漱石先生「こころ」後編
さて、前回に引き続き、
漱石先生の「こころ」の
調査についてです。
前回は
①「上 先生と私」五に出てくる
「安得烈」の墓を見つける。
でした。
今回は
②「下 先生と遺書」四十六の
長い散歩コースの
高低差を調べる。
です。
②は本文にはこう記されています。
私は猿楽町から神保町の通りへ出て、
小川町のほうへ曲りました。
(中略)
私はとうとう萬世橋を渡つて、
明神の坂を上つて、
本郷臺へ來て、
夫から又菊坂を下りて
仕舞に小石川の谷へ下りたのです。
私の歩いた距離は此三區に跨つて、
いびつな圓を描いた
とも云はれるでせうが、
私はこの長い散歩の間
殆どKの事を考へなかつたのです。
富坂を下ります。
けっこう長い立派な坂でした。
軍神広瀬中佐の像を
復元してほしいです。
この坂ですね。
右手に神田明神
があります。
この湯島聖堂の
階段状の塀は
いつ見ても美しいです。
塀の中に
公衆便所があることを
初めて知りました。
本郷のレトロ建築
「ヱチソウビル」です。
江戸のうち」
本郷三丁目です。
いっぱい趣深い枝道があります。
鑑賞することは
しませんでした。
梨木坂の入り口があります。
これも上らずに、
まっすぐ菊坂を下ります。
蒟蒻閻魔(こんにゃくゑんま)
に出ます。
片目を与えたという
やさしい閻魔さまです。
上れば
伝通院に戻ります。
おそらく「こころ」の先生は
この善光寺坂を上る左手に
下宿していたと思われます。
今回歩いたのはこのコースです。
伝通院をスタートして、
反時計回りに、
ぐるっと一周しました。
ゆっくり見物しながら歩いて
約2時間半の散歩です。
途中、見どころも多く、
またゆっくり歩いてみたい
コースでした。
大阪高低差学会の
個人的研究活動として
以前からやってみたかった
「こころ」の散歩コースを
歩いてみました。