朝活読書愛好家 シモマッキ―の読書感想文的なブログ~Dialogue~ -132ページ目

朝活読書愛好家 シモマッキ―の読書感想文的なブログ~Dialogue~

読書とは――著者や主人公、偉人、歴史、そして自分自身との、非日常の中で交わす対話。
出会えた著者を応援し、
本の楽しさ・面白さ・大切さを伝えていきたい。
一冊とのご縁が、人生を照らす光になる。
そんな奇跡を信じて、ページをめくり続けています。

21P グラフを読み書きする力「グラフィカシー」

グラフはいろいろな方法で嘘をつくことができる。間違ったデータを示したり、不適切な量のデータを盛り込んだり、デザインが悪かったり、それに、たとえきちんと作られたグラフであっても、私たちが深読みしすぎたり、自分の信じたいものだけを見たりすることで、結局は嘘をつくこともある。グラフはまた、質の良いもの悪いものを含めてそこらじゅうにあり、しかも非常に強い説得力を持ちうる。

これらが組み合わさると、誤報やデマという最悪の事態につながりかねない。私たちはみな、しっかりとした知識に基づいて、注意深くグラフを読めるようになる必要がある。もっと「グラフィケイト(グラフ通)」にならねばならない。

 

グラフを読み書きする力「グラフィカシー」という言葉を初めて知った。

グラフはパッと見て数値の比較が把握できるので割と説得力があるものであり、

適正に加工することで見やすくするだけでなく、情報操作ができてしまうものであり、

グラフのメモリをわざと途中で区切ったり、サイズを変えたりすれば、当初の効果と違うように見えてしまうものだ。

グラフに絞りグラフの誤ったデータを見破る方法を教えてくれる本だった。

 

「木を見て、森も見る」

グラフの細部を見て大局からも考えて、思い込みを乗り越えて正しいデータがわかるように物事の本質はどうあるべきなのか、しっかり見極めなければならないと。

そう感じる良い機会が持つことができてよかったと思う。

 

 <目次>

プロローグ 世界はグラフとミスリードにあふれている

序章 毎日、グラフにだまされる私たち

第1章 だまされないためのグラフ・リテラシー入門

第2章 ひどいデザインでだますグラフ

第3章 怪しいデータでだますグラフ

第4章 不適切なデータ量でだますグラフ

第5章 不確実性を隠してだますグラフ

第6章 誤解を招くパターンでだますグラフ

終章 グラフで自分(と他人)に嘘をつくな

 

アルベルト・カイロ

スペイン出身のジャーナリスト、情報デザイナー。マイアミ大学スクール・オブ・コミュニケーションの教授でビジュアル・ジャーナリズムを担当。教科書を複数執筆したほか、同大学のコンピューター科学のビジュアライゼーション・プログラムのディレクターを兼任する。グーグルや欧州連合(EU)をはじめ、企業や公的機関に対するコンサルティングやトレーニングに携わる。スペインとブラジルでメディア企業のインフォグラフィックス担当のヘッドを務めた経験を持つ。

 

藪井真澄

共同通信社経済部 担当部長。慶應義塾大学文学部仏文科卒業、地方テレビ局、外資系銀行を経て共同通信社に入社。経済記事の翻訳に携わるほか、ロンドン支局勤務を含めて主に金融市場の取材を担当

 

No.614】グラフのウソを見破る技術 マイアミ大学ビジュアル・ジャーナリズム講座 アルベルト・カイロ 訳・薮井真澄 ダイヤモンド社(2020/07

読書は、自分事として考え置き換えてみる、自分との対話と、疑問に思ったことを相手に訊ねてみる、著者との対話が大切だと思っています。

194P 

著者が言っていることを、自分の言葉、自分のシチュエーションに置き換えてみる。これだけでも、本についての記憶が大きく変わる。

さらに踏み込んで、自分がどう思っているのかについて、著者との対話形式で書いてみる。著者に疑問を投げかけてみたり、意見をしたり。

そこからさらに、著者との対話とは関係のないところで、著者の言っていることをきっかけに、自分の中でのエンジンが入って、言葉を書き残したくなったりする。そういうクリエイティブな発想が出てくるようになる。

 

読書会には、3回読んで全体を理解し噛み砕いてから参加するようにしています。

本の中にはだいたい1つ以上、自分の心に響く箇所があります。

そこが作者が伝えたいことではないかと思うのです。

それらを書き留めて知識としていきたい。

210P 

パフォーマンスを高めるための読み方

1 著者はどんな思いでこの本を書いたのか。

2 その本の中で最もキーになる内容は何なのか。

3 自分の人生にどう活かすか、もしくは研究者として持った疑問や課題は何か

 

以前は、ビジネス書や教養書などで「登山」を目指していました。

目的・目標地点にできるだけ早く最短で行きたかったからです。

楽しくリラックスして道草や寄り道をしたいから、最近は小説で「散策」するのが多くなってきました。

19-21P 読書には「散策」と「登山」がある

小説などの文芸書は、多くの人が読むのは、楽しむためだったり、リラックスするためだったりする。

何か特定の目的があるわけではなく、その作品の中に没入し、その作品を味わうことによって癒やしが得られることもある。そのために読むのだと思う。これは、歩きに例えれば「散策」に近い感覚のものだと私は考えている。

一方で、実用書、ビジネス書や教養書、ノンフィクションなどの場合は、そうではない。「登山」に似ているのだ。登りたい山があり、登り方がある。したがって、登り方を間違えたり、自分の基礎体力がなければ、そもそも頂上に到達することはできない。

(中略)

ビジネス書や教養書、ノンフィクションの場合は、買った理由があるはずなのだ。また、何かに使おうという目標・目的があるはすなのである。

 

教養書や哲学書、古典などを読むことは、あるスタート地点から目的地に向かうための手段です。

読書で知識を手に入れ、知性を高めて、智恵となるために。

読んだだけでなく実践しないといけないと。

81-84P 知識と知性と智恵は違う

日本では、読書は知識を手に入れるためのものだと考えている人が多いが、思考力を高めるには段階があるのだ。知識を手に入れた上で、それを材料にして最終的に自分の思考力を高めることこそ、重要なのである。

思考力を高めるためには、その最高のツールになるのが、教養書や哲学書、古典なのである。

先人たちの智恵の結晶を文書で読んでも、それで智恵が手に入れた気になってはいけないのである。読書をしても実践が伴わなければ、智恵にならない、実感、体感として感じたものだけが智恵になる。これこそが、思索であり、実際の行動なのだ。

生きる価値を高め、人間としての次元を高めるものにしていかないといけない。

精神的に成熟し、豊かで、自由で美しい人生を生きる糧になるのが、読書なのである。読書は読書で完結させるべきではない。読書をすることは、ある意味でのスタート地点なのだ。装備を調えることなのである。

 

良い言葉を知るためには、まずは読書すべきです。

日々使っている言葉が人を形成していきます。

そのためには質の高い言葉を使っていきたいものです。

相手と話しながら一番近くで聴いているのは、自分自身だから。

161Pエネルギーであり、励ましであり、アイディアである言葉

自分の質が高くなくても、触れ合っている言葉の質が高いと、時間とともに自分の質も高くなっていく。だから、読むときも話すときも聞くときも書くときも、自分がどんな言葉を吸収し、どんな言葉を吐き出しているのかに、気を配ったほうがいい。これが、その人の思考や人生、未来を決めるからである。

言葉は想像以上に心身、感情と思考に大きな影響を与える。いい言葉、美しい言葉、本質的な言葉に触れ合う環境を自分で意図的に作っていったほうがいい。

そのために最大の起点になるのは、やはり読書なのである。

自分の思考は、言葉で決まっていく。言葉の影響力は大きい。

 

<目次>

はじめに 

第1章 読書で最大効果を得るための「100分で3回読む」戦略的読書術(読書量こそが人生を大きく左右する、読書には、「散策」と「登山」がある ほか)

第2章 「読書をしない人には未来はない」と改めて気づいた日本での経験(すべての本はあなたへの手紙である、読書が精神の筋肉を丈夫にする ほか)

第3章 「捨てながら読む勇気」で、人生で最も大切な「時間」を無駄にしない(「1回目」はスキーミング。捨てながら読んでいく、時間は自分の命のかけら。無駄遣いしない ほか)

第4章 「すぐ必要な本」と「すぐ必要でない本」、両方を書店で買う(「2回目」は詳細を含む理解のための読書、積ん読から最適な本をいかに見つけるか ほか)

第5章 「野性的」に読む。本と向き合い徹底的に「汚す」ことを意識する(「3回目」はメモを書き込みながらの「メモ読書」、読むだけだと確実に忘れる ほか)

おわりに 

 

作家。韓国生まれ。日本に国費留学。米インディアナ大学マス・コミュニケーション博士課程単位取得退学(ABD)。博士(総合政策学)。ドイツ連邦防衛大学技術標準化部門博士研究員、欧州連合(EU)技術標準化プロジェクトEU Asia‐Linkプロジェクト専門委員、英オックスフォード大学知的財産研究所客員上席研究員、米ハーバード大学インターネット社会研究所客員研究員、2004年から2009年まで慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構特任准教授&プログラムマネージャー、2009年から2013年まで同大学大学院政策・メディア研究科特任准教授。2013年からは、パリ・バルセロナ・フィレンツェ・ウィーン・東京を拠点に、執筆活動中心の生活を送っている。

 

No.613】一生忘れない読書 100分で3回読んで、血肉にする超読書法 ジョン・キム PHP研究所(2020/07

日本は、現在、他国と比較して死亡率が低いことや病床使用率が下がり病床の逼迫が解消傾向にあることなどから、新型コロナウイルスの感染をある程度に抑制しており医療崩壊を招いていないと思われる。

過酷な勤務体制のもと患者に行き届いた医療を提供しつづけた医療現場の方々のご尽力とご苦労の賜物だ。医療関係者の方々に感謝したい。

 

歴史的に見ると、長期にわたって権力を維持する者に寄り添う人たちにとって、現状維持することが居心地よく安住の地となり、権力者側の行動や判断に何かよどみが生じてくるようだ。

例えば、耳ざわりがないよい情報だけがトップに上がり、失敗したような悪い情報が意図的に途中で隠蔽される弊害があった。

これでは、権力者がいくら優秀でも正確な判断や機敏な行動ができないものだ。

中国の武漢での新型コロナウイルスの悲惨さ等正確な情報があがっていなかったのは、令和2年1月から3月までの外国から日本への入国規制の不備から推測するとそういう可能性が高かったと言わざるを得ない。

 

災害や戦争が起こっている、疫病などが蔓延しているなどの有事においては、普通の問題もない日常を過ごしている平時での対応とは異なるものになるのではないか。

物事の判断や業務を遂行する上で、平時と同じ考えではうまく働かないのは必定ではないか。

例えば、ウイルスの蔓延を防ぐために、法律などの手続きを省略して後ほど同意を取るような政治的なすばやい対処をしていくことが考えられる。

 

新型コロナ対策では、中国全土から入国禁止措置をして自国でのウイルスに罹る人を防御した台湾での早期の水際対策が功を奏した。

彼らは、以前のSARSでの経験の教訓を生かしたのだ。

日本において、武漢の新型コロナウイルスの蔓延状況やこの台湾の対応、過去の日本でのスペイン風邪や天然痘を乗り越えた事実などから、現在や歴史を踏まえて何かしら初期対処ができたらと考えると残念に思われる。

 

ドイツ帝国初代宰相のオットー・フォン・ビスマルクの有名な言葉に、

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」がある。

我が国も経験や歴史から真摯に学び、このコロナ禍を教訓にして、将来の感染症対策のほか、危機管理能力の向上に活かしてほしいと思った。

 

 <目次>

はじめに

第一章 飛び込んできた災厄

第二章 お粗末な厚労省

第三章 異変はどう起こったのか

第四章 告発者の「死」

第五章 怒号飛び交う会議

第六章 中国依存企業の衝撃

第七章 迷走する「官邸」「厚労省」

第八章 台湾の完全制御作戦

第九章 リアリストたちの反乱

第十章 「自粛」という名の奮戦

第十一章 武漢病毒研究所

第十二章 混沌政界へ突入

第十三章 中国はどこへ行く

第十四章 未来への教訓

おわりに

特別収録 佐藤正久×門田隆将 日本の敗北はどこから

関連年表

参考文献

 

作家、ジャーナリスト。1958(昭和33)年高知県安芸市生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社に入社。『週刊新潮』編集部に配属、記者、デスク、次長、副部長を経て、2008年4月に独立。『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、後に角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。

伍代記念病院北棟五階の病棟・通称「にんにん病棟」は、認知症患者専用だ。

この病棟医長の三杉洋一や看護師たちが、認知症患者相手ならではの奮闘する物語が描かれています。

認知症で治療の意味を理解できない患者に対して、果たしてつらくて苦しい治療をすることは有益なのかどうか。

三杉先生を始め看護師たちは、患者家族との軋轢に対して数々のジレンマを抱えています。こんな真面目で思いやりのある従事者ほど、その状況に悩み苦しめられているのです。

医療関係には、全く従事したことはありません。

認知症患者の様子や従事している看護師たちの悲痛な気持ちがちょっとだけわかったような気がしました。

 

終わりのこのページが印象に残りました。

認知症を治療する側の経験が多々あってもなかなかこうできるのは難しいと思います。

認知症の治療には、ほどよい加減が必要だということ。

自分の思いだけでこうなのだと決めつけるのでなく、認知症患者の立場になって考えながら、ほどよい治療を施すことが勘所なのだと。

 

306P

「徳川家康の家臣だった本多正信っていう人が、こう言ってるの。『百姓は、天下の根本なり。……百姓は、財の余らぬように、不足なきように治むる事、道なり』ってね。米が足りないと困るから不足のないように、余ると仕事に励まなくなるから余らないようにするのがいい。つまり、ほどよく治めるのが肝要という意味らしいの。これって、認知症の患者さんの治療にも当てはまるんじゃない?」

「ほどよい医療で、生かさず、殺さずってことか」

その言葉は、ふつうに使われる過酷な意味とはまったくちがう形で、三杉の腑に落ちた。認知症の患者を無理に生かそうとするのも、無理に死なそうとするのもよくない。その人にとって、必要なことを過不足なくするのが、ほどよい医療ということだろう。

「たしかに、それはいいかも」

現実を受け入れ、死にも抗わないことで、見えてくるものがある。今という時間の貴重さ。末期の目で見る“今”の輝き。

ふと、外科医時代のことがよみがえった。あの若かったころ、ほどよい医療など考えもしなかった。とにかく患者の命を救おうと、無理な治療を強行したり、最後の最後まであきらめず、逆に悲惨な状況を招いたりしたこともあった。

 

1955年大阪府生まれ。医師、作家。大阪大学医学部卒。二十代で同人誌「VIKING」に参加。外務省の医務官として九年間海外で勤務した後、高齢者を対象とした在宅訪問診療に従事していた。2003年、老人の麻痺した四肢を切り落とす医師が登場する『廃用身』で作家デビュー。2004年、『破裂』で大学病院の実態を克明に描き、超高齢社会の究極の解決法をさぐる医療小説で注目された。2014年、『悪医』で第三回日本医療小説大賞受賞。

日向があれば日影があるもので、生と死は、まさに表裏一体である。

例えば、ついさきほどまで一緒に話をしていた人が、別れてから地震や交通事故に出遭って亡くなることがありえるのだ。

毎日をより良く生きることが、より良く死ぬことにつながると聞いている。

しかし、真に直視していないのか、まだ理解していないから、自身としてはまだしっくりと腹に収まっていない。

 

オン・コロナの緊急事態宣言から、人と人との接触を避けてソーシャル・ディスタンスをとる必要最低限の行動など厳しい状況を強いられてきている。

人は、独りでなく誰かとつながっていないと生きていけないと思う。

だからこそ、離れていても何かしら社会とつながっていくことをこれまで以上に意識しなければならない。

SNSでのつながりは補助手段であって、人と人が直接会って非言語情報を読み取りながら目の前で語り合えるのが当たり前だった。こんな日常を改めて幸福だと感じた。

さらに、ウイズ・コロナからアフター・コロナ、ビヨンド・コロナへと移行していく過程で、ニュー・ノーマル(新しい日常)をより良く生きるヒントを求め探し続けたい。

 

規則正しい生活や軽度の運動、体温を上げること、繊維分や発酵食品の摂取などして体内時計を整え自然免疫を強くすることが、コロナやインフルエンザウイルスの克服のほか、風邪などの病気のときにも役立つものだと思う。

201-201P 落ち着いて冷静に闘う

自然免疫を強くする方法は、ワクチン接種の他にもあるのだろうか。宮坂先生(大阪大学免疫フロンティア研究センターの宮坂昌之招へい教授)は、何よりも体内時計を狂わせないことが大切だという。

「体内時計というのは、免疫を直接支配しています。さらに、食欲や睡眠などの活動も支配している。したがって、体内時計がうまく働くと、食欲は増し、よく眠れるんです。

では、体内時計を正しく動かすためには何をすれば良いか。それは規則正しい生活です。朝早く起きて、朝日を浴びながら歩く。あるいは軽度の運動をする。そうすることで、体内時計の刻み方を円滑化させることができます。さらに体内時計をうまく動かせるためには、血液やリンパの流れを良くするために体温を上げることが大切です。軽い運動はもちろん、湯船に浸かることも有効です。

また、それらをした上で、繊維分や発酵食品を摂取すると、腸管が刺激されてなお良いのでしょう。ただし、食べ物だけでは免疫は強くなりませんので、あくまで体内時計を狂わせないことが基本です」

 

 <目次>

はじめに

第1章 豊かな「死」とはなにか(「死」のそばに立つ仕事、「死」は日常のなかにあっていい、医師として、患者として)

第2章 此岸と彼岸を分けるもの(亡き人への手紙、魂の存在を信じるか、「生」と「死」の間にあるもの)

第3章 「死」の受容(暮らしのなかの看取り、「死」に向き合い、「生」を過ごす、繰り返し思い出し、偲び、語る;被災地の“幽霊”が教えてくれたこと)

第4章 コロナ時代を生きるヒント(免疫の力、自己決定する「ニューノーマル」が始まった)

 

 

1948年東京都生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、諏訪中央病院へ赴任。30代で院長となり、潰れかけた病院を再生させた。「地域包括ケア」の先駆けを作り、長野県を長寿で医療費の安い地域へと導いた。現在、諏訪中央病院名誉院長、地域包括ケア研究所所長。一方、チェルノブイリ原発事故後の1991年より、ベラルーシの放射能汚染地帯へ100回を超える医師団を派遣し、約14億円の医薬品を支援(JCF)。2004年からはイラクの4つの小児病院へ4億円を超える医療支援を実施、難民キャンプでの診察を続けている(JIM‐NET)。東北はもとより全国各地の被災地に足を運び、多方面で精力的に活動中。ベストセラー『がんばらない』他、著書多数

広島北警察署捜査二課暴力団係の大上章吾。

周りからは「ガミさん」と親しく呼ばれている。

彼は破天荒な人生を歩んできた人物だ。

 

まるでやくざのようにどすの効いた声と肝が据わった態度。

暴力団事務所に単身独りで乗り込んで話をつける度胸を持っている。

切った張ったの数々の修羅場を乗り越えてきたことがよく伝わってくる。

 

広島では、やくざから夜の繁華街のホステスまで、彼を知らない者がいない。

知らない者はもぐりと言われるくらいに有名で、裏社会で一目置かれている刑事だ。

彼は、暴力団のカスミをピンハネをしたり、ご縁があった者をおせっかい焼きぐらいにしてしっかりと悪者から守ってくれる器量を持ち合わせるなど、世の流れに身を委ねながらも清濁併せ呑んで、まさに清き川に魚は住めない状況を実践している男だ。

 

彼は、口が滑らかで初対面からなにかしらほめるので女性にはもてるのだった。

手なずけたSや檀家などを使うなどして麻薬などの犯罪の検挙率を高めるので、裏社会と丁度の頃合いを見極めながら、警察官として表社会でもうまく世を渡っている。

また警察の正義を貫きすぎるだけではうまく娑婆は渡れないこと、邪悪な部分だけでも生きてはいけないことをなんとなく教えてくれる。

 

224P

「わしゃァのう。堅気に手ェ出すやつは許さん。極道だけじゃない。愚連隊や暴走族も、じゃ。まあ、そいつらは大概、極道にケツ持ちしてもろうとる。こんなら、一本でやっとるそうじゃない。極道や不良に喧嘩売りまくって―ええ根性しとる。根性があるやつが、わしは好きでのう」

大上がソファから立ち上がった。沖を見下して言う。

「わしの仕事はのう。堅気に迷惑かける外道を潰すことじゃ。そういうことよ」

 

悪人同志であって堅気には一切手をださなければ、多少は見逃す度量を持っている。

もし堅気に迷惑が及ぶと、鬼の形相で徹底的に相手を追及して容赦はしない。

そんなガミさんの志を引き継いだ、元部下の呉原東署捜査二課暴力団係の日岡秀一の活躍を期待したくなった。

 

こんなガミさんは、太く短い花火のような人生を、後世に名を遺すような人生を歩んできた。

彼は、ぼくらには持っていない強い信念を持っている。

彼は、ぼくらがけっして足を踏み込めない道を歩いている。

仄聞しているだけでよい世界かもしれない。

こんな人物に興味が沸いてきて、極道やマル暴などの疑似体験ができるのは、小説ならではの読書のメリットだと思った。

 

終わりに、ガミさんの行動指針を吐露している印象に残った箇所を取り上げたい。

244P

なにげなく、上空を見た。月は、どす黒い雲で隠れている。

そうだ。世の中、銭と情報を持つ者が勝つのだ。銭で情報が手に入り、情報を売ることで銭が入る。そのふたつを巧みに操る者が、生き残る術だ。

根本まで煙草を吸い、煙を吐きだした。見上げた空を、紫煙がよぎる。

 

 

 <目次>

プロローグ

一章から二十三章

エピローグ

 

 

1968年岩手県出身。2008年「臨床真理」で第7回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビュー。13年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞、16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。18年『盤上の向日葵』で「本屋大賞」2位

動物は、見ている限り面白いものだ。

例えば、動物園で。

一家団欒の家族連れが多い中、昼食も取らなくても動物園を一周してすべての生き物を独りでじっくり観察することが好き、歩き続けるのも厭わないくらいに楽しい時間だ。

彼らの生態がどうであれ、一体何をしているのか、何もしていないのか。何かを考えているのか、何も考えていないのか。お腹が空いているのか、空いていないのかなど勝手に頭の中をあれこれ巡らせているのが愉しく気持ちがよいのである。

 

1P 「はじめに」から

「人は見た目が9割ともいう。(中略)動物は見た目が10割なのである」

3P

動物行動学とは、「動物はどういう行動をするのか」「その行動にはどんな意味があるのか」「そのとき、その動物の中ではどんなことが起こっているのか」といったことを観察し、研究する学問だ。

(中略)

動物行動学の目を通した動物は、決して世間で思われている通りの姿をしていない。第一、動物の行動はそんなに単純ではない。

5P

私が願うのは、事実に基づく、ニュートラルな動物への見方といったものだ。

 

 

52-53P 「美しい」の生物学的意味とは?

(オオフクチョウなどの鳥の)ド派手な色や形の多くは、メスの気を引くためにある。多くの動物で、オスはメスの気を引き、繁殖のチャンスを得るために必死となる。美しい色合いは、メスに対して自分の優秀さをアピールする武器となる。

 

79P 実は清潔とも言えない蝶

蝶の餌は花蜜だが、ミネラルも必要だし、種類によってはアミノ酸の豊富な餌も利用する、動物の尿や糞、そして死骸だ。花蜜を吸うのと同じく、吻を伸ばして、表面から栄養を摂取している。このような糞食性、屍食性の蝶は何種もいて、彼らはタンパク質が分解して発する臭いにもよってくる。その成分の中には乳酸などの老廃物も含まれるので、真夏の、汗だくになった人間の体は蝶によって「おいしそう」なのである。

 

181P アフリカで一番にヤバいのはカバ

野生の王国、アフリカで一番ヤバい動物はライオンでもゾウでもなく、カバだというのは既によく知られた話であろう。カバはああ見えて縄張り意識が非常に強いし、子どもを連れた母親はもっと危険だ。特に、夜間に上陸して草を食べたカバが川に戻ろうとしている時が危ない。

 

 

284-285P 「おわりに」から

そう、人間はしばしば、自分自身の行動原理を動物に投影し、勝手に動物像を作り上げ、その虚像にああだこうだと言っているわけである。

(中略)

生物学に則った理解も、世界の見方の一つだ。

動物の目から見た時に世界はどんなものか、という視点を持っているのは、悪いことではない。

例えば、野生動物を観察している時、例えばカラスがゴミ袋をつつきたがっている時、あるいは、鳥がさえずっているのを眺めている時。

人間の常識から踏み出して、動物たち自身の視線に合わせて世界を見ようとする時、生物学的な解釈は極めて正しい方法である。

 

動物がやることを人間がやる行動や気持ちにあてはめて解釈していました。

また人間側で勝手に作り上げた先入観で動物を判断するのではなく、一旦彼らの立場に立って中立的に考えてみるような視点が必要だとわかりました。

 

人間も動物の一種ですが。

人とのつきあい方では、自分の思いだけで相手の方を判断するのではなく、相手側の立場に立って考えてみることが大切なのだと気づかされました。

 

 <目次>

はじめに 

1 見た目の誤解(「かわいい」と「怖い」―カモメはカラスと同じ、ゴミ漁りの常習犯、「美しい」と「醜い」―ハゲタカはハゲだから清潔に生きられるのだ、「きれい」と「汚い」―チョウは花だけじゃなく糞にもとまる)

2 性格の誤解(「賢い」と「頭が悪い」―鏡像認知できるハトとできないカラス、賢いのはどっち?、「やさしい」と「ずるい」―カッコウの托卵は信じられないほどリスキー、「怠けもの」と「働きもの」―ナマケモノは背中でせっせとコケを育てている、「強い」と「弱い」―コウモリの飛行能力は戦闘機並みに高い)

3 生き方の誤解(「群れる」と「孤独」―一匹狼は孤独を好んでいるわけじゃない、「亭主関白」と「恐妻家」―ライオンのオスはトロフィー・ハズバンド、「子煩悩」と「放任主義」―カラスの夫婦だって子育てに苦労する)

おわりに 

 

1969年奈良県生まれ。。京都大学理学部卒業、京都大学大学院理学研究科博士課程修了。東京大学総合研究博物館・特任准教授。研究テーマはカラスの行動と進化。専門は動物行動学。著書に「カラスの教科書」「鳥マニアックス」など。

 

No.608】カラスはずる賢い、ハトは頭が悪い、サメは狂暴、イルカは温厚って、本当か?松原 始 山と渓谷社(2020/07

 

例えば、日頃使っているフライパンが焦げない理由や電子レンジやオーブンの温め方の違いなどどうしてこうなっているのかなとふと思ったことがあります。

日常のささいな不思議の答えが、文系でもよくわかる物理学の本にありました。

難しい物理学も身の回りのことに関連づけて考えると理解しやすくなります

日常に落とし込んで自分の視点で行動していれば、物理が面白くなって学生時代に好きになっていたかもしれません。

 

・スマホの指紋センサーに自分の指紋をあらかじめ登録しておくとパスワードを入力する手間なく、センターに指を触れるだけの指紋認証でセキュリティロックがなぜ解除できるのか?-指に電気が帯びていて、指紋の形に電気が集まるのを指紋センサーが感知するから。

・フッ素樹脂加工のフライパンがなぜ焦げないのか?-水の表面張力のほうが強くてフッ素樹脂の表面張力が弱いため水分がペタッとくっつかないから。

・5G(generation)第五世代の通信規格はなぜ大容量なのか?-波長が短い電波を使い超高速で振動している。振動数が多い電波で情報をたくさん詰め込めるから。

・電子レンジとオーブンとの温め方の違いは?-電子レンジは、食べ物に含まれている水分を電波が振動させて温めている。オーブンは、赤外線を放射して表面から温めている。

・太陽系に水はあるのか?-火星、土星のまわりの衛星「エンケラドゥス」、木星の衛星「エウロパ」などにある。

・宇宙に生命体は存在するのか?-水が存在する星に生命体がいる可能性は否定できない。

 

4P 「はじめに」 から

学生時代に物理学が嫌いだった人は、「現実離れした仮定のもとでひたすら計算させられる教科」といった印象をもっている人が多いと思う。まるで現実と物理学の世界はぶっつり切れているかのように。でも、本来の物理学は、世の中の仕組みや原理を追求するものであって、私たちが生きている世界を知るための学問だ。

その一方で、物理学を知ることで、それまで当たり前すぎて気にも留めていなかったことが、あやふやに感じられるようになることもある。たとえば、時間は過去から未来に流れていくとは限らないとか、「硬い」と感じる物も私たちの体も中身はすかすかだとか、私たちが「温かい」と感じているものは実は分子の振動であるとか……。

物理学を知ることで物事がわかるようになるおもしろさと、わからなくなってくるおもしろさ、その両方を味わっていただければうれしい。

 

 <目次>

はじめに 

1章 時間は流れない

2章 スマホに使われている物理学

3章 魔法の角度をもつ水

4章 生活に隠れた物理学

5章 医療を支える物理学

6章 物理学者の今と昔

終章 日常の「当たり前」は「当たり前」ではないかもしれない

おわりに 

 

 

高エネルギー加速器研究機構、素粒子原子核研究所・教授。博士(理学)。京都大学理学部卒業。広島大学大学院博士課程修了。東京大学、ジョンズ・ホプキンス大学、名古屋大学などを経て現職。主な研究分野は宇宙論。日本天文学会第17回林忠四郎賞受賞

カインはアダムとイブの長男。カインは、弟のアベルを亡き者にした。

カインは、人類最初の殺人者とされている。

 

犯罪を誘引する一因に貧困があった。

世の中には、光があれば必ず陰の部分もある。

当たり前の毎日で当たり前の食事がとれない子供たち。

公園で発見された少年のやせ細った遺体から肝臓の一部が摘出されていた。

刑事らが臓器売買グループを探るうちに突き当たっ貧困問題。

やりきれない思いが詰まる医療と社会の闇に迫るミステリー。

貧困家庭の子供たちを狙った臓器売買グループはもちろん許せないが、臓器を摘出した後に死んでいる者がいる一方、臓器を売ることでお金を得て生き長らえる子供たちもいることも確かだった。

倫理問題はさておいても、何も損をする人はいないのではという犯人の言い分が間違っていないかとちょっと思えてきてしまったのがイヤになった。

 

少年たちに甘い声をかけると、短絡的に臓器売買に飛びついた。

ほんとうに彼らがそれ以外にできないのかどうか。

判断が甘くて救われる手立てがないように思える。

 

捜査一課の犬養隼人が犯人を捕まえたことは刑事としても人間としてももちろん正しい。そうすることで臓器を提供する側の供給と待ち望んでいる需要のバランスが崩れてしまい、移植がさらに難しくなるという事実があった。臓器移植については、必要な人に対するドナー数が少ないという現実がある。

また犬養の妹が臓器移植を待っているというあまりにもつらい話題もあったのだが。

 

 <目次>

一 死者の名前

二 二つの国の貧困

三 貧者の資産

四 富豪の買物

五 カインの末裔

 

1961年、岐阜県生まれ。2009年『さよならドビュッシー』で第8回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、デビュー。ほかの著書に「笑え、シャイロック」など。

義理と人情に厚いヤクザの親分・阿岐本雄蔵のもとには、学校、病院、公衆浴場など一風変わった経営再建の話が次々と舞い込んでくる。

今回は、北千住の古い映画館『千住シネマ』の経営再建の話が舞い込んできた。

マル暴の甘糟達男らに監視されながら、代貸の日村誠司ら阿岐本組の面々は、存続危機の映画館をどう守るのか!?

 

こういうことってよくあることではないでしょうか。

主催がとりあえず開催できたことで満足することです。

目的は開催することですか!

例えば、何か大切なことを人々に伝えることがないでしょうか。

その後の参加者へのフォローアップが次回に繋がるから重要なんです。

 

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「た……、たいていのイベントって、労多くして結果がついてこないんです。主催者側は疲れ果て、イベントを開催したというだけで満足してしまいます。参加者は、その時だけ盛り上がったとしても、会場を離れればすぐに忘れてしまうんです」

 

ぼくは、読書会などに参加したり神社仏閣の参拝で旅行などに行く機会があれば、その時は、目、耳、鼻、口、手など五感を使って楽しむことにしています。

非日常の体験ができることって幸せです。

この体験は二度とないくらいにもったいない時間。

有難いから。

 

例えば、ぼくが読書会に参加して参加者らと語り合いながら楽しんでいる様子を知ると、興味を持ってぼくあてに参加したいんだけどと訊いてきます。

これは、ぼく自身が素直に楽しんでいるからです。

この楽しさは必ず伝わる。

自分が本気で楽しんでいないと、決して相手には伝わらない。

また楽しくても面白くても、自分からほかの人を誘う必要はありません。

興味があれば、相手の方から自然に近寄ってきて連絡をくれるからです。

 

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阿岐本が聞き返す。

「好奇心?」

「はい。だから、つい興味を引かれることがあるんです。そして、自分から興味を持ったことを体験すると、たいていはそれが習慣になります。」

「お嬢たちは、そうやったら人々の興味を引けるかって話をしてるんだよ」

「楽しめばいいんです」

「楽しむ……?」

「他人が興味を引かれることって、誰かが本気で楽しんでいることなんです。人にどう思われようと、自分は楽しい。そう思っている人を見ると、人は引き付けられるのです。」

「言いたいことはわかるが、具体的にどうしていいのかわからねえな」

「人を引き込もうなんて思わないで、自分がただひたすら楽しめばいいんです。その姿を見ている人は必ずいます」

 

せっかくの機会なので、楽しい時間は大いに楽しみましょう。

 

 

1955年、北海道三笠市生まれ。78年「怪物が街にやってくる」で問題小説新人賞を受賞しデビュー。以後旺盛な創作活動を続け、執筆範囲は警察・サスペンス・アクション・伝奇・SF小説など幅広い。2006年『隠蔽捜査』で吉川英治文学新人賞、08年に『果断 隠蔽捜査2』で山本周五郎賞及び日本推理作家協会賞、17年には「隠蔽捜査」シリーズで吉川英治文庫賞を受賞。空手の源流を追求する、「空手道今野塾」を主宰