にある粟ケ池か)のことである。

 

さて、現代において、国庫を預かるのは元大蔵省である財務省である。税制や国庫の使い道を決めるのは、もちろん天皇陛下御自身ではない。内閣や国会で決まるのである。

 

このたび、われわれ民ぐさに国庫から下賜金がいただけることになりそうな塩梅である。われわれ民ぐさも、今回の国難さりし後は、「われ先にとはせ集り、夜を日についで、いつしやうけんめい」社会に奉仕したいと思う。

 

仁徳天皇」松岡寿、神宮徴古館収蔵

 

今こそ、億兆心を一にして、この国難を乗り越えましょう。

「Fukushima 50」を観に行った。

文字ばっかりでごめんなさい。

 

Fukushima 50を観に行った。
ネタバレ注意
武漢肺炎の厳戒態勢の中、
街中の映画館に出かけることも
非常にためらわれた。
映画館は換気も行き届いており
そもそもガラガラだから
大丈夫らしいという
噂もあったので、
出かけることにした。

案の定、
本当にガラガラ。
ぼくはほぼ客席の中央に
着席したが、
ぼくより前の列に
3人ぐらい。
後ろを振り返っても、
10人もいないぐらい。
その後、遅めに入場した客が
何人かいただろうが、
ありえないほど
まばらだ。

映画がはじまる。
ぼくは
9年前の
地獄の世界に
ひきもどされ、
津波の恐怖に
直面させられる。

そうして、
当時は知りえなかった
フクイチの
内部の様子を
ここではじめて
体験することになった。

吉田所長をはじめとする
現場作業員たちの
決死の苦労が
克明に描かれている。

……

しかし、
である。

吉田昌郎所長のことは、
毀誉褒貶も著しい。
国会事故調のために作られた
「吉田調書」を
マスコミがスクープし、
でたらめなストーリーにしたてて
報道した。
そこで描かれたのは
東電は現場をほったらかしにして
逃げようとしたという内容であった。
責任を東電現場になすりつけて
当時の首相は悪くないという
結論にしたかったとも推察される。
結局これは
新聞社が誤報として
記事を取り消し謝罪した。
数ある「朝日誤報」のうちの
一つとなった。

では、吉田所長とは
どんな人物だったのか。
黒木亮氏の
『ザ・原発所長』
という本があると
今回あらためて知った。
その本を紹介した黒木氏自身の記事
現代ビジネスオンライン
が、冷静に分析しているように
ぼくには思える。

現場には、
決死で闘う人たちがいた。
これは紛れもない事実だ。
世界が初めて経験した事故に
完璧に対処できたわけではないが、
それでも現場を離れようともせず、
必死で制御しようとし続けた。
そもそも想定外の電源喪失で、
手違いがあるのは仕方がない。

想定していなかったことを
その現場で責めても意味がない。

映画では
事態を混乱させる
時の首相を佐野史郎が好演していた。
篠井英介(ささいえいすけ)も
東電本店のイヤミな上司の役を
よく演じていたと思う。

映画では
東京の指示系統よりも、
フクシマの現場の方に
力を入れて描かれていた。

そこが、
ぼくにはちょっと物足りない。
9年の時を経て、
もう少し事件を俯瞰しても
よかったのではないか。

15mを超える大津波の予想が
計算上出ていたにも拘わらず
対策の時間稼ぎをしていた背景、
そしてそこにも携わっていた
吉田所長の「1人のサラリーマン」
としての姿も、描いて欲しかった。
混乱時の救国の英雄は、
平時においてはただのサラリーマンだったのだ。
日頃は会社の意向にしたがうだけの、
むしろ「エリート社員」だったのだ。
だから、日ごろ社畜の我々も
他人事ではない。
我々全員が、緊急時にとるべき行動を
ここから読み取らなければならない。


もう一つ、
当時、ぼくたちはフクシマのことを、
テレビを通じて知るしかなかった。
毎日ミスター保安院の、
疑惑の髪の毛を眺めていた。
あれは何だったのか。
我々情弱庶民の知りえた事故の様子と、
現場の様子の乖離を、
もっと描いて欲しかった。

現に保安院は官邸の意向を汲んで、
マスコミへの情報を遮断したりしていた。
マスコミはマスコミで、
前述したような誤報を展開してしまう。
そのあたりの社会的背景も
もっと描いて欲しかった。

この原発事故には、
まだまだ語りつくせない
多くのことが絡みついている。
フクシマ50をクローズアップした
今回の映画は、一面かも知れない。
吉田所長の人間性だけでも、
もう少し俯瞰すれば、
もっとよかったのにという、
いわば、欲目の希望である。
この映画を機に、
もう一度、
フクシマについて考えて、
そして今日の国難に
我々は何をなすべきか、
覚悟を新たにしたい。



余談であるが、
シンゴジラの片桐はいりは凄い。
今回は片桐はいり役は
安田成美が演じていた。
安田成美のかわりに、
片桐はいりを起用したバージョンも
観てみたかった感じがする。

もっと余談であるが、
地震映画といえば、
昔、パニック映画が流行ったときに、
「大地震」というのがあった。
センサラウンド方式とかいう重低音で、
振動が観客の体に伝わるというものだった。
映画館で地震を体験するということは、
昔から変わっていないのだなと思った。