人物名 | 墓のある施設 | 住所 |
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酒井家次 | 高野山奥之院 | 和歌山県伊都郡高野町高野山 |
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酒井家次の墓は高野山奥之院にあります。右地図は奥之院の弘法大師御廟をマークしてありますが、墓は一の橋から弘法大師御廟へと続く参道にあります。高野山周辺には数か所の無料駐車場があります。
現在とは異なり、武将の墓は一つとは限りません。
ゆかりの地であったり、死亡した場所であったり、子孫が治めた地であったり、日本全国に墓が数箇所存在する武将も少なくありません。
高野山にも、理由は様々なようですが数多くの武将や藩主の墓があります。
一度にたくさんの武将の墓を見るならば、高野山がお薦めですよ。
越後高田を治めた譜代中の譜代の臣・酒井家次
酒井家次は、酒井忠次(さかいただつぐ)の嫡子で越後高田藩主です。
母は徳川家康の叔母で、父は徳川四天王の一人という譜代中の譜代の臣で、家康には幼少のころより仕えていました。
関ヶ原の際は徳川秀忠と行動をともにしていたため、参戦していません。
元和2年(1616年)に家康の六男・松平忠輝が改易となったため、代わって越後高田に入封してました。
酒井家次の墓。
墓は息子・忠勝の庄内藩の墓所にあります。高さは4mほどです。
奥之院にある武将の墓一覧です。
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