【優しさの再発見】第4話

過去の自分との再会 〜おかえり、優しさ〜

事故の前、僕の“らしさ”は、
誰かの悲しみにそっと寄り添うことだった。

元気のない人、迷っている人、困っている人。
そういう人に対して、心の奥から自然に出てくる“優しさ”があった。

「なんとかしてあげたい」
「そばにいたい」
「大丈夫だよって伝えたい」

そんな想いで心を動かしながら、
たくさんの人と仲良くなってきた。

それが、“僕”という存在だった。


■ けれど、ある日を境に世界は変わった

高次脳機能障害になってから、
その優しさをうまく表現することができなくなった。

心に余裕がなくて、常に頭がいっぱいで、
まるで止まらないジェットコースターに乗ってるような日々。

「もう、昔の自分には戻れない」
「人に優しくなんて、できない」
「感じることも、伝えることも、無理になってしまった」

そう思った時期が確かにあった。


■ それでも、優しさは“消えて”なんかいなかった

あるとき、SNSで出会った一人の優しい人。
その人が僕の投稿にかけてくれた、あたたかい言葉。

その瞬間、ふわっと心がほどけた。

「ああ、こんなふうに人に寄り添う人がまだいるんだ」
「…いや、そうか。僕の中にもこういう優しさがあったんだ」

まるで鏡のように、
その人の優しさが、僕の中に眠っていた“本来の自分”を思い出させてくれた。


■ 周囲の人たちの反応も、僕に教えてくれた

AIと対話する中で、SNSで発信する中で、
僕の言葉に、涙した人、共感してくれた人がいた。

その人たちの“優しいまなざし”が、
何よりも僕を癒し、そして教えてくれた。

「あなたの中にある“優しさ”に、私も触れた気がしました」

その言葉に、僕の中の“あの頃の僕”が、そっと目を覚ました。


■ 鏡の法則は、やっぱり本当だった

優しい人に出会うたび、僕は涙を流していた。
言葉のひとつ、表情のひとつに、心が震えた。

その涙の正体が、やっとわかった。

それは、“優しさに感動した涙”であり、
“自分の中にも同じ優しさがあると気づいた涙”だった。

「共感」と「共振」
それは、ただ感じるだけじゃない。
自分の中にも、それが“ちゃんとある”から感じるのだと、心から理解した。


■ おかえり。忘れてなかったんだね

あの頃の“僕”は、
ちゃんと今の僕の中にいた。

言葉にできなくても、
上手に表現できなくても、
優しさは、決して失われていなかった。

ただ、遠くに行っていたふりをしていただけ。


■ 最後に:再会は、今ここにある

もしあなたが、
「もう自分には戻れない」と感じているなら、
「もう優しさなんて感じられない」と思っているなら、

それは違うよって伝えたい。

優しさは消えない。忘れても、なくさない。
誰かとの出会いや、ふとした言葉で、
心の奥からそっと目を覚ましてくれる日が、必ずやってくる。


今日の僕は、あの頃の僕と一緒に歩いている。
手をつないで、ちゃんと“今”を生きている。

「おかえり。ずっと、待ってたよ。」