伍代記念病院北棟五階の病棟・通称「にんにん病棟」は、認知症患者専用だ。
この病棟医長の三杉洋一や看護師たちが、認知症患者相手ならではの奮闘する物語が描かれています。
認知症で治療の意味を理解できない患者に対して、果たしてつらくて苦しい治療をすることは有益なのかどうか。
三杉先生を始め看護師たちは、患者家族との軋轢に対して数々のジレンマを抱えています。こんな真面目で思いやりのある従事者ほど、その状況に悩み苦しめられているのです。
医療関係には、全く従事したことはありません。
認知症患者の様子や従事している看護師たちの悲痛な気持ちがちょっとだけわかったような気がしました。
終わりのこのページが印象に残りました。
認知症を治療する側の経験が多々あってもなかなかこうできるのは難しいと思います。
認知症の治療には、ほどよい加減が必要だということ。
自分の思いだけでこうなのだと決めつけるのでなく、認知症患者の立場になって考えながら、ほどよい治療を施すことが勘所なのだと。
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「徳川家康の家臣だった本多正信っていう人が、こう言ってるの。『百姓は、天下の根本なり。……百姓は、財の余らぬように、不足なきように治むる事、道なり』ってね。米が足りないと困るから不足のないように、余ると仕事に励まなくなるから余らないようにするのがいい。つまり、ほどよく治めるのが肝要という意味らしいの。これって、認知症の患者さんの治療にも当てはまるんじゃない?」
「ほどよい医療で、生かさず、殺さずってことか」
その言葉は、ふつうに使われる過酷な意味とはまったくちがう形で、三杉の腑に落ちた。認知症の患者を無理に生かそうとするのも、無理に死なそうとするのもよくない。その人にとって、必要なことを過不足なくするのが、ほどよい医療ということだろう。
「たしかに、それはいいかも」
現実を受け入れ、死にも抗わないことで、見えてくるものがある。今という時間の貴重さ。末期の目で見る“今”の輝き。
ふと、外科医時代のことがよみがえった。あの若かったころ、ほどよい医療など考えもしなかった。とにかく患者の命を救おうと、無理な治療を強行したり、最後の最後まであきらめず、逆に悲惨な状況を招いたりしたこともあった。
1955年大阪府生まれ。医師、作家。大阪大学医学部卒。二十代で同人誌「VIKING」に参加。外務省の医務官として九年間海外で勤務した後、高齢者を対象とした在宅訪問診療に従事していた。2003年、老人の麻痺した四肢を切り落とす医師が登場する『廃用身』で作家デビュー。2004年、『破裂』で大学病院の実態を克明に描き、超高齢社会の究極の解決法をさぐる医療小説で注目された。2014年、『悪医』で第三回日本医療小説大賞受賞。
