ゲームと上手く付き合うためにはどうしたらいいのか。
ゲームのやりすぎには、多くの親が見張るようで・・・
ゲームを買い与える時に、ルールとセットで与えるところも多いようです。
試しに、Google先生に「ゲーム ルール」で検索をかけてみると、
・1日30分、1時間まで
・家の外への持ち出し禁止
・ゲームする前に宿題を終わらせる
・ゲームソフトの貸し借りをしない
・約束が守れなかった時のペナルティ
・オンラインプレイ、ネット通信の禁止
・自分の部屋に持ち込まない
・一度に外に持ち出すソフトは1本まで
・ゲームは土日だけしかやってはいけない
・ゲームは夜7時以降はやってはいけない
・ゲームは夜7~10時の間しかやってはいけない
・親子で誓約書を交わす
などなど・・・
これって、一般的な感覚なんでしょうか。
僕からしたら、子どもに、
「あなたはルールを守れない子」
って最初から決めつけているような気がしてならないんですよねー。
で、そんなことを言うと、
「ルール無しの無制限にしたら、うんたらかんたら」
ってごちゃごちゃと言い始めるんでしょうけど・・・
子どものことを信頼していない親の方が、圧倒的多数なんだなぁー、ってGoogle先生に聞いてみた感想。
子どもは親の管理下にあるわけで、
「親が、子どもの自由を縛っても良い」
っていう前提で子育てをしている人が多いんだなぁ。
子育ての基本として、覚えておいてほしいのが、
「親が子どもの自由を制限すると、子どもの主体性は失われる」
っていうことね。
つまり、
「親が子どもの自由を制限すると、子どもは自分の頭で物を考えなくなる」
っていうことね。
これが『主体性』が失われる、っていうこと。
で、主体性が失われているんだから、
・親から縛られないと自分で自分のコントロールできない
・親から言われないと自分からは動かない(指示待ち人間)
っていう子どもの出来上がり。
ここに、親がしがちな勘違いが2つ含まれているのね。
1.子どもがゲームをやり始めて、すぐに自分でゲームをやる時間などをコントロールできるわけがない。
それなのに、親が最初からルールを決めちゃうから、子どもは「どうして、そのルールが必要なのか?」を理解しないままになる。
2.子どもの年齢が上がったら、ゲームのことを自分でコントロールできるようになるわけではない。
ゲームを自分でコントロールするには、自由の下で、ゲームをやり込まないと、ゲームが日常生活に及ぼす影響に気付かない。
ってことね。
この2つは、親が勘違いしていることじゃないかな。
だから、親が最初からルールを設定しちゃうと、子どもは、
・ゲームを自分でコントロールできないままでいる
・子どもはゲームが日常生活に及ぼす影響を知らないままでいる
っていうんだから、ずーーーーっとゲームに支配されっぱなしの生き方になるのよ。
いや、より正確には、親に支配されっぱなしの生き方、っていうんだけどね。
親が、子どもを支配する。
それによって、子どもは自分では物事を考えないから、ゲームからも支配されっぱなしになるのね。
その代わりに、親が、物事を考えている。
っていうことね。
ここ、すごく大事なところ。
親が、ルールを決める、っていうことは、親が子どもの代わりに考えているんですよ。
「ゲームをやると、日常生活にどんな影響を及ぼすのか」
「ゲームをすると、どんな効用があって、どんな悪影響があるのか」
「ゲームをすると、考えられる障害は何か」
とかとか。
本来は、子どもが考えるべきことであり、子どもが自分で考えて、自分でゲームをどうするのかを決めるべき課題。
なのに、親が代わりに考えちゃうもんだから、子どもは半永久的に、
「ゲームが日常生活にどんな影響を及ぼすのか」
っていうことを知らないまま、大きくなっていくのね。
で。
ここから、めーーーーーーーっちゃ大事なこと。
親が、子どものうちから、ゲームについて縛っているとします。
そしたら、子どもはゲームについて、自分では何も考えなくなります。
これ、親元にいる間は、ゲームをやりすぎずに、バランス良くできるんですよ。
でも、子どもはゲームをやりたい気持ちをずーーーーーーっと我慢しているのね。
興味を失う子もいるけれど、ゲームが好きな子は、自然とずーーーーーっと我慢しちゃう。
親がゲームの制限をかけているんだから、親元から離れた時に、ゲームの制限が取り払われるのね。
そしたら、子どもはゲームのコントロールが自分ではできないんですよ。
ゲームをしまくったら、どうなるのか。
ずっと親が何とかしてくれていたから、自分ではあんまりよくわかっていなくて、大人になってもゲームに支配されたまんまでいてしまう。
もしくは、今まで親がいたから縛られていなかったけれど、親がいなくなったら、ゲームから縛られてしまう。
だってね、よーーーく考えてみてほしいんです。
子どもは、親元にいる時にゲームを1日1時間で制限されていた、とします。
そして、親元から離れる時に、ゲームの制限が取り払われるわけで、その時に、子どもが自分でゲームは1日1時間で守れている、とします。
この時、子どもは
「ゲームを自分でコントロールする」
「ゲームの魅力に打ち克つ精神力」
は、いったいどのタイミングで身に付けたんでしょう??
・ゲームを他者に制限してもらうこと
と、
・ゲームを自分でコントロールすること
は自分の気持ちの持ち方が全然違うのね。
他者に制限してもらうなら、何も考えなくてもいいんだけど、自分でコントロールするなら、
・何時くらいまでゲームできそうか?
・もしやりすぎたら、どうなるのか?
・ゲームをやりたい気持ちはどれくらいか?
・ゲームをやらないようにするにはどうしたらいいか?
・ゲーム以上に大事なことは何があるのか?
みたいなことを自分で考えないといけないわけです。
だから、ずっと他者から制限してもらってた人が、いきなり自分でコントロールできるのか、って言ったら、そこはそんなに簡単にはスイッチしない。
そして、例えば、勉強っていう観点でも、ゲームをやりすぎた時の影響は、年齢が上がれば上がるほど大きくなるんじゃないかな。
年齢が上がると、高校受験、大学受験が出てきますよね。
ということは、小学生の時よりも、受験期の方がゲームをやり過ぎた時のダメージはより大きくなるんじゃないでしょうか。
なのに、小学校の頃から親がゲームを制限しちゃうと、肝心な受験期や、勉強が本格化する大学の時などに、自制が効かないまま大人になっていく。
これ、けっこうなリスクだと思いませんか。
これは受験を例に挙げましたが、就職なんかでも同じです。
親が子どものことを制限するのであれば、基本的にはずーーーっと制限をやり続けてあげる必要があります。
そこまでいけば、子どもは「親がいなければ自分をコントロールできない」っていう状態になっているわけです。
つまり、子どもがゲームと上手く付き合うためには、
子ども自身がゲームをやり込み、
ゲームについて考え、
ゲームからたくさんのものを受け取ったり、
ゲームのやりすぎで色んなものを失ったり、
みたいな経験が必要なんです。
ゲームのメリット・デメリットを子どもが肌身で感じる。
そして、その結果を子どもがしっかりと受け止める。
その時に、親が叱責してはいけない。
子どもが厳しさを受け取るのは、親からではなく、現実からです。
例えば、子どもがゲームのやりすぎで、テストの当日に起きれなかったとします。
そこで、親が
「なんでテストの日に寝坊するの!!
昨日ゲームをやりすぎたからだ!!
これ以降、ゲームを禁止する!!」
ってやったとします。
これは、親からゲームのやりすぎに対する罰を与えられたわけですね。
子どもにとっては、親からの叱責を苦しいと思う子もいるでしょう。
罰としての機能は果たせているようにも思います。
でも、です。
ここも、よーーーーーく考えてみてほしいんです。
子どもが本来、考えないといけないことは、
「ゲームのやりすぎで、テスト当日に起きれなかったこと」
です。
そのことに関して、子どもは子どもなりに感じることや、考えることはあったはず。
「テストを受けられなくて悔しい」
「テストを受けられなかったから、成績や、進学がやばい」
とかね。
でも、そこで親の叱責が飛んできました。
そしたら、子どもが感じた辛さや焦りは、
『テストを受けられなかったこと』
から、
『親からの叱責』
に変わります。
つまり、子どもは『親からの叱責』にさえ乗り越えられてしまえば、もう何も辛くないわけです。
親が叱責をして、子どもがそれを乗り越えれば、子どもはその時点でホッとします。
>>テストを受けられなかったこと<<
への理解は、何も進んでいないのに。
だから、子どもがテストの当日に寝坊して、テストに受けられなかったりして、ゲームのやりすぎによる弊害があった場合、安易に子どもを叱ってはいけないんです。
「あらら、テスト受けられへんかったね。」
くらいでサラッと流しておきます。
この時、親が叱責を加えなければ、子どもは
「寝坊して、テストを受けられなかった」
っていう現実を自分で受け止めなければなりません。
もし、子どもが、
「お母さん、何とかして!」
って言ってきても、
「お母さんにはどうもできないよ。
あなたはどうしたらいいと思うの?」
みたいな感じで、冷静に返してあげる。
やってしまったものは仕方がない。
悔いても仕方ないから、その結果を受け入れたり、今からでもできることをやるしかない。
「先生に、お願いしてみたら?」
とか意見を伝えてあげるのはありだけど、それは子ども自身がやるべきことね。
子どもに与える厳しさは、親からではなく、現実からのものであるべきなんです。
この考え方は、アドラー心理学では、
『結末を体験する』
なんていう言い方をします。
一度、結末を体験してしまえば、そこから色んなことを考えられるようになります。
・自然の結末 ⇒ このままいくと、どうなりそうか?
・論理的な結末 ⇒ 自然の結末がマズイ場合、どうするのが適切か?
っていうのを考えます。
こうやって、結末を体験したり、自然の結末や、論理的な結末を考えたりしながら、
「今、自分は何をすべきなのか?」
っていうを考えていきます。
ここでの注意点は、さっきから何度も言っているけれど、
『親がジャッジしない』
っていうこと。
子どもが考えたストーリーに安易に介入しないこと。
「なるほど、あなたはそう考えるのね」
とか何とか言って、子どもが考えたことを尊重してあげて、その通りに実行してもらう。
それで、上手くいったり、いかなかったりするから、それで子ども自身に修正してもらう。
これが僕が『自律学習』っていう考え方の中で言っている、
『子どもが自分で考える』
っていうものです。
子どもがゲームをやりたいだけやる。
そしたら、ゲームをすると、何が起こるのか?っていうことをメリットも、デメリットも、理解してくる。
それから、じゃあ、ゲームはどうするといいのか?っていうことを子ども自身が考えられるようになってくる。
そうやって、子どもにゲームに関する理解を深めていってもらって、自分で自分をコントロールできるようになっていってももらう。
自制とは、自分を理解することです。
だから、親が子どもを管理している間は、ほぼ確実に、自制心は身に付かない。
子どもが体験して、自分で考えることでしか、自制心は身に付きません。
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