高次脳機能障害者の就労


  【30年目のカミングアウト】


「優秀な人が多い会社なので、同期の人、新しく入ったスタッフが、1年2年であっという間に抜いていくのがわかる。僕は記憶できないんです。

十何年毎日やってる仕事だけど、一晩寝ると忘れちゃうんですよ。なので毎朝初めてやる仕事に取り組むような感じで、やりながら思い出してはいくけど、健常者のように『簡単な仕事』にはならない。

普通の人なら何年かやれば飽きて『詰まんないです』と言い出すような仕事でも。でも、前の会社でミスして信用を無くした経験がありますから、より 唯一無二の存在になろうと思いました。

誰もやりたがらない大変な仕事ばかり進んでやったので、その分野では社内で1番の成績を何年も続ける事が出来ました。上司との関係も良かった筈なんですが……」

 この職場でも、やはり小川さんは自身の障害をカミングアウトせず。小川さんはW時代と同様、職場評価が上がることで追い込まれていくこととなります。

 破綻の兆しは上司が小川さんの出世のために、一級建築士の資格取得を勧めてきたこと。資格の勉強に加え、担当する案件も物理的にどんどん増えていく中、転職9年目(実に当事者歴30年目)にして、ついに小川さんはひとりの上司に限定で、ご自身の障害をカミングアウトしたのでした。

「父親が亡くなって心の支えが無くなり、もう頑張れなくなったんです。もう無理だから、物理的に担当の量を減らしてくれと、上司に打ち明けました。

とはいえ、それまでバリバリ仕事をしていたので、急に障害があって出来ませんと言ったところで言い訳にしか聞こえなかったかもしれません。

しばらくは上司も『アシストに嘱託社員を使っていいよ』などと助けてくれましたが、徐々に助けるどころかつらく当たられるようになり、関係も悪化。

このころ医師にかかって初めて高次脳機能障害の診断を受けましたが、それを提出しても理解してはもらえませんでした」

 後日、新たな上司が配属された際に、小川さんがカミングアウトした上司は「あいつは障害を利用して楽をしようとしている」と陰口を叩いていたことを知りました。

「難しい仕事ばかりさせられて、何度も助けて欲しいと言いましたけど、駄目でした。

早朝の誰もいない静かな職場なら、倍ぐらいの速度、それこそ2時間ぐらいで午前中の仕事を終わらせることができるので、なんとか担当案件をこなす為に、毎日2〜3時間早く会社に行って仕事をしていました。それを一年半ほど続けたと思います」

 けれどそうして無理を続ける中、ついに小川さんは倒れます。
 社内でクレーム電話の対応中に追い詰められ、右手の震えが止まらず、椅子に座り続けることもできずに床に崩れ落ちてしまったのでした。

「脳梗塞かなと思って検査してもらったら、倒れて4時間後の血圧が220ありました。

命の危険を感じて、『こういう状況です』と泣きながら高次脳機能支援センターに電話をしたら、スタッフの方が会社に出向いてくれて、僕の障害について説明してくれたんです」

 こうして、ついに小川さんは障害を職場に全面開示。けれどここからが、小川さんの長い職歴の中で、最もつらかった時期かもしれません。

文責・鈴木大介 
脳に何かがあったとき 2021.10月号

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