朝活読書愛好家 シモマッキ―の読書感想文的なブログ~Dialogue~ -108ページ目

朝活読書愛好家 シモマッキ―の読書感想文的なブログ~Dialogue~

読書とは――著者や主人公、偉人、歴史、そして自分自身との、非日常の中で交わす対話。
出会えた著者を応援し、
本の楽しさ・面白さ・大切さを伝えていきたい。
一冊とのご縁が、人生を照らす光になる。
そんな奇跡を信じて、ページをめくり続けています。

8P 人の悩みは尽きないものである。

仕事、恋愛、夫婦、親子関係、新型コロナなどの日常のいろいろな悩みに対して、幾多のインタビュー経験を積んだ聞く力を持った女性、人生経験を多く積んだ阿川佐和子さんが問いに答えるという形式でした。

13P 

他人様のお悩みになんとか答えようと頭を巡らせているうちに、私も気づいたことがある。その一つは、つらいつらいと思いつつ長年聞き手の仕事をしてきたおかげで、ゲストの方々が乗り越えてきた艱難辛苦の知恵と体験を、皆様に受け売りできたことである。幾多のインタビューは決して無駄ではなかったと気がついた。

どれほどの偉大な成功者にも、必ずと言っていいほど苛酷な苦しみと試練の経験はあるものだ。そういう方々の逞しさに触れたおかげで、私はこうして笑って生きていられるのかもしれない。そしてその恩恵を含め、読者にもこの本を読んで明るい気持ちになっていただきたい。

 

人生やビジネスで成功するかしないかが問題ではなくて、ぼくは、人としてできることを真似していきたい。

66P ビジネスで成功している人たちの共通点を教えてください

「実るほど頭が垂れる稲穂かな」

偉くなるほど慢心していく。自分を省みる気持が大事なのだ。

「失敗は成功のもと、にする力がある」

堂々と責任を取る覚悟がある。

「出自を同じくする人たちばかり、つるまない」

ぬるま湯温泉に浸かって外で嵐が吹きすさんでいるのを見ぬふりをしていると、いつかのぼせて、めまいを起こして視野が狭くなってしまう

 

人生で経験を積んで、できなかったことは小説やフィクションから幾多の体験に触れ考えて、人に優しく痛みを理解できるようにありたい。

226P

ひどい目に遭って落ち込んで、そのあと「この野郎」と思って立ち直った人ほど、強い人になっているし、人に優しい気がしますね。一度も痛い目に遭ったことのない人は、相手の痛みにも鈍感だと思う。

 

 <目次>

はじめに 

第1章 仕事編(仕事が忙し過ぎてヘトヘトです、部下を叱れません ほか)

第2章 恋愛編(大学時代の彼氏と30年ぶりに再会しました、不倫相手が私のお店に家族を連れてきました ほか)

第3章 家族編(結婚して15年ですが、子どもができません、定年退職した矢先、妻が認知症になりました ほか)

第4章 生活編(就活が始まるのに、なりたいものが見つかりません、SNSで友だちのグループから外されていて、疎外感があります ほか)

 

1953年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部西洋史学科卒。エッセイスト、作家。「ウメ子」で坪田譲治文学賞、「婚約のあとで」で島清恋愛文学賞を受賞。ほかの著書に「聞く力」など。

 

谷川十七世名人によると、将棋棋士とはこういう方だそうです。

将棋棋士は、直感と読みと大局観を持てる人。

「棋士は局面と局面をつなぐ対局の流れ、対局者の構想を読みながら指し手を進めていく。一つの局面をそれまでの展開と、今後分岐していく展開の流れの中に捉え、その膨大な選択肢の中から最善と思われる指し手を直感と読みと大局観によって選ぶ」

 

藤井聡太さんは、まだ十代。

189P 棋士の全盛期とは、「25歳から30歳、それ以降はその人次第」と答えている。

これからも彼の活躍は、当分の間継続していきます。

彼によっていまの将棋界は一層の隆盛を誇って、世間から彼の一挙手一投足に注目を浴びていくはずです。

 

藤井さんの凄さや凄みが、谷川さんの冷静沈着な客観的な目から強く良く伝わってきます。

172P

藤井さんの強さは、最善手を求める探究心と集中力、詰将棋で培った終盤力と閃き、局面の急所を捉える力、何事にも動じない平常心と勝負術など、極めてアナログ的なものだ。

 

将棋に華があります。びっくりするような捨て駒ですとか、才能を感じさせる一手が出てきます。もちろんそういう作りの将棋を指しているということはあるんでしょうが、魅せる将棋を指すということは素晴らしいと思います。

 

29P 局面の急所を捉える力

直感の精度が高い。

理詰めで駒を動かした結果ではなく、ある種の第六感、勘のようなものによって最大の勝負どころや盤面におけるポイントをつかむ。とくに初見の局面で急所や本質を見抜く能力に秀で、閃きの豊富さにもつながる。大局観に通じる、棋士ならだれもがうらやむ才能である。

 

中原誠十六世名人の言葉からは、

「まず将棋が面白い。全体的に新鮮味がある、という印象です。谷川さんや羽生さんが出てきたときも同じでしたが、プロが観ても将棋が面白いんです」

プロから見ても面白いと言わせる棋士はなかなかいないのではないかと。

 

事前準備の大切さや毎日の鍛錬の積み重ねの必要を知る。

とくに才能とは毎日積み重ねる力だという。

これらは、凡人ができる範囲内でなんとか真似をしていけそうなことがらです。

 

80P 精神的な強さにも裏付けがいる

事前に研究したことがたとえ役に立たなくても、「自分は対局前にできる限りの準備をした」という事実が、前向きな気持ちで対局に臨む姿勢につながる。事前研究は実際の技術的なこととともに、精神的な安定剤の役割を果たすのである。

結局、毎日の積み重ねこそが勝負どころで帰趨を左右する。積み重ねていけば、意識しなくても、ある程度の自信を持って対局に臨めるようになるのだ。これについて特別な修行はない。精神力は経験値でもあり、対局を重ねることで自然に養われるものだと思う。

才能に関しても同様のことが言える。才能とは一瞬の閃きのようなものではない。努力の末のギリギリ紙一重のところで出てくるものだ。

あえて言うのなら、才能とは毎日毎日の積み重ねをそれほど苦にせず、自然に長時間続けることのできる力のことを指す。

 

 <目次>

はじめに 

第1章 進化する藤井将棋

第2章 最強棋士の風景

第3章 不動のメンタル

第4章 「将棋の神様」の加護

第5章 「面白い将棋」の秘密

第6章 AI革命を生きる棋士

第7章 混沌の令和将棋

おわりに 

 

1962年生まれ、神戸市出身。5歳で将棋を覚える。’73年4月、5級で若松政和八段に入門。’76年12月、四段。’82年、八段。’83年6月、加藤一二三名人を4勝2敗で破り、史上最年少の21歳2ヵ月で名人位を獲得。’84年、九段。’97年、羽生善治名人を4勝2敗で破り、二度目の復位、通算5期で十七世名人の資格を得る。2002年7月、公式戦通算1000勝。’18年10月、公式戦通算1300勝を達成。竜王4、名人5など、タイトル獲得数は計27。棋戦優勝は22。’12年12月より’17年1月まで、日本将棋連盟会長。’14年、紫綬褒章受章。

カカ・ムラド(ムラドおじさん)

アフガニスタンでの中村さんの愛称でした。

 

中村さんの一番好きな言葉は、中国の思想家孔子のなかにある。

「生涯守るべきこととは、恕(寛大さ)だ。

自分が好まないものは他人にも押しつけてはならない」

 

アフガニスタンは、とっても強い親日国だ。

強国のロシアに勝利した日露戦争のことや広島・長崎への原子力爆弾の投下のことなどをまるで自国のことのようによく知っているそうである。

日本人であることが最大の安全保障であって、最も身を守れる背景だったという。

しかしながら……。

 

戦争や空爆では決して平和はやってこない。

平和と食料不足とはまことに関係が深く。

アフガニスタンを安定させるためには、まずは食糧と水が大事だと。

そういうことから砂漠を緑化して農地に変えていくこととした。

中村さんは、先頭に立って農業生産を上げていくための各種事業をなされました。

具体的にはアフガニスタンを流れるクナール川から水を引いて砂漠を潤す水路を引く灌漑事業を実施されたのでした。

 

テレビから伝わってくる情報しか知りませんでした。

中村さんの活動が少しわかりました。

いまも世間を騒がしているアフガニスタン。

この国の人々に対する中村さんの熱い志、生き方。

彼の功績や意義などについて触れることで、平和のために各自は何ができるか考えるべき一歩となることでしょう。

 

 <目次>

はじめに 人の命を大切にしたいという思い、武器は絶望しかもたらさない

第1章 中村哲医師が世界に示した平和主義(戦争でテロはなくならない、イラク戦争支持への反省を怠った日本 ほか)

第2章 アフガニスタンでの三〇年間の苦闘(食べることこそが平和をつくる、食糧緊急支援に奔走 ほか)

第3章 中村医師が見たアフガニスタンの社会(アフガニスタンは世界一の親日国;広島・長崎への原爆投下に対する同情 ほか)

第4章 アフガニスタンの人びとは中村哲医師を忘れない(善き行いとは―ルーミーの詩から、多くの人に愛された「カカムラ」 ほか)

第5章 コロナ禍の世界は戦争の空しさを説く(「ブラック・ライヴズ・マター」、軍事費削減を求めるアメリカ国民 ほか)

おわりに 

 

1955年山梨県生まれ。現代イスラム研究センター理事長。83年慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻修了。米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院修士課程(歴史学)修了。専攻はイスラム地域研究、国際政治

 

【No.917】武器ではなく命の水をおくりたい 中村哲医師の生き方 宮田 律 平凡社(2021/04)

毎週ピラティスを受けています。

3年以上にはなるでしょう。

もう習慣となっています。

 

ジェセフ・ピラティスさんがピラティスを考案したのがおよそ100年前になります。

エクササイズで本来の生活を取り戻す必要があると強く感じていたことによる。

ピラティスさんは、健康のためには全身の動きが大切であると言っています。

全身を動かし刺激することで、体・精神・心の調和がとれて、健康な体が手に入ると説いています。

 

体には、強い部分と弱い箇所があります

それを包括的に鍛え引き上げていくのがピラティスだと教えていただきました。

さまざまなエクササイズ(姿勢、基本動作、呼吸法)を行って、自分のくせやゆがみに気づくことができれば健やかな体を手に入れるための第一歩となります。

 

ただエクササイスをしているだけでなく、あるときに立ち止まってテキストからその目的や意味(神髄)を知って、頭でも理解して実践できることが、健康を維持するためのぼくの理想形だと思います。

 

 <目次>

はじめに 

1 ピラティスの基本(ピラティスについて、ピラティスで重要な3つのポイント ほか)

2 プレピラティス(壁を使う、仰向け ほか)

3 クラシカルピラティス(ハンドレッド、ロール・アップ ほか)

4 目的別ピラティスプログラム(初心者向きプログラム、姿勢改善プログラム ほか)

「COLUMN」

 創設者ジョセフ・ピラティスについて

 マシンピラティスについて

 

トレーニング・スタジオ・アランチャ代表。ラグビープレーヤー時代の経験から体幹の重要性を感じる。海外でコーチングやトレーニング、ピラティスを専門的に学び、ピラティス・マスターストレッチのパーソナルトレーニングスタジオを主宰。キッズからプロアスリート、ダンサーまでサポートしている。全米公認ストレングス&コンディショニングスペシャリスト(NSCA‐CSCS)。Body Element Pilatesマスタートレーナー。

「50代には無限の可能性がある。だから、悩む」

学生時代以来、将来に対する選択肢が拡げられた時期はこれまでにはなかった。

「50代はもっとわがままになれ」

嫌なことはやらない、好きなことをしていくなど、開き直って今までとは違う思いっきり自分勝手になってしまえば。

 

「会社人生から自分の人生へ」

 

これらが絶対に正しいのだと決めつけるのではなく、良かれと思ったことを自分に取り入れて行動できる勇気を持っていこう。

人生にとって大事な50代という時期を後悔なく生きていくために、色々な処方箋が書かれてあった。

 

52P 60代前半は、50代と比べて年収半減は大げさでも、4分の3は紛れもない事実

58P 出世競争の勝ち負けは人生の勝ち負けではない。出世競争から降りた人のほうが、最後まで出世レースに参加した人よりも明らかに楽しい定年後を送っている

76P 仕事以外の時間は、会社1:自分9くらいにする

82P やりたくないことは手放し、苦手でないことをやる

99P 他者評価から自己評価へ。責任という名の会社からの評価を手放して、自分が本当に価値あると思うことをやろう。

107P 50代になったらイヤな奴を我慢しない。いい人や八方美人を手放そう

136P 50代の転職はリファラルで社員の紹介による。いざとなったらよろしくと声をかけておく。

164P 地域、ボランティア、スポーツ、趣味、習い事、友人など60代までの5つ以上の居場所(コミュニティー)を持っておく。

182P 結局、面白いことをやっている人の周りに人が集まる。自分がやりたいことやっていると他の人が面白がって寄ってくる。「自分が面白いと思うことを面白がってやっている人」

198P 親の介護のコツは人に頼ること。介護は一人で頑張らない。

208P 勉強をしない人は一気に老ける。勉強する習慣を50代のうちにつけておいてほしい。

 

多くの勇気をもらった。

人生100年時代、50歳はまさに人生折り返し。

イキイキとした楽しい人生を過ごしていこう。

 

 <目次>

はじめに 1万人に聞いてわかった「会社人生」の上手な終わらせ方

第1章 「定年」と真正面から向き合い、準備する

第2章 後悔しない定年後のための「いい会社人生の終わらせ方」

第3章 50代で必ず手放すべき六つのこと

第4章 転職・再就職…定年後のキャリアで後悔しないために

第5章 すべての「人間関係」を50代で再構築せよ

第6章 50代で「一生勉強する自分」を手に入れよう

 

1962年、群馬県生まれ。株式会社リクルートを経て、サンダーバード国際経営大学院でMBA取得。現在、オーダーメイド型企業研修を展開するエマメイコーポレーション代表取締役

 

【No.916】50歳からは、「これ」しかやらない 1万人に聞いてわかった「会社人生」の上手な終わらせ方 大塚 寿 PHP研究所(2021/07)

新しい視点を与えられるきっかけとなりました。

他人とはわかりあえないのが普通。それを受け入れるとストレスが減ります。

視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚などの体感覚の違いなどの脳のバイアスが原因なのです。

自分と他人とは見える世界が違うから、相手と分かりあえることが簡単ではないと気づきます。

 

4P

「自分の脳と相手の脳が見せる世界が違うということをしっかりと認識している人」がコミュニケーションスキルが高い。

8P

お互いの見え方を認めることです。

自分が見ている世界と相手が見ている世界が違うことに気づき、尊重しあえる人がコミュニケーションスキルが高い。

9P

夫婦の不仲、離婚問題、会社での上司や部下、同僚とのストレス、親子の関係や子育ての悩み。

見えている世界が違えば、受け取り方も、感じ方も、考え方も違ってきます。

10P

見える世界を違えてしまうのが、「脳のバイアス」です。

脳のバイアスは、遺伝や性別だけでなく、生まれ育った地域、環境、経験によって少しずつ違ってきます。

だから、私たちは分かり合うことは難しいことなのです。

12P

あなたが見えている世界と、あなた以外が見えている世界は違います。どんなに親しい間柄の人とも違います。

その違いに気づくだけで、人間関係から受けるストレスは格段に減ります。

 

子どもの頃、夏休みが長く感じられました。

この頃は年を取るほど、一日、週間や1カ月という時があっという間に過ぎていくように振り返って感じるようになってきました。

その理由がわかりやすく書かれています。

136P なぜ年をとるほどに、時間の流れが早く感じられるのか?

1つめは、時間に対する注意の頻度です。

没頭しているなど時間にあまり注意を向かない時はあっという間に感じます。

2つめは、体験する出来事の数です。

ジャネーの法則。脳は新しい体験をする回数が多いほど、たくさんの出来事を経験したと記憶し、その結果、たくさんの時間を費やしたと感じます。

3つめは、代謝によるものです。

午前より午後の方が長く感じることがあります。代謝が高いほど脳細胞の活動が活発になるため、脳内の時間の知覚が活発になります。

 

岡目八目、他人の正目、灯台下暗し。

俯瞰する力や第三者の目、客観的な目を持つことが大切です。

222P

仕事からプライベートまで、私たちが直面するほとんどのストレスは人間関係です。

そのストレスから解放されるには、相手を見る視点をいくつ持てるかです。

そのためには、まずは自分以外の人の世界感を認められるようになることです。

脳は、私たちが思っている以上に素晴らしい可能性を秘めています。

そして、あなたの思い次第で、世界の見方を変えることもできます。

 

 <目次>

はじめに 

第1章 「脳」に操られる世界(同じものを見ても、汚いと感じる人と感じない人がいる、クドナルド」で思い浮かぶものはこんなに違う ほか)

第2章 「体」に操られる「脳」(右利きと左利きでは同じものも違って見える、ピンク色の識別力は、男女で10倍も差がある ほか)

第3章 「環境」に操られる「脳」(ソファに座るか椅子に座るかが、あなたの第一印象を変える、見えていないもの」に影響される私たちの判断 ほか)

第4章 思い込む「脳」(ブランドのバックを手に入れると、街中でよく見かけるようになる、は「見たいもの」を選んで見ている ほか)

第5章 結局人は、わかりあえない生き物である(伝えたくても伝わらないのは、言葉のマップが違うから、言葉でも伝わらないことがある ほか)

脳のバイアスを超えてわかりあうために

おわりに 

 

脳科学者(工学博士)、分子生物学者。T&Rセルフイメージデザイン代表。LCA教育研究所顧問。日本の脳科学者20人のひとり。

1975年、宮崎県高千穂生まれ。東京工業大学大学院生命情報専攻修了。2002年に博士号を取得後、知的財産研究所に入所。2003年に特許庁に入庁。大学院非常勤講師を兼任しながら、遺伝子や脳内物質など最先端の仕事を手掛ける。その後、自身の夢を叶えてきたプロセスが心理学と脳科学の原理に基づくことに気づき、2008年に世界的にうまくいく人達の脳科学的なノウハウを企業や個人向けに提供する会社を設立。現在は脳科学を生かした子育ての研究も行い、大人から子どもまで、才能を伸ばす個人向けサービスから、幼稚園・保育所の先生/保育士/保護者向けの講演会、分析サービスなどで10000名以上をサポート。横浜を拠点として、全国に活動を広げている。

かつて町内や地域には、経験や知見からいろいろと苦言を呈してくれる年長者がいたものだ。

「○○はしてはいけない」

「○○は危ない」

「○○には気をつけなさい」

良薬は口に苦し。

そのときはあまり気にもならなかったが、今思うとありがたい忠告だったと思う。

 

人間には英知があり、歴史から十分学んでいるはずではあるが少し心配である。

6P「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちには心配ない。しかしその世代がいなくなったときはとても危険である」田中角栄元首相が言ったとおり、やはりこの頃から日本は危険なZoneに入り込みはじめたように見える。

 

84P「年を取ったら、自分の経験と知識を生かし、お金よりも自分が楽しめる仕事を選ぶべきだ」

 

108P「何を、どのように、どんな目的に使えば、どういったことがかのうになるのかなど、柔軟な革新的な発想が伴って、社会に承認される価値のあるサービスが形成される。そうした発想を生み出す土台が、豊かな感性と感情、広い分野の知識と見識を併せ持ったリベラルアーツ(一般教養教育)だ」

 

世界の人口は増え続けているが、日本は急激な人口減少がはじまっている。

 

201P 「20世紀の戦争が石油をめぐって戦われたとすれば、21世紀は水を巡る争いの世紀となるだろう」

 

252P「2049年、アジアに巨大な民主主義国が誕生する」

 

こういう想定される状況下、どうしていくべきか、どうなるのか。

戯れ言ではない。

しっかり聴く耳を持って判断し行動していくべきだと思う。

 

感染症、自然災害の頻発、地球温暖化、人口減少、米中関係等々の困難な課題や問題があることを気づかせられた。

これらは、過去の困難な時代を生き抜いて知恵と知識を語り尽くした、元中国大使の戦中世代経営者からの忠言であった。

 

 <目次>

文庫版はじめに

はじめに

序 『社長が席を譲りなさい』発刊に当たって

第1章 いますぐ昭和・平成の成功体験を捨て去れ!

第2章 働き方は自分の意思で決めろ!

第3章 絶望を見据えることでそこに希望の光を発見できる

第4章 避けらない危機の上に日々暮らしていることを忘れるな!

第5章 人口減少社会の真実を直視せよ!

第6章 これからの30年、日本の周辺で起きること

おわりに 令和の若者に告ぐ!

本書でお話をうかがった方々

参考文献

 

公益社団法人日本中国友好協会会長、福井県立大学客員教授、伊藤忠商事名誉理事。

1939年愛知県生まれ。名古屋大学法学部を卒業後、伊藤忠商事に入社。1998年に社長に就任。1999年に約4000億円の不良資産を一括処理し、翌年度の決算で同社史上最高益(当時)を記録。2004年に会長に就任。内閣府経済財政諮問会議議員、日本郵政取締役、国際連合世界食糧計画(WFP)協会会長などを歴任し、2010年に民間出身では初の中国大使に就任。

 

人ならざるものを見てしまう高校生、美和の始まりから幻想的ホラー感があった。

捜査一課の浩明と女性刑事の絵美がペアになり捜査をしていく、殺人事件が絡んだ社会派ミステリーだった。

被害者の斗南という男性は、数日間体の自由を奪われて食事も与えられないという非常に残虐な方法で殺されていた。

次々と事実が明らかになっていくその先に見えてくる犯人の正体が意外で衝撃的だった。

この殺人事件から犯人逮捕につながるまで、障害者差別など背景となる要素が社会的に重層なつくりとなっていて読み応えありました。

 

1969年生まれ。中国大陸の大学で5年間日本文学を教える。帰国後、「黒揚羽の夏」で第1回ピュアフル小説賞「大賞」を受賞しデビュー。ほかの著書に「名もなき王国」など。

これでよいと思ったときが終わり。

学び続けることは、終わりのない楽しい旅のようなもの。

学び続けて見えてくるステージ、学び続けないと見えてこないワールドを見てみたいものです。

222P

教えるということは、教わる側が求めるもの以上のものを提供し、初めて成し遂げられるものだと思います。

そのために、教える側が常にレベルアップしていかなくてはなりません。

読者のみなさんも、そして私も、学び続けなくてはいけないのです。

 

自己流ではなく体系的に実践されてきた「型」を身につけることで、相手に上手に教えることができます。

ティーチング、トレーニング、コーチングの3つの基本的な教え方を学べる内容です。

ぼくは、人の前で説明することを目的にして、ティーチングについて特に知りたいと思い手に取りました。

 

教えるということは「設定したゴールに相手を運ぶために、知識、技術を付与し、意識を高めること」です。

知識を付与する教え方のティーチング。技術を付与する教え方のトレーニング。意識を高める教え方のコーチング。

知識と技術の両方が足りないといった状況ならばティーチングとトレーニングの両方を実施することになります。

相手を設定したゴールに到達させる。

教えるとはそういうことです。

 

ティーチングは、

動機づけ、説明、効果測定の順で話す。

動機づけは、メリット獲得またはデメリット回避トークを話す。

説明の原則は、全体→部分、結論→理由。で説明する。

ひとことで言うと、〇つある(4つまで)結論は5秒以内で、「一番大切なことは」で話す。

ティーチングのテーマは、疑問がわくようなタイトルで表現する。

予備知識の少ない相手には、擬人化した例え話をする。

話し方は、目を見てゆっくり、間を取り、相手と自分との2WAY方式で話をする。

 

トレーニングのポイントは、動機づけ、やってみせ、説いて聞かせて、させて、ほめて、見届ける。ティーチングの教え方を踏まえる。実務でできるまで、見届ける、その後も見守る。トレーニング環境は、実務に近い環境を構築する等。

 

コーチングのポイントは、相手から答えを引き出し、自発的に行動するように仕向ける。傾聴は、目を見て聞き、相手のペースで相槌を打つ。相槌は、言葉を返す、要約を返す、気持ちを返す、で深める。質問は、いつ、どこ、誰、何、なぜ、どのように、どれくらい等。

 

そのほかに、グループの話し合いをサポートして、限られた時間の中で、成果と参加者の満足感を大きくするスキルの司会進行術、ファシリテーションもありました。

 

 <目次>

はじめに 

序章 教えるということ

第1章 知識の教え方「ティーチング」

第2章 技術の教え方「トレーニング」

第3章 意識の高め方「コーチング」

第4章 教えるためのサブシステム

第5章 教えるタイプ教わるタイプの相性

おわりに 令和時代に教えるということ

 

株式会社ヒューマンテック代表取締役。1960年東京生まれ。早稲田大学教育学部卒業。住宅リフォーム会社に就職し、最年少支店長を経て大手人材開発会社に転職。トップ営業マンとして活躍する一方で社員教育のノウハウを習得する。1997年に独立。現在はマネジメント、コミュニケーション研修講師として、階層別教育、プレゼンテーション、話し方などの分野で年間150回以上の講演を行っている。これまで指導してきたビジネスパーソンは4万人超。著書多数

 

「彼を知り己を知れば百戦殆からず」

マルクス・レーニン主義(科学的社会主義)、資本論、マルクス経済学などの社会主義、共産主義に関する言葉は聞いたことがあるがよく内容を知らない。賛成、中立、批判などのどの立場をとるかの前にまずは触れることが大切だと思った。

 

最近、「社会主義」という言葉が少しずつ目に触れるようになってきた。

著者が言われているように、日本社会の富の偏在、経済力等の格差が拡大してきたことが原因だと思う。

非正規労働者のような構造的に立場が弱い人々の賃金が低く解雇されやすいため、地域間や階級間の格差が拡大してきたこと。また、

AI(人工知能)の急速な広がりによりデジタル化が加速したことによる。

経理、審査、営業など従来の事務職の人員が削減され、低賃金で働かざるを得ないことなどによるであった。

 

228P

「高望みをしても仕方がない」と受動的になってしまう人もいるが、社会構造に問題があるという意識を持ち、社会の構造を変えようとする人も一定数出てくる。

日本ではほぼ死語になっている社会主義(socialism)という言葉が、ヨーロッパのみならず伝統的に社会主義に対する抵抗感の強い米国においても、最近、頻繁に用いられるようになっている。日本でも近未来に社会主義の価値が、肯定的文脈で見直されることになると思う。

その際に重要なのは、歴史に学び、過去の過ちを繰り返さないように努力することだ。日本における社会主義の歴史を捉える場合、共産党、社会党、新左翼の全体に目配りをして、その功罪を明らかにすることが重要と私は考えている。

 

元NHK記者と元外務省職員による対談により構成されていた。

第二次世界大戦後の1945年から1960年までの日本の左翼運動の歴史を日本社会党と共産党の動向を柱にして論じられた、佐藤氏・池上氏としてはいつもになく硬派な内容であった。

 

 <目次>

はじめに 

序章 「左翼史」を学ぶ意義(議論の準備1 左翼とは何か?、議論の準備2 共産党とは?社会党とは?)

第1章 戦後左派の巨人たち(1945~1946年)(GHQによる「非軍事化」と「民主化」、アメリカを「解放軍」とみなした共産党 ほか)

第2章 左派の躍進を支持した占領統治下の日本(1946~1950年)(「逆コース」の時代、「寄り合い所帯」としての社会党 ほか)

第3章 社会党の拡大・分裂と「スターリン批判」の衝撃(1951~1959年)(社会党の国家観が反映された「平和四原則」、「血のメーデー事件」と朝鮮ビューローの謎 ほか)

第4章 「新左翼」誕生への道程(1960年~)(社会党はなぜ安保反対運動を起こしたのか、新左翼を育てた「社会党の傘」 ほか)

おわりに

 

池上彰

1950年、長野県松本市生まれ。ジャーナリスト。慶應義塾大学卒業後、1973年にNHK入局。報道記者として、さまざまな事件、災害、消費者問題、教育問題などを担当する。1989年、記者キャスターに起用され、1994年からは11年にわたり「週刊こどもニュース」のお父さん役として活躍。2005年よりフリーになり、執筆活動を続けながら、テレビ番組などでニュースをわかりやすく解説し、幅広い人気を得ている。また、9つの大学で教鞭をとる

 

佐藤優

1960年、東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務などを経て、本省国際情報局分析第一課に配属。主任分析官として対ロシア外交の分野で活躍した。2005年に著した『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮文庫)で鮮烈なデビューを飾り、翌2006年の『自壊する帝国』で大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を受賞。2020年、菊池寛賞を受賞

 

【No.911】真説日本左翼史 戦後左派の源流1945-1960 池上 彰 佐藤 優 講談社(2021/06)