現代経済学 | 日刊「きのこ」 skipのブログ

現代経済学

まだ読了していないが、

瀧澤弘和「現代経済学」中公新書2018の中に、

日産ゴーン事件を考えるときの

指針になりそうな記述を発見したので、

備忘のために、転記しておく。

(以下引用)

 また、コーポレート・ガバナンスをプリンシパル・エージェント理論に基づいて論じることに対しては、異論も多い。ここでは、岩井克人による反論を説明しておきたい。

 岩井によれば、単に営利企業を意味する「企業」と、法人という形態をとる「会社」という二つの概念を区別しておくことが根本的に重要である。法人としての会社はモノとして所有の対象となるという側面と、ヒトとして契約主体になるという側面からなる二重構想を持っている。モノとしての側面は、法人がヒトとして資産を所有し、さまざまなステークホルダーと契約を締結することに示されている。しかし、契約主体になるといっても、法人自体は生身の人間ではないので、誰かに仕事を任せなければならないだろう。この「仕事を任す/任される」という関係が契約関係ではなく、信認関係であると論じるのが、岩井の議論の重要なポイントである。

 岩井によれば、信認関係とは、任される者と任す者とが絶対的に非対称な関係にあるときに生じる独自の法的カテゴリであって、自己利益/自己責任を基盤として成立する契約関係とは異なるものである。たとえば、後見人制度などは絶対的に非対称な関係を前提とした信認関係である。絶対的に非対称な関係に成立すべき信認関係を契約関係に置き換えるならば、仕事を任される者が仕事を任せる者の立場で自分自身と契約することになってしまい、実質的な自己契約をするという矛盾が生じてしまう。

 その結果は、仕事を任されたものが任せる者を搾取できることになってしまうだろう。このような事情があるため、信認関係において信認される者は、忠実義務のような倫理的義務を負うことになる。契約関係が自己利益/自己責任を基盤として成立するのとは対照的であり、信認関係という独自の法的カテゴリが必要となる理由はここにある。

 この観点からは、経営者は会社との間に信認関係を結んでいるのであって、株主との間に直接的な契約関係を結んでいるのではない。株主と経営者の間に、自己利益/自己責任を基盤とした契約関係=プリンシパル・エージェント・モデルを当てはめることは端的に間違いなのである。現在の主流派経済学のコーポレート・ガバナンス論はこの点で誤りに陥っているのであって、しかも理論的誤りが受け入れられることによって、もたらす被害は甚大である。アメリカの所得不平等のほとんどは、高額の報酬を得ている一部の経営者たちの驚くべき高収入によって説明できるからだ。もちろん、この現象は上で述べたような「自己契約」によって生み出されたものなのである。

(引用おわり ibid, p.193-p.195)

 

読者のみなさま、お元気でお過ごしでしょうか。

ぼくは自由にできる時間が増えたものの、

そのほとんどを

同居する両親の介護のために使っています。

正直、介護疲れもたまってきて、

いつまでもつか、不安です。

さて、今回の記事は、

文字ばかりの長文でつまらないものですが、

日産ゴーン事件の本質を考える

道しるべにはなるのではないでしょうか。

ぼくが大学の一般教養でかじった経済学とは

比較にならないほど、

現代経済学は発展していることに

驚きを覚えながら、

ゆっくりゆっくり読み進めています。

 

読者のみなさまの、

いや益々のご発展を

お祈り申し上げます。

これからも末永く、お付き合いのほど、

どうぞ宜しくお願いいたします。