2人で
ビューポイントごとにバスは停まり、そのたびに乗り降りをしては解説を受ける。なるほどこれはお手軽。バスの乗客は若いカップルが2組、ころころと太った老夫婦と私の7人だった。車窓からのどかな風景を眺め、アルゼンチン側の大地平線をもう見れないのかと思うとさみしくなった。
人馴れしたグアナコとニャンドゥ。そしてこれでもかと幸せそうにはしゃぐカップル。湖の波うち際で腕に顔を乗せて寝転がり、埠頭の船乗りさながらに片足を岩に乗せポーズを決め、どっぷり2人だけの世界が展開される。2人がはしゃぐのはわかる、確かにきれいだとおもう。でもこのときの自分には一人で見るパイネはきれいなだけだった。むしろ何もない猛烈な風だけが吹く地平線の方がしっくりきていた。
「一人なら地平線、二人ならパイネだなぁ…」
「疲れているの?」
30代後半くらいだろうか、ペア3組のなかで一人参加している自分に声をかけてきたのは、このツアーの女性ガイドだった。はたから見ても冷めた目でいるのがわかったのだろう。雑談をするうちにいつの間にか彼女の家族の話になっていた。
「私はね、再婚するの」
「へぇ!おめでとう!!」
一人旅で家庭の話など無縁だったので、なんと言うかこういう驚きは新鮮だった。はにかみながらも心から嬉しそうな彼女は2人の男の子がいて、下の子が日本に憧れていると言う。日本といえばたいてい京都か東京を言われるのが常だけど、そうか子供の目にはゲーム大国なのか…。
「そうよ、日本はテクノロジがすごいでしょう」
16歳の冬に初めて自分の国を外から見て、猛烈なカルチャーショックに陥った。当時の私にプラスチックとコンクリートの表面的で混沌の国は実体のない存在に見えた。それ以来自分の国を冷めた目でみるようになり、両親が離婚したときは家庭に対しても同様になっていた。
そして東京が嫌いだった。嫌いで嫌いでどうしようもなかった。越してきてからと言うもの、ドタバタの日々が続き体調をガタガタに崩し、直前まで勤めていた会社は主に体調不良が原因で終わったも同然だった。何度も崩れた体勢を持ち直そうとするたびに孤独感と不安で、夫がそばにいないことのつらさを感じたときもあった。
Ruta40を走っているとき度々去来していたのは、別れた男を思うような心境に近かったと思う。今疲れているんではなくて、考えてみればこの旅は始めから疲れていた。たぶんそれはこれまでに会ったたくさんの人たちにも伝わっていたと思う。
「チリはどう?」
「きれい、本当にきれい。」
「そうでしょう!次は旦那さんと来てね。」
「えぇ。」
宿の前で彼女に日本にいる時からいつも持ち歩いている、和装の結婚写真と夫の写真を見せた。宿では待っていたかのように客引きの兄ちゃんとフアンが聞いてきた。
「パイネはどうだった!!」
「最高だよ!!」
そして眠らせてください…。
