一つの時代の終わり | いつもどこかへ

一つの時代の終わり

top 発熱時の頭痛が遠のきはじめ、眠りに落ちそうな心地の良いひと時、部屋の扉をノックされた。さっきから廊下の奥の方でガタガタと物音がしていたのは気づいており、「すわ、何事?」ベッドから起き上がった。声は女性で何か頼んでいるらしく、慎重に開くとベッドを移動中で回転する際にここの部屋の扉を開いたほうが楽にできるという。


「なんだ…」


作業が終わるのを待ってから、扉を閉め再び夢の世界へ旅立つ。が、再びノック。これでは寝ているどころではない。


こんなことを数回繰り返し、落ち着いた頃には夕方になっていた。といっても外は真昼の明るさで、夕暮れ時の情緒はない。こういう地域に住む人たちの心境とはどういうものなのだろう。日本なら四季を通して17時~19時には日没が訪れる。そしてその24時間のリズムである程度思考パターンというものがあると思う。ところがここは夏季は21時に夕暮れとなり、冬季は陽が差す時間はわずかとなる。しかも冬は長い。


睡眠にる関する時差ぼけは数日で解消されたものの、思考パターンは明るさに関わらず夕方から夜になるにつれセンチメンタルになってくる。日常社会と切り離された独特の高揚した気分と、必然的に一人の時間が増えるため考え事が増える。慌しい日常の中で置き去りにしてきた、シコリををぼんやりと整理していた。


そのきっかけは夢だった。ここ数日、日替わりで家族や友人たちが出てくる。何を話しているのか覚えていないが、他愛のない話だったと思う。繰り返し出てくるのは両親だった。


両親が離婚したことは少なからず私に影響を与えた。父も母も目指すところは同じでありながら、その方法と価値観に差があったこと、2人とも強烈な個性と行動力があり、冷戦の末に決裂を迎えた。父と母はそのときから正反対の数年間を過ごすことになる。私にはどちらについても、いいようには思えなかった。父は家族を形式的にしても失い、母(と私たち)は住む家を探し、収入も定かではなかった。


それからしばらくして就職し、定収入を得ることで一人暮らしをはじめ、世界が変わった。出張で国内各地を訪れたり、興味の趣くままにあちこちへフラフラと出歩いていた。変わった職場で変わった上司と組んで仕事をし、分厚いファイルを机に叩きつけながら本気で口論を何度もし、泣きながら壁に穴を開けたこともあった(そして総務課からガッツリ怒られた)。


そして今がある。これまではさほど感じなかった「怖い」という感情が出ていた。


独身の頃なら何かあっても「どうにかなる」という気安さがあった。でも今は守るべき家庭と家族がある。今回は目的があり、そのために周囲を説得して膨大な資金をつぎ込みここまでやってきた。旦那の両親が心配するのもわかる、それを承知の上で背中を押してくれたのは形は違えど両親と、友人たちだった。


結婚したことを後悔はしていない。しかしいいことばかりではなく多分これがラストチャンスで、自分の思うがままに動ける時代は過ぎたんだなぁとモヤモヤしていたものがはっきりとした形をもって浮き出た。


考えれば考えるほどきりがない。樹形図のように様々な考えが浮かんでは消えていく。首を触るとリンパは腫れていない。


「明日もここで休もう」そう決めてフロントのある1階に下りた。