どん底からの再起



  ​希望・不安・恐れ・幸せ 色んなことが混在しながらの人生

仕事で大失敗。どんなに頑張っても、間違えてしまう恐怖。でも生きる為にやるしかない。惨めだろうが、貶されようが、どう思われてもやる。

ぼろぼろになっても進む。


株で大成功。

神さまは一瞬だけ、自信をくれた。

奥さんと結婚する為に。

その後は株式投資はさっぱりダメに。


奥さんを幸せにする為に覚悟を決めてやる。

仕事は何故か沢山来た。チャンスも奇跡も。


失敗しない様に緊張して仕事していると、プレッシャーをかけてくる人が増えた。その対応に追われる。でも助けてくれた人も多くいた。

  ​誰もやりたがらない仕事をする

ミスするかもしれないし、

会社で生き残る方法は。

誰もやりたがらない仕事をすること。

快くやる。そして唯一無二の存在になる。

多少間違えても、僕を絶対に外せなくする。


たまたま僕にしか出来ない仕事もあった。

僕だけ、土曜日に休日出勤もしていた。

助けてくれる人は居ない。

皆んなやりたがらないから。

その方が思い通りで良いと思った。


その後も面倒な仕事をやる事になりますが、僕より頭の良い人は、効率的な簡単に売り上げが上がるものしかやらなかった。社内や県内の確認検査機関の中でも、その分野ではトップの数字をやっていたと思います。


他機関では「家の審査が1ヶ月半くらい掛かる」と言われて途方に暮れるお客さん。僕がやると2、3日で審査をした。お客さんも喜んでくれ、心を掴んだと思う。感謝もされて、お客さんは補助金100万円を手に入れる事が出来るから、お客さんに儲けて貰う事にも成功した。


その後この仕事が

生き残る為に役に立ちました。


大変だったけど

障害と向き合い仕事を一つ一つやっていく。

瞬間が真剣勝負。自分の能力を限界まで出し切る。人の役に立つ。感謝されて生き甲斐も生まれた。会社員になっても、頼まれごとは何でも快くやっていた。苦労しながらも人間性が磨かれたと思います。見えない階段を登っていったと思う。


  会社経営もした

たまたま奥さんの実家の会社経営を任された。

リーマンショックの煽りを受けて、1200万円の赤字。立て直しをやりました。元々経営の勉強はしていたので、面白かったです。


会社を株式会社にする。

社会保険料を、一時期払えないので社長1人だけにした。消費税も払えない。自転車操業。

節約するしかなかった。少し黒字になった時、新事務所を建設。働く人の環境を良くした。目を引くかっこいい事務所が出来ました。

大江商人の三方良しの考えを取り入れて、稼いでくれる社員を大切にした。利益3分配。利益の経営陣に1/3、従業員に1/3、将来の備えに1/3

稼げば稼ぐほど収入が増える仕組み作り。有給休暇を20日全員取得。まず与えた。

業績は4,000万円から増えていき、

1億を超える。

14年くらいやった。自分には合っていた。

とても良い会社になったと思う。


  頑張り過ぎて会社で倒れる。

このままでは死んでしまうと思い

障害を全面告白した。

合理的配慮をしてもらう為に色々ありました。

一度は死を考えたことも一瞬あつたかな。

今は在宅勤務にしてもらって

とても良い環境で働かせて頂いております。


当事者の鈴木大介さんに

就労について取材してもらいました。

  ​34年後の障害の告白 



下記はblogにまとめたもの











#高次脳機能障害