高野山 武将と姫の墓 一覧 | 武るるん♪日本全国の武将と城の旅ときどき観光とグルメ | 地図付 | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)


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高野山の武将と姫の墓をめぐる旅です。
高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって開かれました。
全国にある高野山真言宗の総本山です。
弘法大師の入定の地である奥之院は聖地であり、一の橋から弘法大師御廟までの道のりには
武将や大名の墓がたくさんあります。
武将の墓
あ~か行
武将の墓
さ行
武将の墓
た~な行
武将の墓
は~わ行
武将の墓
東日本
武将の墓
西日本
高野山
武将の墓

人物名・家名備考
青山幸成の墓青山忠成の四男。徳川秀忠に仕える。尼崎藩主。
赤井直正の墓赤井時家の次男。妻は近衛前久の妹。波多野秀治とともに織田信長に対抗。
秋田家の墓安倍貞任の末裔。秋田城介を名乗り、姓も秋田に改める。三春藩主。
秋月家の墓秋月種実が大友家と戦い領土を広げる。豊臣秀吉の一夜城(益富城)を見て戦意を喪失、楢柴肩衝を献上し降伏。日向高鍋藩として明治まで存続。
明智光秀の墓本能寺の変で織田信長に謀反した逆賊。
浅野長晟の墓浅野長政の次男で、浅野幸長の弟。幸長に嗣子がないため兄に代わり和歌山藩を継ぐ。福島正則が改易されると広島へ加増転封。
浅野長政の墓妻・ややと秀吉の妻・ねねが姉妹であり、秀吉と古くから行動を共にする。五奉行筆頭。関ヶ原では東軍に参加。
浅野幸長の墓浅野長政の子。父の死後、跡を継ぎ五奉行に。関ヶ原では東軍に属す。
有栖川家の墓江戸時代初期から始まる宮家。徳川家、井伊家、毛利家、浅野家、有馬家などの大名と姻戚関係を結ぶ。
有馬家の墓関ケ原、大阪の陣で活躍し、筑後久留米21万石を与えられる。以後、代々久留米の地を治める。
安藤家の墓徳川譜代の臣。上野高崎を領す。安藤家の高崎支配は三代続く。
安藤重信の墓徳川家の武将。関ヶ原では徳川秀忠に従軍し上田城を攻める。
(岡山)池田家の墓池田輝政の次男・忠継( ただつぐ)に備前岡山、三男・忠雄(ただかつ)に淡路洲本、弟・長吉(ながよし)に因幡鳥取が各々与えられる。
(鳥取)池田家の墓1632年に備前岡山と因幡鳥取を領地替え。
石川家の墓石川家成は今川義元の人質時代から徳川家康に仕える。家成の子は早世するが、外孫の大久保忠隣(おおくぼただちか)の次男を養子とし存続。
石田三成の墓豊臣政権五奉行筆頭。関ヶ原の戦いで西軍を主導。
市松姫(黒田光之室)の墓小笠原忠真と亀姫の間に生まれる。福岡三代藩主・黒田光之の正室。
伊東家の墓日向飫肥(おび)藩主。鎌倉時代より続く。一時期衰退するが豊臣秀吉の九州征伐によって旧領を回復。
稲葉家の墓美濃三人衆の稲葉一鉄から始まる。関ヶ原では東軍に寝返り臼杵を与えられ、以降明治まで統治。
上杉謙信・景勝の霊屋武田、北条、織田と戦う。姉の子・上杉景勝を養子とした。
永姫の墓織田信長娘、前田利長室。姑・芳春院(まつ)とともに江戸で人質となり加賀百二十万石を守る。
大関家の墓那須家の重臣から黒羽藩主へ。統治は明治まで続く。
大田原家の墓那須与一の末裔に仕える。小田原参陣を拒んだ那須家は改易、参陣した大田原家は本領安堵。
大津城籠城戦没者の墓関ケ原の際、京極高次は西軍を相手に籠城。この戦いにより西軍1万5,000は関ケ原に間に合わず。
岡部家の墓岸和田藩主。13代続き明治を迎える。
お亀の方(徳川家康側室)の墓徳川家康の側室で尾張徳川家初代・義直の母。
奥平家の墓長篠の戦いで名をはせる。中津を9代治めて明治を迎える。
(宇陀松山)織田家の墓織田信雄が入封し始まる。四代続いた後、丹波柏原へ転封となり廃藩。
織田信長の墓尾張から全国まで一代で勢力を広げるも、逆賊・明智光秀に討たれる。
於久の方(本多忠勝室)の墓阿知和玄鉄の娘で本多忠勝の正室。
於万の方(徳川家康室)の石廟徳川家康の側室で結城秀康の母。秀康とともに越前北ノ庄で暮らす。
(会津)加藤家の墓加藤嘉明が会津に入封しはじまるも二代で終了。
(大洲)加藤家の墓加藤光泰から始まる。子の定泰が大阪の陣後に伊予大洲に入封し以降明治まで治める。
吉川家の墓吉川広家より始まる岩国吉川家。江戸時代を通し岩国の地を支配。
京極家の墓鎌倉時代、佐々木氏信が京極と名乗ったのにはじまる。高氏の代には隆盛を極め四職に。江戸時代は丸亀を治め明治を迎える。
久貝家の墓今川義元に仕えた後、徳川家の家臣に。江戸時代には大坂東町奉行などを務める。
久貝正俊の墓徳川秀忠の小姓。後に大坂町奉行に。
黒田家の墓黒田官兵衛から始まり、子・長政を初代藩主とし代々筑前を治めた大名。
小出家の墓小出吉政は秀吉とは従弟の関係。その子・吉英は出石を領し、以降9代統治。
河野通直の墓湯築城を居城とした伊予の戦国大名。豊臣秀吉に抵抗後降伏するも領地は没収され河野家は滅びる。
酒井家次の墓越後高田藩主。母は徳川家康の叔母で、父は徳川四天王の一人という譜代中の譜代の臣。
(庄内)酒井家の墓酒井定勝が出羽庄内に入封し立藩。以降明治まで庄内を治める。
(姫路)酒井家の墓前橋藩から転封。以降10代続く。
酒井直次の墓出羽左沢藩主。一代限りで改易。
榊原康政の墓徳川家康の幼少期から小姓として仕える。徳川四天王の一人。
(飯山)佐久間家の墓佐久間安政に始まる。寛永15年に三代・安次が亡くなり、無嗣断絶で改易。
佐竹家の墓関ヶ原では西軍に。戦後、常陸から秋田へ転封。以降、明治まで続く。
佐竹義重の墓伊達政宗や北条氏直らと争った武将。秀吉の小田原征伐により常陸54万石の大名になる。
佐竹義宣の墓豊臣秀吉の奥州仕置きにより常陸54万石を領する。関ヶ原の後に秋田へ転封。
(最上)里見家の墓里見民部が寝返り最上義光の家臣となる。上山城主。
柴田勝家の墓織田家筆頭家老。信長死後、賤ヶ岳で羽柴秀吉に敗れ北ノ庄城で自害。
島津家久の墓島津義弘の三男で薩摩藩初代藩主。長男は早世、次男は朝鮮の役で戦死したため家督を継ぐ。
島津家の墓鎌倉時代から続く名家。領土の増減はあったが、明治まで国を換えなかった大名。
島津綱久の墓島津藩二代藩主・光久の嫡子。父より先に亡くなったため家督は継げず。
島津光久の墓薩摩藩二代目藩主。仙巌園を造る。
諏訪家の墓諏訪大社の大祝出身で武田家滅亡後に徳川家に仕える。諏訪高島藩主。
相馬家の墓関ヶ原の際、中立を守っていたものの領地は没収。しかし執念の訴えにより領地を回復、相馬中村藩として代々統治。
曽我兄弟の墓富士の巻狩りにて父の仇・工藤祐経を討つ。
高木家の墓丹南藩初代藩主は高木正次。代々統治し明治を迎える。
武田勝頼の墓武田家最後の大将。家臣の裏切りにあい田野の地で自害。
武田信玄の墓甲斐の守護大名。甲相駿三国同盟を成立させ上杉謙信と争う。上洛を開始するも半ばで病死。
(宇和島)伊達家の墓伊達政宗の子・秀宗からからはじまる。明治まで存続。
伊達綱宗の墓仙台藩三代藩主。遊興に明け暮れ、幕府により強制隠居に。後に伊達騒動へと発展。
伊達秀宗の墓宇和島初代藩主。伊達政宗の側室の子。
伊達政宗の墓伊達輝宗と最上義守の娘・義姫との子。会津の蘆名を滅ぼし奥州の覇者に。仙台藩初代藩主。
筒井順慶の墓大和を治めた大名。本能寺の変後、明智光秀に味方せず洞ヶ峠を決め込む。
藤堂家の墓藤堂高虎が織田信長→豊臣長秀→豊臣秀吉→徳川家康と仕えて出世。津藩として存続。
(尾張)徳川家の墓徳川御三家のひとつ。徳川家康の九男・義直から始まる。尾張藩は代々、名古屋城を居とす。
(紀州)徳川家の墓徳川御三家のひとつ。徳川家康の十男・頼宣が祖。 5代藩主・吉宗は8代将軍に。
徳川家康の霊屋徳川初代将軍。織田信長、豊臣秀吉に仕え天下人に。
徳川秀忠の霊屋徳川二代将軍。徳川家康の三男。
徳川宗将の墓紀州徳川家七代藩主。徳川宗直の子。藩主であったのは10年未満。
徳川頼宣の墓徳川家康の十男。紀州徳川家の祖。妻は加藤清正の娘
豊臣家の墓百姓から関白家にまで上り詰めた一族。
豊臣秀吉の墓戦国ドリームを掴み取った男。
鳥居家の墓鳥居元忠の孫にはじまる。改易の危機にあうも祖父の功績により免れる。
(高遠)内藤家の墓清枚(きよかず)が富田林から転封。8代続き明治を迎える。
(村上)内藤家の墓内藤家の村上支配は享保5年から。以降9代続き明治を迎える。
中川家の墓織田信長、豊臣秀吉に仕えた中川家。文禄3年以降、豊後竹田を明治まで治める。
南部家の墓文治5年の奥州合戦の功により陸奥を領する。三戸城→九戸城→盛岡城と居を移し、明治まで盛岡の地を治める。
丹羽長重の墓丹羽長秀の子。妻は織田信長の娘。白河藩主。
根来家の墓豊臣秀吉に対抗した根来衆。徳川家家臣となり関ケ原、大阪の陣で活躍。江戸時代は旗本に。
蜂須賀至鎮の墓蜂須賀家政の子で蜂須賀小六の孫。徳島藩初代藩主。
初姫(京極忠高室)の墓徳川秀忠の娘で京極忠高の妻。妻臨終の際に夫は相撲見物。ひどすぎる!
馬場信春の墓武田三代に仕えた猛将。合戦で一度も傷を負ったことがなかったが、長篠の戦いで倒れる。
振姫(浅野長晟室)の墓徳川家康の娘。蒲生秀行に嫁ぐも死別、後に浅野長晟と再婚。
(小田原)北条家の墓五代にわたって関東を支配した大名。墓は豊臣秀吉の小田原征伐後、五代当主・北条氏直が建立か?
(掛川)北条家の墓北条氏重が掛川3万石を領す。嗣子がなく一代で改易。
(三河岡崎)本多家の墓本多康重(ほんだやすしげ)の系統と本多忠粛(ほんだただとし)の系統の2つの本多家が岡崎を統治した。
本多忠勝の墓徳川四天王の一人で大多喜および桑名の初代藩主。五十七回の戦いでかすり傷一つなし!
本多俊次の墓本多康俊の子で酒井忠次の孫。大坂の陣で徳川秀忠に従い武功をあげる。
前田家の墓前田利家から始まる加賀の大大名前田家。明治まで加賀を治める。
前田利長の墓加賀藩初代藩主。前田利家の子で妻は織田信長の娘。
前田利治の墓大聖寺藩初代藩主。加賀二代藩主・前田利常の子。小堀遠州に茶を学び九谷焼を世に広める。
牧野家の墓下総・関宿を統治。関宿統治は2代で終わる。
益田家の墓平安時代より石見で活躍。大内氏に従い勢力を広げ、その後毛利家の家臣に。
(久松)松平家の墓松平定行に始まる。定行の父は徳川家康の異父兄弟。16代伊予松山を治め明治を迎える。
(深溝)松平家の墓深溝松平家は徳川家康より昔より松平家に仕えた譜代の臣。島原→宇都宮→島原と転封。
(高松)松平家の墓初代水戸藩主・徳川頼房の子・頼重から始まる。嫡男であったが弟の光圀に水戸徳川家を譲る。
(大和郡山)松平家の墓大和郡山は二人の松平氏が違う時代に治めているが、法名から判断すると柳沢系の松平氏のものと思われる。
松平忠政の墓奥平信昌の子で母は徳川家康の娘。加納藩二代目藩主。
松前家の墓蝦夷松前藩主。蠣崎慶広の代に蝦夷全土を支配。後に松前姓に改名。
松浦家の墓平戸藩主。祖先は肥前や壱岐を支配し元寇でも活躍。
水野勝貞の墓福山藩三代藩主。父とともに原城への一番乗りを果たす。
(福山)水野家の墓水野勝成が福山藩祖。水野勝成は徳川家康の叔父の子。
(松本)水野家の墓松本藩初代藩主は水野忠清。6代藩主忠恒が江戸城松の廊下で傷害事件を起こして改易。ただし断絶は免れる。
向井家の墓武田の水軍を率いた将。武田家滅亡後は徳川家康に仕える。
毛利家の墓藩祖は輝元。初代藩主は子の秀就。明治まで萩を統治。
最上義光の墓山形藩初代藩主。伊達政宗の伯父。関ヶ原の際は上杉軍と戦う。
木食応其の墓近江佐々木氏の一族で高野山の僧。織田軍の高野攻めにおいて堂に籠り調伏を行う。豊臣秀吉の島津征伐の際は島津との折衝役となる。
森忠広の墓森忠政の子。徳川家の養女と婚姻を結ぶ。
森忠政の墓森可成の六男。蘭丸、坊丸、力丸の弟。兄・長可が小牧・長久手の戦いで戦死したため家督を継ぐ。津山藩主。
山内一豊の墓岩倉織田家→織田信長→羽柴秀吉に仕える。関ヶ原の功により土佐一国を領す。
山内家の墓関ヶ原の後、土佐に転封。明治まで存続。
結城秀康の石廟徳川家康の次男。母は於万の方。羽柴秀吉の養子→結城家の養子となる。
脇坂家の墓関ヶ原後、脇坂安治が淡路洲本に立藩→伊予大洲→信濃飯田→播磨龍野に転封。龍野藩は明治まで続く。
脇坂安治の墓羽柴(豊臣)秀吉の家臣で賤ヶ岳の七本槍の一人。関ヶ原では小早川勢とともに東軍に寝返るも加増はなく本領安堵のみ。

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