「ゲームは悪いものだ」
って思っている人がいるかもしれないけど、とんでもない。
ゲームに良いとか悪いとかなくて、ただの道具です。
「ただの道具」
っていうのはどういうことかと言えば、
「使い方次第で、毒にも薬にもなる」
っていうこと。
例えば、包丁あるやん?
包丁は、時に料理をする道具にもなるけど、人を傷つけることもできてしまう。
名探偵コナ〇ンでも、
「凶器は包丁でした」
みたいなシーン出てくるよね。
知らんけど(知らんのかい)
包丁は人を傷つけることができるけど、
「包丁は悪いものだ」
って思う人っておらんやんか。
包丁が悪いんじゃなくて、
「人を傷つける使い方が悪い」
ってことよね。
料理をするのに使ったり、便利な道具として使う分には良いわけよ。
使い方次第で良し悪しが変わるんだから、
「包丁が良い/悪い」
のではなく、
「包丁の"使い方"が良い/悪い」
ってことよね。
ゲームも同じで、
ゲームも楽しく娯楽的な使い方をすることもできるし、
人と繋がったり、人が集まるためのツールとして使うこともできるし、
自分の能力を向上させるような使い方もできるし、
一方で、
ゲームに依存をして、自滅的な使い方をすることもできるし、
人を傷つけるような遊び方だってできる。
ゲームも、
「ゲームは良い/悪い」
っていうのがあるんじゃなくて、
「ゲームの"使い方"が良い/悪い」
っていうのがあるんです。
そしたら、次に気になるのが、
「子どもにゲームの良い使い方をしてほしい」
っていうことだよね。
良い使い方をする子どもと、
悪い使い方をする子どもは
何が違うんでしょうか?
ゲームを効果的に使う子どももいるし、
ゲームを自滅的に使う子どももいます。
その違いは、
「親と子どもの関係性」
の違いです。
ゲームを制限したり、遊びを管理したりするような、子どもに対して、否定的で、高圧的な関わり方をすれば、子どもにストレスが溜まるよね。
ゲームで遊びたいのに、遊べない。
何でどれくらい遊ぶのかを自分で決めたいのに、決められない。
親と喧嘩した。
親から否定的なことを言われた。
親に怒られた。
「勉強しなさい」など、行動を強制された。
そうやって、子どもとの関係が悪くなり、子どもが強い対人不安を感じるようになると、子どもはゲームに現実逃避をし始めます。
それでも、親子関係が悪いままなら、ゲームへの現実逃避が常習化して、固定化していきます。
この状態を
「ゲーム依存症」
って言います。
ゲーム依存症って、
「ゲームが引き起こしている」
のではなく、
「悪化した親子関係が引き起こしている」
んです。
悪化した親子関係で強いストレスを感じることが「一次被害」だとしたら、
その親子関係から退避して、ゲームに破滅的なハマり方をして、自分を身体的にも、社会的にも追い詰めていくことは「二次被害」なんです。
もし、子どもがゲームにハマって、精神が狂ってるように見えたり、社会との繋がりを持とうとしなかったりしますよね。
その時に、
「ゲームを取り上げる」
「ゲームに制限をかける」
っていうのは、悪手であり、逆効果になったり、問題の先送りにしかなりません。
僕ら親が目を向けるべきは、
「親自身が子どもをどういう存在だと捉えているか」
「親自身が子どもの将来をどういうイメージをしているか」
「親自身が普段、子どもとどういうコミュニケーションを取っているか」
っていうところなんです。
そして、そういったことの根底にあるのは、
「親の低い自己肯定感」
があります。
10年間で僕も1000人以上の親と話してきましたけど、ほぼほぼ間違いないです。
親が自分を責めたり、他者評価を気にしたり、強い「べきねば」を持っていると、
子どもと建設的な関係が築けなくなり、親子関係が悪化します。
それでも、子どもとの適切なコミュニケーションが取れない(知らない)から、どうしていいか分からない。
その悪化した親子関係の中で、子どもはストレスを感じ、救いを求めて、ゲームに依存します。
この場合、子どもにとってゲームは「救い」なんです。
なので、こうした子どもから、親子関係を改善することなしに、
「ゲームを取り上げる」
「ゲームに制限をかける」
っていうのは、
「子どもから唯一の救いを取り上げる」
っていうことを意味します。
なので、ゲームを取り上げたり、制限をかけたりするのは悪手なんです。
僕ら親が意識を向けなきゃいけないのは、
「ゲーム」
でもないし、
「子ども」
ではありません。
低い自己肯定感の原因であったり、
低い自己評価であったり、
歪んだ世界観であったり、
コミュニケーションの取り方です。
そういったことを掘り下げていくと、大抵の場合、
「幼少期に、親との関係から学んだこと」
が出てきます。
その学んだことが誤っていて(=自分を追い詰めるような学び)、その学びを更新することなく、結婚し、親となり、今現在も持ち続けている。
ほんで、その学んだことの帰結として、
「今現在、親子間で起こっていること」
があるわけです。
全部繋がっています。
なので、表面的に見える、
「子どものゲームのやりすぎ」
「ゲームにのめり込んだ子ども」
だけを何とかしようとしても、あまり意味は無いし、上手くいきません。
火元を断たずに、煙を何とかしようとしてる感じです。
「子どもに問題がある」
「ゲームが悪い」
って思いたいんだけど、それらは煙であり、
「ダミーの問題」
なので、子どもやゲームを何とかしようとすることに成功をしても、またすぐに別の形で問題が出てきます。
それについては、
この辺の記事を読んでみて。
幼少期の親から学んだことは、その学びが更新されない限りは、延々と子どもの人生に問題を起こし続ける。
それは、結婚をして、親になってもそう。
子どもとの関係に問題が起こって、悩み、苦しむことになる。
今まで、自分が子どもの立場で起こっていたことが、
今度は、親の立場で起こるだけ。
同じようなことが起こってる。
それがダメだというわけじゃなくて、
「ちょうど今、それに向き合う時が来ているんだよ」
っていうこと。
子どもを何とかしようとせず、
ゲームを何とかしようとせず、
向き合って、考えて、思い出していって、
「そうか、自分で自分を認めてもいいんだ」
「私は幸せに生きてもいいんだ」
「この世界は何も怖いことなくて、優しい世界だった」
っていうようなことに気付いていくだけ。
そしたら、子どもとの関係が良くなっていく。
子どもとの関係が良くなれば、子どもが感じていた対人不安が解消されてくる。
対人不安が解消されれば、もうゲームに依存する必要は無くなる。
健全な遊び方ができるようになり、ゲームとそれ以外の活動とのバランスも取れるようになってくる。
ゲームで楽しんだり、
ゲームでより難しい課題に挑戦したり、
ゲームを通じて人と繋がったり、
ゲームで人が集まる場を作ったり、
ゲームをやめたり、
ゲームはやりつつ、勉強を始めたり、
ゲームはやりつつ、学校に行ったり・・・
そういった健全な遊び方ができるようになってくる。
そういう遊び方は、自分を追い詰めないし、誰かに迷惑をかけていない。
それどころか、自分を幸せにし、自分の周りの人たちも幸せにしている。
これが
「ゲームの良い使い方」
だよね。
ゲーム自体に良し悪しは無い。
ゲームを使う子どもがどうか、ということ。
子どもがどうなのかは、親子関係がどうかによって決まる。
親子関係がどうなっているのかは、親の自己肯定感や自己評価、世界観による。
つまり、
「親の内面的な状態が、子どものゲームの遊び方にめちゃくちゃ大きな影響を与えている」
っていうこと。
やから、親が何も変わらない状態で、
「ゲームを悪いものだと思って、制限をかけたり、取り上げる」
っていうのは、全く持って意味が無いし、時には逆効果(=子どもから救いを取り上げる)になることもあるんだ、ってこと。
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