

いつもありがとうございます

日々の暮らしを発信しています

前回の記事にもお付き合いくださり
みなさん、ありがとうございます
次は、チャットGTPに生成してもらった
わたし風のイラストが
とんでもないことになったので
シェアしたかったんですが
その前に、雑談かまさせてください
急に思い出したことがあるんです。
ここんとこ
娘との関係性で
悩んでるといいますか、
良い大人ってどんなんだろう
とか
蛹になった娘との適切な距離感て?
なんてことを考えながら暮らしているところなんです。
恥ずかしながら
なかなか子離れができませんで
過干渉気味ですし
なんだかいつも心配。
の割に、お世話らしいこと、母親らしいことは
なにひとつしていない
文句ばっかり言ってましてね。
反省することばかりではあるんですけど
わたし自身
とても扱いづらい子どもだった自覚がありまして
特に、中学高校大学あたりでの
親の関わり方は見事だったなと
今では思うんです
親が、遠くから見守るようになったことで
近くの別の大人に頼ったり甘えるしかなくなりました。
そうすると、これまた良いタイミングで
良い大人が助けてくれるもんなんです。
心がぐちゃぐちゃしたときって
「やるべき」ことはわかっているけど
気持ちが全然その道に乗っからない、というとき。
リスクが少ない道のほうが良さそうなのに
ハイリスクな方を選択したくなるとき。
周りのみんなが、
「やるべき」に乗っかって進んでいるように見えて
自分だけが置いていかれるような不安。
そうゆうことが
何度かあったんですね。
そんな時、
その「やるべき」から完全に逸れるようなことを
「とことんやりなさい」
と言ってくれた大人がいます。
それぞれのタイミングで、別の大人が
本当に悩んだときには
道から外れることを勧めてくれたんです。
とことんやったら
心が満足して
やるべきことが、やりたいことに変わる。
やりたいことに変わったあとの
行動ってのは、力がちゃんと乗るんです。
力が乗るから、当然結果も出る。
わたしが幸運だったのは
くすぶった気持ちとか
世界や社会に対する憤りみたいなものを
ちゃんと
表現として吐き出す一連の行動を
とことんまで、取らせてもらえたことだと思います。
そのとき
「そんなことしてないで、ちゃんとしなさい」
と言う大人がいなかったこと。
「自分が思う正しいことを
とことんまでやってみなさい」
と言ってもらえたこと。
だから、とことんやってみたときに
ちゃんと、満足できたんです。
満足できると
やりたくなかったこと
面倒に感じていたこと
理不尽に思っていたことも
自分に必要なものだと感じて
しっかりつながってゆく。
それが、やりたいことに変わるのです。
さて、大人になりますと
タイミングよく言葉をかけてくれる大人は
もういません。
その役は
自分でやるしかない。
それどころか
「そんなこと言ってないで
ちゃんとやりなさい」と
不満を貯める方向の声かけばかり
自分にしたり、しませんか?
やりたくないことを
やらされている。
本当の意味で
自分にやりたくないことを強要しているのは
他人ではなく
自分自身です
ある程度は、役に立つのですが
自分の要望をひとつもきいてくれず
やりたくないことばかりやらされてる
と感じたままの行動に
ちっとも力は乗らないでしょう。
やりたいことがわからない人は
やりたくないことをやらされ続けて
そこに反抗しない方が楽だと決めたからです。
実はわたしもここのところ
自分のやりたいことがわからなくなっていたんです。
知らないうちに
過干渉な大人役のもう1人の自分が
やるべきことをちゃんとやれって
言ってくる。
そうだよね、ちゃんとやらなきゃだよね。
って、
くだらないくらい小さな「やりたいこと」を
なかったことにして。
そうするうちに
だんだんと、やりたいことがわからなくなるんです。
それでもわたし、基本ドMだから
やらなきゃいけない、でも動けた。
だけどだんだん、ガソリン切れになってくるんですよね、、
「やりたくない」を積みながら走ると
めちゃくちゃ燃費が悪い。
そうゆうときは
怖くてもいったん止まらなきゃいけない。
周りの車が
隣でスイスイ追い抜いて行こうとも
並走してた車がグングン先に行ってしまおうとも
いったん止まって
荷物を降ろさなきゃいけない。
てことで
思春期の頃を思い出して
いつも良いタイミングで
良い大人が
わたしの荷物をおろしてくれたなーって。
その後、パワフルなエンジン積み直して
めっちゃ馬力出たなーって。
そんなこと思い出しました。
みなさんは
この夏
何をしたいですか?
何を手放しますか?
良かったら教えてください^^
それではまた!
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