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「Fukushima 50」を観に行った。

文字ばっかりでごめんなさい。

 

Fukushima 50を観に行った。
ネタバレ注意
武漢肺炎の厳戒態勢の中、
街中の映画館に出かけることも
非常にためらわれた。
映画館は換気も行き届いており
そもそもガラガラだから
大丈夫らしいという
噂もあったので、
出かけることにした。

案の定、
本当にガラガラ。
ぼくはほぼ客席の中央に
着席したが、
ぼくより前の列に
3人ぐらい。
後ろを振り返っても、
10人もいないぐらい。
その後、遅めに入場した客が
何人かいただろうが、
ありえないほど
まばらだ。

映画がはじまる。
ぼくは
9年前の
地獄の世界に
ひきもどされ、
津波の恐怖に
直面させられる。

そうして、
当時は知りえなかった
フクイチの
内部の様子を
ここではじめて
体験することになった。

吉田所長をはじめとする
現場作業員たちの
決死の苦労が
克明に描かれている。

……

しかし、
である。

吉田昌郎所長のことは、
毀誉褒貶も著しい。
国会事故調のために作られた
「吉田調書」を
マスコミがスクープし、
でたらめなストーリーにしたてて
報道した。
そこで描かれたのは
東電は現場をほったらかしにして
逃げようとしたという内容であった。
責任を東電現場になすりつけて
当時の首相は悪くないという
結論にしたかったとも推察される。
結局これは
新聞社が誤報として
記事を取り消し謝罪した。
数ある「朝日誤報」のうちの
一つとなった。

では、吉田所長とは
どんな人物だったのか。
黒木亮氏の
『ザ・原発所長』
という本があると
今回あらためて知った。
その本を紹介した黒木氏自身の記事
現代ビジネスオンライン
が、冷静に分析しているように
ぼくには思える。

現場には、
決死で闘う人たちがいた。
これは紛れもない事実だ。
世界が初めて経験した事故に
完璧に対処できたわけではないが、
それでも現場を離れようともせず、
必死で制御しようとし続けた。
そもそも想定外の電源喪失で、
手違いがあるのは仕方がない。

想定していなかったことを
その現場で責めても意味がない。

映画では
事態を混乱させる
時の首相を佐野史郎が好演していた。
篠井英介(ささいえいすけ)も
東電本店のイヤミな上司の役を
よく演じていたと思う。

映画では
東京の指示系統よりも、
フクシマの現場の方に
力を入れて描かれていた。

そこが、
ぼくにはちょっと物足りない。
9年の時を経て、
もう少し事件を俯瞰しても
よかったのではないか。

15mを超える大津波の予想が
計算上出ていたにも拘わらず
対策の時間稼ぎをしていた背景、
そしてそこにも携わっていた
吉田所長の「1人のサラリーマン」
としての姿も、描いて欲しかった。
混乱時の救国の英雄は、
平時においてはただのサラリーマンだったのだ。
日頃は会社の意向にしたがうだけの、
むしろ「エリート社員」だったのだ。
だから、日ごろ社畜の我々も
他人事ではない。
我々全員が、緊急時にとるべき行動を
ここから読み取らなければならない。


もう一つ、
当時、ぼくたちはフクシマのことを、
テレビを通じて知るしかなかった。
毎日ミスター保安院の、
疑惑の髪の毛を眺めていた。
あれは何だったのか。
我々情弱庶民の知りえた事故の様子と、
現場の様子の乖離を、
もっと描いて欲しかった。

現に保安院は官邸の意向を汲んで、
マスコミへの情報を遮断したりしていた。
マスコミはマスコミで、
前述したような誤報を展開してしまう。
そのあたりの社会的背景も
もっと描いて欲しかった。

この原発事故には、
まだまだ語りつくせない
多くのことが絡みついている。
フクシマ50をクローズアップした
今回の映画は、一面かも知れない。
吉田所長の人間性だけでも、
もう少し俯瞰すれば、
もっとよかったのにという、
いわば、欲目の希望である。
この映画を機に、
もう一度、
フクシマについて考えて、
そして今日の国難に
我々は何をなすべきか、
覚悟を新たにしたい。



余談であるが、
シンゴジラの片桐はいりは凄い。
今回は片桐はいり役は
安田成美が演じていた。
安田成美のかわりに、
片桐はいりを起用したバージョンも
観てみたかった感じがする。

もっと余談であるが、
地震映画といえば、
昔、パニック映画が流行ったときに、
「大地震」というのがあった。
センサラウンド方式とかいう重低音で、
振動が観客の体に伝わるというものだった。
映画館で地震を体験するということは、
昔から変わっていないのだなと思った。

 

漱石先生「こころ」後編

さて、前回に引き続き、
漱石先生の「こころ」の
調査についてです。

前回は
①「上 先生と私」五に出てくる
「安得烈」の墓を見つける。
でした。

今回は
②「下 先生と遺書」四十六の
長い散歩コース
高低差を調べる。
です。

②は本文にはこう記されています。

私は猿楽町から神保町の通りへ出て、
小川町のほうへ曲りました。
(中略)
私はとうとう萬世橋を渡つて、
明神の坂を上つて、
本郷臺へ來て、
夫から又
菊坂を下りて
仕舞に小石川の谷へ下りたのです。
私の歩いた距離は此三區に跨つて、
いびつな圓を描いた
とも云はれるでせうが、
私はこの長い散歩の間
殆どKの事を考へなかつたのです。





富坂を下ります。

けっこう長い立派な坂でした。

 


神保町交差点を小川町のほうへ

左折します。

万世橋を渡ります。

軍神広瀬中佐の像を

復元してほしいです。


明神の坂とあるのは、

この坂ですね。


坂の上には

右手に神田明神


左手に昌平坂学問所

があります。

この湯島聖堂

階段状の塀は

いつ見ても美しいです。

塀の中に

公衆便所があることを

初めて知りました。

本郷のレトロ建築

ヱチソウビル」です。


本郷もかねやすまでは

江戸のうち

本郷三丁目です。


菊坂はなかなか楽しい坂です。

いっぱい趣深い枝道があります。


今回はいちいち降りて

鑑賞することは

しませんでした。


菊坂の途中に

梨木坂の入り口があります。

これも上らずに、

まっすぐ菊坂を下ります。


菊坂下を左に曲がると

蒟蒻閻魔(こんにゃくゑんま)

に出ます。



老女に自分の

片目を与えたという

やさしい閻魔さまです。


中央の善光寺坂

上れば

伝通院に戻ります。

おそらく「こころ」の先生は

この善光寺坂を上る左手に

下宿していたと思われます。


伝通院の山門がライトアップされていました。

 

 


今回歩いたのはこのコースです。
伝通院をスタートして、
反時計回りに、
ぐるっと一周しました。
ゆっくり見物しながら歩いて
約2時間半の散歩です。
途中、見どころも多く、
またゆっくり歩いてみたい
コースでした。




大阪高低差学会
個人的研究活動として
以前からやってみたかった
「こころ」の散歩コースを
歩いてみました。


 

漱石先生「こころ」前編

読者のみなさま
遅くなりましたが、

 

皇紀2680年
あけまして
おめでとうございます!


さて、去年の年末に
漱石先生の「こころ」のことで
ちょっと調査をしてきました。

調査項目は二つ。

①「上 先生と私」五に出てくる
「安得烈」の墓を見つける。
②「下 先生と遺書」四十六の
長い散歩コース
高低差を調べる。

です。

①は本文にはこう記されています。

私は安得烈と彫り付けた
小さい墓の前で、
『是は何と讀むんでせう』
と先生に聞いた。
『アンドレとでも
讀ませる積でせうね』
と云つて
先生は苦笑した。



広い雑司が谷霊園の中で
手がかりなしに探すのは
不可能ですね。
かつてネットで
法務省納骨堂の近くにある
という情報を見たことが
ありましたが。
どこで見つけたか
忘れてしまいました。

ともあれ、
死刑囚の入る
法務省納骨堂のそばで、
ちょっと古そうなお墓の
あるあたりに直行。

霊園に入ってすぐ
5分もしないうちに、
見つけました。


まるで導かれるように、
まっすぐに到達できたことに
不思議を感じました。



墓石の裏には
「  明治四十一年
俗稱 田中清四郎
   一月廿八日永眠

と彫られていました。
こころ」が
世に出たのは
大正3年のことですから、
漱石先生が見たのは
これに違いないと
思いました。

ただし
小説ではわざと
一字変えてありますね。




場所は、
霊園管理事務所の裏
(地図の印)
です。


長くなりましたので、
②の調査は次回にします。



長年気になっていた
アンドレの墓ですが、
今もお参りする人が
いるのかどうかは
わかりません。
やっと見つけることができ、
ホッとしました。
感謝を込めて、
丁寧にお参りしておきました。



 

PC再生作戦

メインのデスクトップPCが
突然起動しなくなった。
9年前のマシンなので、
寿命といえば寿命か…。
HDDが読み取れなくなって、
Windowsが立ち上がらない。
Safe modeで立ち上げようとしたが、
リブート時にDeleteを押しても、
ファンクションキーを押しても、
BIOSに飛んでくれもしない。

いよいよHDDのクラッシュかと
悲しんでいたら、
友人の旦那さんが
PC修理業をしているという。
DATA吸出しを依頼した。

友人が自宅までPCを

取りに来てくれ、
2日ほどで、プロの旦那さんが
自宅まで届けに来てくれた。
とりあえず必要と思われる
DATAは吸い出すことができたので、
外付けのSSDにコピーしておいた
とのこと。

さらに、
CPUもCore i7なので、
まだまだ使える、
内蔵のSSDを買って、
Windows 10をインストールすれば
いいと教えてくれた。

またまたさらに、
壊れたHDDは、回転が不安定で、
読み取れないセクタもあるようだが、
うまくいけば、
まだ吸い出せるDATAが
あるかもしれないと、
教えてくれた。


そこで、教えられたままに、
内蔵SSDを購入。
Windows 10をインストール。
(このインストールについては、
ちょっとした失敗談もあるが、
長くなるので割愛)

復活したPCに、
壊れたHDDをセカンダリとして
繋げて、リブート。
ところが、やはり、
HDDは読み取れないから
フォーマットが必要
と言ってくる。

いやいや、
フォーマットしてはダメだ。

とうとう、
コマンドプロンプトから
チェックディスク(CHKDSK)
を試してみることにした。



でも、CHKDSKの文法を
理解していないので、
パラメータ/Fと
記述しなければいけないのに、
ディレクトリの英字と思って、
/Iと記述してしまった。

ともあれ最後まで
チェックはしてくれた。




それでも、
文法を間違えているので
修復はしてくれていない。

どうしてらいいか
よくわからなかったので、
心静かにリブートした。

すると、
Windows 10が立ち上がるやいなや、
何も指示していないのに、
HDDのFixingつまり修復を始めてくれた。



HDDの回転は不安定なので、
たしかに時間はかかったが、
HDDの認識に成功した。




ほぼ完ぺきな状態で
DATAが読み取れる。
吸い上げ漏れていたDATAを、
外付けのHDDにコピーする。



 

これで、なんとか、
9年前のPCを
復活させることに
成功したのでありました。

その後、
セキュリティーの設定、
各種アプリケーションソフト
のインストール。
メールの設定など
細かい設定を
していきました。


昔、MS-DOSを使っていた頃以来、
実にひさしぶりに
コマンド・プロンプトを
使ったので、
なんだか懐かしかったです。

今回は面白くもない記事ですみません。

ちょっと備忘録として書き留めたかっただけです。

面白いネタ、また探しますね。


 

カブはサリーちゃんの家来

みなさま、お変わりございませんか。

いつものことながら

ご無沙汰してすみません。

 

さて、今回の記事は

カブのヘッドライトをLEDにする

です。

ぼくのカブは人気のない

先代のインジェクションタイプ

ホンダJBH-AA04

です。


デフォルトのハロゲンランプ

点灯してみます

カブのライトは暗めです。

 

今回、用意しましたのは、

BORDAN 直流交流兼用 H4バイク用ledヘッドライト 三面発光 Hi/Lo切替タイプ 

H4 PH7 H6 対応 冷却ファン内蔵 取付簡単 CO

Amazonで1500円ぐらいでした。

中身です。

コードの先が

ギボシ端子になっているのが

わかりますか?

 

ヘッドライトを明けます

3口のソケットが

防水ゴムキャップに

つつまれています。

3口ソケットをはずします。

ギボシ端子はささりません。

LEDランプのギボシ端子を

平型オス端子につけかえました。

台座部品を

向きを間違えないように

とりつけて、

ハロゲンランプと

置き換えます。

ところが、このとき、

ハリガネのような

おさえバネの形を

調整しなければ

なりませんでした。

これがナンギでした。

さて、次は、

防水ゴムキャップです。

左が防水ゴムキャップにつつまれた

ハロゲンランプ

右がまだむき出しの

LEDランプです。

LEDランプの後ろ側は

放熱装置になっていますので、

あんまりつつみたくないのですが、

ある程度の防水は必要

なのでしょうか。

 

そこで簡単なゴムキャップを

自作することにしました。

左が自作したゴムキャップ、

右が防水ゴムキャップです。

LEDランプの後部に

かぶせていきます。

まあ、広く開口してるより

いくらかマシでしょう。

問題はうまく放熱

してくれるかどうかです。

このあとゴムキャップは

ビニールテープで固定しました。

 

3口ソケットに、

平型オス端子をさしこみます。

LEDランプが改良されて

放熱部が小さくなったからか、

楽におさまりました。

 

エンジンをかけて

点灯してみます。

はい、明るくなりました。

 

製品説明によれば、

明るさは50%上昇、

そして、消費電力が

なんと70%の減少

できるそうです。

 

 

 

ハイ、今回はカブのお話でした。

どうでしょうファンのみなさまも、

ぜひ、愛車カブを

かわいがってあげてください。

みなさまのご健勝と

ご多幸を

お祈り申し上げます。

今後も気長に

お付き合いくださいませ。

 

 

 

令和万歳!

みなさま、ご無沙汰しております。

このひと月は、心静かに

平成の御代を見送りながら、

令和の到来を慶賀したいと

思っています。

 

ところで、

いないいないばあっ!」の

ワンワンを観るたびに、

昔のブログ友の、

小山あらんさんのことを

思い出します。

 

このあいだふと

ワンワン

テレビで見かけました。

いつもの

ゆきちゃんじゃない子が

おねえさん役を

してたようでした。

飛行機になろう

ぶーん

と遊んでいたときに、

ワンワンはこっそり

飛びます飛びます

なんて言ってました。

坂上二郎さんかいっ。

いや、ひょっとして

二郎さんのモノマネする

鶴太郎かいっ。

どっちにしても懐かしいわ。

今どきのお母さんには、

ぜったい通じないやろね。

 

 

非常に久しぶりですが、

ぼくは生きてますよ。

現在は仕事も変わり、

仕事じたいは悠々と

してます。

でも、

同居の両親(ふたりとも認知症)

の介護に明け暮れる毎日です。

かなり、つらいです。

ここには楽しいことしか書きたくないのですが、

グチらせていただくかも知れません。

 

 

現代経済学

まだ読了していないが、

瀧澤弘和「現代経済学」中公新書2018の中に、

日産ゴーン事件を考えるときの

指針になりそうな記述を発見したので、

備忘のために、転記しておく。

(以下引用)

 また、コーポレート・ガバナンスをプリンシパル・エージェント理論に基づいて論じることに対しては、異論も多い。ここでは、岩井克人による反論を説明しておきたい。

 岩井によれば、単に営利企業を意味する「企業」と、法人という形態をとる「会社」という二つの概念を区別しておくことが根本的に重要である。法人としての会社はモノとして所有の対象となるという側面と、ヒトとして契約主体になるという側面からなる二重構想を持っている。モノとしての側面は、法人がヒトとして資産を所有し、さまざまなステークホルダーと契約を締結することに示されている。しかし、契約主体になるといっても、法人自体は生身の人間ではないので、誰かに仕事を任せなければならないだろう。この「仕事を任す/任される」という関係が契約関係ではなく、信認関係であると論じるのが、岩井の議論の重要なポイントである。

 岩井によれば、信認関係とは、任される者と任す者とが絶対的に非対称な関係にあるときに生じる独自の法的カテゴリであって、自己利益/自己責任を基盤として成立する契約関係とは異なるものである。たとえば、後見人制度などは絶対的に非対称な関係を前提とした信認関係である。絶対的に非対称な関係に成立すべき信認関係を契約関係に置き換えるならば、仕事を任される者が仕事を任せる者の立場で自分自身と契約することになってしまい、実質的な自己契約をするという矛盾が生じてしまう。

 その結果は、仕事を任されたものが任せる者を搾取できることになってしまうだろう。このような事情があるため、信認関係において信認される者は、忠実義務のような倫理的義務を負うことになる。契約関係が自己利益/自己責任を基盤として成立するのとは対照的であり、信認関係という独自の法的カテゴリが必要となる理由はここにある。

 この観点からは、経営者は会社との間に信認関係を結んでいるのであって、株主との間に直接的な契約関係を結んでいるのではない。株主と経営者の間に、自己利益/自己責任を基盤とした契約関係=プリンシパル・エージェント・モデルを当てはめることは端的に間違いなのである。現在の主流派経済学のコーポレート・ガバナンス論はこの点で誤りに陥っているのであって、しかも理論的誤りが受け入れられることによって、もたらす被害は甚大である。アメリカの所得不平等のほとんどは、高額の報酬を得ている一部の経営者たちの驚くべき高収入によって説明できるからだ。もちろん、この現象は上で述べたような「自己契約」によって生み出されたものなのである。

(引用おわり ibid, p.193-p.195)

 

読者のみなさま、お元気でお過ごしでしょうか。

ぼくは自由にできる時間が増えたものの、

そのほとんどを

同居する両親の介護のために使っています。

正直、介護疲れもたまってきて、

いつまでもつか、不安です。

さて、今回の記事は、

文字ばかりの長文でつまらないものですが、

日産ゴーン事件の本質を考える

道しるべにはなるのではないでしょうか。

ぼくが大学の一般教養でかじった経済学とは

比較にならないほど、

現代経済学は発展していることに

驚きを覚えながら、

ゆっくりゆっくり読み進めています。

 

読者のみなさまの、

いや益々のご発展を

お祈り申し上げます。

これからも末永く、お付き合いのほど、

どうぞ宜しくお願いいたします。

 

 

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四国88カ所巡拝(最終日)

四国88カ所巡拝(3日め)