母親への復讐 | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

最近、分かったんだけど、

「がんばることは、母親への復讐」

なんだってこと。



優等生でいること。

優秀でいること。

良い子でいること。



やりたくてやってて優等生になっていくならいいんだけど、

「もっとやれるはずなのに、がんばっても成果が出にくい」

とか、

「苦しい状況をもっとがんばって乗り越えたくなる」

とか、

「がんばってるのに誰からも認めてもらえてない(って感じる)」

とか、

「がんばってるのに、しんどい、苦しい」

とか、そういうののがんばる目的は、

「母親への復讐」

にあるんだと思う。



なんでそう言えるのかと言うと、

「僕自身がそうだったから」

ですね笑



THE・実体験。



母親との関係は、表面的には良いのよ。

ゲームとか遊びを自由にさせてもらえたのも良かった。

でも、僕の母親は全然話を聞いてくれなくて、話をしてると話題を変えられるし、心配や不安をぶつけられる。



僕は、「心配させたくない」というより、「心配されたくない」のよね。

心配されるのが嫌だった。

信頼されてないような気がしたし、さらに話を聞いてくれてないから、なおさら。



子どもの頃から、心配されるし、話を聞いてくれないもんだから、学校のことはほとんど話したことなかった。

ゲームの話も、勉強の話も、遊びの話も、あんまりしてなかったんじゃないかな。



僕が母親に求めてたのは、

「肯定的関心」

であって、心配や不安のような、

「否定的関心」

じゃなかった。



構ってほしかったし、話も聞いてほしかったし、関心も持ってほしかった。

でも、そのどれもが

「肯定的であってほしい」

っていう願いを持ってた。



心配されたかったわけじゃないんだよね。

僕のことに興味を持ってほしかったんだよね。



だから、僕は、優等生でありながら、同時に自分を追い詰めていってた。

何とかがんばって結果を出そうとしてた。



中3の時に、初めて塾に通って勉強の楽しさを知り、どんどん勉強して学年トップの成績を取ったんだよね。

それはそれですごいやん?



僕の母親は、良くも悪くも成績や勉強にそれほど関心は無かった。

成績表を見せても、チラッとチェックして保護者印を押して終わり。



勉強に否定的な意見されたり、嫌な気持ちにはならなかったから、それはまだ良かった。

でも、

本当は、

もっと関心を持って欲しかった

のよね。



どこが楽しかったとか

何を学んだとか

何ができるようになったとか

どこを一生懸命がんばったとか

先生がどんな話をしてたとか

ほんとは、もっと関心を持って欲しかった。



いや、関心はあったんだろうけど、心配してほしくなかったから、

「心配されるぐらいなら、関心を持たれなくてもいい」

って、どっかで諦めちゃった。

僕がね。



だから、心配されない代わりに、興味持ってもらうことを諦めて、自分の話をしなくなってた。

ほんとに、これは何度もブログにも書いてきたけど、子どもは勉強が嫌いなわけじゃなくて、むしろ、好きなんだと思う。



でも、学んだことや覚えたことの話をする前に、親が

「あれが心配、これが不安」

とか、

「あれしなさい、これしなさい」

とか、

「宿題やったの?ゲームばっかりしてて大丈夫なの?」

とか、

子どもが聞きたくもない話をする

もんだから、子どもは自分のことを話す気が失せてしまう。



そして、学ぶことへの関心も同時に失せてしまう。



子どもの最大の関心ごとは、

「親に肯定的な関心を持ってもらうこと」

です。



注目されたり、心配されたりしたいわけじゃない。

親の注目を集めようとしたり、親を心配させようとするのは、

「子どもがすでに、親からの肯定的関心を諦めてる時」

です。



「もう、うちの母親から肯定的関心を向けてもらうのは無理なんやな」

って気付いた後に、

「じゃあ、せめて否定的関心でもいいから、向けてもらいたい」

と思って、母親を不安にさせたり、心配されるような行動や言動を取るようになる。



勉強しないとか、不登校になるとか、引きこもりになるとか、暴れるとか、暴言吐くとか。

不登校は、本当に学校や先生が子どもに合わない、子どもが求めてないものである可能性もあるから、親との関係が原因とは言い切れへんけどね。


子どもの気持ちは、

1、肯定的関心を向けて欲しい

2、肯定的関心が無理なら、否定的関心でもいいから向けて欲しい

3、肯定的関心も、否定的関心も無理なら、もう見捨てて欲しい

っていう順番で変化していきます。



その段階のどこかで、親が子どもに肯定的関心を向けることができると、子どもの心はどんどん回復していける。

僕はずっと、特に大人になってからは、

「もっとやれるはずなのに、なんか力を出し切れてない気がする」

って思ってて、その理由が、僕ががんばる理由が、

「母親への復讐」

にあるからだ、って分かった。



本当は肯定的関心を向けて欲しかったけど、向けてくれなかったから、せめて否定的関心でもいいから向けて欲しいって思ってた。

だから、がんばることを選択した。

良い子で、優等生でいることを選択した。

漢字とか、ゲームとか、僕が今興味を持ってることの話をもっと聞いてほしかったんやけど、それは叶わなかったから、優等生でいようと思った。



その結果、どうなるかと言えば、

「がんばるけど、思ったような結果出ないし、自分を追い詰めるような生き方」

をするようになったのよね。



僕は勉強好きなんだけど、勉強を始めたのは中3。

受験を理由に勉強し始めたんだけど、けっこうギリギリ。

なんでギリギリかと言えば、

「ギリギリで、がんばって、苦しむことで、母親への復讐をしたかったから」

です。



「ほら、お前の育て方で、息子はこんなに苦しんでるぞ」

みたいなことを知らしめたかった。



そして、

「肯定的関心はもう諦めたから、せめて否定的関心でもいいから、関心を持って欲しい」

って心のどこかで思ってた。



高校受験の時は、言うて成果出ちゃったから、あんまり苦しまなかったから、作戦は失敗してた笑

普通に、優等生として褒められた。

それは誇らしかったなー。



大学受験も家計に負担を掛けないように予備校行かない選択したから、めちゃくちゃ大変で辛かった。

それも、結果的に上手くいって、目指してた神戸大学に行けた。





僕の復讐劇は、大学院を卒業した後に本格化してくる。

当時、淡路島で農業をしたかったんだけど、母親に否定されて、就職することにした。

そして、東京で働くことになる。

東京で働くことになったのも、実は、母親に心配させるため笑

母親にとって、僕が実家から離れてた方が心配するのよね。



んで、僕が実家から遠く離れた地で働き始めたんやけど、一年半で会社を辞めてしまった。

貯金も無いし、新たな収入源が無いし、さらにはクレジットカードや、奨学金などの借金があるのに、会社を辞めてメンタルコーチとして独立してやっていこうと思ったのね。



でも、どうせ心配されるだけだと思って、母親には会社を辞めることも、メンタルコーチとしてやっていこうと思ってることも黙ってた。

父親や妹にも話せば母親に伝わってしまうと思ったから、黙ってた。



メンタルコーチとして成功したら、それから事後報告すればいいやと思ってた。



ところがどっこい。

これが全然上手く行かないの何のって笑



コーチングだけで生計が立つのに3年くらいかかりました。

「え、3年でもすごいやん」

って思ってくれる人もいるかもしれんけど、そもそものスタートが、

収入無し(後にバイト始める)

貯金無し

借金有り

だったから、会社辞めてから程なくしてキャッシュフローが回らなくなり、ニッチもサッチもいかなくなる。



もう自分の力だけではやっていけなくなる。

借金の取り立ての電話が、実家にも行くようになって、もういよいよ隠せなくなってきた。



そこで初めて、母親に会社辞めたことや、借金あることを話した。

話してみたら案外、普通に受け止めてくれて、ちょうどおじいちゃんが亡くなって遺産が相続されたところやったから、借金返済に充ててもらった。

ありがとう、おじいちゃん、おかん、おとん。



心配されたくないと思って、母親に黙って会社を辞めて、独立してやっていこうと思ったけど、それが結果的に、母親を心配させることに繋がってた。

でも、それがちょっと安心して、嬉しかったりする。



今、振り返ってみると、心配はされたくないんだけど、僕の考えてることや興味あることに、母親に関心を向けて欲しかったのよね。

だから、母親に黙ってたわけなんだけど、わざわざ自分にとって無理な条件を課して、最終的に首が回らなくなってしまって、結果的に心配されることになった。



これって、元々は僕自身が自分のやりたいことを通さずに、母親に従って、自分のやりたいことを押さえちゃったところが発端になってるんだよね。

母親に認められる選択をした結果、自分が辛くなってんだよね笑



これが、

「母親の言う通りにしたら、僕はこれだけしんどくなったんだぞ!

ほら、母親の言うこと、子育ては間違ってたんだ!

だから、もっと僕のことを認めて!」

っていう「母親への復讐」です。



「心配は愛」

とかって言うけど、僕は全然そうは思ってなくて、

「肯定的関心を向けられることを諦めた子どもが求めるもの」

です。



だから、親が子どもを心配したり、不安になったりするのをやめて、子どものやりたいことを認めて、子どもに肯定的関心を向けると、子どもは本来持ってる潜在能力を発揮することができるんじゃないか、って思ってる。

これを僕は「天才性」って呼んでて、誰にもあるもので、親の関わり方次第でいかようにでも発揮できると思ってる。