いつもどこかへ -13ページ目

soso


「Yuki、これにいくら払った?」


う~む、シビアな質問。帰り道のこんな人っ子一人いないところでお金の話をして、マルチェロがにわか強盗に変身したらどうしようとしばし考えたけど、そのときはそのとき「AR$1600」、そのままの金額で答えた。


「おれの給料がAR$1800だ。」

「あぁ…。」


一見ヨーロッパにそっくりなアルゼンチン、でも90年代には危機的な経済状況に陥り、Bs.As郊外にはスラムもあるという。

思い出せば、カラファテの町でこのドライブの相場を聞き歩いたとき、チャルテントラベルの兄ちゃんの「高っけぇな」という苦笑があった。AR$1800はこのあたりでは平均的な額らしい。日本円に換算すると、私のOL時代の何割か。あれこれ考えていると何も言えなくなってしまった。でもここで伝えておかなければ。





そう、AR$1600は私にとって決して安いものではない。

伝家の宝刀「カード払い」にできたのはいいものの、帰国すれば支払いが待っている(手数料上乗せで)。




「expensive…

mucho expensive…


でも、でも…どぅ~しても行きたかった!!!」






日本人としてのモラルと、私の美術に捧げる情熱をいちいち翻訳するほど冷静ではなかった。この際なんで日本語全開、助手席には不必要なでかい声で思わず答えていた。しかし異国語でも通じるときは通じる。「この答え」でOKらしい。





ついでに


「君は日本人にしてはまぁまぁ英語を話すほうだよ」


…soso


まぁいいんだけど。

sosoまで言って頂けて光栄です…。

おまじない

この壁画に関しては参考文献が見つからない。ビジターセンターでも一般的な先史美術年表や写真しかないし、カラファテでもBs.Asでも写真集すらない(「歩き方07年度版」にはこの洞窟の名前さえ載っていない)。というわけで、この項目に関しては私のインチキ英語での理解力と、想像の範囲での記述となります。


かんたんな言葉で表現すると、これらの壁画は「グアナコやニャンドゥがたくさん獲れますように、食べられますように」という願掛け。

今なら受験や何かの祈願で神社にお賽銭を入れたりおみくじで一喜一憂するけど、当時は生活がかかった切実な願いだったに違いない。この時代、神はいたのかはわからないけど、いつの時代も人は自分の力を超えたものを何かしら創り出し、そこに願いを託すのだなぁと思う。

意味不明

人の手に混じってニャンドゥの足跡。これは笑えた。単に面白いからか?だとしたら昔の人も相当お茶目である。

手てて

6本指、当時は近親交配もあったであろうためこのような手形があるとか。グアナコを食べれますように 隙間なく空いたスペースに描かれた動物の絵をと、吹き付けられたネガティブハンド。中には凍傷で指を失ったもの、小さな子供の手もある。
願いとおまじない

下の川辺や崖で狩をしていた彼らは、狩の成功を願ってこの高い場所を聖域として手形を残したのかもしれない。大人の手に混じり、小さな子供の手も低い位置にある。人の営みの痕跡。


もっと高画質で見たいマニアな方はアルバムをどうぞ。


Cueva de Las Manos

Cueva de Las Manos


渓谷 いつの間にか地面はビロードのような緑に覆われ、大地がパックリと裂けた谷間を見下ろす。ようやく着いた壁画のある谷。 200mはある断崖の底には河が流れ、これまでの平原では目にすることがなかった緑樹が茂る。tetete 「Cueva de Las Manos!!」

学生時代、ラスコー洞窟程度なら世界史の知識としてあったけど、美術史の講義でネガティブハンドのスライドを見たときはショッキングだった。なんだか生々しい痕跡とでもいうのだろうか、当たり前だけど大昔の人も5本の指を持っていて、右利きで、そしてどうにもミステリアスな雰囲気。図書館で本をひっくり返すうちにミステリアスな部分は現実的なものに変わり、最終的には私の中で一つの美術として落ち着いた。


どこにあるのか分からないけど、この手形

見たい見たい見たい。


いつも動機はそこから始まる。


めとこめんと

先日、コンタクトを更新しに眼科に行ったところ

眼底検査でひっかかり、

緑内障の可能性があるということで視野検査をしたところ

右目の一部に見えていない部分があるそうで。


コンタクト屋の眼科は信用していないんで

セカンドオピニオンで他の病院も行こうと思うけど

もしほんとに緑内障だったら十年後の右目の視力はどうなっているのやら。



ところで、コメント表示欄が画面に出てきません。

サイドバー表示設定をいじってもダメなんですね~、これが。


とまぁ、こんな週末です。

もう少し

メサ

地平線が終わり前方にアンデス山脈が見えた。水平な線に慣れた目にこの風景は新鮮で、ホッとする。ゆるやかな勾配を上がり始めると眼下に広大な赤茶けた土地が波打つ。北上するにつれ、地面の色は緑味を帯び、グアナコの群れを何度も目にする。幾度目かの休憩と給油。この間、対向車は片手で数えるほどしかなく、すれ違うたびに互いに手をあげて合図をする。


きれいだなぁ…。大きな大きな雲と空。


ところで、RUTA40のがま口おばさんには、7:00に出発して20:00にカラファテに戻ると聞いていた。でも、ここまで来るのに6時間、洞窟まであと数時間はかかると思う。洞窟での滞在時間も入れると計算が合わない、信号なしの道をずっと120km/hで飛ばして数時間かかったのに、復路が3時間で着くはずがない。多分、「とんでもなく遅い帰りになる」と言えば逃げられるとでも考えてサバをよんだのだろう。ね、オバサン・・・。



さて目の前にある小山、なかなか近づかない、Cueva de Las Manosまでもう少し。






動物たち

グアナコの横断 走行中、彼方に細長く小さな突起が見えるとそれはたいていグアナコの群れ。彼らが横断を始めると、こちらは止まって待つしかない。この首のカタチはどこかで見たと思ったら、ラクダの仲間だそう。渡りきっても数頭はこちらをじっと見て警戒している。
高台に

カメラを構えるのが間に合わず、何とか一頭を収めた
ニャンドゥ登る 警戒心の強いニャンドゥ(小型の駝鳥)、たいてい車が過ぎた後を大急ぎで渡るので、振り向くかバックミラーでしか見ることが出来ない。長い足をバタバタと動かし、斜面を登る姿は笑える。

ニャンドゥ
警戒

el viento

風

強風の中、髪はボサボサ、服は体にぴったりと張りつき胸元のサングラスは宙に浮く


見渡す限りの地平線の真ん中で停めてもらい、外に出た。トイレではない。こんなところで用を足せば360度あられもない姿を披露することになる。


風の音が耳へバタバタと響く。記念写真に使おうと買ったRUTA40Tシャツをザックから引っ張り出し、着替えようとするとマルチェロは「何をする!?」と目を白黒する。わたしの意図を理解すると大笑いをし、ようやく自然な笑顔を見せてくれた。

石拾いといい、記念撮影といい、まったく訳の分からない子だと言った表情で笑いが止まらないらしい。手に持ったシャツは地面と平行ににバタバタと舞い、手を放すと飛んでいきそうである。



さて、パタゴニア地方の強風は有名で、風速14mはざら、強いときには30mを越すこともあるという。その理由をしらべてみると3つの条件が重なっている。大雑把に説明すると

①さえぎるもののない偏西風

②太平洋上の高気圧×南極海上からの低気圧による強い気圧差+コリオリの力

③上昇気流の下に吹き込むアンデスからの下降気流


これらの風が3つ巴に吹き荒れているため、年がら年中強い空気の流れが起きる。わかったようなわからないような、とにもかくにもこの強風を体験できたのは幸せだった。

裏返してみれば

道

「疲れたか?」大人しくなった私に気づいたマルチェロに聞かれた。

疲れたと言えば疲れた、座り続けで腰が痛いのと、掴みどころの無い比較するもののない広さをどう処理していいのか。そして繰り返し頭に浮かぶ東京・新宿の街。

ある意味東京はパタゴニアと似ている。どこまで行っても建物や家がびっしりと立ち並ぶ無機質な繰り返し。それをそっくり裏返せばこの風景にならないだろうか。この景色を東京、関東に換算すると今はどの辺りになるのだろう。新宿の街は今もエンドレスに動き続けているのだろうか。そんなことをぼんやり考えていた。


「マルチェロは疲れないの?」野暮なことを聞くなとは思ったけど、昨日のRUTA40のオーナーの話だと、前日ギリギリまで仕事が入っていたに違いない。

「俺は大丈夫。」

40代半ばのマルチェロはコルドバ州の出身で、以前は2日間で実家まで帰ったことがあるという。たった数百キロの道のりでバテている自分と、その数倍の道を行き来する人のいる国。



行けども行けども道はどこまでも続く。立ち寄ったドライブインで買ってもらった「チョコサンドビスケットをチョコでコーティングした」甘い菓子をボリボリと頬張る。体を動かしてほぐし、再び車に乗り込む。先は長い。

Tierra y Cielo

給油をし、4時間は走ったと思う。エル・チャルテンとの分岐を通り越し、陽射しは強くなり太陽に向かうとサングラスなしでは目がジリジリとする。左右から迫る丘陵がなくなり、空間に広がりが出る。人間の気配のするものは道路のみ。前に伸びる真っ直ぐな道は、消失点まで何kmあるか見当がつかない。


まわりにあるものは大きな大きな雲とそれを擁する空、そして下に広がる大地。

空の高さ

こんな辺境まで道路を造りに来るのも楽じゃない。

石と砂


stones

2時間ほど走ると景色が変わり始め、黄土色の荒地から沙漠の相をなしてくる。走り始めて2時間、ビエドマ湖の展望地でもあるここで休憩。マルチェロはマルボロを取り出し、私は湖の見える砂丘に登ってみた。足元には乾燥に強そうな灰色がかった植物がゴソゴソと生えている。

そしてたくさんの丸い石。上に上がるほどその数は増え、よく見ると日本で見たものともエル・チャルテンで見たものとも違う。オレンジやこげ茶、紫がかった褐色、石英を含むものも多い。


さらに驚いたのは手に取ると、まるで研磨されたかのように滑らかな手触り。川原の石よりも滑らかでツヤツヤとした肌は、ここの環境の厳しさを語っていると思う。おそらく常に吹き続ける強い風と砂、水もあるのだろうか?それらによって長い年月の間に研磨されたものなのだろう。ポケット一杯に気に入った石を詰め、ズボンがずり落ちそうになるのを両手で押さえながら砂の斜面を下った。

沙漠


比較

左がビエドマ湖畔で拾った石。右はフィッツ・ロイの町、エル・チャルテンの川原で拾ったもの。写真で見てもその岩肌の違いは歴然としている。色や柄にも注目。