メルマガに「スマホはなるべく早く持たせてあげるといいよ」って書いててね。
一方で、
「スマホは、中学生になってから」
「スマホは、高校生になってから」
「スマホは、与えません」
ってな親もいるわけさ。
おそらく、そういう親の方が多数派なんじゃないかな?
なんでなんやろー、って思ってて。
だって、スマホなんて、今の時代、必須アイテムでしょ?
スマホだけで仕事できるし、スマホだけで世界中の人とコミュニケーション取れるし、スマホがあれば勉強の効率化もできる。
無くても生きていける。
でも、あった方がいい、って僕は思うのね。
スマホを与えない理由は、何なのか、想像はつくけれど、いくつか理由はあるんでしょう。
でも、一番大きな理由は、
「子どもの頃に、自分はスマホを持たせてもらえなかった」
っていうことなんじゃないかな、たぶん。
スマホは10年前から出てきたものだから、持っているわけがないんだけれども(笑)
携帯電話ですら普及し始めたのは2000年に入ってから。
2000年の時点で普及率は40%くらいだったらしい。
つまり、今の親にとって、『スマホ』っていうのは、自分の経験に無い物。
自分の経験に無い物を扱う場合、日本人は『前例』をお手本にする。
「自分が子どもの頃にこうだったから」
っていう子育てのやり方をする。
でも、それって、変じゃない?って思うのね。
だって、
「自分が子どもの頃にこうだったから」
っていう育て方って、
「自分と同じように子どもを育てたい」
ってことでしょう?
ってことは、
「親と、子どもは同じ人間」
っていう仮定に基づいているはず。
「親と、子どもが違う人間」
って思っているなら、
「自分と同じように子どもが育つはずがない」
ってなるはずでしょう?
「自分と同じように子どもを育てたい」
って思っているならば、
「自分と、子どもは同じ人間」
って思っているはず。
それで、自分が子どもの頃にスマホが無かったから、同じように、自分の子どもにもスマホは与えない。
でも、世間のことも気になるし、同級生でスマホを持っている子もいたりすると、
「じゃあ、しゃーなしで、スマホは高校生からね」
なんて言う。
この時、親がスマホを与えるのは、
「積極的に」
ではなく、
「しゃーなしに」
「消極的に」
「できれば与えたくないけれど・・・」
っていう与え方だと思うのね。
あと、スマホを与えたくない理由で考えられるのが、
「勉強をしなくなるから」
っていうものじゃないかな。
これは、僕が再三再四、指摘し続けてきていることですが、
「スマホを持って勉強しない子は、スマホを持たなくても勉強しない」
です。
言い方を変えれば、
「子どもが勉強をしないのをスマホのせいにしない」
っていうことね。
さらに、
「親から言われないと勉強しない」
っていう子は、ほぼ確実に、さらに勉強量は減ります。
だって、親から言われないと勉強しないなら、その子には
・勉強する必要性
・勉強する楽しさ
が身に付いていない、っていうことね。
だから、スマホうんぬんじゃなくて、勉強そのものに関する感性が育っていない、ってこと。
もっとざっくりと言えば、
「日常生活を楽しめていない」
ってこと。
日常生活の中に、ほんっとーに学ぶことはたくさんあるのね。
日常生活の中にある知的な楽しみをたくさん逃して生きてきて、でも、勉強だけは強要されて。
そんな状態だから、親からも、
「この子は、きっと勉強しない」
って全然信じてもらえていない。
「だから、スマホは与えない」
って、スマホに限らないけれど、できるだけ子どもの世界を広げないように育てられてしまう。
なぜなら、不用意に世界を広げてしまうと、子どもが勉強をしなくなるから。
親の思い通りに育ってくれなくなるから。
親が経験したことないことを子どもに吹き込んでしまうと、親が子どもを思い通りに育てることができなくなってしまうから。
親の想定内だけで、子どもを育てようとすることを僕は、
『親の劣化コピーを作る』
っていう言い方をしています。
親の想定内で育てても、親と子どもは違う人間なんだから、そこの差分で必ず親よりも劣る部分が出てくる。
だから、親よりも、劣化する。
親が経験したことないことであっても、子どもの世界が広がるなら、どんどん広げてやればいいんじゃないかな、って思うのね。
子どもの世界が広がれば、子どもの持てる選択肢が増えるでしょ。
なんだったら、中学生くらいで仕事を始める、なんていう道も、今の時代なら全然あり得る。
中学生プログラマーとかね。
中学生投資家とかね。
そういう風になれるよ、って話ではなくて、可能性として、選択肢として、『前例』があるよ、ってこと。
親が『安心感』を感じるのが、過去の経験に対してだとしたら、子どもの能力はどうしても制限をかけてしまう。
だって、子どもの能力が発揮されるのは、今の時代に合ったことであることが多いでしょうから。
過去の産物に対して、能力を発揮したって、過去のものは廃れていったり、攻略されたりするから、どうしても活躍しづらくなる。
例えば、将棋の藤井四段。
もしも、彼が師匠の打ち方を完コピしただけの棋士だったら、あそこまで強くはなっていないはず。
なぜなら、過去にあった打ち方は、他の棋士たちが熱心に研究しているはずですからね。
だから、過去にあった打ち方と同じ打ち方をしていれば、比較的簡単に攻略されてしまう。
「あ、これは、あの時のパターンと同じだな」
っつって。
だから、藤井四段ならではの打ち方を獲得して、相手に攻略されていない道を行く必要があるわけで。
なんて書いてて、僕は藤井四段のことは全く知らんのですが(笑)
子どもを育てる時も同じで、自分が育てられた時と同じ育て方をしていれば、子どもはどうしても親の劣化コピーになってしまう。
とはいえ、自分の育てられ方の中でも、良い関わりは絶対あるのね。
それが子どもに合うものであれば、採用すればいい。
でも、自分がされたことない育てられ方も、子どもが求めているのであれば、勇気を持ってチャレンジしてみてもいいんじゃないかな、って思う。
「うちの子は、スマホをいじってばかりで、全く勉強しない」
っていうのは、スマホが悪いんじゃなくて、子どもが勉強の楽しさを教えてもらっていないから、です。
子どもが知っている「勉強の楽しさ」が、「スマホの楽しさ」に負けている。
それだけのことです。
だから、
「スマホを与えない」
「スマホを取り上げる」
ってやっても、別に子どもが勉強するようになるわけじゃない。
元々、勉強しない子は、スマホがあろうとなかろうと、勉強しない。
だから、スマホうんぬんでごちゃごちゃ言う前に、
「勉強する楽しさ」
を子どもに教えてやらんと、子どもは勉強する気にはならんと思います。
だって、考えてみたらすぐに分かると思います。
苦痛を感じるのが分かっていることに、一体誰が取り掛かりましょうか。
ドMか!ってツッコミを入れたくなる。
「これは苦痛じゃないよ」
「これはとーーーっても楽しいものだよ」
っていうのを子どもにいっぱい体験してもらう。
それで、子どもに、
「知ること、考えることって、たのしー!!」
って感じてもらう。
親が、子どもの勉強に関して、しなきゃいけないのは、ここの努力です。
「いかにしてスマホを与えないか」
「いかにしてスマホを制限するか」
っていう努力じゃないです。
スマホなんて、さっさと与えておけばいい。
って僕は思います。
スマホは、子どもが学ぶことの楽しみを知っているんなら、学習用ツールとしても全然使える。
だから、スマホがあった方が、本当は勉強ははかどるはずなのね。
でも、まだまだスマホって、
「スマホをいじると、何か悪いことをしている気がする・・・」
っていう罪悪感があるから、子どもものめり込みやすいのね。
それは、スマホ自体に依存性があるんじゃなくて、のめり込みやすい環境を周囲の人間が作り出しているに過ぎない。
一言で言えば、
「ストレス」
ね。
「スマホをいじることは、悪いことだ」
って子どもに吹き込んでいると、子どもはスマホをいじるたびに、背徳感を感じる。
『背徳感』はスリルなんかと繋がるから、
「やばいやばい」
って思いながらも、心を掴んで離さない。
「スマホは、子どもにはまだ早い」
なんて子どもに伝えていて、いざ、スマホを手にすると、何だか大人になった特別感を感じる。
そしたら、間違いなく、子どもは嬉しくなるじゃない?
スマホを手に入れて嬉しいんだから、もっといじりたくなるじゃない?
「今まで、俺は(私は)子どもだった。
でも、スマホを手に入れたから、もう俺は(私は)子どもじゃないんだ!」
みたいなことを感じるようになったりする。
だとしたら、大人になれたことが嬉しくって、スマホによって新しい世界が開けたことが嬉しくって、スマホに夢中になるよね。
つまり、
「スマホを制限すればするほど、与えた時にのめり込みやすい」
ってことね。
つまり、
「親が、子どものスマホを制限するのは、解放された時に一気にのめり込むことのお膳立てをしている」
ってこと。
親が、子どもの遊びに制限を続けていると、親元から離れた時に、一気に解放される可能性がある。
そしたら、もう親にはどうにも止めようがなくなっちゃう。
スマホなんかも同じで、スマホも、制限をかければかけるほど、子どもはのめり込んでいきます。
逆に、スマホも全解放してみたら、子どもは子どもなりに使い方を考えます。
食べ物で想像してみると分かりやすいと思う。
例えば、目の前に、お菓子がいっぱい用意されてるのね。
このお菓子は、自分が好きなものばかり。
でも、自分が満腹なら、お菓子を食べたいとは思わないよね。
でも、自分が空腹なら、もう餓死寸前みたいな状態なら、お菓子を何としても、いっこくも早く口に入れたいよね。
それと同じ。
子どもの遊びは、制限をかければかけるほど、子どもはそれが欲しくなるし、抑制が効かなくなるんです。
子どもが自分で遊びをコントロールするためには、子どもには思う存分遊んでもらっている必要がある。
たくさんあるから、『満足したらやめる』っていう選択ができるのね。
ちょっとしかできなかったら、『あともう少しだけやりたい』っていう気持ちも湧いてくる。
ゲーム以外に楽しいことが無いなら、なるべくゲームしていたいよね。
スマホ以外に楽しいことが無いなら、なるべくスマホいじっていたいよね。
だから、
「スマホはなるべく与えない」
「ゲームはなるべく制限かける」
じゃなくって、親がやるべきことは、
「子どもが楽しいと思えることをなるべく増やす」
もしくは、
「子どもが楽しんでいる時に、邪魔をしない」
っていうこと。
そしたら、子どもは少しずつ遊び方を学んでいきます。
子どもだって、何も考えていないわけじゃないからね。
「遊びを制限することは、実は、遊びにのめり込ませるためのお膳立てである」
っていうことは知っておいてもいいかもしれない。
あ、文章を終わらせようと思ったけれど、もう1つだけ!
ゲームをしててね。
全部クリアすると飽きるんですよ。
でも、そこからさらに楽しむ方法があるんです。
それが『縛りプレイ』っていう遊び方。
これは、ゲーム内でできることに、自ら制限をかけて挑戦することを言うのね。
例えば、
・アイテムを使わない
・初期レベルのままクリアする
・初期装備のままクリアする
・最小戦闘回数でクリアする(=レベルをなるべく上げない)
・必殺技を使わずにクリアする
・制限時間内にクリアする
・ノーダメージでクリアする
などなど・・・。
こうやって、制限をかけるとスリルが出てくるから、一度クリアしたゲームでも、また楽しめるんです。
こんな感じで、『制限』は、もっともっと楽しむためのスパイスになるんです。
だから、親が、子どものスマホや、ゲームに制限をかけることは、それにハマらせるお膳立てになるんです。
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