いつもどこかへ -11ページ目

マゼラン海峡

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翌日の朝食はバスが発車して間もなく配られた、砂糖がたっぷり入った猛烈に甘い煮詰まったコーヒーとサンドイッチ。ブラック派の私にはこの甘さは耐え切れず、残したのが失敗で、ガタガタと揺れる車内でいくつかの持ち物がベタベタになってしまった。

長距離バスの中は、ウシュアイアに向けて出発するツーリストなどで込み合い、後ろの座席では不機嫌な夫婦連れと、男性がダブルブッキングで席の取りあいになり、ちょっとした言い合いになっている。私の隣はピアノ線のような直毛の髪をした小柄なチリ人で、彼は車内で流される映画のダイナマイトボディーのお姉ちゃんに、目を輝かせて釘付けになっていた。町を抜けるとどんよりとした空に、どこまでも続く放牧場になる。


やがてバスは船着場に到着し、そのままフェリーに乗り込んだ。乗客はめいめいバスから降り、かの有名なマゼラン海峡を眺める。


潮風が心地よい、でもふと疑問に思った。かのマゼランはなぜここが海峡とわかったのだろうか。対岸が見えるほど狭いのに、ここを通過できると信じて進むその度胸はたいしたものだと思う。まして地図を見れば太平洋側は小島が連なり、かなりの難所に見える。そう思うのは地図が出来上がっている現代だからなのだろうか、大航海時代の彼らにとっては航海は探すことであり、価値観も目的も違ったのかもしれない。そんなことを考えているうちに対岸に着き、バスは再び陸を走り出した。

緑と自転車と空

大都会東京から引越しをして数週間

窓からは緑の木々が繁り、道はまっすぐでのびのび自転車で走れます。

空も広い、足元にはトカゲ。草むらにはキジ。


東京にはたまに用事があっていくのですが

住んでいた当時は気づかなかった姿が、離れて見るとわかるのですね。


せわしく、雑多な人と情報が集まり、なんでもアリの何でもある、混沌とした複雑な、プロの街


でも私には、情報よりも物よりも緑と空と水が必要なようです。


ぶらり歩き

top 昨夜の食べ物が功を奏したのか、病は気からなのか、昨日までの体の重さは抜けていた。明日にはウシュアイアへ向けて出発する、バスの営業所で翌日の便を予約し、何とはなしに街をぶらついた。これまでの山に因んだ町とは違いここは羊毛と貿易で栄えた街、いたるところに盛時の面影があり、ホコリまみれのヤッケでは浮いてしまう。まぁどんな格好をしようと、アジア系は一目でわかるので浮くも目立つも関係ないのかもしれないけど、ときどきはおしゃれな格好もしてみたくなる。


ところで海の方へ行けば石を拾えるだろうし、かの有名なマゼラン海峡をみることもできたけど、それは翌日船で渡るからいいとして大音量の音楽がズンズン鳴るメインストリートを歩いた。ここは一応ガイド本に載っているけど、その扱いはきわめて薄くプエルトナタレスからウシュアイアへの乗り継ぎ地点程度。かろうじてマゼラン像と貿易で栄えた豪邸が紹介されている。この町で2泊したのは、休息と「見ること」のプレッシャーがなかったからかもしれない。


窓越しに見た古いガラスケースの中の美味そうなスナックに惹かれ、小さな食堂に入る。リンゴのエンパナーダと芋のパンケーキのようなものを頼み、想像通りのおいしさに至福のひと時を過ごした。

チリのノート

nota

チリのノート、プエルトナタレスで暇つぶしに町を散歩していたときに入った文具屋で買ったもの。カウンター越しにオバサンが出してくるのは帳簿に使うような立派なものばかり。安いのを頼んだところ、これが出てきました。子供達が一般に学校で使うような物がほしかったのだけど、果たしてこれはどうなんだろう。
中はこんな感じ

開くと左側は無地、罫線は右側だけになっています。このノートだと、厚みがあるので開きが狭く書きづらいのではないかなぁと思うのは私だけ?

この文具屋はドイツ製の某有名色鉛筆から、日本製のボールペンまでなかなか充実した品揃えで、文具マニアとしては至福のひと時でした。



ところで、しばらく更新サボってました。

ひどく体調を崩し、ヘルペスかと思いきや細菌感染で皮膚炎を起こし、抗生物質飲んでしばし安静でした。ヒドイ目にあいました。その後は絵がスランプになったのとサボりです。



ウルスラ「ジタバタするしかないよ描いて描いて描きまくる」
キキ  「それでもダメだったら」
ウルスラ「描くのを止める、散歩したり、景色を見たり、昼寝したり・・・なにもしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ」
キキ  「なるかしら」
ウルスラ「なるさ」



健康一番!


一つの時代の終わり

top 発熱時の頭痛が遠のきはじめ、眠りに落ちそうな心地の良いひと時、部屋の扉をノックされた。さっきから廊下の奥の方でガタガタと物音がしていたのは気づいており、「すわ、何事?」ベッドから起き上がった。声は女性で何か頼んでいるらしく、慎重に開くとベッドを移動中で回転する際にここの部屋の扉を開いたほうが楽にできるという。


「なんだ…」


作業が終わるのを待ってから、扉を閉め再び夢の世界へ旅立つ。が、再びノック。これでは寝ているどころではない。


こんなことを数回繰り返し、落ち着いた頃には夕方になっていた。といっても外は真昼の明るさで、夕暮れ時の情緒はない。こういう地域に住む人たちの心境とはどういうものなのだろう。日本なら四季を通して17時~19時には日没が訪れる。そしてその24時間のリズムである程度思考パターンというものがあると思う。ところがここは夏季は21時に夕暮れとなり、冬季は陽が差す時間はわずかとなる。しかも冬は長い。


睡眠にる関する時差ぼけは数日で解消されたものの、思考パターンは明るさに関わらず夕方から夜になるにつれセンチメンタルになってくる。日常社会と切り離された独特の高揚した気分と、必然的に一人の時間が増えるため考え事が増える。慌しい日常の中で置き去りにしてきた、シコリををぼんやりと整理していた。


そのきっかけは夢だった。ここ数日、日替わりで家族や友人たちが出てくる。何を話しているのか覚えていないが、他愛のない話だったと思う。繰り返し出てくるのは両親だった。


両親が離婚したことは少なからず私に影響を与えた。父も母も目指すところは同じでありながら、その方法と価値観に差があったこと、2人とも強烈な個性と行動力があり、冷戦の末に決裂を迎えた。父と母はそのときから正反対の数年間を過ごすことになる。私にはどちらについても、いいようには思えなかった。父は家族を形式的にしても失い、母(と私たち)は住む家を探し、収入も定かではなかった。


それからしばらくして就職し、定収入を得ることで一人暮らしをはじめ、世界が変わった。出張で国内各地を訪れたり、興味の趣くままにあちこちへフラフラと出歩いていた。変わった職場で変わった上司と組んで仕事をし、分厚いファイルを机に叩きつけながら本気で口論を何度もし、泣きながら壁に穴を開けたこともあった(そして総務課からガッツリ怒られた)。


そして今がある。これまではさほど感じなかった「怖い」という感情が出ていた。


独身の頃なら何かあっても「どうにかなる」という気安さがあった。でも今は守るべき家庭と家族がある。今回は目的があり、そのために周囲を説得して膨大な資金をつぎ込みここまでやってきた。旦那の両親が心配するのもわかる、それを承知の上で背中を押してくれたのは形は違えど両親と、友人たちだった。


結婚したことを後悔はしていない。しかしいいことばかりではなく多分これがラストチャンスで、自分の思うがままに動ける時代は過ぎたんだなぁとモヤモヤしていたものがはっきりとした形をもって浮き出た。


考えれば考えるほどきりがない。樹形図のように様々な考えが浮かんでは消えていく。首を触るとリンパは腫れていない。


「明日もここで休もう」そう決めてフロントのある1階に下りた。

先手必勝

肉食うべし マゼラン海峡と羊毛で栄えたプンタ・アレーナスは、往時の面影を残す華やかな建物が並ぶ小奇麗な町だった。人の流れのあるほうに進み、適当な宿を探した。目に付いたのはホテルカラファテ。昔、何かに使っていたであろう落ち着いた造りで、値段を聞くと設備の割りに安い。


2階への螺旋階段を上がりながら、機械的に説明するフロント係。部屋は大きな窓があり、廊下を挟んでバスルームがある。

さて、まずはこの微熱をどうにかしなければならない、風邪は先手必勝。ここから先、熱を出して体力を消耗しながらの道中なんて冗談じゃない。スタミナと抵抗力を回復するための食料を買いに出た。


町は小規模ながらもショッピングモールがあり、商店街は本屋やCD、雑貨屋、靴屋など一通りの店がならぶ。観光資源に依存するプエルトナタレスと、交易で栄えた商業の町は成り立ちからの差を感じる。とにかく寒さにはたんぱく質と脂肪、スタミナ回復はビタミン、酢とタウリンが有効なはず。スーパーのバイキングで手っ取り早く思いつく限りの栄養源を買った。


【メニュ】

牛ステーキのトマト煮込み一枚

パンたくさん

ムール貝のマリネ

ヨーグルト

グラハムビスケット

とうきびのポタージュ

りんご

プリン

大量の水


いきなりこれだけ食べても、ほとんどは代謝で流れてしまう。まぁでも何もしないよりはいいだろうと、仕上げに持っていた風邪薬を飲み、ベッドに転がりながら大きな窓からの眺めを楽しんだ。

かぜ

食事 「Jaaaapaneeeeese!!」


いつもハイテンションの客引き兄ちゃんが、片手に乗せて華やかに差し出してきたのは預けていた洗濯物。白いビニール袋には「JAPAN」と書かれている。そういえばここは宿帳に名前も書いていない。


久々に嗅ぐ洗濯洗剤の残り香。そして、そのそばから流れ落ちる鼻水。

首から上が重い、微熱と鼻水が始まっていた。


「まったく。いつもこうだ…」


ザックの中から郵政公社のティッシュを探し、鼻をかみながら我が体質をうらんだ。マフラーをグルグルに巻き、天窓を見上げるとまだ明るい、時計は20時を示している。


毛布にくるまり、美味いビールを飲んだ。アルゼンチン側で拾った石と、この町の海岸で拾った黒や流紋の石を眺めて悦に入る。翌朝はチリ最南端の町、プンタ・アレーナスへ向かう。


風のかたまりがゴゥゴゥと吹き荒れ、トタンの隙間から吹き込んでくる小さな風は毛布をかぶれば気にならなくなる。念のため、肩にヤッケをかけて眠ることにした。

2人で

車窓から
ビューポイントごとにバスは停まり、そのたびに乗り降りをしては解説を受ける。なるほどこれはお手軽。バスの乗客は若いカップルが2組、ころころと太った老夫婦と私の7人だった。車窓からのどかな風景を眺め、アルゼンチン側の大地平線をもう見れないのかと思うとさみしくなった。


人馴れしたグアナコとニャンドゥ。そしてこれでもかと幸せそうにはしゃぐカップル。湖の波うち際で腕に顔を乗せて寝転がり、埠頭の船乗りさながらに片足を岩に乗せポーズを決め、どっぷり2人だけの世界が展開される。2人がはしゃぐのはわかる、確かにきれいだとおもう。でもこのときの自分には一人で見るパイネはきれいなだけだった。むしろ何もない猛烈な風だけが吹く地平線の方がしっくりきていた。


「一人なら地平線、二人ならパイネだなぁ…」






「疲れているの?」


30代後半くらいだろうか、ペア3組のなかで一人参加している自分に声をかけてきたのは、このツアーの女性ガイドだった。はたから見ても冷めた目でいるのがわかったのだろう。雑談をするうちにいつの間にか彼女の家族の話になっていた。


「私はね、再婚するの」

「へぇ!おめでとう!!」


一人旅で家庭の話など無縁だったので、なんと言うかこういう驚きは新鮮だった。はにかみながらも心から嬉しそうな彼女は2人の男の子がいて、下の子が日本に憧れていると言う。日本といえばたいてい京都か東京を言われるのが常だけど、そうか子供の目にはゲーム大国なのか…。


「そうよ、日本はテクノロジがすごいでしょう」


16歳の冬に初めて自分の国を外から見て、猛烈なカルチャーショックに陥った。当時の私にプラスチックとコンクリートの表面的で混沌の国は実体のない存在に見えた。それ以来自分の国を冷めた目でみるようになり、両親が離婚したときは家庭に対しても同様になっていた。


そして東京が嫌いだった。嫌いで嫌いでどうしようもなかった。越してきてからと言うもの、ドタバタの日々が続き体調をガタガタに崩し、直前まで勤めていた会社は主に体調不良が原因で終わったも同然だった。何度も崩れた体勢を持ち直そうとするたびに孤独感と不安で、夫がそばにいないことのつらさを感じたときもあった。


Ruta40を走っているとき度々去来していたのは、別れた男を思うような心境に近かったと思う。今疲れているんではなくて、考えてみればこの旅は始めから疲れていた。たぶんそれはこれまでに会ったたくさんの人たちにも伝わっていたと思う。






「チリはどう?」

「きれい、本当にきれい。」

「そうでしょう!次は旦那さんと来てね。」

「えぇ。」






宿の前で彼女に日本にいる時からいつも持ち歩いている、和装の結婚写真と夫の写真を見せた。宿では待っていたかのように客引きの兄ちゃんとフアンが聞いてきた。


「パイネはどうだった!!」

「最高だよ!!」



そして眠らせてください…。






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中だるみのパイネ

うねり

さっきみつけた四葉のクローバーをパスポートに挟んでポケットにしまい、宿の前でツアー会社のバスを待つ。


「電話してあるから大丈夫だよ」


何度目かの同じ言葉だった。一昨日はチケットを取り間違え、別のオフィスでパイネへのチケットを取りなおした。それは偶然にもフアンの勤める会社で、念のためオフィスに確認の電話を入れてくれた。それから数回聞いているこの言葉。


「う~ん、気が進まない。」


パイネは絵になりすぎている、それが私の興味を引かない一因。

きれいな湖に独特の形に連なる山々、そしてそれを「1dayバスツアー」で見ることの不本意。できることなら3日間でもいいからトレックルートを自分の足で歩きたかった。でも1ヶ月の旅程のうち半分は南極に使う上に、ウシュアイアへ着くための残り日数は少なく、一人でトレッキングをする体力も技術もない。

しかし親が自然関係の仕事をしているため、パイネは行って写真を撮っておいたほうがいい。もはやパイネ行きは義務になりつつあった。

教会にて

桃とみかん

町の中心にある教会の扉をゆっくり開き、儀式をしていないことを確認してから信徒席に座り、深く息を吐いた。直線的なデザインであまりセンスは感じられないけど、内部に踏み込むと高い天井と両側のアーチが厳かな雰囲気を醸している。この町の人たちの冠婚葬祭に欠かせない大切な場所なのだろう。時折祈りに訪れる信徒が膝まづいて祈りを捧げる以外に音はなく、休むにはうってつけの場所だった。


日本を出てから10日が過ぎ、「見ること」に少々食傷気味で感覚が鈍っているのがわかる。ネットカフェで日本のニュースを見ると、「年金『名寄せ』作業は困難」「辻ちゃん臨月」「首相が野党を牽制発言」などがトップニュースで出ていた。なかばどうでもいいと思いながら、帰国すれば再び接する社会の出来事で、それが地球の反対側でリアルタイムに見ることができるのがどうにも滑稽で、同時にここならいくらでも自分は正体不明の人間になれるな…などとブラックな想像もしてみる。


町の文具屋で買った日本製のボールペンでノートに書き付けたことを抜粋してみると


アルゼンチン…青(水色)、面的、大地、乾燥、風、石

チリ…みどり(濃い緑)、線的、木々、海、風


カラファテの宿で一緒だったおせっかいなくらい親切なスペイン人のオバサン

食料を買うこと…チーズ2枚、ハム2枚、ピクルス1袋、ヨーグルト、水2本

プエルトナタレスはあちこちでアイスクリームが売っている。


今見返すと、わたしのノートは食べ物の記述が多い。


しばし何を考えるでもなく頭と体を休め、この先の一人旅が無事に進むよう、にわかクリスチャンで十字を切りこの日は終わった。